お祭りとお別れ 8
「飛鳥ちゃん達、どうしたんだろう……」
放課後の練習を終えて寮の部屋に戻ったはるかは、誰もいない暗い室内を見て呟いた。
今日、昴達は劇の練習を欠席した。
「どうしても外せない用事があるんです」
そう告げて二人で足早に教室を出て行ったのだが、この部屋には来ていないようだった。帰りがけに『ノワール』にも寄ってみたが、そこにも居なかった。
じゃあ、どこにいるのだろう。そして何の話をしているのだろう。
月曜の夜以降、昴とはまともに話せていないままなので、そわそわする。
(本当はちゃんと話したいんだけど)
朝食の席では避けられ、昼休みはすぐどこかへ行ってしまう。放課後にある劇の練習は普通にこなしてくれているが、それが終わると逃げられる。内容的に皆の前で話しづらいのと、はるかには本校での体験レポートに纏める作業もあるため、うまく話すチャンスが掴めずにいるのだった。
一度、夜に昴の部屋を訪ねてもみたが「忙しい」と言って断られた。
飛鳥からは「早く仲直りしろ」と言われている。もちろんはるかだって仲直りがしたい。そのために話がしたいのだが。
(怒ってるんだよね、きっと)
昴の父への返答をどうするか意見が割れたこと、それが原因だ。
あの時、もっと昴の気持ちを聞いてあげるべきだったと今になって思う。はるかはこれ以上、昴に不自由な思いをさせたくなかったのだが、昴だって同じようにはるかのことを思ってくれていたのだ。
考えてみれば簡単にわかったはずなのに、気持ちばかりが焦ってしまった。
だから昴に会って謝らないといけない。それから自分の気持ちも伝えて、あらためてどうするのか考えたい。
思わず深いため息をついた後、はるかは首を振った。
こうしていても仕方ない。飛鳥が帰ってきたら何があったのか聞いてみよう。
そう思ってレポートの続きを進めていると、やがて夕食の時間になった。けれど飛鳥はまだ帰ってこない。電話してみようかとはるかが思い始めた頃、ちょうど飛鳥から着信があった。
「もしもし、飛鳥ちゃん」
『あ、はるか。もうご飯食べちゃった?』
「まだだけど……どこにいるの?」
飛鳥の声の他に騒音などは聞こえてこない。ということは屋内か。
『部室棟だよ。前にはるかが踊ってた部屋』
「え、なんでそんなところに?」
『ちょっと昴と長話してて。……悪いけど、何か食べるもの持って来てくれない? あと、できれば三人分のパジャマも』
お願いね、と言うだけ言って通話は切れた。よくわからない指示に、はるかは首を傾げるしかなかった。部室棟でキャンプでもするつもりなのだろうか。
ともあれ、とりあえず言われたものを持って寮を出る。飛鳥のクローゼットからパジャマを取り出し、自分のパジャマ二着と一緒にバッグに入れる。食べ物は買い置きのあったブロック食とスナック菓子、それからカップ麺と熱湯入りの水筒を詰めた。
途中で人数分の飲み物を買った後、懐かしい部屋のドアを叩くと、飛鳥が中から開けてくれた。何もない部屋だが電気は通っているので明るい。
思った通り、昴も一緒だった。二人は寮に戻っていないらしく制服姿で、部屋の隅には通学鞄が置かれていた。
「あれ、毛布がある。あと、二人とも頬が腫れてるよ?」
「あはは、まあ、色々あったんだよ。ね?」
「はい」
二人はそう言って微笑み合う。本当に一体何があったのだろう。
「話してくれるんだよね?」
「もちろん。でも先にご飯にしよ。お腹空いちゃった」
確かに。移動時間なども含めると、いつも夕食を摂る時間は過ぎている。飛鳥に頷いて荷物を下ろそうとすると、昴が手伝ってくれた。
「ありがとう」
「いいえ」
昴は首を振って、それからすまなそうに目を伏せた。
「その、すみませんでした。ここ数日、はるかのことを避けてしまって」
とくん、と胸が高鳴った。昴の方から話しかけてくれるなんて思わなかったからだ。
思わず涙ぐみそうになりながら、はるかは微笑んで首を振った。
「ううん。私こそごめんなさい。自分のことばっかりで、昴のことを考えてなかった」
「はるか……」
すると昴の瞳にも涙が浮かんでしまった。素直な気持ちを伝えただけだったのだが。
「ねー、二人とも。あたし居ない方がいい?」
そこで飛鳥にジト目で言われ、我に返った二人は慌てて食事の支度にとりかかった。
ちょっと少な目のお湯でカップ麺を二つ作り、三人で分け合う。足りない分はブロック食とスナック菓子で我慢だ。
「こんな食事は初めてかもしれません」
「こんなこと、普通の人でも滅多にしないしね……」
