お祭りとお別れ 5
昴と二人で部屋に戻ると飛鳥が待っていた。はるか達の顔を見た彼女は有無を言わさず説明を求めてきたので、事のあらましを話して聞かせる。
「そいつ、もうぶん殴っちゃえば?」
「昴のお父さんにそんなことできないよ……」
残念ながら気持ち的には同感だが、やったら完全に悪者だ。それこそ情状酌量の余地は完全になくなってしまうだろう。
「それに、あの人の言ってることも正しいと思うんだ」
確かに融通は利かないし無茶振りが過ぎるが、基準は明確だしその意図もはっきりしている。「熱意が足りない」とか「何となく気に入らない」とか言われるよりはある意味マシだ。
そう考えると、彼は真剣に昴の幸せを願っているのではないか、と思う。
「……はるかって本当にお人よしだよね」
「うん、そうかも」
でも、今更この性分は変えられない。それに、憤っているだけではどうにもならない。何とかして昴の父に認めてもらわなければいけないのだから。
ちなみに、個人的な気持ちで言えばあの人は大嫌いだ。
「で、何かアテはあるの?」
「……ううん」
クッションを抱きしめながらため息をつく。現状では何の当てもない。すぐ簡単に思いつくならあの場で口にしていた。さもありなん、と飛鳥も頷く。
そこへ昴がぽつりと言った。
「父はああいう人なんです」
金や権力に執着し、家を守ることを何よりも重視する人物。彼はその思想から一人娘である昴にも徹底した教育を施してきたらしい。
「私の交際相手、イコール間宮家の後継と考えているのだと思います。だから、はるかにもあんなことを……」
電話でも彼はあの調子だったらしい。従う気は無いとはっきり告げて電話を切ったが、まさか島にまでやってくるとは思わなかった、昴はそう言って申し訳なさそうに目を伏せた。
「昴のせいじゃないよ。たぶん、これはいつか通る道だったんだと思う」
ただ単に、非常に早い段階でそれがやってきただけで。
(早さが問題なんだけどね……)
ついこのあいだ飛鳥と話した通り、はるかはまだ将来の展望すら固まっていない。そんな段階で地位や経済力を示せと言われても困る。
「お金かあ……」
金銭を手に入れにはどうしたいいか。なんて、考えるまでもなく稼ぐしかない。
「アルバイトするとかじゃ駄目なんだよね?」
「きっと、全然額が足りないと思う」
学校に通いながら、数十万円単位で軽く稼げるなら別かもしれないが。そんなアルバイトが都合よくそこらに転がっているわけがない。
「なら、普通にやってもどうしようもないじゃん!」
実際、どうしようもない難題なのだろう。となると覆すには特別な方法がいる。
しかしそんな方法があるのだろうか。
思考が行き詰まり、誰も何も言わないまま時間が過ぎていく。
「……圭一に相談してみませんか?」
やがて、ぽつりと昴が呟いた。
「香坂先輩に?」
「はい。もしかしたら協力してくれるかもしれません」
「でも……」
確かに圭一はお金持ちで、昴の家とも親交があるらしい。力になってくれる可能性はあると思うが、こんな問題で彼を頼っていいのだろうか。
だが、はるかは昴の表情を見て否定の言葉を止めた。
彼女は覚悟を決めたような、極めて真剣な顔をしていた。そんな顔をされてしまっては何も言えなくなってしまう。
「わかった。香坂先輩に相談してみよう」
―――
いつもなら翌日の放課後まで待つところだが、明日からは文化祭準備が始まる。放課後『ノワール』に寄れるかもわからないので、はるかはすぐ由貴に連絡を取った。
『わかりました。先に店で待っていてください』
大事な相談があるから圭一と一緒に来てほしいと伝えると、由貴はそう言ってくれた。
「で、まさかあたしだけ除け者にしないよね?」
飛鳥も含めた三人で『ノワール』に移動し、由貴達を待つ。
しばらくして現れた二人は珍しく私服姿だった。圭一は割とカジュアルな服装なのに対し、由貴の私服からは上品さが窺えて、いつもと少しイメージが違った。
「突然、呼び出してすみません」
「構わないよ。……と言いたいところだけど、かなり大事な用件みたいだね。内容によっては期待を裏切ることになるかもしれないよ」
「ええ、話を聞いて頂けるだけでも十分です」
いつもと同じ並びで席に着くと由貴が紅茶を用意してくれた。
「ありがとうございます、由貴先輩」
「いいえ」
メイド姿ではないが、由貴の立ち居振る舞いは変わらない。にっこりと微笑んで身を翻した。
いや。今一瞬、彼女の瞳が冷たく細められたような――?
