憧れの場所と、やってきた少女 4
飛鳥と佐伯奈々子が初めて出会ったのは日曜日の午後だった。
奈々子は予定通り日曜午前の便で島へ到着した。その後、真穂に案内されてやってきた彼女と、飛鳥は自室で顔を合わせた。
「初めまして、佐伯奈々子です。今日から二週間、よろしくお願いします」
到着間もない奈々子は私服姿だった。全体の色調は紺とクリーム色でスカートはやや長め、髪の長さは写真と変わっていないようだが、ストレートではなく軽いウェーブがかかっている。
にこりと微笑むと、目もとのややキツい印象がぐっと和らいだ感じになる。
「一ノ瀬飛鳥です。こちらこそ、よろしくお願いします」
二人がそれぞれに挨拶を終えると、真穂が頷く。
「それじゃあ、私はこれで。佐伯さんに諸注意は伝えてあるから、一ノ瀬さんは部屋の使い方とか、寮生活のことを教えてあげてくれる?」
「わかりました」
部屋を出て行く真穂を見送って、飛鳥は奈々子を振り返った。
「それじゃあ、佐伯さん。一通り説明しようかと思うんだけど……荷物開けてからの方がいい?」
奈々子が持ってきたスポーツバッグは開かず隅に置かれたままだ。荷解きを優先したいならそれでもいいと思ったが、奈々子は笑顔で首を振った。
「荷物は後で大丈夫です。教えていただいてもいいですか?」
「ん、わかった」
了承が出たので、飛鳥は奈々子に部屋の使い方や寮の間取り、食事の時間などを説明していく。奈々子はそれを真面目な顔で聞いていた。
(礼儀正しい子なの、かな)
物腰は丁寧だが、あまり緊張している様子は見受けられない。初対面のはるかは緊張が見てすぐわかるくらいだったが。
昴と同じく敬語がデフォルトな子だとひとまず判断する。
「何か質問ある?」
説明の最後にそう尋ねると、奈々子は少し考えてから言った。
「私が使う机とかベッドは、元のルームメイトさんの物なんですよね?」
「あ、うん。ちょっと気になるかもしれないけど、洗濯とか片付けはしてあるから安心して」
水曜日あたりから、はるかと手分けして整えた。もともとそんなに散らかしていなかったため、十分綺麗になっている。小物やクローゼット内の衣装などはそのまま収納されているものも多いけれど。
と、飛鳥の回答に奈々子は困ったように首を傾げた。
「いえ、そうではなくて。どういう人なのかな、と思ったんです」
なるほど、と飛鳥は頷いた。それは気になってもおかしくない。
そうだなあ、と思い考えると、まず最初に「変わった子」という形容が浮かんた。しかしこれでは何か誤解が生まれそうなので没にする。
んー、としばらく唸って、
「放っておけない子、かなあ」
出てきたのはそんなフレーズだった。
「というと、病弱とか?」
「や、そういうのじゃないし、天然ボケって訳でもないんだけど。……なんとなく、目を離したくない子なんだよね」
あらためて形容しようとすると難しくてうまく言葉にならなかったが、奈々子は納得してくれたのか「なるほど」と呟いていた。
その後、奈々子は荷解きを始めた。手伝いはやんわりと断られたので適当に暇を潰していると、奈々子は三十分もしないうちに声をかけてきた。
「終わりました」
「そっか。じゃあ、どうしよっか。どこか行きたい場所とかあったら案内するよ」
「本当ですか? じゃあ、そうだなあ……お二人の思い出の場所に行ってみたいです」
お二人、というのは飛鳥とはるかのことだろうか。
(あれ、この子ひょっとしてちょっと変?)