極めてジャンクなラインナップだが味は確かだし、お腹がいっぱいになるとそれだけで幸せな気持ちになる。カップ麺のスープまで飲み干して後片付けを済ませると、三人はほっと息を吐いた。
「はるか、パジャマも持って来てくれた?」
「持って来たよ。でも、もしかしてここで寝るつもりなの?」
「そうだよ。話が長くなるかもしれないから」
先生に鍵を借りるついでに泊まる許可も貰ってきた、と飛鳥は言った。そして無造作に制服を脱いでパジャマに着替え始める。
(そういうことなら、問題はないだろうけど)
同じく着替えを始めた昴を見て、はるかはおずおずと言う。
「あの、昴。私、向こう向いてた方がいい?」
「? どうしてですか?」
「いや、ほら。私、一応男だし」
体育の授業は二回ほどあったものの、秘密を明かしてから一緒に着替えるのはほぼ初めてだ。だからそう聞いてみたのだが。
昴はきょとん、とした顔をして答えた。
「今更、何を言っているんですか。それより、はるかさんも着替えましょう」
「あ、うん」
いや、昴がいいのならいいのだけれど。
部屋でも更衣室でもない場所で着替えるせいか、はるかの方は妙にドキドキしてしまうのだった。
(私がおかしいのかな)
確かに、今更といえば今更だ。昴の白い素肌や、下着姿はこれまで何度も見ていたのだから。肌といえば昴の肌はとても綺麗で――って、だから考えないようにしないと。
邪念を追い払い、服を脱いで着替えを始める。と、
「あらためて見ても、はるかは綺麗ですよね」
先に着替えを終えた昴が、興味深そうにはるかを見つめた。恥ずかしいのでノーコメントということにして、僅かに視線を逸らす。
「パジャマ、私ので大丈夫だった?」
「はい。貸してくださってありがとうございます」
良かった。まあ、ちゃんと女物だし、胸の部分はフリーサイズなのでそんなに問題はないか。
程なくはるかも着替え終わって、三人は部屋の真ん中あたりに輪になって座った。
「では……お話をさせてください」
「うん」
口火を切った昴に、はるかはそっと頷いてみせる。
大丈夫、今度こそちゃんと聞ける。昴の気持ちを無暗やたらに否定したりしない。
「まず、その。はるかを除け者にしてしまってすみませんでした。どうしても、飛鳥さんへ先に聞いていただきたいことがあったんです」
「飛鳥ちゃんに?」
飛鳥達の頬をあらためて見る。あれも、その過程でできたものなのだろうか。
「うん。ちょっとお互いにひっぱたいちゃった」
「本当に何があったの?」
「ちょっとした喧嘩です。でも、もうまとまりましたから」
そう言われても全然安心なんてできなかった。
昴と飛鳥が喧嘩。それも手を出すような争いをするなんて。
「私の、ため?」
あまり品の良くない質問をつい口から漏らすと、昴は「そうです」と微笑んだ。まさか肯定されるとは思わなくて、はるかは固まる。
二人とも、自分のことを想ってくれている。わかっていたことをあらためて深く認識し直して、胸の奥が暖かくなった。
「飛鳥さんと話したのは、これからのことです」
「これからの?」
「はい。私、思ったんです。私達はまだまだ子供なんだな、って」
自分の我儘を通したいと思っても、それを許される年齢ではない。無理を通せるだけの力も持ち合わせていない。
十八歳か、二十歳か。もっと大人になってからなら意志を通すことも可能なのに。
「だから、それまで待つのはどうでしょうか」
「待つって……昴のお父さんから出された期限は今度の日曜日だよ?」
説得次第で多少期限を延ばしてもらうことは、もしかしたら可能かもしれない。しかし数年間も待ってくれるわけがない。
はるかの言葉に昴も「そうですね」と頷いたが、彼女は更に続けて言った。
「でも、それは私達が交際を続けたままなら、ですよね」
「……え?」
何で当たり前のことを今更言うのか、と思った。話の前提なのだから言われなくてもわかっている。
だって、もしもそこを崩してしまったら二人の関係は。
はるかの目の前で昴が微笑んだ。とても寂しそうで、けれど優しい笑みだった。
ぞくりと背筋が震える。話の流れを順当に追った結果、辿り着く答え。それが昴の出した結論だというのなら。
「お願いします、はるか。私と別れてください」
なんて残酷で、救いの無い話なのだろうか。
状況に思考が追いつくまでには十秒以上かかった。
一番聞きたくなかった言葉。辿り着きたくなかった結論。
だからこそ迷って、人に頼って、相談しあったはずなのに。
(どうして、そんなこと言うの?)
