憧れの場所と、やってきた少女 14
「あたし達、昨日はるかに告白しちゃいました」
「あら、おめでとうございます」
「へえ。小鳥遊さんからの返事はまだなのかな?」
月曜日の放課後。飛鳥は『ノワール』に着いてすぐ、日曜の件を由貴達へ報告した。
二人の反応はごく穏やかで、事の進展を喜んでくれた。
「はい。はるかが帰ってくるまでお預けです」
「ふふ。じゃあ今週は我慢ですね」
「……いえ、あの。ちょっと待ってください」
そこへ突っ込みを入れたのは昴だ。彼女は困惑気味に、三人へ疑問の声を投げかける。
「それだけで納得するんですか?」
「? ええ、今更驚くことでもありませんし」
なんともあっさりした台詞である。飛鳥としても由貴達に賛成だが、昴はまだ納得いかない様子なのでフォローしてみる。
「由貴先輩達には前からバレバレだよ。だって殆ど毎日一緒にいるし」
さらに言うと、由貴には前に一度、恋愛相談のようなものをしたこともあったし。これでバレてないと思うのは甘い。
まあ、他人の反応を気にする余裕もないほど真剣だったのだと考えると、そんな昴は物凄く可愛いのだが。
「……なんだか私が馬鹿みたいじゃないですか」
「そんなことないよ。昴は可愛いから大丈夫」
と、飛鳥のフォローを聞いた昴は拗ねたように頬を膨らませ、ぷいっと顔を背けてしまった。
(だから、そういうところが可愛いんだってば)
雑談の後はいつも通り着替えをして、ふらりとやってきたお客さんをもてなしたり、暇な時間はまた雑談をし、やがて解散となった。
寮に戻って夕食を食べ、お風呂を済ませると、飛鳥は自室で息をつく。
「……暇だ」
奈々子が帰ったことで部屋割は元に戻っている。そのためはるかが帰るまで、飛鳥は部屋に一人きりなのだ。クラスメートの中には羨ましがる子もいたが、飛鳥はむしろ話し相手が欲しい。
(はるかがいれば、雑談に付き合ってもらえるんだけどな……)
勉強中などを除けば、はるかに話しかけて邪険にされたことはない。突然思い付きで変な事を言ったり、過激なスキンシップをしても、困った顔で笑いながら相手をしてくれる。
(あたしはたぶん、はるかのそういうとこが好きなんだろうな)
次に会える日曜日までは約一週間と、正直かなり長い。そんなに長く部屋で一人きりになったら寂しくて死んでしまいかねない。
いや、でも、はるかが帰ってきたら告白の返事を聞かなくてはいけないわけで。それを考えると不安やらプレッシャーやらが襲い掛かってくるので、日付が経つのも結構怖いのだが。
「あー、もう。何やってんだろあたし」
この先にどんな未来が待っているのか、飛鳥には想像もつかない。
はるかに好かれている自信はあるが、昴に勝てる自信はない。二人とも振られる可能性だってゼロだとは思わない。
考えると胸がもやもやしてどうしようもなくなってくるので、飛鳥は頭を振って思考を打ち消した。
(弥生にでも電話してみようかな……)
一つ年下の妹は飛鳥よりもずっとしっかりしていて、身内な分、発言にも遠慮がないので会話していて楽しい。実家にいた頃は暇になるとよく話し相手になってもらっていた。
そうと決まれば早速、電話帳から名前を探してコールする。
『もしもし、姉さん?』
「やほー。今、電話しても平気?」
四から五コールくらいで、弥生は電話に出てくれた。勉強の手を止めてスマホを見て、ため息をついた後で受話ボタンを押した、って感じか。
『大丈夫だけど、どうかしたの?』
「や、ちょっと暇だったから」
そう答えると深いため息が返ってきた。自分は受験生だから暇じゃないとでも言いたいのだろう。でも、受験生だからってお喋りくらい幾らでもできるだろうと、自分の受験時も妹とお喋りをしていた飛鳥は思う。
『話し相手なら小鳥遊先輩がいるでしょ』
「はるかは今、遠い所にいるから話せないんだよね」
『へ? 愛想でもつかされたの?』
何故、女房に逃げられた亭主みたいな扱いなのか。
『だって姉さんと小鳥遊先輩なら、姉さんが亭主役でしょ?』
「否定はしないけどさ」
そうじゃくて、と飛鳥は事情を説明する。
「というわけで、今は別居中なわけ」
