香坂圭一:夏の海と少女達 前編
「じゃあ私から行きますよ。しりとりの『り』から」
「えっと、栗鼠」
「擦り胡麻」
「マレーシア、で」
「では、蟻」
高速道路を走行する4WDの車内に、少女達の楽しげな声が響いていた。
声の主は、由貴を始めとした『ノワール』の女性陣だ。彼女達は揃って車の後部座席に腰を落ち着け、声を弾ませながらしりとりに興じている。先程まではそれぞれの近況を報告しあっていたが、どうやらそれは一段落したらしい。
由貴に昴、はるか、飛鳥。
四人が集合するのはほぼ一か月ぶりになる。久しぶりに見た顔もあるが、皆変わりはなさそうだ。
(いや、皆、普段よりも浮かれているかな)
今年の四月以降、だいぶ見慣れてきた光景に、圭一は思わず口元を綻ばせる。
由貴や飛鳥はもちろん、普段は穏やかな昴、はるかもどこかテンションが高い。お陰で車内は少々騒々しいが、まあそれも無理はないだろう。
今日は、かねてより計画されていた海水浴の当日なのだ。圭一はあまり関与していなかったが、この二泊三日の旅行に際し、由貴達は何やら頻繁に連絡を取りあっていた。その分、各人にとっても待ち遠しかったはずだ。
だから、多少騒がしいくらいで文句を言うつもりはない。
この旅行において圭一はあくまで脇役。主役は由貴やはるか達四人なのだから。
「今日、晴れて良かったですね」
と、不意に隣の運転席から声がした。その声に圭一は軽く答える。
「そうだね」
ついでにちらりと視線をやると、ハンドルを握る少女の姿が目に入る。
いや、少女というのは正確ではないか。飛鳥より小柄で顔立ちもやや幼いが、彼女の年齢は二十歳、れっきとした成人女性だ。
「亜衣にも面倒をかけるね。身内の旅行に付きあわせて」
「いいえ。これもお仕事ですから」
彼女は姫宮家が抱える使用人の一人で、名前は尾上亜衣という。運転手兼、保護者代わりとしてこの旅行に同行している。
当然、学園の特待生制度と、校内での由貴の立場についても伝達してある。そのため、本来は同僚にあたる二人だが、この旅行に限ってはご主人様とメイドの関係となっている。
「ご主人様こそ。女性ばかりに囲まれて隅に置けませんね」
その割に口調が大分フランクなのは、まあ。それを言うなら『ノワール』にいる時の由貴も、偶に圭一へ辛辣な言葉を吐いているので今更気にしない。
「女性ばかりか。……まあ、そうだね」
ただ、口調とは別に台詞の内容が気になり、圭一は曖昧な笑みを亜衣に返した。
それから意識を再び後部座席に向けると、しりとりはまだ続いていた。
「り、リトマス紙」
「ん、紫蘇」
「ソビエト連邦」
「瓜」
「り……律令制度」
二順目以降、『り』で攻め続ける由貴にはるかが苦しめられている。一方、飛鳥と昴は自主的に縛りプレイなのか、それぞれ食材名と国名ばかり口にしている。
ちなみに四人の席順はというと、まずシートの二列目にはるかが座り、その左右に飛鳥と昴がいる。由貴は荷物係という名目で、一行の手荷物と共にシートの三列目だ。
(一ノ瀬さん達に席を譲った体で、特等席を確保したんだろうな)
はるかと、彼に思いを寄せる二人の少女を観察しやすい位置に陣取った由貴にため息をつきつつ、圭一は思う。
これでは全然、「囲まれて」などいないのだけれど、と。
―――
しばし高速を走らせた後で一般道に降り、途中、適当なレストランで昼食を済ませて更に走る。そうして午後二時を過ぎた頃、ようやく一行は姫宮の別荘へと辿り着いた。
「わ……綺麗な建物」
「それに大きいし、高そう」
白い外壁をした二階建ての建物だ。寝室は五部屋でそれぞれ二、三名用。リビングやキッチン、風呂等の設備も備えており、その気になれば定住も可能だろう。
普段は使用していない施設だが、由貴が事前に手配していたおかげか別荘はしっかりと手入れされ、綺麗な外観で圭一達を出迎えてくれた
「海までちょっと遠いのが難点だけどね」
「これで文句を言ったら罰が当たりますよ」
