間宮昴:遠い故郷
分量と構成の関係で前後編とせず、一つに纏めました。
夏休み。
きっと多くの生徒にとっては待ち遠しかったであろう時間。
けれど昴にとって、それは永遠に訪れなくても構わないものだった。
七月二十一日。私立清華学園分校を後にし本島へと辿り着いた昴は、東京駅で友人と別れるとすぐに新幹線へと乗り込んだ。更に途中駅で電車を乗り換えて。
昴が故郷の街へ辿り着いたのは、すっかり夜が更けた後だった。
乗客もまばらな電車からホームへ降り立つと、ため息をひとつ。それから自動改札を抜けて駅舎を出る。すると目の前に数か月ぶりの景色が広がった。
寂れてはいないが栄えてもいない中途半端な街並み。駅前こそ綺麗に整備されているが、その実、少し歩けばすぐ畑やら垢抜けない建物が顔を出すことを昴は知っている。
穏やかではあるが、その分、少々の不便さを残す地方都市。
そんなこの街のことは嫌いじゃない。けれど、出来るなら帰りたくないと思っていた。
家の。父の。膝元であるこの街には。
(……駄目ですね、私は)
判っていたことではあったが、帰ってきた途端、悪い思考ばかりが頭に浮かぶ。敢えて口元に笑みを浮かべることで嫌な考えを無視し、再度歩き出すため荷物を握り直す。そうして一歩踏み出す。
「……っ」
途端、踏みしめた右足を軸に、視界がぐらりと揺れた。慌てて踏みとどまったが、それを期に疲労が全身へ圧し掛かった。意識していなかった、しないようにしていた長旅の疲れが今になって表れたのだ。
思えば電車での移動中も休めていない。座席には座れたが、周囲の雑音を気にして眠れなかったのだ。代わりに文庫本やスマートフォンで時間を潰したのだが、結果気づかずに体力を消耗していたらしい。
――家まではまだ、歩いて二十分以上かかるというのに。
今の体力では歩いて家へ向かっても途中で倒れるのが落ちだ。頭のどこかで冷静な自分がそう言うのが聞こえた。一方で昴の感情は「歩きたい」と言っていたが、身体はもう動いてくれなかった。
『駅に着いたらタクシーでも拾えばいい。その程度の金を惜しむ必要はない』
数日前、電話越しに言われた言葉を思い出し、昴は唇を噛みしめながら駅前ロータリーへと歩き出した。
―――
間宮の家は、東北地方のとある地域に存在する古い家柄だ。江戸時代から戦後しばらく経つまでは商人をしており、かなりの財を成したと聞いている。
しかしそれももう昔の話。現在の間宮家は先祖が遺した財を利用した資産運用と、分家筋からの資金提供に頼る形で生計を立てている。歴史こそあれ、今となっては力も持たない、ただの古い家だ。
少なくとも昴――間宮家直系の一人娘である彼女はそう思っている。
駅前を出発してから僅か十分足らず。
悔しくなるほどの短時間で、タクシーは間宮家の門前へと到着した。
「ありがとうございました」
運転手に礼を言い、料金を支払って。タクシーを降りた昴は門の前に立ち、家の屋敷を見上げた。
(ここも、変わりはありませんね)
昴の実家である間宮の本家は古い日本家屋だ。横に広い一階建てで、周囲は高い外壁と立派な門に囲まれている。その外観はおそらく一般人が想像する「和風の屋敷」像とさしたる相違はないだろう。
もっとも、もし彼らが現物を見たとしたら、まず感じるのは羨望ではなく畏怖だ。これ見よがしな外壁のせいか、あるいは歴史を感じる佇まいのせいか。屋敷は全体から威圧感を放っており、とっくに慣れたはずの昴ですら気後れしてしまう。
とはいえ、いつまでも家を眺めているわけにもいかない。
「……行きましょうか」
しばし門前で立ち尽くした後、昴は小さく呟き、ゆっくり正門の戸を押した。すると木造の戸がきしみ、けして小さくはない音がする。これもまた、幼少期から何度も聞いた音だ。
