一ノ瀬飛鳥:休暇の初めに 後編
「ホントごめん。こいつがどうしても一緒に来たいっていうから」
「いいよ、別に。気にしないし」
場所は移って、駅近くのファーストフード店。島に無かったチェーンを飛鳥が希望した結果、フライドチキンを主に扱う店舗に三人は身を落ち着けた。
(これも久しぶりだなぁ……)
トレイに乗ったチキンを手に取り、さっそくかぶりつくと、口の中に衣の香ばしさと肉汁の旨味がいっぱいに広がる。お肉を食べているという感覚に、幸せが溢れる。
朝ごはんを食べてからそんなに経ってないが、注文した二本は余裕で食べられそうだ。
「美味そうに食うよな、ほんと」
その声に顔を上げると、諒が苦笑気味にこちらを見ていた。
「ん、ありがと」
適当に応えつつ、飛鳥はついでに諒を観察してみた。
身長は百七十センチくらい。細身だが、最低限引き締まった身体。適度な乱れた髪の毛はラフな印象だ。全体的には中学時代と大差ない。違うのは、以前と違い髪を染めていること。ちょっと色味が明るくなる程度の地味な染め方で、露骨な校則違反にならない程度のお洒落という感じだ。
(やっぱ格好いいなあ、こいつ)
割と整った顔立ちもあって、女子からは結構人気があったはずだ。
別れてからもう大分経っているので、きっと新しい彼女も出来ているだろう。
(あれ? っていうか、これって)
飛鳥達は今、二人用のテーブルをくっ付けた四人席に座っている。諒と旧友が隣あい、飛鳥の横が空いた形だ。彼らのトレイの上には、サンド系のセットメニューが仲良く鎮座している。
「二人とも、もしかして付き合ってる?」
「あ……うん。やっぱりわかる?」
浮かんだ疑問を口にすると、やや遠慮がちに肯定の返事があった。諒はその隣で頬を掻き、僅かに視線を逸らしていた。
そんな二人の様子から、飛鳥は気を遣われているのだろうと察する。
「まあ、なんとなくねー」
なので、笑顔を浮かべて気にしていない事をアピールした。
すると、ほっとしたのか二人の表情が和らぐのがわかった。
「いつ頃からなの?」
「三月の終わりだよ。こいつに告白されてさ」
と、これは諒。照れくさそうに隣の恋人をちらりと目をやる。
「ほら。私達、同じ高校に行ったでしょ。それで、いい機会かなって」
答えた旧友も、笑顔を浮かべて諒に視線を返している。なんというか、ラブラブだ。
「そっか。おめでとう」
「ありがとう、飛鳥」
二人とも、もともと飛鳥とは見知った仲だ。最初こそ多少ぎこちない感じになったものの、それ以降は普通に会話を交わすことができた。他の友人達の話題や、進学先での出来事、二人の進展具合などを取り留めも無く話した。
諒の参加で「女同士で気楽にお喋り」とはいかなかったが、それはそれで楽しく時を過ごし、ファーストフード店を出た後は三人でカラオケに行くことになった。
そういえばカラオケも高校に入学以来、初めてだ。
(はるか達とも行ってみたいなー。二人とも何歌うんだろ)
飛鳥自身は雑食で、特別に好きなアーティストもいないタイプ。なので流行の曲から好きだったドラマの主題歌、果てはアニソンまで気分で攻めた。
諒達は主にJ-POP、それも流行の曲を主体に歌っている。時折ラブソングが混じるのはお互いへの牽制というか、遠回しのアプローチなのか。
(二人とも初々しいなあ。もう付き合って結構経ってると思うんだけど)
まあ、ラブラブなのは良い事だけど。
そういえば、自分の時はどうだっただろうか。
飛鳥が諒と別れたのは去年の大晦日。付き合い始めたのは十月中頃だったので、交際期間は二か月ちょっと。その間、自分がどんな感じだったかというと――割と普通だった気がする。
お昼を一緒に食べたり、放課後や休みの日にデートしたり。そういうのは頻繁にあったが、相手を必要以上に気にしたりはしなかった。
例えば、歌いたい曲は歌ったし、食べ方が汚くなるからチキンは避けるとか考えなかった。特別な相手ではあっても、否、あるからこそ、自然体の自分でいたいと思っていた。
(だから、誰と付き合っても続かなかったのかも)
諒も含め、昔の彼氏とは全員、向こうから告白されて付き合った。
逆に、別れを告げたのはいつも飛鳥の方からだった。
――一緒にいて、楽しくなくなっちゃったから。
どうして、と聞かれた時は決まってそう答えた。
それは嘘ではないが、けれど気持ちをまるごと伝えたわけでもなかった。
(あたしは……)
「私、ちょっと席外すね」
「おう。了解―」
