お祭りとお別れ 4
しばらくちょっと重めの回が続くかもしれません。
日曜日の午後、再び三人で台本の読みあわせをしていると、はるかのスマートフォンから着信メロディが響いた。手に取ってみると発信者は真穂だ。彼女の方から連絡が来るのは珍しい。
ちょっとごめんね、と昴達に断ってから通話ボタンを押す。
「はい、小鳥遊です」
『乃木坂です。ごめんね、突然電話しちゃって。今、小鳥遊さんは寮?』
そうだと答えると、真穂は小さく「良かった」と呟いた。
『じゃあ、悪いんだけど今から職員室まで来られないかな?』
「わかりました。でも、どうしてですか?」
休みの日に呼び出しということは緊急の用件なのだろう。けれど、移動中に心の準備をするためにも心の準備くらいはしておきたい。
『うーん……それがね、小鳥遊さんに会いたいっていう人がいて』
(私に?)
一体誰なのか全く想像がつかなかった。なら会ってから考えるしかないか。
『それで……できたら間宮さんを連れてきて欲しいんだけど』
「昴を、ですか?」
ちらりと昴を見る。彼女もはるかの声に反応したのか、こちらを窺いながら首を傾げていた。
『うん。難しそうなら私からも連絡してみるけど』
「いえ、大丈夫です。じゃあ、すぐに着替えて行きますね」
『ありがとう。お願いね』
話を終えて、通話を切った。
「乃木坂先生からだったの?」
「うん。なんかね、私と昴にすぐ来てほしいんだって」
「はるか達だけ? なんだろうね」
飛鳥が不思議そうに呟いた。昴は黙ったまま思案するように目を伏せている。
「昴?」
「あ、いえ。じゃあ、私は制服に着替えて来ますね。寮の入り口で待っていてください」
はるかが声をかけると顔を上げ、部屋を出て行った。
(ちょっと様子が変だったかな)
制服に着替え、飛鳥を残して部屋を出る。寮の入り口で待つと昴も程なくやってきた。
二人、連れ立って校舎へ向かいながら、はるかは考える。
昴を問いただすべきだろうか。何かを知っているのなら教えてほしい。でも、無理に尋ねて昴を困らせたくはない。どちらにしても二人を呼んだ誰かにはこれから会うのだし。
落ち葉の散るアスファルトの道を歩きながら、隣を歩いている昴をそっと窺ってみる。はるかの視線に気づいた昴は、足を止めないまま遠くの空を見上げた。
「もしかしたら、はるかが呼ばれたのは私のせいかもしれません」
「やっぱり、何かあったの?」
「いえ」
短い返事と共に、前方に向き直った瞳がすっと細くなる。
続く言葉は深いため息と一緒にやってきた。
「終わらせたつもりでした。ですが、向こうは違ったのでしょう」
「向こうって……」
言いかけて途中で止める。昇降口がすぐそこまで迫っていたからだ。
上履きに履き替え、がらんとした廊下を歩いて職員室へ辿り着く。すると、真穂は職員室の前ではるか達を待っていた。頭を下げ挨拶したはるか達を見て、彼女はすまなそうに眉を下げる。
「本当にごめんね、突然呼び出してちゃって」
「いいえ。それで、お話というのは?」
「それは、とりあえず移動してからね」
単刀直入な昴の質問に真穂は言葉を濁した。
二人は来客用の応接室に案内された。柔らかそうなソファが透明なテーブルを挟んで向い合っていて、壁際の棚には賞状やトロフィーが幾つか並んでいる。
また、ソファの片側には既に二人の人物が座っていた。どちらの中年の男性で、片方はこの分校の校長だ。しかし、もう一方の人物には見覚えがない。
身長は百七十センチ以上。黒いスーツ姿で、体格は一見普通だが、よく見ると年齢の割に引き締まっている。若い頃は美青年だっただろう整った顔立ちは、瞳に宿る鋭い眼光のせいで威圧的に作用している。
どことなく、顔立ちは隣の少女と似ているようにも見えるが、この人は――。
「こんな所まで何のご用ですか、お父様」
はるかの思考を、冷ややかな昴の声が先取りした。
やはりこの人が昴の父親なのか。
いきなり娘に睨まれた彼だが、特に動揺は見せなかった。入室したはるか達を見ると厳かに口を開く。