「……嫌だよ、そんなの」
あっという間に視界が涙で遮られた。前を向いているのが辛くて下を向き、いやいやをするように首を振る。
すると、肩にそっと手が添えられて、飛鳥の声が聞こえてくる。
「落ち着いて、はるか。昴はただ別れようとしてるわけじゃないから」
「どういうこと……?」
ゆっくりと顔を上げて昴を見れば、彼女はまだ先程の笑顔のままだった。
「延期するんです。私達の関係を、私達がもっと大人になるまで」
延期。先延ばしにする。
「いったん関係を解消するけど、将来またやり直す……ってことなんだって」
「今の関係は諦めます。でも、この想いと未来までは諦めません」
お互いに相手を想い続けたまま、三年以上の時を待って、あらためて最初からやり直す。
今度こそ誰にも邪魔させず、文句も言わせずに堂々と。
「でも、それってただ別れるのと違うの?」
そう尋ねると、昴は軽く首を傾げた。
「実質的には同じかもしれません。……ですが、気持ちの上では全然違います。父に言われるのではなく、自分達で選ぶんです」
今を諦める代わりに、明日の幸せを。
(そんなの、無茶苦茶だよ)
何年もの間、想いを変えずに持ち続ける。好きな相手と両想いなのがわかっていながら何もしないで、ただずっと。
それは口で言うほど容易いことではない。
なのに自信たっぷりに言い切って見せるなんて。
無茶苦茶だ。だが、嫌だとは言えなかった。
昴の想いの強さを考えたら幸せな気持ちが溢れて、胸が熱くなってきてしまったから。
「……そっか。それなら、これからも一緒にいられるんだね」
昴の父が提示した選択肢は「昴の転校」か「二人が別れること」だ。別れることを決めたのなら昴が転校する必要もなくなる。
――だが。
「いいえ。私は転校します」
……え?
どうして、必要ないのにそうするの?
「父をある程度安心させて騙すためにも、そうした方がいいと思うんです。それに」
そこで昴は言葉を切り、はるかを見つめて頬を染めた。
「きっと、はるかの傍にいたら何年間も我慢なんてできません」
彼女はわかって言っているのだろうか。その言葉がどれだけはるかの心を掻き乱すのか。
(私だって)
今度は恥ずかしさから俯き、はるかは胸中で呟いた。
離れ離れになるのは寂しい。けれど、こんな気持ちを抱えたまま昴と一緒にいたら、確かにどうなってしまうかわからない。
「だから関係も、距離もいったん離しましょう。でも、私ははるかのことを絶対忘れません。何年でも想い続けます」
とろけるように甘い言葉がはるかの胸を包み込んだ。
「はるかも、同じように想い続けて頂けませんか?」
そんな風に言われたら、断れるわけがなかった。
「……わかった。私もそうする」
「ありがとうございます、はるか」
昴が我慢するというのなら、頑張ってみよう。
三年後か五年後か。あらためて昴と心を通わせられる日まで。
ふっと息を吐いて天井を仰ぐ。ふとスマートフォンの時刻表示を見れば、時刻はもうすぐ午後九時になろうとしていた。
今日はここで眠って、明日の朝寮にシャワー戻ってシャワーを浴びよう。
「そういえば、飛鳥ちゃん達はどうして喧嘩になったの?」
ふと思い出して尋ねると、飛鳥は数回目を瞬いて首を傾げた。
「あれ、わかんない?」
「うん」
不思議そうに問われたが、思い至ることはない。
そのため素直に頷いてみせると「そっか」と納得したような呟きがあって、
「だって、昴の言ってるのってさ。別れるけど、はるかはずっと自分だけのもの、ってことだよ? そんなのおかしいよ」
「え、……あ」
気づいていなかった。というか問題だと認識できていなかった。けれど飛鳥からすれば、どうしようもなく重要な問題だ。
飛鳥は小さく息を吐いて続ける。
「遠距離恋愛みたいなものだと思えば普通かもしれないけどさ。でも、あたしだってはるかのこと好きなんだよ? なのにそんな約束、聞かされたら怒るよ」
教えられないままだったらそれはそれで、きっと後で昴を本気で恨んだだろうけど、と、やや冗談めかしてはいたが本気の表情で告げられる。
だから、昴と喧嘩になった。
――昴がいない間、あたしがはるかと付き合うのは自由でしょ?
「って言ったら昴、怒るんだもん。仕方ないじゃん」
「当たり前じゃないですか。いくら飛鳥さんが相手でも許せません」
どちらも、はるかのことが好きだから。
今はもうわだかまりは解けているようだが、二人が言うには最後は殆ど怒鳴り合いのような有様だったらしい。その場に居なくて良かった、と思ってしまった。
「それで……結局どうなったの?」
「お互い一発ずつで恨みっこなし、仲直りしたよ」
いや、そっちも気になってたけど、そうじゃなくて。
そこで、ふう、とため息を吐いて昴が教えてくれた。
「飛鳥さんの主張を受け入れることにしました」
「それじゃあ」
「はい」
頷いた昴は飛鳥と顔を見合わせ、二人で揃ってはるかの方を振り返る。
「飛鳥さんだけは特別です。でも、私達以外の子に浮気したら絶対に許しませんから」
そして、思わず見惚れてしまうような笑顔を浮かべた。
ビターというか、あまり救われない感じの結論ですが、本人達は納得済み。
だからバッドエンドではない、と思っています。