カラオケに参加しつつ、一方頭の片隅で思考に没頭していた飛鳥は、不意に届いた友人の声に意識を引き戻された。
トイレにでも行くのだろう。部屋を出て行く彼女を飛鳥は手を振り見送った。
部屋の扉が閉まると、次曲までの僅かな間隙がそれに重なり、室内に一瞬沈黙が満ちた。
ちらりとカラオケ機器のディスプレイに目をやれば、入れた覚えのない曲が入っている。ということは諒が選曲済みか。
「諒、歌上手くなったよね」
歌本に手を伸ばしつつ軽く声をかけると、諒が驚いたような顔でこちらを見た。
「ああ、高校入って軽音部に入ってさ。バンドみたいな事やってるから、それでかな」
「へえ、すごいじゃん」
記憶にあった歌声より上達している気がしたのだが、間違っていなかったらしい。そのことに無邪気な嬉しさを覚えつつ、諒の頑張りに感心する。
と、そこでスピーカーから次の曲が流れ始めた。けれど諒は何も反応しない。
「諒?」
マイクも持たず考え込むような様子の彼に声をかけると、
「……なあ、飛鳥」
「ん?」
「今、付き合っている奴っているのか?」
諒は真剣な顔でそんな事を尋ねてきた。
突然の質問に飛鳥は驚き、数回瞬きを繰り返した。
「いないけど」
それがどうしたのか、という言外の問いに答えはなかった。
「そっか」
頷いた諒は、何かを言おうと再度口を開きかけ――。
「ただいまー」
丁度、部屋のドアが開いた事で口を閉じてしまった。
「あれ? もしかして待っててくれた?」
「ああ、次お前の番だからさ」
「うわ、ありがと。別にそんなのいいのに」
何事も無かったように振る舞う彼を眺め、飛鳥は思う。
今のって、もしかしてあんまり良くない展開だったのかな、と。
―――
その後は特に何事もなく平穏な時間が過ぎていった。
飛鳥達は三時間ほどカラオケに没頭した後、電車に乗った。故郷の街へと帰るためだ。
そこでも他愛ない話は続いたが、短い電車の旅はすぐに終わりを迎える。
「じゃ、私はここで。またね、飛鳥」
「うん、またね」
乗車して二駅が過ぎた所で、まず友人が電車を降りた。飛鳥と諒はもう一駅乗っていくが、彼女の家はどちらかというと、この駅で降りた方が近いのだ。
一人ホームに降り立った友人と、飛鳥は笑顔で別れた。
「んじゃ」
「おう、また」
一方の諒もまた彼女とあっさりした挨拶を済ませ、やがて電車が動き出す。
対面の窓に映る景色が少しずつ流れていく。
「なあ、飛鳥。もう一回俺と付き合わない?」
やがて、正面を見つめたまま諒が言った。
それを聞いた飛鳥は特に驚かなかった。もう一度二人きりになる機会があれば、きっとこうなるという予感があったからだ。
「どうして?」
だから、飛鳥は諒へと冷静に問い返した。すると、答えはすぐに返ってこなかった。
電車が目的の駅に着き、ホームへ降りて改札を抜け、駅舎を出て。
諒はそれからようやく口を開いた。
「やっぱり好きなんだよ、お前のことが」
横目で窺うと、彼の顔はほんのり赤らんでいた。それを見て、飛鳥はため息をついた。
「諒には今、もう彼女がいるでしょ?」
「あいつには俺から説明する。……もし、飛鳥が俺と付き合ってくれるなら」
ひどい言い草だ。飛鳥にとってもあの子は友達なのに。
そうまでしてもう一度付き合いたいのか。
「本気なんだ」
「ああ。あの時も言っただろ。俺は飛鳥の事が今でも好きだって」
確かに。去年の大晦日の夜、別れを切り出した飛鳥に彼はそう言った。
思えば、あの時も二人で帰り道を歩いていたんだったか。
「でも、最後は納得してお別れしたでしょ」
「……ああ。あの時の俺には覚悟が無かったから」
「覚悟?」
「ただずっと飛鳥の隣にいる覚悟が、さ」
それは、当時の飛鳥が恋人に求めていた条件だった。
相手に直接言ったことはない。むしろ飛鳥自身、はっきりと理解していたわけではなかった。今でこそ、なんとなく理解できているが。
「別れてから気づいたんだ。俺は焦ってたんだなって」
――キスや、その先を求められるのが嫌だった。
当時の飛鳥は、恋人に深い肉体的接触を求めていなかったのだ。
傍にいて手を繋いだり、腕を絡めたり。その程度の触れあいで十分だった。それ以上の行為はお互いが納得してからでも全然遅くないと思っていた。
考えてみれば、それは中学生の男子には酷な話で。
飛鳥と付き合った男子達は皆、だんだんと焦り始める。自分達は本当に付き合っているのかと直接問われた事もあった。飛鳥自身はもちろんそのつもりだったのだけれど。