(締まっていたらどうしようかと思いました)
事前に今日帰ると連絡してあったのだから、流石に無いだろうが。
もう門を利用する者はいないはずなので、昴は戸にかんぬきをかけてから玄関へ向かった。入り口の引き戸を開けると、足音を殺して中へと入る。
ただいま、の声は上げなかった。この時間なら家人は寝入っているはずだし、起きていたとしてもわざわざ昴を出迎えたりはしないだろう。誰が聞くわけでもないのなら、挨拶をする必要もない。
実際、家の中は静寂と暗闇に包まれており、人の気配は感じられなかった。
……はぁ。
小さくため息をついて靴を脱ぎ、家へと上がる。脱いだ靴はしっかりと揃え脇に寄せた。こちらは誰も見ていないとはいえ、きちんとしておかなければ後で咎められる。
そうしてようやく自室へと歩き出そうとしたところで――。
「帰ったのか」
背後からそんな声が掛けられ、同時に照明が切り替わるぱちりという音が聞きこえた。
刹那、暗かった廊下に光が満ちる。
驚き、目を見開きつつ振り返れば、そこには想像通りの人物がいた。
寝間着代わりの浴衣に身を包んだ、やや大柄な中年男性。昴の父にして間宮家の現当主である男だ。浴衣というくだけた格好でありながら、一定の威圧感を漂わせる彼は、ただ静かに昴へ視線を向けている。
まさか、このタイミングで顔を合わせるとは思わなかった。
そう思いつつも、昴はすぐに「優等生」の仮面を被る。
「はい。ただいま戻りました、お父様」
言って恭しく頭を下げると、彼は「うむ」と短く返事をした。そして昴を見つめたまま再度黙り込む。言いたいことがあるのか、無いのか。それを推し量ることは出来なかったが、何も言わないのなら、こちらから問いただすこともないだろう。
「では、私は自室に戻ります」
そう思い、再度一礼して踵を返すと。
そこへ平坦な、けれど有無を言わせぬ声が再び廊下へ響き渡った。
「今の服装は間宮の娘に相応しくない。今後、身に着ける衣装にはもっと気を遣いなさい」
その声に、昴は思わず足を止めた。けれど振り返るのは堪え、ただ短く返事をする。
「……わかりました」
声と、そして拳が震えているのを感じながら再度歩き出す。
今度こそ父は何も言ってこなかった。音を立てぬよう廊下を進み――もはや音に気を遣う必要もないが――自室に辿り着くと、床へ無造作に荷物を落とす。床に敷かれた絨毯が荷物を受け止め、とすんと小さな音を立てた。
「っ!」
何故だか、その軽い音が余計に腹立たしくて、昴は思わず右手を振り上げる。
けれど、その手はどこにも叩きつけられることはなくそのままだらりと垂れ下がった。いっそ壁か何かを力任せに叩けば少しは気が紛れたのかもしれないが、身に染みついた習慣が、昴に物へ当たることを許さなかった。
それに、本当に殴りたいのは部屋でもなければ父でもない。
はるかの横に並びたくて、飛鳥のアドバイスを聞いて買った服。値段は安く仕立てもそれなりだが、それでも大切に思っている服をけなされて、何も言えなかった自分自身をこそ、昴は殴ってやりたかった。
もしそれで身体に傷でもつけば、また父から咎められるのだろうが。
「……っ」
零れ落ちそうになる涙を必死に堪えると、昴は衣服を脱ぎ捨てる。部屋の箪笥から寝間着を取り出すとそれを羽織り、畳部屋には不釣り合いなベッドへ身を横たえた。
脱ぎ捨てた衣服は敢えてそのまま。
目を閉じて呼吸を整えていると、やがて昴の意識はゆっくりと闇に落ちていった。
―――
昴の父は権威というものに強い執着を抱いている。
