憧れの場所と、やってきた少女 13
船内の売店でお菓子と飲み物を買い、がら空きの座席から隅の位置を選ぶ。
「それで?」
「あ、うん。えっとね……」
さて、どうしよう。言った通り聞きたいことはあるが、何をどう聞くかは例によって考えていない。いつも通り行き当たりばったりで行くしかないか。
「佐伯さんは、分校で何をするつもりだったの?」
心を決め、まずは最も聞きたかったことを尋ねると、奈々子はしばらく迷うような素振りを見せてから答えた。
「……特待生に会いたかったんです」
声を顰めるようにして小さく呟く。あんなことがあった後だし、きっと真穂からも叱られたのだろう。誰かに聞かれることを警戒している様子だった。
「……会った後は?」
「わかりません。会っただけで満足するかもしれないし、会えていたら何かしたかも」
彼女の声からは何か強い執着のようなものが感じられた。薄々気づいてはいたが、特待生自体に特別な想いがあったらしい。
おそらくは、あまり良くないベクトルの何かが。
「結局会えませんでしたけどね」
自嘲めいた笑みがこぼれた。
「じゃあ、飛鳥ちゃんに言ったことは」
「事実を言ったわけじゃないです。そうなんじゃないか、って思ったのは本当ですけど」
「そうだったんだ」
予想していた通りの答えだ。もちろん、どこまで信用していいのかと思う気持ちはあるが、今更奈々子が嘘を言うこともないのではないかと思う。
「小鳥遊さんは特待生に会ったことはありますか?」
逆に奈々子が尋ねてきた。難しい質問に、はるかは小さく唸る。
「少なくとも名乗られたことはないよ。だから、会ってるかもしれないけど、わからないかな」
自分自身に「会う」ことはできないので除外する。ちょっと卑怯な答えだけれど、こればかりは仕方がない。
はるかの答えに奈々子は「そうですよね」と頷く。
「特待生を気持ち悪い、と思ったことはないですか?」
「あるよ」
他ならぬはるか自身にそう思ったことがある。
「本当の自分を隠して、演技して。騙されてるんだとしたら、気持ち悪いよね」
すると奈々子は目を丸くした。肯定が返ってくるとは思わなかったらしい。
はるかはかすかに微笑みながら「でも」と言葉を続けた。
「だからって全部が嘘ってわけじゃないと思う。たぶん、特待生の子達だって普段は当たり前に生活してるんじゃないのかな」
飛鳥や昴、身の回りの人達の中に特待生がいたとしても、彼女達と過ごしてきた時間は変わらない。そう信じたいとはるかは思っている。
(不安だし……今の私は信じ切れるほど強くないけど)
「……綺麗事ですね」
はるかの言葉を聞いても奈々子の表情は晴れない。
「でも、会えなかったって事はそういうことなのかな」
細められた奈々子の目はどこか遠くへと向けられていた。
そんな彼女を見てはるかは思う。
「佐伯さんって、案外普通の子なんだね」
「はあ?」
何気ない感想だったのだが、何故か胡乱な目で見られてしまった。
「いや、ほら。どこかのスパイとか探偵さんとか、そういう特殊な人じゃないんだろうな、って」
「そんなの当たり前じゃないですか」
更に馬鹿にされた。
いや、まあ。奈々子の気持ちもよくわかるが。逆の立場だったら、はるかだって多分似たような反応をしてしまうだろうし。
「小鳥遊さんって、意外とアレなんですね」
「アレって……」
馬鹿とか天然とか、そういうのか。
さっきから奈々子の発言は容赦がない。もうはるかを相手に取り繕う気はないということか、思ったことを好き勝手に喋っているように見える。
(それは良い傾向、なのかな)
ちょっと困るが、意図が読めないよりはずっとやりやすい。奈々子とはあと一週間ほど同じ教室で過ごさなければならないわけだし、仲良くできないまでも喧嘩しないような仲でありたい。
「これから短い間だけどよろしくね、佐伯さん」
「……なんとなく、一ノ瀬さんが言ってた意味がわかった気がする」