そうなると二人の気持ちにズレが生じる。飛鳥にとって心地よい距離感が崩れ、やがて『一緒にいて楽しくなくなった』。
だから別れた。
けれど。諒は今、そんな飛鳥の性質を承知の上で、もう一度飛鳥に告白してきた。
「ゆっくりでいいからさ。もう一度やり直さないか?」
これまで何人かの男子と付き合ったが、こんな事は初めてだった。
さすがに、嬉しい。胸の奥で感情が僅かに揺れ動くのを感じる。
一度は付き合った相手なのだ。諒の事は今でも嫌いじゃないし、彼は以前より格好よくなった。付き合い直せばきっと前と同じかそれ以上に楽しくやれるだろう。
(それもいいのかもしれないけど)
くすりと笑って諒を見る。目が合うと、彼もまた微笑みを浮かべた。
「ごめん。あたし、好きな人がいるから」
「……え」
諒が表情を強張らせて足を止めた。少し期待させてしまっていただろうか。
実のところ、飛鳥の気持ちは最初から決まっていたのだが。
「付き合ってる奴じゃなくて、好きな人?」
「うん」
「……そう、か」
息を吐き、諒は再び笑顔になる。
意外な反応に驚いていると、彼は更に短く言葉を紡ぐ。
「頑張れよ」
「――あ、うん。ありがと」
返事は少し間の抜けた感じになった。
付き合ってる訳じゃないならいいじゃないか、とか。どんな奴なのか、とか。
もっとごねられると思っていたのだが、意外にも諒はあっさりしたものだった。
「じゃあ、俺はここで」
彼はそう言うと軽く手を挙げて踵を返す。
気づけばもう二人は飛鳥の家の近くにいた。諒の家はここからだと大分遠回りだ。
それを思い出しつつ、飛鳥はふと諒を呼び止める。
「諒」
「ん?」
振り返り、首を傾げる彼を見つつ何を言おうか考え、適当に思い付いた事を口に出した。
「この事は、黙っておいてあげるから」
「ははは、さんきゅ」
すると諒は笑い、再び歩き出す。今度は飛鳥も彼を黙って見送った。
視線の先で、その背中が小さくなった頃。
「ありがと、諒」
飛鳥は小さく、本当は言うつもりだった台詞を虚空に流した。
ちょっと変わった。
今朝、弥生に言われた言葉の意味が少しわかったような気がした。
―――
その夜。入浴を済ませた飛鳥は、自室のベッドに腰掛けるとスマートフォンを手に取った。電話帳から目的の名前を探し、コールする。
三コールくらいしたところで相手に繋がった。
『もしもし、飛鳥ちゃん?』
スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、もうすっかり慣れ親しんだ声。
柔らかくて穏やかなその声に安堵しつつ、飛鳥は明るい声を出した。
「やほー、はるか。今、大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。どうしたの?』
「や、ちょっとはるかの声が聞きたくなったから」
そう言うと『まだ昨日別れたばっかりだよ』と返された。きっと今、彼女は毒の無い苦笑いを浮かべていることだろう。
「あ、そうそう。あの話、忘れてないよね?」
『飛鳥ちゃんのお家に遊びに行くって話だよね? うん、忘れてないよ』
夏休み前にそういう約束をしていたのだ。詳しいスケジュールはまだ決めていないが、しばらくして落ち着いてから、はるかに家に来てお泊りしてもらう予定だ。昴も誘ったが、こちらは家の用事や移動距離の関係で断られてしまった。
『でも、大丈夫? お家の人に迷惑じゃないかな?』
「大丈夫だって。その辺はしっかり説得するからさ」
まあ、多分説得するまでもなくオーケーしてくれるだろう。どうせ両親は仕事だろうし、食事や洗濯は最悪、自分達でもどうにでもなる。
念のため、はるかの性別は両親には伏せておいた方がいいかもしれないが。
『わかった。私もお父さん達に聞いてみるね』
「お願いね」
それではるかと過ごせる時間が増えるなら、多少の苦労は何でもない。別に『ノワール』の面々で海水浴に行く予定もあったりするのだが、それはそれ、これはこれだ。
(楽しみだなあ)
ついでに何気ない会話をいくつか交わし、通話を切るとベッドに倒れた。
はるかがこっちに来たら何をしようか。
一緒に料理したり、同じ部屋で眠ったり、お風呂に入ったり? って、これ全部やったな。いやいや、本格的なショッピングしたり、後はそう、カラオケ行ったりとか色々、やりたいことはある。
否応なく顔が緩むのを自覚しつつ、飛鳥はそれから眠気が襲ってくるまでの間、のんびりと幸せな空想に耽ったのだった。