ここでいう権威とは金や名声、コネクションのようなもので、彼はそうした「わかりやすい力」を何よりも愛し、その獲得に日々心血を注いでいる。
例えば熱心に株取引を行ったり、値上がりしそうな美術品や骨董品を買いあさったり。しかしその一方で市や県には献金を行い、各方面の有力者達とは積極的に会談や会食を行っている。
彼の望みは、簡単に言えば「間宮の家を存続させ、より大きくすること」だ。
そしてそのための方策には、一人娘である昴の教育も含まれている。
旧家の娘としてあるべき服装、言葉遣いに礼儀作法。
茶道、華道、絵画、音楽等の基礎教養。
更には「彼の考える」最低限度の学力と身体能力。
思い付く限りありとあらゆる英才教育を、昴は幼少期より受けさせられてきた。特に中学生時代はそれこそ毎日、休日も家庭教師や習い事に追われていた。
当然、反発したことは何度もあった。けれど何を言ったところで父が方針を曲げることはなかった。むしろその度に教育と称して「間宮の娘としての心構え」を延々と聞かされた。
そんな中、進学先として私立清華学園を認められたのは昴にとって幸いだった。寮に入ったことで父や習い事からも解放され、穏やかな日々を送ることができたからだ。
しかし、そんな幸せな日々も当然、夏休みまでは続かない。
終業式の翌日に帰宅して以降、昴は勉強と習い事一色の日々を送っていた。
そうして夏休みが三分の一余りも過ぎ去り、
帰郷以来初めて自由な外出を許された昴は、電車で一時間ほどをかけ、とある街を訪れた。この街の駅前にあるカフェで、友人と待ち合わせをしているのだ。
駅を出て寄り道もせずカフェへ向かうと、約束より少し早い時間に到着した。相手も既に来店しており、奥まった席を陣取って優雅にティーカップを傾けていた。
「お待たせしました」
傍に歩み寄り声をかけると、彼女――姫宮由貴が顔を上げて微笑む。
「たまたま早く着いただけよ。昴こそ、早かったじゃない」
「幸い、出がけに邪魔も入りませんでしたので」
答えつつ、昴は対面の席へと腰かける。ついでに約二週間ぶりに会う友人の姿をそっと観察した。
今日の由貴は、当然ながらメイド姿ではなかった。髪はほんのりウェーブのかかったストレートで、淡い色のジャケットとスカートを身に着けている。また、薄く化粧をしていおり、そのせいか学校内で会う時より大人びて見える。
「相変わらず、苦労しているみたいね」
「……ええ、まあ。貴女との約束でなければ、今日も出てこられなかったでしょうし」
「ふふ。愚痴をこぼせるだけ、前よりは余裕がありそうだけど」
普段と違うといえば口調もそうだ。校内では敬語で通しているが今は違う。むしろどこか悠然とした、歯に衣着せずに言えば「偉そう」な雰囲気が混じっている。
「そう、ですね。おかげさまで、前よりは楽になったかもしれません」
「良かった。でも、一番にお礼を言うべき相手は別にいるんじゃない?」
しかし雰囲気が違うのは当然だ。むしろ今の姿こそが素の状態、本来の彼女なのだから。
「からかわないでください。……もちろん、はるかさん達には感謝しています」
「あら。誰もはるかちゃんの名前なんて出してないけど」
昴自身と同じく、由貴や圭一もまた学園の特待生に選ばれた一人だ。ただし由貴達はやや特殊で、通常は個人で完結するはずの設定が二人の場合はリンクしている。
『主従逆転』。それが由貴と圭一に与えられた設定だ。故に学校内では「資産家の令嬢」である由貴がメイドに身をやつし、「専属の使用人」である圭一が主人としての役割を果たしている。当然それは学校内のほぼ全員が知らない事実だが、昔から由貴達と付き合いがあった昴は入学前から事情を知らされていた。
