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お祭りとお別れ 7

「ね、昴。いい加減にはるかと仲直りしなよ」

 木曜日・・・の昼休み。一人、屋外のベンチで昼食を摂ろうとしていた昴は、追いかけてきた飛鳥に呆れたように言い聞われた。

「……別に、喧嘩しているわけじゃありません」

 今まさに口を運ぼうとしたサンドイッチ(三限目の終わりに購買で買ったものだ)を下ろし、小さく呟く。気まずさから飛鳥の目を見ることはできず、視線はやや下に逸れた。

 すると飛鳥は深々とため息をつき、

「どう見ても喧嘩だってば。それも、犬も食べない系の」

 昴の隣にそっと腰を下ろした。手には軽食どころか、自販機で買ったジュースがあるだけだが。


「お昼ご飯はいいんですか?」

「ほら、あたし小食だから」

 また、わかりやすい嘘を吐くものだ。

 昴は息を吐き、残りのサンドイッチを飛鳥に渡した。ついでに、デザートとして買ったプリンもビニール袋ごと寄越す。

「いいの?」

「私は小食ですから」

 飛鳥と違って嘘ではない。少しくらい食べなくてもどうにかなる体質だ。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 遠慮なくサンドイッチを口に運ぶ飛鳥の表情に屈託はない。

 怒ってはいないのだろうか。勝手なことをしている自分を。


「はるかは、どうしていますか?」

 そう思いながら、口は考えていることと別の事を話していた。

「相変わらずだよ。昴のことを心配してる」

 昴だって知ってるでしょ? と言われ、何と答えたものか言葉に詰まる。

 もちろん、知っていた。ここ数日、はるかは何度も昴に話しかけようとしてくれていたから。皆の前で無理矢理話しかけては来ず、なんとか二人きりになろうとしてくれているおかげで、こうやって逃げ回ることができているが。

 そんなはるかの行動が嬉しくて、辛くて、腹立たしかった。


「……このまま仲直りなんてできません」

 だからこうして、はるかと距離を取っている。

 このままじゃ許せないから。自分の主張を曲げることができないから。

「頑固だなあ」

「何とでも言ってください」

 不本意だが、頑固なのは父親譲りの筋金入りだ。

 昴は、その場しのぎにサンドイッチを口に運んだ。ゆっくりと咀嚼し、飲みこむとまた小さく齧る。それを繰り返し、手にしていた一切れが無くなった後、飛鳥に尋ねる。

「飛鳥さんは、私とはるか、どちらが正しいと思いますか?」

「知らないよ、そんなの」

 対する飛鳥の返事は直球、それも回答どころか思考すら拒否するようなものだった。

「敢えて言うなら、どっちも間違ってるんじゃない? 二人とも極端すぎるし」

「……そう、ですか」

 極端すぎる、というのは確かにそうだ。

 今、昴が胸に秘めている決意と、はるかの想い。どちらも実行すれば二人の関係に大きな変化をもたらすものだから。

(でも、やっぱり納得できません)



 月曜日の放課後、はるかから聞かされた話は全く予想外の内容だった。

 芸能界やアイドル、なんて昴にはほとんど縁のない単語で、はるかがアイドルになるというのもピンとこなかった。

「はるかのお姉さんが芸能人って、あたし知らなかったよ!」

「ごめんね。隠してたわけじゃないけど、自分からは言わないようにしてたから」

 だから驚く飛鳥とは裏腹に、昴は別のことを気にした。はるかの意向とその影響だ。

「……それで、はるかはどうするんですか?」

「私は昴が許してくれるなら、やってみたい」

 昴の問いに、はるかはそう答えた。

 ただし、それには都内の学校に転校する必要があるという。また放課後や休日もレッスン等で忙しくなるし、常に女装して生活する事になる。更に、アイドルになれば恋愛だって自由にはできなくなる。

 ……ある意味、本末転倒ともいえる条件だ。


「でも、大丈夫だよ。たまにはお休みもあるらしいし、昴や飛鳥ちゃんと会って怒られることもないから。……転校すると会いづらくなっちゃうけど、夏休みとかもあるから」

 女の子となら表向き女友達・・・ということになるから、一緒に遊ぶのも、お泊りだって問題ない。なら今と大して変わらないよ、とはるかは微笑んだ。

「……や、結構無茶でしょ」

 飛鳥の言う通りだ。ただ、おそらく父は納得するだろう。

自らの課した条件――実利の確保が行えるなら、彼は「健全な恋愛」になど拘りはしない。はるかと結ばれなければきっと、適当な時期に見合いをさせられ、その相手と結婚することになるだろうし。