「それじゃあ、話を聞かせてもらっていいかな」
「はい」
はるかは頷いて事情を説明した。飛鳥に話したのと同じ内容に、昴から聞いた話や、二人に相談するに至った経緯も含めて話す。ただし特待生のくだりだけは省いて。
全てを聞き終えた圭一はふっと息を吐いた。
「それで、僕にどんな協力をしてほしいのかな?」
「手がかりが欲しいです。昴のお父さんを説得する材料か、求められている条件を満たす方法の」
お金を寄越せ、などとは言わない。ただの先輩後輩の間柄でそんな事を言うのはおかしいし、たぶんお金だけがあっても自分で稼げないのでは意味がない。減る一方なら、お金は無くなったら終わりなのだから。
これはあらかじめ昴にも了承をもらっている。駄目でもともと、という考えには昴も異論はないらしい。
「ということは、お金を稼ぐ方法にこだわらないんだね」
「はい。昴との関係を認めてもらえればそれでいいです」
あくまでも欲しいのはその手段だ。もし他の方法で説得できるのならそれで構わない。
「ふむ……」
圭一は顔に手を当てしばし思案する。はるか達はそれを静かに見守った。
考えるということは、希望があるのだろうか。何か少しでも。
「無理だ」
やがて口を開いた圭一はきっぱりと言い切った。
「圭一様」
由貴が窘めるように声を上げるが、圭一はそれを手で制した。すると『ノワール』の店内はしんと静まり返ってしまう。
「方法、ないんですか? 何も?」
次に飛鳥が顔を上げ、悲痛な問いを投げかける。
当事者では彼女がそこまでしてくれるのを見て、はるかの胸に痛みが走った。
圭一もすまなそうな顔を作ったが、しかし返答ははっきりしていた。
「ない。彼にとって昴は一人娘だ。代わりがいない以上、説得に応じて自らの論を曲げることはないだろう。それに、今すぐ小鳥遊さんに収入のいい仕事を斡旋する事も現実的に難しい」
「圭一様の口利きで、関連企業を紹介することはできるでしょうけど……」
「就職は大学卒業後、それまで十分に学んだ上で行うことになるだろう。話が遠すぎる上に確実性がないから材料としては弱すぎる」
だから圭一でもどうにもならない。
やっぱり、そう簡単に解決策は見つからないらしい。
「昴のお父様も本当に頑固な方ですよね」
由貴が眉を寄せて呟いた。
「そうだね。まあ、昴も負けてなかったみたいだけど」
圭一がメイドの暴言に苦笑する。思わず、はるかもくすりと笑みを漏らした。
「ありがとうございます。香坂先輩、由貴先輩」
「いや。むしろ何も力になれなくてすまない」
「いいえ。お話を聞いていただけただけで嬉しいです」
二人にお礼を言って、はるか達は席を立った。先輩達はせっかくだからもう少し紅茶を飲んでから帰るらしい。
彼らに背を向けて入り口のドアに向かうと、そこに圭一の声がかけられた。
「ああ、小鳥遊さん。他をあたるつもりなら、正攻法以外を探るのは間違っていないと思うよ。手持ちで足りないならコネや運、そういった裏技に頼るしかない」
――はるか達の考えを肯定する、せめてものアドバイスだった。
はるかは立ち止まり、振り返ると黙って頭を下げた。そして今度こそ『ノワール』を出る。
空はオレンジ色に染まっていた。
「コネに運、かあ」
他の生徒達の姿もちらほらと見受けられる道中は、どうしても言葉数も少なくなった。そんな中、飛鳥が言う。
「運、って例えば宝くじが当たるとかかな」
「……一等前後賞合わせて当たれば十分かもね」
当たるわけないけど、というのは敢えて言わずに相槌を打つと、それを聞いた昴が真剣な表情で唸った。
「そうですね。億単位の現金があるのなら父も黙るしかないかと」
「昴まで。さすがに無理だよそんなの」