なお、念のために補足すると、普段からメイド服を着用したり、学校の敷地内にカフェを建設したりは設定の指定範囲外――単なる由貴の趣味である。
「……もういいです。ところで、圭一は?」
「しばらく別行動。まあ、多分近くの店にでもいるんじゃない?」
「そうですか」
由貴自身の希望とはいえ、本来の主を相手にご主人様の役をこなすほど忠実な彼だ。確かにあまり遠くへは行かず、呼ばれればすぐ参上できる場所で時間を潰しているに違いない。
その時、ちょうどテーブルの脇を店員が通りかかった。それを呼び止め、注文を伝える。
「アイスのレモンティーと、ラズベリータルトをお願いします」
「あ、じゃあついでにボロネーゼとサラダのセット、後食後にチーズケーキを」
すると、由貴が横から追加の注文を加えていた。
「思いっきり食事をするつもりですね」
店員が去った後、そっと呟くと由貴は気にした様子もなく、
「だってそろそろお昼でしょう? 昴こそ、タルトだけで足りるの?」
「……まあ、気が向いたら追加で注文します」
もともと小食なので、いざとなればデザートと飲み物だけでも支障はない。他人の食事が終わるのを待つのは割と慣れているし。
(飛鳥さんは量を食べる割にスピードは速いので、頻度はそう多くありませんが)
いつも楽しそうに食事をしている友人の顔を思い出し、くすりと笑った。
「ところで、来週の外出は許可して貰えそう?」
そこで由貴が話題を変える。おそらくはこれが今日の本題だろう。
来週――ちょうど一週間後から二泊三日で海水浴に行く計画があるのだ。メンバーは『ノワール』の部員達に昴を加えた五名で、場所は姫宮家が所有するプライベートビーチ。宿泊も同じく姫宮の別荘を使用する予定になっている(もちろんはるか達には「圭一の家の所有物」と説明した)。
もちろん、本来なら昴の父がこうした遊びの予定を許可するはずはないのだが。
「ええ。姫宮のご令嬢からのお誘いならと、簡単に許して貰えました」
「相変わらずね、貴女のお父様も」
要は昴が今日、ここにいるのと同じ理屈。昴の父は姫宮の名に極端に弱いのだ。
その理由は、由貴の親が某飲食チェーンを中心に多数の企業を所有する資産家・企業家だから。また、姫宮家には古くから間宮の家と深い繋がりがあるからだ。
何でも戦後まで続いた間宮家の稼業、その母体を買い取り吸収したのが姫宮だとか。
お陰で間宮家は戦後難しい時期に大金を手に入れ、姫宮家は買い取った母体を元により繁栄した。その縁で、両家は未だに友好関係を保っている。
「それじゃあ、これで全員参加OKね」
「はるかさん達も来られるんですね。良かった」
由貴の呟きを聞いて昴はほっとした。海水浴で会えないと、おそらくはるか達との再会は夏休み明けになる。飛鳥の家へのお泊りにはあいにく参加できなかったので、こちらの機会は絶対に逃したくなかった。
安心は顔にも出てしまい、気づくと昴は口元に笑みを浮かべていた。すると、それを見た由貴がつられるように微笑む。
「最近は随分、思ってることが顔に出やすくなったわね。いいことだけど」
自分でも思っていたことだったが、指摘されると少し恥ずかしい。
昴は自身の頬が赤く染まるのを感じながらそっと目を逸らした。
「……もともと、私の場合は付け焼刃のようなものでしたから」
向けた視線の先――厨房への入り口から、ちょうど注文の品を持った店員が出てきた。
―――
昴も特待生である以上、由貴や圭一と同様に設定を与えられている。しかし彼女の設定はやや特待生制度のルールから外れた特殊なものだった。