 でも。

「私は嫌です。はるかを犠牲するのは」

 はるかと別れるくらいなら、学校が別になるくらい耐えられる。

 男女の恋人としてデートも付き合えないのだって、一度は女の子のはるかを好きになったのだ。昴にとっては大したことじゃない。

 ただ、はるかに重荷を背負わせてまで幸せになるのは我慢できない。


「犠牲になるわけじゃないよ。私も考えて、やってみたいと思ったから」

 すると、はるかは困ったような顔で言った。

「私は昔からお姉ちゃんに憧れてたから。アイドルになるのも。そういう意味では夢の続きなんだ。……昔はそんなこと、できるわけないと思ってたけど」

 今なら叶えられる。

 女装は、はるかにとって夢を叶える究極の手段なのか。

 わかる気はする。はるかが清華学園を志したのも、元は姉への憧れからだったと聞いているから。


「――それでも、私は反対です」

「昴。でも、たぶん他の方法はないよ。このままだったら昴が転校させられちゃう」

「そうでしょうね」

 あれからも昴は他の方法がないか考えたが、何も思い浮かばなかった。

 都合のいい幸運なんて期待できない。そもそも由貴や、はるかの姉の存在が既に幸運だったのだ。

「なら、それでいいじゃないですか。別々の学校になっても、永遠に会えなくなるわけじゃありません」

「それは、そうだけど」

 言うなれば、先程はるかが主張したのと同じことだ。ただちょっと遠く離れるだけということなら、はるかは納得してくれるはず。

 そう思っていた昴は、飛鳥からの不意の質問に思わず口ごもった。


「……ねえ、昴。転校するとしたら昴はどこに行くの?」

「それは……」

 顔を上げるはるかから目を逸らして答える。

「実家から通える範囲か、あるいは全寮制の女学校に通うことになるかと」

「お父さんに監視されるか、自由の無い所に行くって事だよね? 休みの日に遊びに行ったり、スマホ使ったりできるの?」

 今度の質問には答えられなかった。

(飛鳥さんはどうして、こんなに鋭いんでしょうか)

 指摘されたようなことは昴も予想していた。きっと転校後、昴の自由は大きく奪われることだろう。最悪、スマホ自体を取り上げられるか、はるかや飛鳥の連絡先を強制的に消される可能性もある。

 それでも、はるかに負担をかけるよりいいと思ったのだが。


「駄目だよ。そんなこと、昴にさせられない」

 気づかれてしまえば、はるかが反対しないわけがなかった。

「それじゃあ本当に方法がありません」

 必死にそう主張してみれば、はるかも負けじと言ってくる。

「だから、私がアイドルになれば」

「駄目です、絶対に!」

 思わず大きな声を出すと、はるかが目を瞬かせた。それを見ているうちに瞳に涙が浮かんでくる。

(どうして、わかってくれないんですか)

 昴は自分よりはるかの事が大切なのだ。だから、気遣って貰っても嬉しくない。

 はるかに辛い思いをさせるくらいなら、自分が我慢した方がずっといいのに。


「私だって、昴が辛い思いをするのは絶対嫌だよ」

 苦しくて、悲しくて。どうしようもなくなった昴は、はるかがそっと伸ばしてきた手を払ってしまった。

「あ……」

 はるかが目を細めて手を引っこめるのを見て、ちくりと胸が痛む。

 けれど暴走し始めた感情は止まらず、昴は勢いのままはるかに言い放った。

「……もう決めました。来週、父に気持ちを伝えます。それなら、はるかさんがアイドルになっても仕方ないですよね」

 そのまま振り返らずに部屋を出る。「昴!」と二人が引き留めようとする声が聞こえたが、それも無視した。

 溢れた涙が止まってくれるまでには、しばらく時間がかかった。



「あたし、やっぱり夫婦喧嘩だと思うんだけど」

「そんなんじゃありません」

 はるかとは交際すらままならないような状況だ。とても夫婦なんて言える関係じゃない。

(……そうなれたらいいな、とは思いますけど)