にこりと笑う奈々子を見ながら、飛鳥は思った。
まあ、行きたいと言うなら連れて行くのはやぶさかでもないが、思い出の場所ってどこだろう。
初めて会った場所は、この部屋。
初めて告白(もどき)をした場所も、この部屋。
二人で一番長くいた場所も、この部屋。
あれ、えっと。どうしよう。あ、そうだ。
「わかった。じゃあ、とっておきの場所へ案内してあげる」
そう言って、飛鳥は奈々子を分校の敷地外へと連れ出した。
「って。ここ、ハンバーガー屋さん、ですよね?」
「そうだけど」
すると何やら変な顔をされたが、実際ここは飛鳥にとって思い出の場所だ。
せっかくなので軽食を注文し、二階の一角に落ち着く。
「一体どういう思い出があるんですか?」
半眼で見つめられたので、誤魔化さずに答えることにする。
「あたしとはるか、それからもう一人の子が仲良くなった場所かな」
司や敷島と揉めた時も含め、どっちかというと昴との思い出が強いが。でも、大切な思い出がある場所には違いない。
「もう一人、仲がいい子がいるんですか?」
奈々子がポテトを口に運びながら首を傾げる。それに頷いてみせると、彼女は「その人にも会ってみたいです」と呟いた。
「すぐ会えると思うよ。女の子だし、クラスも一緒だから」
「そうですか。それは楽しみです」
それから奈々子は飛鳥にいくつも質問してきた。趣味や特技、出身地などを、飛鳥は聞かれるまま答えていく。
(でも、なんであたしこんなに興味持たれてるんだろ?)
どちらかというと立場が逆な気もするが、飛鳥が尋ねても奈々子はあまり自分のことを語ろうとはしなかった。
単にルームメイトに興味があるのか、それとも他に理由があるのか。
奈々子は楽しげに喋り続け、気付くと飛鳥達は結構長い時間をハンバーガーショップで過ごしていた。
「結構時間が経っちゃいましたね」
「うん。すぐ夕飯になるけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
部屋に戻って程なく、今度は夕食のため寮の食堂に移動する。すると、ちょうど食事を始めたばかりの昴を見つけた。
「昴、ここいい?」
傍に寄って声をかけると昴は顔を上げて微笑み、それから奈々子を見て首を傾げた。
「ええ、構いませんよ。……そちらの方は、本校の?」
「はい。佐伯奈々子です。よろしくお願いします」
「間宮昴です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
奈々子がぺこりと頭を下げると、昴も微笑んで会釈をした。
(あ、昴が余所行きモードだ)
なんとなく雰囲気で飛鳥はそう察する。しかし同席を拒否するほど嫌がってはいなさそうなので、その気持ちに甘えて席に着く。
やはりというかなんというか、食卓でも奈々子はしきりに口を開いた。
「間宮さんは一ノ瀬さんと仲がいいんですか?」
「……えっと、はい。仲良くさせていただいています」
彼女の主なターゲットになったのは昴で、立て続けに投げかけられる質問へ困惑気味に答えていた。視線で助けを求められるのを感じて、飛鳥は苦笑しつつ奈々子に声をかけた。
「佐伯さん、ご飯が全然進んでないよ」
「……あ、本当ですね、ごめんなさい」
しまった、という風に笑った彼女は食事を再開した。……結局、数分後にはまた口を開いていたが。
―――
翌日も奈々子の様子は変わらなかった。
終始笑顔を浮かべ、丁寧な口調で他人と接する。朝のホームルーム、それから昼間の全校集会で認知されると彼女の元へは大勢の生徒が詰めかけたが、奈々子はそれも嫌がることなく対応していた。
「佐伯さんって良い子みたいだね、良かった」
「ん……そうだね」
その礼儀正しさと物怖じしない性格のおかげでクラスメートの評価も上々だ。容姿が良いのも手伝って男女問わず人気を集め、何人もの友人を作っていた。
かと思えば、昼休みは彼らではなく飛鳥に付いてくる。
「クラスの子とお話しなくていいの?」
「それはもちろん、したいですけど。でも、私は一ノ瀬さんとも仲良くしたいので」
そう言ってにっこり微笑まれれば、飛鳥だって悪い気はしない。
