憧れの場所と、やってきた少女 11
佐伯奈々子は特待生が嫌いだ。
彼女が私立清華学園の本校を受験したのは両親の希望だった。二人の姉が共に本校の生徒だったため、奈々子にも同じ学校への進学を求めたのだ。
しかし、奈々子自身は本校へは行きたくなかった。出来のいい姉達と比べられるのが嫌だったのと、男女の恋愛に憧れがあったからだ。
だから本校ではなく分校へ進学したいと両親にも相談した。「場所が違うだけで同じ学校ならいいでしょう?」と。
だが、両親から許可は下りなかった。若い娘が親元を離れて生活するのは心配だと言って譲らなかったのだ。奈々子にしてみれば、両親は姉達にばかり構って末娘に対しては放任もいいところだったのだが。
それでも行きたいと食い下がると両親は一つの条件を出した。清華学園が用意する特待生制度を受けるなら分校行きを許可すると約束したのだ。
今思えば体の良い断り文句だったのだろうが。
当時の奈々子はそんな事を考えもせずに条件を呑んだ。本校の受験時に特待生を希望しそして運よく合格もした。しかしそこで学園側から提示された設定は、彼女にしてみれば絶望に等しいものだった。
『同性愛者』。
恋愛という望みを真っ向から否定する要求に、奈々子は結局、特待生を断念した。
――やっぱり。最初から素直にそうしていればいいのに。
本校へ行くことを告げた時の、両親の得意げな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
だから、奈々子は特待生が嫌いだ。
人に無理難題を強いる特待生制度自体も、それを受け入れた特待生達も。
自分を受け入れてくれなかったから。
自分に出来なかったことをやってのけているから。
そんな八つ当たりだとは分かっていても思わずにはいられなかった。
両親、姉、特待生。募るコンプレックスから学校生活は停滞しがちになり、気づけば明確な友人もいないまま数か月が過ぎていた。
当然、女子校である本校で恋人などできるわけもなく。
このまま無為に三年が過ぎていくのかと思っていたある日、分校との生徒交換の話を知ってチャンスだと思った。
行きたかった学校へたった二週間だけでも通える。そして奈々子が挫折した特待生をのうのうと演じている者達に会える。純粋な思いと歪んだ感情が入り混じり、奈々子の中で燃え上がった。
それから彼女は「学校の代表だ」と体のいい文句で両親を説き伏せると、交換生徒に立候補した。本校では代表の選出は立候補を募る形式で、他の希望者はほぼゼロだったため代表になるのは容易だった。
しかしその後の事前レクチャーでは誤算があった。特待生制度について詳細な説明があり、また特待生に関する詮索は禁止だとしっかり言い含められたのだ。奈々子は特待生に会いたいのであって制度を知りたいわけではないのに、おかげで行動に大きな制約ができてしまった。
そこで、奈々子は一芝居打った。特待生について直接尋ねられないなら相手に出てきて貰えばいい。そのためにかつて提示された『同性愛者』という設定に挑戦する。たった二週間なら我慢できるし、どうせ遠く海を隔てた場所の学校だ。後でどう思われようが知った事ではない。
そう考え、寮で同室となった一ノ瀬飛鳥に近づき好意を見せた。そこから徐々に交友関係を広げ、その過程で生徒達の情報収集に努めた。
奈々子の極端な行動に特待生が反応してくれるもよし。そうでなくとも、特待生は言動が不自然だったり変わった趣味を持っているはず。だから情報を集めていけば特定できると思ったのだ。
だが、島への来訪当日と転校初日をまるまる費やしても、生徒達から決め手となる情報は得られなかった。分校が思った以上に普通の学校だったのだ。あの『ノワール』というカフェには驚いたが、あれは特待生がどうとかいう問題ではないし。
(どういうこと? 特待生って、そんなに普通に生活してるものなの?)