別荘からビーチまでは徒歩で十数分ほど。もっと近くに建てることもできたが、あまり近いと潮風の直撃を受けるし、街からも遠くなるためこの位置としたらしい。
「外だけじゃなくて中も凄いんですよ? とりあえず、中にお入りくださいませ」
亜衣が入り口の鍵を開け、一行を招き入れる。建前上の施設提供者である圭一が最初に入り、その後にはるかや昴、飛鳥が続いた。
「わぁ……」
すると、初見の三人から歓声が上がる。
内部も外観同様、爽やかなイメージの空間だった。白と薄い水色をベースに、洋風の内装で纏められている。割合、一般家屋に近い造りだが一階のリビングは広く、大きなソファが複数置かれるなど寛げるよう配慮がされている。また、天井の一部は二階まで吹き抜けで、開放感が感じられた。
「久しぶりに来たけど、良い所だね」
圭一は数年前に一度、由貴に連れられてここを訪れたことがあった。見たところ、その頃と建物の様子は殆ど変わっていない。
まさか当時は、この別荘で我が物顔をする日が来るとは思わなかったが。
「それでは、私と亜衣さんでお荷物をお運びしますね」
「あ、私達も手伝います」
「いいえ、お客様に手伝わせるわけにはいきません。私達にお任せ下さい」
はるか達の感動が一段落したところで由貴が告げ、車のトランクに入っていた大きな荷物を亜衣と二人で屋内に運び込んだ。運ばれた荷物は各自の手で、二階のベッドルームへと移動する。
部屋割は決定している。ホスト役の圭一と使用人の亜衣は一人一部屋、由貴と飛鳥、はるかと昴がそれぞれ相部屋だ。
(しかし、小鳥遊さんはこの部屋割で大丈夫なんだろうか)
二泊三日のこととはいえ、正体が露見する危険を考えるとあまり得策ではないと思える。飛鳥ははるかの秘密を把握している節があるが、昴はおそらく何も知らない。二人きりになった際の危険度は段違いだ。
「……まあ、今更言ったところでどうしようもないか」
部屋割は四人で話し合って決めたらしいし、はるかも十分に気を付けているだろう。
深くは考えないことにし、圭一は部屋で軽く荷物を整理した後、リビングに戻った。程なく他のメンバーも降りてきたので今後の予定を話し合うと、夕食までは自由行動に決まった。
「泳ぎに行くには少し遅いですよね」
「ですね。幸い、明日の予報も晴れですし、今日は夕食まで自由行動にしましょうか」
「賛成です」
由貴は亜衣と一緒に食材の買い出しを担当する。一年生達は周囲を散歩することにしたようで、さっそく連れ立って外へと出かけていった。
「圭一様はどうされますか?」
「そうだね。……適当に読書でもしているよ」
「かしこまりました。では、お茶の用意だけ致しますね」
由貴が淹れたアイスティーを飲みつつ、リビングのソファで読書に耽る。本はリビングに置かれた本棚から適当に選んだ。姫宮家の蔵書なので、ページをめくる際は注意を払うが。
女性陣が外出して静かになったせいか、思いのほか読書に集中することができた。
(別荘で寛ぐ、なんて落ち着かないと思ったけど)
分校では『ご主人様役』をしている圭一だが、本来は由貴に仕える立場にある。だから奉仕はされるよりする方が得意だし、好みでもある。
特に夏休み中、姫宮邸で本来の職務をこなしたことで大分気分も戻っていたのだが、はるか達の顔を見たせいか『ノワール』でのノリが思い出されたようだ。
「ただいま戻りましたー」
「お帰り、二人とも」
そうしているうちに、由貴達が買い出しから戻った。圭一は半ばまで読んだ推理小説を閉じると二人を迎える。続きは夜にでも読めばいいだろう。
「何か手伝おうか?」
「いいえ、圭一様は座っていてください。じきにはるかちゃん達も帰ってきますし」
言っている傍から性分が顔を出したが、当然、手伝いは拒否された。そして由貴が言った通り、はるか達もやがて散歩から帰ってくる。
「お帰りなさい、どうでした?」
「良い所ですね。緑も多いですし、海が近いせいか少し涼しいです」