「お前が話し合いに応じようとしないから、こうしてやってきたまでだ」
印象通りの、固さを含んだよく通る声が応接室内に響いた。怒鳴っているわけではないのにプレッシャーは強く、はるかは思わず身を震わせてしまう。
しかし昴は萎縮するのではなく、むしろ憤りを露わにしていた。
「私の意思はしっかりと伝えたはずです。これ以上話し合うことなどありません」
決然とした声からは譲らない意志がはっきりと伝わってくる。場の空気は最初から冷え切ってしまった感じだが、そこで校長がはるか達へ着席を勧めた。言われるまま、はるかは昴、真穂と共にソファへ腰を下ろす。空いていた方ソファはるか、昴、真穂の順で座り、校長たちと向かいあう形だ。
全員の着席を確認すると校長が口を開いた。どうやら簡単な状況説明のようだ。
昴の父は資産家で、娘の教育にも非常に熱心な人物であるらしい。彼は昴の入学にあたって分校に寄付も行っており、寄付された金は分校の運営に利用されている。そんな彼が今回突然、娘に関する相談のためわざわざ島まで足を運んできた。そこで校長は担任である真穂と共に話を聞き、昴とはるかも交えた話合いが必要と判断して二人を呼び出したらしい。
「……お話はわかりました。ですが、小鳥遊さんまで呼び出される理由がわかりません」
「お前には既にわかっているはずだ」
説明が終わった後、真っ先に話し始めたのはやはり昴達父娘だった。昴の父は娘からの質問を一蹴し、彼女に向けていた視線を横へと逸らす。鋭い視線がはるかを刺した。
「これはお前と、そちらの彼との交際に関する話なのだから」
「え……」
はるかは絶句した。
――今、昴の父は『彼』と口にした。女子の制服を身に着けスカートを履いたはるかを見て、だ。
それはつまり、彼がはるかの秘密を知っているということだ。
再び校長の説明が入る。昴の父を含め、この場にいる人間は全員はるかの事情を知っているから安心して欲しい、と。
(安心、できるわけない)
知られているからこそ、こんなにも動揺しているのだ。校長、真穂、昴はいい。しかし何故、一保護者にすぎない昴の父にまで知られているのか。
「……分校や学園に対して寄付や援助を行った人物や団体は、一定の条件で特待生に関する情報を開示請求できるの。もちろん、他言は無用だけどね」
真穂がそっと補足説明をしてくれる。
情報の開示請求。それではるかの情報を知ったというわけか。
「通常、生徒のプライベートな情報については余程のことがないと開示しないはずだったと思いますが」
かつてはるかを目の前に、特待生制度を「よくわからない制度」と言い切った真穂。
彼女にとってもこの状況は不本意なのだろう。やや声を固くしながら校長、そして昴の父へと問いかけた。
「今回は学校側から情報を得たわけではありません。……娘が交際しているという情報を伝手で得て、独自に調べました」
同じ出資者――特待生に関する情報を得られる立場にある者同士での情報交換なら暗黙の了解として黙認されている。故に、そういうことも可能らしい。
何て、都合のいい話だろう。
(お金を積めば、原則をねじ曲げることだってできる)
つまりはそういうことか。生徒達が悩み、苦しんでいる裏で、大人達は自分の都合がいい状況を作り出している。もちろん『部外者や学内への情報の流出』は防がれているのだろうが。
特待生制度のために佐伯奈々子を分校から追い出しておいて、自分達はそれか。教師達や昴の父に対して言いようのない怒りを覚え、ぐっと唇を噛みしめた。
「話が逸れましたね。あまり長話をしても無駄ですから、結論から言いましょう」
はるか、昴、真穂。三人の感情に気づいていないわけでもないだろうに、昴の父は表情を変えない。ただ淡々と自分の要求を口にする。
「小鳥遊はるかさん。昴と別れてください」
――不思議と驚きはなかった。流れから予想はできていたからだ。
彼は、昴とはるかが付き合うのが気に入らなかった。だから止めさせるためにここへ来た。おそらく昨日の電話も彼からだったのだろう。
なら、答えはひとつしかない。