苛立った奈々子は二日目のLHRで挑発的な言動を取った。
「それに、分校の人は演技とか好きなのかなって」
もしクラス内に特待生がいれば「演技」という言葉に反応するかもしれないと思ったのだ。結果、目に見えて反応した人物は二人いた。
一ノ瀬飛鳥と間宮昴。飛鳥が反応したのは予想外だが好都合だった。
放課後、友情以上の好意がある振りをして飛鳥に迫ると、彼女は強い戸惑いを見せた。しかし即座に拒絶されなかったため更に迫ると、何故かキスを求められた。
まさか本当に女の子が好きなのか。驚きから戸惑いを隠せなかったが、そんな奈々子に飛鳥は、
「もしかして佐伯さん、特待生なの?」
奈々子が待ち望んでいた台詞を口にしてくれた。その言葉が聞きたかった。分校の生徒が自ら「その単語」を口にしたならそれを大義名分にできる。そう思うと喜びが胸に溢れてきて、飛鳥の問いを知らん振りで誤魔化しつつも高揚を隠しきれず、ついでに勢いで飛鳥へキスをしてあげた。残念ながら咄嗟に拒まれて唇が触れたかは微妙だったが、お陰で飛鳥に対して強く出られるカードを入手する。
翌日からは本格的に聞き込みを開始した。特待生というフレーズを出すと分校の生徒は大抵、困ったような顔をしたが。
「でも、皆さん特待生なんて見たことないんですよね? 本当にいるかもわからない生徒へそんなに配慮するなんて、変じゃないですか?」
適当な言い訳を並べると少しずつ態度を軟化させていった。それを続けるうちにほんの少しずつだが、特待生に対する校内の雰囲気が緩くなる。奈々子の思惑通りに。
そんな中、飛鳥は火曜の一件以来ずっと不機嫌だった。余程、奈々子とのキスが気に食わなかったのか、あるいは現状への焦りか。心配するクラスメート達に構う余裕も無いような有様だった。
(もっと追いつめてみようか)
そして、絶好の機会はすぐにやってきた。土曜の午後、仲良くなった生徒と遊んだ帰りに『ノワール』へ立ち寄ると、そこで小鳥遊はるか――飛鳥と特別仲がいいはずの少女と出会ったのだ。
ここで追い詰めれば騒ぎは大きくなる。飛鳥が特待生であるにせよないにせよ、校内に広がりつつあるルーズな風潮と併せれば、校内の空気はきっと特待生に不都合なように変わっていくだろう。
奈々子は飛鳥とはるか、二人の少女を挑発し――そして、己にとっても致命的な結果を齎すこととなった。
―――
程なく『ノワール』に現れた真穂は一同に説明を求めた。
「とりあえず、どういうことか説明してくれる?」
彼女の要請に答え、香坂圭一と姫宮由貴が話し始める。彼らの説明は主観を交えず、淡々と事実を述べるもので、故に口を挟んで誘導する余地もなかった。だから説明の間、奈々子はただ俯いて身を震わせていた。涙は出なかったが、それでも傍目からは泣いているように見えるのではないだろうか。
「小鳥遊さん、一ノ瀬さん。何か言いたいことはある?」
「いいえ」
「じゃあ、佐伯さんはどう?」
続いて奈々子にも声がかけられた。真穂の声は穏やかで怒りは感じられない。現時点で無条件に糾弾する気はない、ということだ。
奈々子は瞳を潤ませ、そっと上目遣いに真穂を見つめた。
「私、悲しかったんです。一ノ瀬さんにからかわれたり、特待生なんじゃないかとか変な事を言われて。キスしてって言われてキスしたら怒られたり。……だからつい、あんなことしちゃったんです。本当にごめんなさい」
頭を下げると、溜まっていた涙がこぼれる。真穂のため息が聞こえた。
「確かに。火曜日にあったっていうトラブルは、一ノ瀬さんに非があるわ」
それでいい。このまま、あの時の飛鳥の失言を引き合いに出せば、お咎めはきっと軽く済むはずだ。
「でも、それと一ノ瀬さんへの暴言は別問題。特待生についての発言もね」
……え?
「だってそれはやられたからやり返しただけで」
まずい。雲行きがいきなり怪しくなった。
「個人の口喧嘩と、公の場所で騒いだり他人をけなすのは全然違うわ」
「こ、今回のだってただの子供の喧嘩じゃないですか」
「言っていいことと悪いことがあるでしょう。佐伯さんは自分の好みのタイプについて嘘を言われたり、笑われたら嫌な気分にならない?」
――あなたにはまだ男性の格好良さなんてわからない。
いつだったか、母親に言われた台詞を思いだして唇を噛む。
納得なんてしてたまるか。
「じゃあ、先生はここの特待生が変だと思わないんですか? 人を騙して生活してる気持ち悪い奴らが」
もう、理屈にも何もなっていないのを理解しながら、奈々子はなおも言葉を紡ぐ。ここで諦めたら駄目だと、ただそれだけを考えながら。
再度顔を上げる。真穂の目を見つめると、そこに冷ややかな視線があった。
ぞくり、と背筋に寒気が走る。
「規則って、気に入らなければ守らなくていいようなもの?」
「あ、う……」
気圧された奈々子は何も言えなくなった。何か、真穂の逆鱗に触れてしまったのか。
「この学園の特待生は、大学で行われている研究のため実験に協力してる。貴女はそれを個人の感情で邪魔しようとしたの。そのつもりだったかどうかは別としてね」
何か言わなければいけないのに。何も言葉が浮かんでこない。
「制度を批判したいなら、相応の方法でやりなさい」
「……私ばっかり不公平じゃないですか」