飛鳥が何かを言っていたのか。
奈々子が呟いた意味がわからず、はるかは首を傾げた。
―――
結局、奈々子は月曜日から本校へ戻ってきた。変に週の途中から復帰するよりは、という判断らしい。
「またお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
そう言って壇上で頭を下げた奈々子は、クラスメート達に拍手で迎えられた。一週間早い帰還については表向き「学校側の都合」と伝えられたため、両者の間に瑕疵はない。
月曜日の間中、奈々子は「分校へ行ってきた本校の生徒」に話を聞きたい生徒達に囲まれていた。
「向こうってどんな感じだった? やっぱり校舎は綺麗?」
「海で泳いだりとかした?」
「あ、えっと……」
使っていた席を奈々子に返したはるかは、その後ろに新しく用意された机からそのやり取りを眺めることになった。
聞く限り、質問の内容は初日にはるかが受けたのと大差ない。次々投げかけられる質問に、奈々子は戸惑いながら必死に答えていた。
「………」
時折、助けを求める視線がはるかへ向けられたが、それは微笑んでスルーする。皆は奈々子に話を聞きたいのだろうから、助けてあげるのは難しい。
だから、決して意地悪がしたかったわけではない。
(多分。いや、ちょっとくらいはそれもあるかも)
火曜日になると騒ぎも落ち着いたので、お昼休みに奈々子を誘ってみた。割と嫌がられたが真琴も説得に協力してくれたため、三人で食卓を囲むことに成功する。
奈々子の昼食はコンビニのパンが二つとパックの牛乳だった。ちなみに、はるかは初日からずっと手作りのお弁当で、真琴のお弁当はお母さん特製らしい。
「佐伯さんは購買には行かないの?」
「あそこは混むので使わないようにしているんです」
真琴が小さなご飯の塊を口に運びつつ尋ねると、奈々子はそう答える。彼女はパンを千切らず、直接口を付けていた。
「そっか。じゃあ食堂も?」
「はい。何度か使ったくらいです」
なるべく人混みを避けるのが、本校での奈々子のスタイルらしい。それは確かにクラスメートや真琴から聞いたイメージとも一致する。
分校と本校、どちらがより奈々子の素に近い状態なのだろうか。
「じゃあ、佐伯さん。良かったら私のお弁当、ちょっと食べてみない?」
「……どうしてですか?」
「ほら、ちょっとだけそのカレーパンと交換して欲しいなって」
ちょっと苦しい言い訳だったが、そこに真琴が乗って来て、
「あ、じゃあ良ければ私も」
と二人で弁当箱を差し出すと、渋々おかずを摘まんでくれた。交換で貰ったカレーパンもいい味だった。なんだかんだ、最近はコンビニの惣菜パンには手を出していないのもあって、なんだか楽しい。
思わずくすりと笑うと、真琴も微笑んでくれる。それを見た奈々子は憮然とした表情で呟いていた。
「……なんなんですか、一体」
―――
本校1-Aの文化祭準備も着々と進んだ。真琴が書いたデザイン案から本採用を決定するための投票が行われ、奈々子も含めた全員が票を投じた結果、最もシンプルかつ布地の少ないメイド服が選ばれた。
平たく言えば袖やスカート丈が短いタイプで、ロングが好きなはるかには邪道に思えるが、クラスメート達にはそこが「可愛い」と感じたようだ。なお、足元の露出については一応、二―ソックスやタイツなどで極力抑えるつもりらしい。
「良かった。じゃないとさすがに足が出過ぎだと思う」
「小鳥遊さんって昭和のお嬢様か何か?」
なお、細部のデザインについては製作者個人の裁量に一任ということになる。製作が順調にいけば他のデザイン案もバリエーションとして作れるかも、と、裁縫が得意な生徒が張り切っていた。
デザインと共に役割分担も決められ、本格的に準備が始まった。最も準備が大変なのは衣装だがそこは女子校、各自最低限の心得はあるので、人海戦術で何とかする。
