出会いの季節 6
はるかは由貴に連れられてカフェの隣室に移動した。着替えの見学を希望した飛鳥もそれについてくる。
隣の部屋もカフェの店内と同じくらいの広さだった。こちらは倉庫兼控え室兼キッチンといった感じで、衣裳の入ったクローゼットや備品入りの段ボール、冷蔵庫に電子レンジ、簡単なシンクやコンロなど様々な品が雑然と(大雑把に分類されて)並んでいた。
予備のメイド服はクローゼットの中に掛けられていた。それも一着ではなく、サイズ違いで何着かある。由貴に聞いてみると、正確には由貴用の衣装の予備ではなくてゲスト用の衣装らしい。なんでも昨年、友人から「メイド服を着てみたい」との要望があったので、わざわざ設えたとか。
「ですのでほんの数回しか使っていない、ほとんど新品ですよ」
とは由貴の談。はるかとしては他の女生徒が着ている時点で気後れしてしまうのだが、その後クリーニングに出しているということで、ほっとした。
着替えのため、はるかはまず制服を脱いで下着姿になった。
「小鳥遊様は細身なんですね。身長的にも問題ありませんし、サイズも合うかと」
「そ、そうですか」
由貴から冷静に講評され、赤面する。下着姿を長時間晒すのは恥ずかしいし、胸や股間はあまり凝視されたくないので、パニエ(スカートの下穿き)をさっさと身に着けて誤魔化した。
それから靴下を紺のハイソックスに履き替えて、靴を黒のバレエシューズに。手にはサテン地の長手袋を装着し、ワンピースドレスを頭から被って袖を通す。更にエプロンドレスとカフス、ヘッドドレスを着けたら完成だ。下着以外は全取り替えなうえ、身に着けるパーツが多く、まさに完全武装といった装いだ。
鏡の前に立って全身を映すと、想像以上の出来栄えにびっくりする。生地や仕立てが上等なせいもあって、ただ着ただけで十分にメイドさんに見える。
「可愛い……」
「ええ、本当に良くお似合いですよ」
「うん、とっても可愛いよ、はるか」
由貴や飛鳥からも口々に言われると、やはり恥ずかしかった。
「着心地はいかがですか?」
「そうですね、肌触りも良いし、全然苦しくもないです。でも、なんだかちょっと落ち着かない感じが……」
衣装に覆われている面積が広いのと、腕や足に生地が密着しているせいだろうか。苦しくはないのに、どこか拘束されているような感覚がある。ロングスカートのせいで動きが制限されるし、綺麗に動こうとすると自然に動作がゆっくりになりそうだ。
「それはきっと着ているうちに慣れますよ。最初は私もそんな感じでした」
「そういうものでしょうか」
由貴がそう言うなら、そういうものなのかもしれない。ただ、はるかにとっては特に馴染みのない衣装なので、慣れるにしても時間はかかるだろう。
「そういえば、飛鳥ちゃんは着せて貰わないの?」
「あたしは別にいよ。はるかみたいに似合わないし」
「そんなことないと思うけど」
飛鳥には愛嬌があるので、こういう衣装もきっと似合うと思う。もしかすると、こういう本格的なメイド服より、もっと可愛らしさ重視の品の方が似合うかもしれないが。
「ふふ。一ノ瀬様は見ている方が楽しい派ですか?」
「あ、わかりますか?」
何やら由貴とは共感するものがあるのか、二人は変なところで意気投合していた。気持ちはわからなくもないが、なんだか虫のいい話なので、飛鳥のことは軽くジト目で睨んでおく。
折角だから、ということでメイド服のままカフェへ戻る。ということは必然的に圭一達にもメイド姿を披露することになった。笑われたりしないかと思ったが、幸い圭一達からも褒め言葉を貰った。
「うん、いいと思う。可愛いよ」
「ええ、本当に」
「ありがとうございます。嬉しいです」
照れつつお礼を言う。年頃の男子としては複雑だが、褒められるのは素直に嬉しい。
「はるか、なんだかんだ言って楽しそうじゃない?」
「え? うん、実際に着ちゃえば思ったよりは恥ずかしくないかな、って」
「そっか。良かった。あ、そうだ。写真撮ろうよ」
「え、写真はいいよ」
「いいからいいから。ほら」
言い出した傍からスマートフォンを取り出した飛鳥にまず一枚、写真を撮られた。
更に流れでポーズを取らされ、何度も撮影される。スカートを軽くつまんでみたり、身体の前側で手を重ねて昴と圭一の後ろに立ってみたり。後からデータを見せてもらうと、中々綺麗に撮れていた。
「後でデータ送るね」
という飛鳥の申し出には素直に頷いておいた。一応自分の写真なので、手元にもあった方がなんとなく気分的には楽だ。
「あ、一ノ瀬様。よろしければ私にも頂けませんか?」
「あ、はい。もちろんいいですよー」
由貴までそんなことを言い出し、快諾した飛鳥とアドレスを交換する。ついでにはるかも由貴のアドレスを登録させてもらった。
「そうだ。間宮さんも、良ければ連絡先を交換しませんか?」
どうせならと昴の方を振り返り、そう聞いてみる。
すると、座ったままはるか達のやりとりを見ていた昴は首を振って答えた。
「いえ、私は結構です」
「……そう、ですか」
つれない答えに、はるかはしゅんと肩を落とした。
軽い気持ちで言ったことだが、拒絶の反応は予想していなかったのだ。
「あら。それじゃあ私が昴の連絡先を教えましょうか」