『文武両道のお嬢様』。読んで字のごとく、学業にも運動にも秀でた良家の子女として振る舞えというその指定は「本人の性格や性質とかけ離れたものが選ばれる」制度の傾向からは大きく外れる。間宮本家の娘であり幼少期から英才教育を施された昴は、初めから十分に条件を満たしているからだ。
にもかかわらずこうした設定が与えられたのは、昴の父が働きかけたから。
彼は学園に一定額の寄付を行い、その上で学園側に要請したのだ。娘を特待生として合格させるように、と。
ただし学園側がその要請を飲んだのかはわからない。昴は規定通り清華学園分校に一般受験で合格し、学園側から特待生の打診を受けたのはその後だったからだ。だから打診については単に父の意向と学園側の方針が合致しただけかもしれない。
だが、設定の内容についてはおそらくほぼ父の希望通りだと思われる。特待生制度を利用して昴に「間宮の娘」に相応しい振る舞いをさせる。いかにも父の考えそうなことだからだ。
そこまでわかっていながら昴が分校に進学したのは、離島での寮生活があまりに魅力的だったから。実家の干渉の及ばない場所で日々を過ごすため、昴は敢えてお嬢様としての仮面を深く被り直した。
もともと苦手だった人付き合いはきっぱりと諦め、当たり障りない笑顔でやり過ごしながら学業と運動に専念する。代わりに昴は平穏な毎日を手に入れる。そんなつもりで。
結果的にその思惑は、はるかと飛鳥によって初日から崩されたのだが。
今の昴は、はるか達と送る日常がとても気に入っていた。
「これは流石に生地が少なすぎませんか?」
「昴はスタイルいいんだからこれ位でいいでしょ。ね、圭一?」
「いえ、その。そこで僕に振らないでくれませんか」
カフェで食事を終えた後、二人は圭一と合流し駅前のデパートへ入った。ついでに海水浴用の水着を買って行こうという由貴の発案だった。昴は学校指定のスクール水着以外、水着の類を持っていないので、この提案は渡りに船だった。おそらく明日以降に別途外出はできないので、そういう意味でもこれが最後のチャンス。
なので、昴は自分なりに意気込んで臨んだが、水着選びは思ったよりも難航した。
「じゃあこういうのは? 面積は多いと思うけど」
「ちょっと色味が明るすぎるかと……それに、これは何色使ってるんですか」
昴自身に知識が無いのと、由貴が派手なデザインばかり勧めてくるからだ。黒のビキニや、白地に複数色のドットが散りばめられたものなど。似合うとしても恥ずかしくて着られない。
一方、自分で選んだ水着は地味すぎると由貴に却下された。
「はるかちゃん達に見せるのに、そんな地味なの着るの?」
そう言われると若干思う所もあるので、あまり強く反対もできない。
そんなこんなで、気づけばあっという間に二十分近くが過ぎていた。この分だと何かしら転換点がないと決まらなさそうだ。そう思った昴はふと由貴に声をかける。
「そういえば、由貴。自分の水着はいいんですか?」
「ん? ああ、私はもう決めてるわよ」
すると由貴は軽く答えて一着の水着を手に取った。黒のツーピースタイプで、上はホルターネック。下側は覆う面積の広いタイプだが、側面のごく一部だけは細い紐状になった。お洒落なデザインだ。
「いいと思います。でも、由貴にしては案外地味ですね」
「まあね。もうちょっと派手でもいいんだけど。……私はあくまで従者の立場ですから、あまり浮かれすぎたデザインは好ましくないかと」
昴が率直な感想を口にすると、かすかな笑いと共にそう返事があった。
「なるほど。TPOを弁えて、ということですね」
「そういうこと。だから、昴は逆に冒険してみてもいいと思う」
TPO――自分の立場とやりたいことを考えて決めればいいということ。
立場という意味では、昴は由貴達の好意に甘える形だが。