意外にも奈々子は裁縫が得意ということで、衣装班に参加になった。真琴は衣装制作の相談に乗りつつお手伝い、はるかは内装やメニューを考える子達のサポートに回る。
テーブルの数や配置の仕方、メニューの種類に会計の方法、着替えや調理をどこでするか等、考えることは多い。しかも必要な材料や道具が手に入るかも踏まえつつ、なるべく少人数で、良いお店になるよう考え始めるとキリがない。
「控え室はパーティションとかで区切って、入り口にカーテンを付けるとかかな」
「冷たい飲み物はどうやって置いとけばいいんだろ。ミニの冷蔵庫とか? ポットも使うとコンセント足りないかな」
「お茶菓子のクッキー、安く大量に買えるとこあるかなあ。いっそ前もって手作りした方がいいか……」
当日まで手伝えるわけではないので裏方に回りつつ、極力皆が楽になるよう協力した。その甲斐があってか、一週間である程度、店舗のイメージが固まるところまではこぎつけた。
また、文化祭の準備と並行して試験勉強も行う。生徒交換が終わった次の週から、どちらの学校とも二学期の中間テストが始まるからだ。
幸い試験範囲に大きな違いは無いため、はるかもテスト勉強に励む。他のことに気を取られ過ぎて赤点、とか目も当てられない。
文化祭準備とテスト勉強で忙しく動き回る傍ら、もちろんクラスメートともなるべく交流する。休み時間にお喋りしたり、一度は学校帰りに近くのアイスクリーム屋さんに寄ったりもした。
(制服のまま買い食いって、女子高生っぽいなあ)
寮へ着替えに帰っても大して時間を取られないので、分校ではあんまり制服のまま学外を出歩く機会はないのだ。かなり目立つし。
一週間、生活を共にしていると奈々子も少しは打ち解けてくれた。はるかと真琴がしつこく毎日、昼食に誘い続けたせいかもしれないが。
「なんだか小鳥遊さん達といると調子狂う」
などと言いつつご飯に付き合ってくれるし、お昼ご飯のシェアにも快く(?)応じてくれるようになった。文化祭準備のおかげで他の生徒とも話す機会が増えたようだ。
本人はすごく迷惑そうなので、結構嫌がらせにもなっているらしい。
「そういえば、分校の子とは連絡取ってるの?」
「一応、何人かとはメールしてます。そのうち無くなるでしょうけどね」
一週間や二週間くらいの付き合いならそんなものだ、とあっけらかんと言われる。なんだか癪に障ったので、スマートフォンを取り出して突き出してやる。
「じゃあ、私とアドレスを交換しよう」
すると奈々子は目を瞬かせて呟いた。
「小鳥遊さんがずっと私とメールしてくれるってことですか?」
「ううん。忘れた頃に突然送ると思う。私、普段はそんなにメールとかしないから」
「小鳥遊さんって何歳でしたっけ」
メールしないというだけでそこまで言われるのか。
「まあ、いいです。私も気が向いたらメールします」
しかし結局、アドレス交換には応じてくれて、隣で見ていた真琴がくすりと笑った。
そうして、あっという間に土曜日がやってくる。
帰りのホームルームで壇上に上がり、皆へ挨拶すると、幾つもの声がはるかに掛けられた。
「小鳥遊さん、ばいばい」
「文化祭に遊びに……は来れないんだっけ、残念」
「皆、ありがとう。この二週間のことは忘れません」
最後に皆で写真を撮らせてもらったりもして、放課後も親しかった何人かと別れを惜しんだ。その中には真琴の姿もあり、奈々子は遠巻きにそれを見つめていた。
帰りに職員室へ寄って五十鈴にも挨拶をして、昇降口を出る。間違って上履きを置いて帰らないように注意しながら。
(これで最後かぁ……)
校門をくぐり、一歩踏み出したはるかはそこで立ち止まり、後ろを振り返る。
そっと目を閉じると、この二週間の思い出が次々に甦ってきた。
二週間、本当に楽しかった。
でもこの場所は自分の母校ではないのだな、とあらためて思って、再び歩き出す。
(さあ、帰ろう)
はるかの母校、皆が待つ分校へ。
分校側の様子と告白については次回にやります。