純情少年と恋の手紙 15
「本当にごめんなさい。私の我儘で振り回しちゃって」
「いいよ。っていうか、私は気にしてないから」
寮への帰り道を、はるかは司と並んで歩いていた。会話する間を作ろうと、はるかは殊更ゆっくり歩を進める。司もはるかの意図を汲み、同じペースで歩いてくれていた。
前を見れば、少し先に飛鳥と昴の姿がある。彼女達が何を話しているのかは、ここからだと聞こえない。敷島は一人で先に帰ってしまったため、彼の姿は見えない。
「むしろ小鳥遊さん達が居なかったら、きっと一人で悩んでたと思うし」
失恋したばかりだというのに、司の表情は明るい。しかし、彼女が気を遣ってくれているのか、それとも本心から笑っているのか、はるかにはわからなかった。
「だから、ありがとう。小鳥遊さん」
「ううん。告白できたのは妹尾さんが頑張ったからだよ」
実際、はるかは司と一緒に敷島の部活に行き、多少司を焚き付けた程度でしかない。失恋の不安を押し除けて敷島に告白したのは、司自身の勇気だ。
(それに比べて、私は)
ハンバーガーショップでの騒動の原因ははるかにある。はるかが司を焚き付けなければあの騒ぎは起きなかったはずだ。なのに、昴の真意を知りたい。昴に何かしてあげたい。そんな我儘を押し通した結果、皆を振り回した。結局は自己満足だったのだと、後になって痛感した。
特に、敷島には申し訳ないことをした。彼にとってみれば寝耳に水の出来事だったはずだ。せめて明日、しっかりと彼と、皆に謝らなければならない。
「ん、じゃあ、おあいこって事にしようか」
「……ありがとう、妹尾さん」
司から穏やかに笑いかけられ、はるかは彼女に微笑みを返した。
(妹尾さんは凄いな」
胸の痛みは、彼女の方がずっと重いはずなのに。そんな風に笑えるのだから。
かすかな羨望を込めて司の横顔を眺めていると、彼女がぽつりと呟いた。
「あいつは今頃、何考えてるのかな」
その言葉に、はるかは少しだけ迷ってから彼女に尋ねる。
「……敷島君のこと、追いかけなくて良かったの?」
ハンバーガーショップを出るとすぐ歩き去っていった彼だが、走れば追いかけることは出来たはずだ。話したいこともあったのではないか。
「いいよ。あいつは一度、頭を冷やさないといけないだろうし。それに……」
「それに?」
「何でもない」
そう言って、司は笑った。完全にはぐらかされた形だ。
けれど、司の表情からして悪い事ではないのだろうと思えた。
「そっか」
だから、はるかはそれ以上、司に追及しなかった。
真っ直ぐ前を向いて歩きながら、明日の放課後に思いを馳せた。
* * *
同じ頃、昴と飛鳥は淡々と言葉を交わし合っていた。
「昴ってさ、結構馬鹿だよね」
「ええ、そうですね。私もそう思いました」
辛辣な飛鳥の言葉に、平然と答えて頷く。
「飛鳥さんも。案外意地悪ですよね」
「だね」
代わりにそう指摘すれば、飛鳥もまたあっさりと答えた。
険悪なムードではないが、かといって好意的でもない。ただ思った事を言い合うだけのやり取り。それができるのは、互いの想いが大体理解できていたからだ。
二人とも、本当ははるかが気になる。なのに、言葉と気持ちを我慢してここにいる。
(明日まで、はるかさんとは話さない方がいいでしょうし)
はるか達が、自分と敷島の後を尾行する形であの場にいたこと。
司の告白に、はるか達が協力していたであろうこと。
それらの事情を、昴は先程の一件から推測している。
その上で、彼女達の想いを嬉しく、また申し訳なく思っていた。
(私のために、私のせいで、そんな事まで)
今回の件は全て、昴自身の優柔不断が招いたことだ。
昴の敷島への想いは、あの夜、はるか達から指摘された通り、恋ではなかった。
手紙を読み、直接話をして。その中で感じた、敷島の純粋な想いへの感謝と責任感、義務感などが入り混じった気持ちだったのだ。
なのに彼の告白を断らなかったのは、いつだか昴自身が言った通りだ。
『……そうですね。今のところ、お断りする理由もありませんから』
理由が無ければ断ってはいけない。勝手にそんな風に思って、一人で抱え込んでいた。
『敷島君は、たぶん昴のことが本当に好きなんだと思う。だから、ちゃんと手紙を読んであげて欲しいな』
いつだか、はるかに言われた言葉。そして、はるか達が多くを語らず見守ってくれていたこと。それらを勝手に解釈し、余計なプレッシャーを感じていた。
告白されたからには真剣に考えなくてはいけない。身勝手な理由で断ってはいけない。
そんな風に思って、勝手に一人で突き進んでしまっていた。
あの夜。はるか達に言ってしまった言葉でその事にようやく気付き始めた。
完全に理解したのは、ついさっき。司の告白を聞いた時だ。
――彼女のような気持ちを、自分は持っているだろうか。
既に恋人のいる相手に思いを伝えるような必死さは、自分には無い。
そう感じて、司を羨ましく思うと同時に申し訳なくなった。
その直後、敷島が彼女を蔑にするような行動を取ったので、思わず苛立ってしまった。
彼の、誠意が足りないと思える態度に。