そもそも購入した覚えがない。最近は定期的に開催されているタイプもあるようだが、ああいうのは当てるにも元手が必要なのではないのか。
(ギャンブルはもっと無理だし)
パチンコ、競馬、競輪等、その類のものは実態すら良く知らないうえ、学生にできるものではなかったと思う。
「そうですね。まだコネの方が現実的かと」
現実味のない馬鹿な話だったが、それで多少気が紛れたらしい。くすりと笑って昴が言う。
「んー。でも一番のコネが香坂先輩だよね」
「そうだね」
財力も権力も、おそらくは将来性だってあるのだろう男性。きっと彼ならば昴の父の眼鏡にも適うのだろう。
(せめてどれか一つでも私にあればなあ……)
圭一の他に誰かいただろうか。
現実離れした悩み事を相談できる、現実離れした人物。
(……あ)
「あたしの知り合いは平凡な人ばっかりだしなあ」
「私も、知人は父の関係者ばかりですから……」
飛鳥と昴が口々に言う中、微妙な表情ではるかは告げた。
「……私、心当たりがないこともないかも」
すると飛鳥達は首を傾げ、互いに顔を見合わせあった。
* * *
「本当に、昴のお父さんも頑固ね。さっきの話を聞く限り、今回の昴は結構頑張ったと思うんだけど」
自分で淹れた香りのいい紅茶を一口飲むと由貴はぼやいた。店内から後輩たちが去ってから既にしばらく経っており、ここには既に圭一しかいない。これまで幾度となく経験してきたシチュエーションではあるが、今日の由貴は珍しい心境に置かれていた。
困惑と形容するのが適切だろうか。
どうしたものか、と途方に暮れるような状態だった。
「そうですね。あのご当主を相手によく反発したと思います」
そう。昴は十分に反発してみせた。小さい頃からあの調子で自分の方針を押し付けられて、完全にトラウマになっているはずの父親を相手に。
今まではきっと、自分の意見を押し通した事すら碌になかっただろうに。
恋は人の原動力になるものなのだと実感する。
「はるかちゃんも、頑張ってるんだけどね……」
昴の父と対面した彼の行動はおそらく正しい。好きだから、愛しているからと自分の想いばかりを繰り返していても上手くいかなかっただろう。最悪、交渉決裂と判断されて強制的に引き裂かれていたと思う。
だから、一週間とはいえ猶予を引き出したのなら立派な成果だ。
「……でも、どうにかする方法が思いつかないのよね」
圭一が告げた通り、由貴や圭一には昴達を手助けする手段がない。これまで後輩たちが直面してきた問題を、半ば余裕で傍観していた時とは違うのだった。
(うちの家から働きかければ可能は可能なんだけど……)
姫宮家は間宮家と懇意にしており、表向きは対等な間柄である。しかし実際は姫宮家の方が財力も権力も大きく上回っているのが現状だ。加えて、姫宮の系列企業には間宮の人間が何人もいる。「切れるカード」は多くあるのだ。
だが、由貴にそこまでの強制力はない。彼女とて親に養われている立場であり、家の方針を大きく動かすことはできない。
(でなければ、そもそも私から情報を流したりしなかった)
昴とはるかの交際が昴の父に知られたのは由貴が原因だ。昴の父は以前から由貴の父に「娘に関する重要な情報」があれば知らせるよう要請していた。その要請を受けた父親の指示で由貴は情報を流し、由貴の父経由で昴の父へと情報が渡った。
おそらくは由貴が動かなくても何らかの形で情報は漏れていただろうが。
大切な後輩達を裏切った事実は、由貴の胸へと残り続ける。
「奇跡なり、幸運なりが起こってくれるといいですね」
「ええ、本当にね」
圭一の言葉に頷いて、由貴は残りの紅茶を一気に飲み干した。
――そう都合よくはいかないのだろうと、頭の隅で思いつつ。