『なるほどね。小鳥遊先輩も忙しいなあ……』
「本当だよね」
活発な性格でもない癖に、気づくと色々なことに首を突っ込むので危なっかしい。飛鳥が言えた義理ではないが、もうちょっとのんびりすればいいのに。
『ところで姉さん。あれから小鳥遊先輩と進展はあった?』
続けて聞いてきた弥生はなんだか楽しそうだった。なんだかんだ彼女なりに、はるかのことは気に入っているらしい。
妹の問いに、飛鳥はあー、と声を出して、
「あったといえばあったし、無いといえば無いかな」
『何それ?』
「友達と二人ではるかに告白して、今は返事待ち」
だから、展開次第では夢破れることになる。現状で進展があったと言っていいかは微妙なところだ。
『何それ!?』
すると今度の「何それ」は割と大きめの声で、飛鳥は少しだけびっくりした。
『それは大きな進展でしょ』
「や、まだわかんないし」
飛鳥がそう答えると、弥生があー、と呻く。
『まあ、大丈夫だと思うけどな。姉さんなら』
「そうかな」
『そうだよ』
だったら凄く嬉しいのだけれど。
自身いっぱいの妹の声に、飛鳥はぼんやりとそう思った。
それから二人は何気ない雑談をいくつか交わして通話を終えた。正味三十分もない会話だったが、だいぶ気は紛れた。
部屋の天井を見上げて小さく呟く。
「はるか、待ってるからね」
* * *
本校での後半戦の間、当然だがはるかもまた、飛鳥と昴からの告白について悶々とした思いを抱いていた。勉強や文化祭準備や追われる間はあまり意識しないが、一人になるとすぐに頭に浮かんでくる。
暖かくて、甘くて、切なくて苦しい。多種入り混じった気持ちが溢れてきて、どうしたらいいのかわからなくなる。
例えば学校を終えて家に帰り、お風呂に入った後だとか。
『姉さんから告白されんですね』
「あ……うん、実はそうなんだ」
月曜日の夜、はるかの元へ一ノ瀬弥生から電話があったのはちょうどそんな頃だった。珍しいな、と思いつつ電話に出ると、挨拶の後すぐに本題を切り出された。
飛鳥から聞いたのだろうか。第三者から話題を出されると少しむずむずする。
『どうするつもりなんですか?』
続いて、弥生はそんな風に尋ねてきた。詰問するような口調ではないが、真面目な問いだというのは考えるまでもなくわかる。
「……まだわからない。たぶん、ぎりぎりまで悩むと思う」
だから、はるかは今の正直な気持ちを答えた。
初めて経験する大事な選択だからそうしたい。そうしないと結論を出せそうにない。
『そうですか。……真剣に考えてあげて欲しい、って言おうと思ったんですけど、それは大丈夫そうですね』
電話の向こうで弥生がほっと息を吐くのがわかった。
『でも、小鳥遊先輩。できれば後のことまで考えてあげてくださいね』
「後?」
『はい、後です。……たぶん、学校内でも交際するつもりなら、良く思わない人もいると思うから、それも覚悟しておいて欲しいです。……特に、姉さんはそこまで気が回らなくなると思います』
つまり、後のことまで考慮して返事を決めろというのではなく、返事をする前に「付き合ってからどうするか」まで考えておけということか。弥生の言う通り、飛鳥や昴と付き合うなら、ある程度、周囲の偏見は覚悟しないといけない。
司や敷島のように皆が女の子同士の恋愛を許容してくれるわけではないのだ。
「弥生ちゃんは反対じゃないの?」
『今更反対なんてしませんよ。姉さんや、小鳥遊先輩が変な人なのはとっくに知ってましたし』
ひどい言われようだが、ある意味信用されているのだろう。
あっさりした弥生の言葉にはるかは小さく吹き出しつつ、答えた。
「わかった。ありがとう、弥生ちゃん」
『いいえ。あと、できれば姉さんを……と言いたいですけど、それは図々しいですよね』
「……そういえば、前にメールで送ってくれたのって」
『はい。もちろんそういう意味ですよ』
夏休みに飛鳥の家へお泊りした後、弥生から「これからも姉さんをお願いします」といったメールを貰ったのだが、あれにも裏の意味があったらしい。
『じゃあ、あまりお邪魔しても悪いのでそろそろ。おやすみなさい、小鳥遊先輩』
「うん。おやすみ、弥生ちゃん」