(うん。この子、やっぱり笑うと可愛い)
間近でこんな顔をされたら男の子はたまらないだろうな、と思う。どこがどうとは言えないが、何かぐっとくるものがあるのだ。
飛鳥の女の子好きは「設定」であって事実ではないので、特にどうもしないが。
たぶん、きっと、一応。自分ではそのつもりだ。
最近ははるかのせいで好みがブレまくっているので若干自信がないけれど。
「………」
そんな中、必然的に同席することになった昴は、言葉少なに食事を口に運んでいた。
―――
放課後、奈々子は『ノワール』にも行きたがった。
「見学して面白いものでもないと思うよ?」
「それでもいいです。ご迷惑でなければ、お願いします」
そう言われれば断りづらい。結局、飛鳥は昴と共に奈々子を連れて『ノワール』の入り口を開いた。
「いらっしゃい、二人とも。……あら、佐伯さんも一緒なんですね」
「名前、覚えてくれたんですね」
「ええ。集会で壇上に上がっていましたから」
由貴に名前を呼ばれると、奈々子は嬉しそうに口元で手を合わせていた。
そんな彼女を見つつ、飛鳥はひとまず定位置に腰かける。昴もそれに倣うと、圭一が小さく呟いた。
「昴はご機嫌斜めみたいだね」
「別に、そんなことはありません」
と昴本人は言ったものの、明らかに不機嫌だ。理由はまあ、推して知るべし。
奈々子にははるかの席を使ってもらい、四人でテーブルを囲む。そこへ由貴が紅茶を用意してくれた。なお、奈々子はお客様なので規定の百円を徴収する。
「一ノ瀬さんからも聞いたんですけど、ここはカフェなんですよね?」
「ええ、そうですよ。学校の関係者限定ですけどね」
奈々子は『ノワール』の店内を珍しげに見回しながら、時折、由貴や圭一に質問を投げかける。二人はそれに穏やかに答え、昴は黙って紅茶を飲んでいる。飛鳥は時折、相槌を打つに留めた。
そのうちに入り口のドアが開き、『ノワール』に来客があった。入ってきたのは敷島で、他にもアニメ研究会の部員を三人連れていた。
「こんにちは、敷島くん」
「やあ、一ノ瀬さん。それに皆さんも」
彼らは一同に軽く挨拶しつつ、入り口から一番近いテーブルに慣れた様子で腰かけた。部室棟から近いのと飛鳥達とも面識があるので、彼らはよく『ノワール』を訪れる。
「ご注文はいつも通りアイスコーヒーでよろしいですか」
「はい、お願いします。……あ、小鳥遊さんがいないところに大勢で来てすみません」
「いいえ、お気になさらず。飛鳥さんもいますし、全然大丈夫ですよ」
敷島達から注文を取った由貴が隣の部屋へと消えていく。飛鳥はそれで今日はまだ着替えていないことを思いだした。
他に来客がないうちに着替えてこようと思ったが、その前に奈々子から声をかけられた。
「一ノ瀬さんも接客するんだ」
「うん、あたしはここの部員だからね」
答えて、飛鳥は今度こそ席を立つ。
隣室へ移動してクローゼットを開くと、コーヒーを準備中する由貴の声が聞こえた。
「あの子、ちょっと変わってますね」
「……そうですよね、やっぱり」
答えた声には思わずため息が混じった。
タキシードに着替えて戻ると、それを見た奈々子が目を輝かせた。彼女はすかさず圭一へと顔を向ける。
「あの、私もああいう衣装、着たりって出来ませんか?」
「うーん……それはちょっと難しいかな」
圭一の困った顔は珍しい。きっと断り方に迷ったのだろう。
普通の子なら体験ということで、余っているメイド服を着せてあげてもいいのだろうが、圭一も何かを感じたのか、それを言い出す気配はない。
「そこをなんとか、お願いします」
けれど奈々子は簡単に引き下がらなかった。椅子に座ったまま両腕をテーブルに預けると、やや身を乗り出すような体勢で圭一を見つめる。
その潤んだ瞳を見て、ああ、と思う。この子はこういう子か。
思った飛鳥は、スマートフォンを取り出すとはるかにメールを送る。
『やばい。本校から来た子、結構変な子かも』
誰かにこぼしたくなっただけで助けを求めたわけではないが、相手として思い浮かんだのはこの場にいる面々でも妹の弥生でもなく、はるかだった。
返事は、電話の着信という形ですぐ後に来た。