昴自身の、敷島への態度を重ねて。感情のままに言葉を紡いでしまった。
敷島との交際解消を宣言した事は後悔していない。けれど、一方的に彼を糾弾してしまった事は申し訳なく思う。それも含め、敷島や司、はるかにはあらためて謝罪するつもりだ。
そんな昴の想いを、飛鳥は既に見透かしているようだった。その上で何も言ってこない。
(ある意味、似たもの同士なのでしょうね)
あらためてそう思う。
親近感――友情を感じる相手という意味では、彼女が一番なのかもしれない。
昴の、はるかへの想いはそれとは少し違うものだから。
いつからだったのだろうか。この想いが胸の内に生まれていたのは。
この間の、あの夜か。
体育祭の日、二人でベンチに座った時か。
彼女と友達になった瞬間か。
あるいは、初めて会ったあの時か。
「飛鳥さん」
「何?」
「私、もう少し、遠慮するのを止めますね」
昔、遠い昔に感じたのと同じ想いが胸にあるのを、昴ははっきりと自覚してしまった。
自覚してしまった以上は、今まで通りではいられない。
「ん、そっか。……頑張ろうね、お互い」
「はい」
飛鳥とそうして短く言葉を交わしながら。
昴は一度だけ、そっと背後を振り返った。
* * *
スマートフォンが着信を知らせてきたのは、午後十時を回ろうとした頃だった。
端末を手に取り、ディスプレイに表示された名前を確認してくすりと笑う。
寝入ったばかりのパートナーを起こさないよう素早く通話ボタンを押し、ベッドから降りながら端末を耳に押し当てた。
「もしもし? 気持ちの整理はついたの?」
からかい気味に尋ねると、スピーカーの向こうから憮然とした声が返ってきた。
『うるさい。お見通しみたいな言い方するなよ』
「そりゃ、このくらいお見通しだってば。付き合い長いんだから」
話しながら、部屋から洗面所へと移動する。ドアを閉め、ついでに軽くシャワーでも流しておけば、会話の音が洗面所の外に漏れることもないだろう。
たぶん、それなりに長話になるだろうし。
『……はあ。これだから幼馴染は』
「困るよね。ホント。なかなか縁が切れないんだから」
あんな後だというのに、妙に落ち着いている自分に驚きつつ、同時にそれはそうかとも思う。思い悩んでいた事柄が片付いたのだから、すっきりするのは当たり前だ。
それに、まだ負けたと決まったわけでもないのだし。
(これに関しては、完全にあの子達のお陰だよね)
半ば諦めかけていた道はまだ、間一髪で繋がった状態だ。もちろん、別れるの別れないのっていう話がどうなるかと、今この電話の用件にもよるのだろうけれど。
「で、何の用?」
『……いや、その。一応謝っとこうかと思って』
「別に明日でいいのに」
『恥ずかしいだろ。他の皆が居る所で謝るのは』
いずれにしても、皆には別に謝るべきだと思うが。まあ、それは相手もわかっているのだろう。人前で「個人に対して」謝るのが気恥ずかしい、ということか。
「ん、いーよ。許す」
『……簡単だなあ、おい』
「だって、もともと気にしてないし」
本当だ。最初から予想はしていたのだから、気になんかしていない。
……ちょっとだけ。一人になった時に軽く泣いた程度にしか。
「明日、あんたはどうするの?」
『謝る。謝って、もう一回付き合ってもらえるようにお願いする』
ノーカウントにはしないのか。ちょっと男らしい。
「じゃあ、あたしはその後かな」
『……何の話だよ』
「わかってて聞かないでよ」
笑って答えると、沈黙が返ってきた。ヘタレだ。まあ、そこがいいのだが。
「そういえば、本当は何であの子に惚れたの? やっぱ好きなキャラに似てたから?」
『……違うよ。それもあるけどさ』
体育祭で一生懸命走っている姿を見て、一目惚れしたのだと、彼は話してくれた。なるほど。アニメキャラに似てたから、よりはよっぽどマシな理由だ。
「他のクラスの女子なんて、よく注目してたよね」
せめて自分のクラスを見ていればいいのに。
『……だよ』
「え? 何って?」
『お前を応援するために見てたんだよ』
不意打ちだった。
ひどく恥ずかしそうに、囁かれたその言葉に、不覚にもときめいてしまった。
こんなタイミングで、そんな事を言うのは反則じゃないだろうか。
そんな事をされたら、否応なく期待してしまう。
『それに、陸上が嫌いになったわけじゃないし』
「……初耳なんだけど」
『嫌いになったって言った事もないだろ』
まあ、それはそうなのだけど。
才能無いから、なんて言うからてっきり。
『俺には才能無いから、お前に任せようと思ったんだよ』
まただ。
今日は一体、何のつもりなのか。
「あんた、私を殺しに来てる?」
『……は?』
あーあ、とため息をつく。壁に寄りかかって、天井を見上げて。
「やっぱ、あんたの事好きだ」
『もう切るからな』
「あ、待った。もう少し話そうよ。昔の話とか、さ」
『……まあ、いいけど』
慌てて引き止めたら、思いとどまってくれた。良かった。今はもう少し、話をしていたい気分だったのだ。
時間はまだ、たっぷりあるのだし。