土産話を聞きつつ由貴が全員分の紅茶を淹れる。しばしの雑談の後、夕食の支度にはまだ早いため、リビングのテーブルでトランプをする。
「なら、僕は部屋に戻るかな」
「駄目ですよ。香坂先輩も一緒にやりましょう」
邪魔をしないよう席を外そうとすると、飛鳥に引き止められた。はるかや昴も異論は無いようなので、お言葉に甘えさせてもらう。そこに由貴と亜衣も加わり、六人でババ抜きが始まった。
分かりやすく短時間で盛り上がれるゲームとしてのチョイスだったが、想定通り、プレイスタイルに各自の性格が表れて面白い。
動揺が顔に出やすく正念場に弱いはるか。
ポーカーフェイスは得意な反面、運が悪くラストまで残りがちな昴。
ブラフや駆け引きを好むが、いまいち勝利に繋がらない飛鳥。
微笑みを崩さず堅実なプレイを続ける由貴と、さりげなく盛り上げ役に回る亜衣。
そんな面々で数回遊んだ結果、勝率が良かったのは由貴で、最もビリが多かったのは圭一だった。
「……あれ?」
特に手を抜いたつもりも無かったが、気づくとそうなっていた。
(知らずに貧乏くじ引いてるってことかな)
日常生活の暗示でなければいいのだが。
「では、圭一様は罰ゲームとして、夕食までのんびりしていてくださいね」
「……ああ、うん。わかった」
それは罰ゲームなのだろうか。
まあ、命じられてしまったものは仕方ないので、小説の続きを読んで待つ。
圭一を除いた全員で支度をするようで、キッチンから五人の明るい声が届く。人数が多すぎる気がするが、キッチンは広いのでスペース的には問題ないようだ。
「飛鳥ちゃん、お米のとぎ方ってこんな感じで大丈夫かな?」
「んー、まだまだだね。やっぱりあたしと交代しよ」
「わかった。じゃあ、私は野菜を切るね」
「ルーが二つありますが、これはブレンドするのですか」
「ええ。五:五の分量で使うと美味しく仕上がるんです」
「人数も多いですから、多めに作っても良さそうですしね」
漏れ聞こえてくる声からすると、メニューはカレーか。皆で作業すること自体が楽しいようで、はるか達は分担して調理を進めていた。
出来上がったのは予想通りカレーだった。小鉢に盛られた福神漬けと落橋はテーブルの中央に置かれ、好きなように取り分ける形式だ。また、同じくシーザーサラダとオムレツがそれぞれ大皿に盛られて中央に置かれた。
「いただきます」
挨拶の後、早速口に運ぶと、料理はどれも美味しかった。考えてみれば由貴と亜衣はもちろん、はるか達も十分に料理ができる。そんな五人が総出で準備をしたのだから何とも贅沢な話だ。
「ひょっとして、小鳥遊さん達も腕が上がったんじゃないかな?」
「そうですか? ありがとうございます」
はるかは夏休み中のバイトで経験を積み、飛鳥と昴も実家で練習していたらしい。
「これは二学期からの営業も期待できそうですね」
「そうだね」
この分だと、そのうち今の『ノワール』のスペースでは狭くなってしまうかもしれない。そうなったらそれはそれで嬉しい。
食事の後は後片付け(やはり手伝わせては貰えなかった)をし、残ったカレーは翌朝に持ち越された。交代で風呂に入ったら後は就寝するだけだ。
風呂には飛鳥と昴、由貴が一緒に入り、亜衣がその次。圭一はその後だった。はるかは「なるべく寝る前に入りたい」ということで最後だが、実際のところは他の五人と一緒に入るわけにはいかないからだろう。
(小鳥遊さんも大変だ)
彼に対し、圭一は特に悪感情を持っていない。普段の姿だけだと男性に見えないのが主な原因だが、その他に彼の苦労に同情しているせいもある。
特待生制度によって苦労を強いられているという意味では、はるかは圭一と同じだ。
可能なら一度、腹を割って話してみたいとも思うが、
(実現するにしても、きっとかなり先の話だろうな)
結局、小説は就寝前にあっさりと読み終わってしまった。
15/12/8 誤字を修正しました。