「もちろん、一ノ瀬さんにもしっかり指導するわ。それは約束する。でも、貴女の素行についてもしっかりと報告する」
特に、研究と特待生に関しては学園の問題だから、と。
真穂に言われて奈々子は押し黙った。
周囲を見回せば、圭一や由貴、司ら一同が奈々子を冷ややかに見つめていた。
* * *
分校の門を抜け家路へ着く頃にはもう空はすっかり暗くなっていた。
雲間からまばらに覗く星々をしばらく眺め、真穂はため息をつくと再び歩き出す。
真穂の家は校門から五分ちょっとの距離にあるアパートだ。間取りは1LDKで、分校と同時期に建てられたらしく内装は割と小奇麗な感じで、主に真穂のような独身の女性職員や島に留まった分校のOGが利用している。女性専用ではないので、男性の利用者も中にはいるが。
「ただいまー」
玄関の扉を開けて中に入りつつ、軽く声を上げる。同居人がいないのについ言ってしまうのは昔からの癖だ。ただ今日に限って言えば事情は少し違うが。
「あ。お帰りなさい、乃木坂先生」
真穂の声に反応してキッチンから顔を出したのは、小鳥遊はるかだ。真穂が担任を受け持つ1-Aの生徒で、普段は寮生活だが今日は都合により部屋が無い。そのため一晩だけ真穂の部屋に泊めることになっていた。
まあ、なった、などと他人事のように言っても、提案したのは真穂なのだが。
「ごめんね、一人で先に帰しちゃって。迷わず着けた?」
「はい。学校からも近かったので全然大丈夫でした」
廊下をキッチンの方へ歩きながら尋ねると、そんな答えが返ってくる。
「そう、良かった」
『ノワール』での話の後、真穂はその件について校長らに報告する必要があったため、はるかには鍵と住所だけを渡して先に行かせたのだ。幸い、何事もなかったようでほっとする。
ついでにはるかの全身に目を下ろせば、彼女は既に私服へ着替えていた。長袖のトップスにスカートとハイソックス。多少ラフな印象はあるが、真穂の感覚からすると部屋着としては大分しっかりしている。
(私服だとこんな感じなんだ)
オフでも手を抜きすぎないのはイメージ通り、と言っていいだろうか。私服はばりばり男物、というのをちょっとだけ危惧していたが、全くそんな心配はなかったようだ。
「ん?」
そういえば、キッチンからいい匂いがする。顔を向けると鍋が火にかけられていた。匂いからするとシチューだろうか。冷蔵庫にはろくな材料がなかったはずなので、わざわざ買ってきてくれたのか。
「すみません、台所を勝手にお借りしちゃいました。あと、一応お風呂も沸いてます」
なんという女子力。正直完全に負けている。
まあ、勝ち負けはともあれ。せっかくなのでお風呂をいただいた後、ありがたく夕食をご馳走になることにした。一人暮らしのせいかシチューなんて久しぶりで、かつはるかの調理も普通に上手だったため少し感動する。
そんな風に夕食に舌鼓を打っていると、
「ところで、その。その後、佐伯さんの件はどうなりましたか?」
「……ああ、うん。その報告をしなくちゃね」
はるかの問いで我に返って、真穂はその後の経過を話して聞かせた。
職員室へ戻った真穂が事の経緯を報告すると、校長を始めとした教師達はすぐに会議を開いた。その結果、学園の上層部や本校にも連絡が取られ、佐伯奈々子の本校への返還が決定した。
学園側は生徒交換の円滑な実施よりも特待生制度の維持を優先したということだ。また、奈々子が特待生に関する風説を更に流布するのではないかという危惧が大きく働いた結果といえる。
真穂個人としては思うところはあるが、教師としては極めて迅速に頭が下がる思いだ。
「本人と親御さんからも了承を貰ったから、佐伯さんは数日中に本校へ戻ることになるかな」
「そうですか……」
ちなみに、寮での奈々子の部屋に関しては急遽、変更した。さすがにあの後で飛鳥と同室は不都合があるため、昴と相部屋の生徒と一時的に部屋を入れ替えたのだ。
監視役を押し付けるような形となった昴や、彼女と同室の生徒には申し訳ないが。
「……あれ。じゃあ、私も分校に戻るんでしょうか」
ふとスプーンを止めてはるかが呟く。その瞳の奥で複雑な感情が揺れていた。
「ううん。小鳥遊さんは予定通り来週戻ってきてくれれば大丈夫。それとも、早く戻ってきたい?」
そう尋ねると、はるかは驚いたような顔で真穂を見た。それからかすかに逡巡した後、そっと首を振る。
「いいえ。まだ向こうでやらないといけないこともありますし」
「……ん、わかった」
それはそうだろう。はるかの本校への想いは特別だ。そう簡単に諦められるものではない。
にもかかわらず迷ったのは、今回の件で何か思うところがあるからか。
(一ノ瀬さんのこと、かな)
奈々子が『ノワール』で発した暴言は、偶然ながら飛鳥の境遇を的確に突いていた。生徒交換に関する対応を優先してるが、そちらのケアもしっかりと行う必要がある。
軽率な行動に関するちょっとしたお説教も込みで、飛鳥とは明日あたり話をすることになるだろうか。
「小鳥遊さんも、帰る前にやり残したことが無いようにね」
「はい、ありがとうございます」
真穂が声をかけると、はるかは頷いて穏やかに微笑んでくれた。
この後、真穂ははるかをどこに寝かせるか、という問題に気づき頭を痛めることになるのだが、それはまた別の話だ。