 考えられる最良の未来ですら、離れ離れになるしかない。こんなことで、そんな幸せが実現できるものだろうか。

(はるかのことも傷つけてしまいました)

 せっかく、はるかと想いを通じあわせることができたのに。何もしてあげることができていない。


「はるかが飛鳥さんを選んでいれば、こんな風にはならなかったんでしょうか」

 自分の分も弁えずに告白なんてしてしまったのが間違いだったのか。

 と、昴の思考が深い闇に落ち込んでいると。

 いつの間にか正面に回っていた飛鳥が、ぐにー、と昴の頬を左右に引っぱった。痛みでじわりと涙がにじむ。

「昴、怒るよ」

 飛鳥はすぐに手を離してくれたが、代わりに真剣な瞳で真っ直ぐ昴を覗き込んだ。

「はるかは、あたしじゃなくて昴を選んだんだよ。もしもなんてない」

「……そうですね。すみません、失言でした」

 今更告白の結果をどうこう言うなんて、はるかにも飛鳥にも失礼だ。

 深く頭を下げて謝ると、飛鳥はため息を吐いてベンチに座り直した。


「でもさ。どうしてそこまで拘るの? はるかがアイドルやりたいって言うなら応援してあげてもいいんじゃない?」

「あれがはるかの本心なら、その通りですが」

「はるかが嘘ついてるっていうの?」

「そこまでは言いません。でも、本心の全てではないと思うんです」

 あるいは本人にも自覚はないかもしれない。

 他に方法がないという思いに引きずられ、そうすべきだと無理矢理、迷いを抑え込んでいるような気がするのだ。

「似たような経験は、私にもありますから」

「……確かに。はるかならやりそう」

 遠い目をした飛鳥が頷いた。それから、彼女はうー、と唸り声をあげて天を仰いだ。


「あーもう。じゃあどうしようもないじゃん!」

「ですから私が転校すれば」

「それも禁止! どっちかが一方的に我慢するとかそういうの無し!」

 やけになったような叫び声に、遠くを歩く生徒が振り返っていた。おそらく我慢の限界が来たのだろうが、正直今の飛鳥が一番無茶苦茶な事を言っている。

 と思っていたら、今度は急に肩を落とした。

「どうせうまくいかないならさ。みんなが少しずつ我慢しあえるようにしようよ。じゃないとあたしが納得いかない」

(……そこで、格好いいこと言わないところが)

「飛鳥さんらしいですね」

「って、それどういう意味?」

 思わずくすりと笑みを漏らすと横目で睨まれたが、笑顔の昴を見た飛鳥は毒気を抜かれたようにふっと表情を戻した。


 会話はそこで途切れた。お互い言いたいことを言って多少すっきりしたのだろう。

 もちろん状況は何も変わっていない。このまま何も行動を起こさなければ、昴ははるかと物理的に離れるか、あるいは関係を解消するしかない。

 後者の選択肢だけは絶対に選べない以上、必然的に残るのは前者だ。しかし皆の希望を全て叶えようとするならそちらも選べない。

(私達には、選択肢すら残されていないんですね)

 昴も、はるかも、そして飛鳥も。未だ十五、六歳の子供でしかない。自由に振る舞う権利も無ければ、そのための力も持っていない。

 せめて、今が数年先であったなら、選べる道もまだあっただろうに。

(数年先)

 大学生か、あるいは社会人か。

 何が変わるのか、変わらないのか。今の段階では全く想像もつかないが。

 それまで決断を保留することができたら、どんなにいいか。

 数年後まで。


「……あ」

 その時、昴の頭に一つの考えが浮かんだ。

 ――数年後の未来。誰か一人だけが重荷を背負うことのない方法。残された選択肢。

 導き出した答えはそれらの条件に当て嵌まっていると思えた。

 昴はふっと息を吐くと、飛鳥に告げた。

「飛鳥さん。放課後、お時間を頂けませんか?」

「いいけど、どうして?」

「お話したいことがあるんです」

 話せばきっと飛鳥は怒る。場合によっては話し合いだけでは済まないかもしれない。そう思いながら、昴は飛鳥に向けて微笑んでみせた。

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