通話が切れたスマートフォンを下ろすと、はるかはふっと息をつく。
真剣に考えて結論を出す。自分の気持ちに正直に、後のことまで考えて……か。
「で、どっちの子に告白されたの?」
「お姉ちゃん」
横手から伸びてきた手に肩を抱き寄せられる。姿を確認するまでもなく、いつの間にか部屋に入ってきていた姉の仕業だ。
どっち、というのは以前見せた写真を基準に言っているのだろうな、と推測できる。
「どっちっていうか……どっちも」
「二人とも?」
答えると、さすがに予想外だったのか、おぉ、と感嘆の声が聞こえた。
「なるほどー。もてもてだね、はるか」
「うん、すごく嬉しい。でも、どうしたらいいか悩んでて……」
言いながら、はるかは胸の前で拳を握りしめる。
飛鳥のことも、昴のことも好きだ。だからこそ悩む。
二人の想いに報いるだけの覚悟が、どちらかの想いを断つだけの覚悟が自分にあるだろうか。どちらかの告白を受けたら三人の関係は崩れてしまうだろうか。だからって、もし第三の選択を取ったとして、今まで通りでいられるのか。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。
「それは、難しいよね」
すると耳元で優しい声がして、肩を抱く手に力がこもる。深空の体温が衣服越しに触れあった肌から伝わってくる。
「でも、それははるかが考えるしかないよ。だって、はるかの気持ちは、はるかにしかわからないから」
「それはわかってるんだけど……」
んー、と深空が唸る声。
「はるかはさ、難しく考えすぎてたりしない?」
「え?」
「責任とか、迷惑とかそういうの。抜きにして考えてみたら? どうせ全部が全部うまくいくわけないんだから」
やや辛辣に聞こえるが、それはきっと的を射た指摘なのだろう。
何もかもがずっと変わらないなんてあり得ない。以前に飛鳥も言っていた通り、恋愛で変わっていくものは確かにある。
あの時はそれが気に入らなくて駄々を捏ねてしまったのだが。
余計なことを忘れて、一番大事なものだけを考えてみてもいいのかもしれない。
「例えば、抱きしめてキスして、思う存分好き放題してみたいのはどっち?」
思った刹那、囁かれた言葉に眩暈がした。
「お姉ちゃん、いきなり何言い出すの……」
この姉は、ちょっと真面目になったと思ったらすぐ冗談に走るのだから。
そう思ったはるかは、続いた姉の言葉を聞いて押し黙った。
「だって、女の子が告白するのって『そういう覚悟』なんだよ。自分の全部をあげてもいい、貰ってほしいって」
「……ぁ」
それは、その通りだ。
異性の目を気にして、健康な体重に気を遣って、唇や胸など大事な部分は心を許した人にしか触らせない。女の子は男の子よりそれを遙かに徹底している。
そして「恋人」というのはそんな女の子の身体に触れ、感じることのできる免罪符だ。なら、告白が貴くて大切な儀式なのは当たり前のこと。
告白を受ける方だけじゃない、する方だって覚悟して望んでいるのだ。
「はるかだってそういうこと、したくない訳じゃないでしょ?」
「……そう、だね」
なるべく考えないようにしていた。自分の正体に繋がる情報を少しでも減らすために。そして、周囲の女生徒たちを少しでも汚さないようにと。
でも、そういう思いを完全に封じられているわけじゃない。
なら、それも含めて自分の想いとして向き合わなければならないのか。後のことまで考えて。
「大変だね」
「だろうね。はるかの場合は事情が事情だし。……だから、じっくり考えればいいよ。それでどんな結論が出ても、それはそれでいいだろうし。考えた結果、清いお付き合いがしたいっていうなら、それもいいんじゃない?」
「……ん。そうだね」
そして、はるかは残りの日々を使って少しずつ、ゆっくりと考え続けた。
弥生や深空からアドバイスを貰ったのに、結局答えが出たのは土曜日の夜で、優柔不断な自分に自己嫌悪しなくもなかったが。
(でもこれで、後悔はしない)
固まった想いを胸に、はるかは日曜の朝、両親に見送られて家を出た。
電車を乗り継ぎ、船に乗って。
はるかが島の港へ降り立つと、そこで飛鳥と昴が待っていた。