そこで二人のやりとりを見ていた由貴が、何を思ったかそんなことを言った。
「由貴。それはプライバシーの侵害です」
「なら、せめてご自分でお教えしては?」
当然のごとく昴が抗議したが、由貴はどこ吹く風といった調子だった。はるかをそれをぽかんとして見守る。もしかして、はるかを気遣ってくれているのだろうか。
半ば一方的な睨みあいがしばらく続いた後、根負けしたようにため息を吐いたのは昴だった。
「……わかりました」
渋々、といった感じでスマートフォンを取り出すと、彼女ははるかと連絡先を交換してくれた。
「ありがとうございます、間宮さん」
「……いいえ」
そっとお礼を言うと、短い返事と共に視線を逸らされてしまった。
(間宮さん。何か怒ってる、のかな)
表情からは彼女の気持ちがわからず、はるかは戸惑った。
そもそも何故、連絡先の交換を拒否されたのかもよくわからない。
「気にしなくて大丈夫ですよ」
そんなはるかの耳元で由貴がそっと囁いた。振り返ればにっこりと微笑まれる。
しかし由貴の意図もよくわからず、はるかには笑顔を返すことができなかった。
そうして室内に静寂が訪れる。
「……あー、そうだ。小鳥遊さん、一ノ瀬さん。僕の連絡先もいる?」
「圭一様。下級生の女の子相手にナンパですか?」
沈みかけた空気の中、初めに声を上げたのは圭一だった。そこに由貴が冗談めかした突っ込みを入れると、はるかは飛鳥と顔を見合わせ、互いにくすりと微笑んだ。
おかげで場が和み、また穏やかな空気が流れ始める。
「ねえ、はるか。部活なんだけどさ」
そこでふと、飛鳥に声をかけられた。
「一緒にここに入れてもらうっていうのはどうかな?」
「……え?」
はるかは一瞬、言われた意味がわからなかった。
少し考えて、このカフェに新入部員として入部させてもらわないか、という意味だと気づく。
(そっか。部活なんだから、お願いすれば私達が入れてもらうこともできるんだ)
新入部員がどうの、という話もしていたのだから、もっと早く気づいても良いいようなものだ。
すぐに気づかなかったのは、部活探しとは切り離して考えていたからか。
「香坂先輩、どうですか?」
「うん、二人さえ良ければ歓迎するよ。由貴も構わないよね?」
「はい、もちろんです。お二人なら大歓迎ですよ」
飛鳥が尋ねると、圭一や由貴もすんなり頷いてくれた。
三人の視線がはるかの方へ向く。答えを待っているのだと、すぐに理解した。
それに戸惑うことなく、はるかはまず軽く深呼吸した。そうして胸の中にある気持ちを確かめる。
嫌だ、という気持ちは湧いてこなかった。
いや、それが良いかもしれないと思えた。ピンと来た、と言ってもいい。
圭一や由貴も良い人達のようだし、きっと今日、ここに来たのも何かの縁かもしれない。たぶん他を探しても、しっくりくる部活は見つからない気がする。
そう考えると心が決まった。
「それなら、是非こちらに入部させてください。お願いします」
「あたしも、よろしくお願いします」
飛鳥と目配せをしてタイミングを合わせ、一緒に頭を下げた。
二人の先輩達は、そんなはるか達を笑顔で受け入れてくれた。
「うん、こちらこそよろしく」
「『ノワール』へようこそ。どうぞよろしくお願いしますね」
それからはるか達は入部届けをその日のうちに書き上げ、提出した。
入部届けは後日、(一応)部長だという圭一が顧問に渡してくれるという。
「手続き上はそれから正式な入部になるけど、細かい事は抜きにしよう。入部ありがとう」
そうしてはるか達は『カフェ ノワール』の一員となった。
その頃にはだいぶ時間も経っていたので、その日はそれで解散になる。
また明日来ることを圭一達に約束し、はるかは飛鳥と二人で『ノワール』を出た。昴と圭一、由貴はもう少し積もる話があるということで、カフェに残っていた。
寮へと帰る道中、入部の件が当然のごとく話題に上った。
「なんか、なし崩しに決まっちゃったね」
「うん。はるかは嫌だった?」
「ううん、そんなことないよ。……むしろ飛鳥ちゃんは良かったの? 一緒に部活に入ってもらっちゃったけど」
「え? うん、あたしはもともとそのつもりだったし」
「え、聞いてないよ!?」
聞けば、飛鳥は割と最初の時点で、はるかと一緒の部活に入ることを決めていたらしい。はるかが『ノワール』以外の部活を選んでも、よほどのことがなければ同じ部に入ったという。
はっきり聞いてはいなかったが、漠然と飛鳥は帰宅部希望だと思っていたため、はるかはその説明を聞いてだいぶ驚いた。
「あはは。ごめん、言ってなかったかも」
「もう。私、びっくりしたよ」
飛鳥と笑いあいながら、はるかは心の中でほっとしていた。部活探しが思いがけず早く解決したからだ。
そのせいか声も弾み、足取りも普段より軽くなる。
飛鳥もまたあのカフェに居心地の良さを感じたのか、どこか楽しげな様子だった。
だからだろうか。はるかは気づいていなかった。
『ノワール』への入部の話が出てから、昴が殆ど喋っていなかったことに。そして彼女がいつからか、どこか複雑そうな表情を浮かべていたことに。
その理由、意味をはるかが知るのは、まだ少し先のことだった。