なら、やりたいことはなんだろうか。
そう考えて思い浮かんだのは、はるかと飛鳥、そして彼女達と並ぶ自分の姿だった。
(はるかさん達に見てもらいたい。それから、お二人の横に並びたい)
漠然としていた思いを明確にすると、少しだけやるべきことが見えた気がした。
昴は更に少し考えて、
「圭一」
昴達の傍、女性向け水着売り場の一角に立って若干居心地悪そうにしている少年を呼んだ。
「何でしょうか」
略式の執事服――っぽく見える普段着を纏った彼は、昴の声に恭しく反応する。一応、昴は由貴の友人という立場なので、公の場では彼は敬語で通している。
そんな彼の態度には慣れているので、昴は気にせず用件を伝える。
「はるかさん達は、どんな水着を着てくると思いますか?」
「……、そうですね……」
予想外の質問だったのか。圭一は何度か瞬きをした後、視線を宙に彷徨わせた。心なしかその表情は「何故そんなことを聞くのか」と言っているように見える。
昴が質問した意図は単純で、自分ではあまり想像できなかったからだ。そこで、これまでほぼ会話に加わっていなかった圭一に意見を求めた。由貴が横から「私に聞けばいいのに」と言ってくるが、これはとりあえず無視する。
「一ノ瀬さんの動向はいまいち読めませんが、暖色系でやや活動的な水着でしょうか」
やがて口を開いた圭一は、まず自信なさげにそう告げた。
それから彼がちらりと主人に視線を送ると、由貴が微笑んで頷いた。
「そうね。いい線ついてるんじゃない?」
どうやら彼女も異論はないらしい。それを見て、ほっとしたように言葉を続ける。
「小鳥遊さんの方は……なるべく露出を抑えるでしょう。一方で可愛らしい物もお好きなようですので、ワンピースタイプとまでいくかは微妙かと」
「恥ずかしがり屋さんだしね。パレオとか巻いてくるかも」
「なるほど」
言われた内容を元に想像してみると、確かにはるか達のイメージに合う。昴はそこから二人に合う自分を想像し、しばしの時間をかけて一着の水着を選び出した。
「これで、どうでしょうか?」
「……ん、いいんじゃない。似合ってると思う」
「ええ、昴様らしいかと」
試着して由貴達に見せると、二人はそう言って頷いてくれる。
「良かった。それじゃあ、これにします」
昴は微笑んで自らの胸に手を当てた。
彼女が選んだのは、濃い乳白色をベースに紺のストライプが入ったビキニだった。由貴の意見も参考にし布面積は少なくしたが、色味としては地味め。想像したはるか、飛鳥の水着と形状や色合いで対照的になってくれるのではないか、という狙いだ。
そんな思惑がうまくはまるかどうか。
(少し、楽しみです)
レジで会計を済ませてデパートを出ると、昴と由貴達は駅で挨拶を交わす。由貴の実家は東京のため乗る電車が違う。彼女達とはここでお別れだった。
「今日はありがとうございました、由貴、圭一」
「どういたしまして。……なんか、昴が素直すぎて怖いけど」
「いいじゃありませんか。その方がお互いに楽でしょう」
「そうね。それじゃあ昴、また来週」
「ええ、また」
由貴達と笑顔で別れ、昴は一人ホームに向かう。当然、胸にはしっかりと買ったばかりの水着の袋を抱いていた。忘れたり、無くさないようこのまま持って帰るつもりだ。
念のため、家の前あたりで荷物の中に隠した方がいいだろうが。
電車に揺られながらふとそんな事を思うが、いつもなら憂鬱な気分に陥るのに、今回はそういったことがなかった。先程までの余韻が心を穏やかにしてくれている。
これなら、またしばらくは習い事漬けの生活に耐えられそうだ。
昴はそっと微笑んで、流れゆく景色の向こう、遠い空を眺めた。