(この人には従いたくない)
「嫌です」
はるかは短く告げて首を振った。すると深いため息が返ってくる。
「何故だね?」
「昴のことが好きだからです」
だから、別れろと言われて素直に別れるつもりはない。
はるかの右手に柔らかな感触が触れる。そのままソファの上で昴の左手と指を絡めあった。
短い沈黙。
「話にならんな」
昴の父はつまらなそうに吐き捨てた。
「君と交際することで昴に何の得がある? 私を納得させられるだけの価値が君にあるのか? 私にはそうは思えないが」
得に、価値。
(この人は私に何を求めているんだろう)
突然飛び出した言葉に困惑し言葉に詰まる。そこへ昴が割って入った。
「私の気持ちが満たされます。小鳥遊さん――はるか以外の人とでは私は幸せになれません。それで十分でしょう」
「精神的な充足に何の価値がある」
真摯な昴の言葉に対し、父の反応はにべもない。おそらくこれは電話越しに行われたやりとりの再現なのだろう。
これは話し合いではない。単に主張をぶつけ合い相手の心を折ろうとしているだけだ。
(まずは落ち着かなくちゃ)
息を吸って考える。相手が何を大事にしているのか、それが知りたい。
「価値というのは、お金のことなんでしょうか」
はるかが尋ねると、睨みあっていた二人が揃って振り向いた。
「簡単に言えばそうだ。経済的、社会的に昴を幸福にする力があるのかと聞いている」
「失礼ですが、彼女達はまだ高校一年生です。それはさすがに無茶ではないでしょうか」
「学生だからこそです。本来、学校とは教養を身につけ自らの価値を高める場のはず。限られた貴重な時間を割くからこそ、十分な価値を求めているのです」
「学校は、」
真穂はなおも反論しようとしたが、校長に嗜められて言葉を止めた。
(……そっか)
それを見て理解する。彼と自分達ではまったく価値観が違うのだ。
気持ちではなく、極めて現実的な保証を求めている。結婚を希望する男女に突きつけるような条件を、はるか達に突きつけている。
「小鳥遊はるか君。もう一度聞こう。君にその力があるか?」
「……ありません」
血を吐くような思いではるかは答えた。はるかはただの高校生で、財力も権力も持ちあわせてはいない。昴の父が要求する条件を満たすことはできない。
例えば圭一のような立場や、姉のような幸運、才能があれば別だろうが。
はるかにはそんな力は、ない。
「はるか……」
「なら、昴と別れてくれるね?」
「いいえ」
だが、それで諦めるのは嫌だ。
「考えさせてください。私にできることを。でないと突然すぎて納得できません」
せめて猶予が欲しい。昴と話し合って、一緒に考えるチャンスが欲しい。
抵抗と言えるかどうかすら怪しいが、はるかにできるのはこれくらいだった。
「……いいだろう」
昴の父はふっと口元に笑みを浮かべて頷いた。はるかは彼が笑うのをその時初めて見た。
彼はおもむろにソファから立ち上がると一同に向けて宣言する。
「いったん帰らせていただきます。一週間後、もう一度娘と彼に尋ね、結果次第で考えたいと思います。もし価値を示せるというのならそれでよし、何も示せず、娘と別れる気がないというのなら、そうですね」
そこで考えるように言葉を切って、更に続けた。
「共学校に通わせること自体が間違いだったのでしょう。どこかの女子校に転校させるか、あるいは留学でもさせることにします」
一礼して退室していく彼を校長が見送り、遅れて真穂が続いた。
はるか達はそちらに頓着せず、ソファに座ったまま互いに見つめ合う。
「……ごめん、昴。私、何もできなくて」
握ったままの右手にぎゅっと力を込めると、昴は繋いだ手をそっと持ち上げて胸に抱いた。
「いいえ。――ありがとうございます、はるか」
かすかに昴の柔らかな感触が伝わってきて、はるかは愛しさと無力感から彼女の身体を抱き寄せた。
「私、考えるから。一生懸命」
「はい。考えましょう、一緒に」
見送りを終えて戻ってきた真穂は二人の様子に苦笑して、しばらくの間見て見ぬふりをしてくれた。




