純情少年と恋の手紙 10
何故、司が『ノワール』の事を知っていたのかというと、真穂から話を聞いたらしい。部活終わりに「はるか達の部屋番号を教えてほしい」と頼んだら、放課後ならここにいるはずだと教えて貰ったとか。
疑問が一つ解消したところで、はるかはまず、司と一緒にプールでの会話をおさらいした。
ちょっとしたきっかけから立ち話をして。昴の泳ぎの話題から、体育祭の話題になった。リレーのことを気にしているのかと尋ねたはるかに、あれは両方のミスだから、と司は穏やかに答えた。それから、司に尋ねられたのだ。
「小鳥遊さんは、あの子とどうやって仲良くなったの?」
その質問に、はるかはこう答えた。
「えっと……特に変わったことはないよ。入学式の日に話しかけたのが、きっかけかな」
すると、司は「参考になった」と言ってその場を去っていった。
会話の流れについて、司からも異論は出なかった。
お互いの認識が違っていないことを確認のうえ、はるかはあらためて司に尋ねる。
「私、あそこで昴の恋の話、しなかったよね?」
ここで「いや、話をした!」と言われてしまうと話が堂々巡りになるのだが、幸いそういうことはなかった。
「うん、しなかった」
そう答えた司は、「でも」と言葉を続ける。
「言ったよね? 特に変わったことしないで間宮さんと仲良くなった、って」
「言った……けど」
「だから、あいつと間宮さんが付き合うなんてありえないと思ったのに」
一度、熱が途切れたせいか口調は落ち着いていたが、司の言葉はどこかわかりにくかった。先程かなりヒートアップしていた事から見ても、気が動転しているのかもしれない。
「あいつって、敷島君のこと?」
まず、わかりやすい部分から確認すると、司はそれに頷いた。なら、司の動揺は二人が付き合い始めたのが原因ということか。
(それにしても、噂が回るのって本当に早いんだなあ……)
「ええと。つまり妹尾さんは、その時はるかが言ったことを聞いて、昴が誰かと付き合うはずがない。だから敷島君とも付き合わない、って思ってたんだ」
横で話を聞いていた飛鳥がまとめる。これにも、司は頷いて答えた。
すると、飛鳥が首を傾げる。
「でもそれ、はるかが答えたのと逆の意味になってない?」
そうなのだ。昴と仲良くなるのに「特別なことはしなかった」って答えたのに、何でそいう結論に至ったのか。
「だって。あの間宮さんと、本当に何もなしで仲良くなれるわけないでしょ」
と、司が真顔でそう言ってきた。
いや、やっぱりわからない。
そう思っていたら、飛鳥が納得したように頷いていた。
「あー……なるほど」
「え、どういうこと?」
「つまり、妹尾さんは最初から『昴と簡単に仲良くなれるはずがない』って思ってたの。で、昴と仲のいいはるかにコツを訊いてみたら『特にない』って言われた。そしたら当然、そんなわけないじゃん、ってなるよね?」
「ああ、うん。なんとなく」
「だから妹尾さんは、『はるかが昴と仲良くなれたのには理由がある。けど、本人も良くわかってない』。じゃあ他の人が簡単に応用できるわけない、って思ったんじゃないかな」
それを聞いて、司もうんうんと頷いている。合っているらしい。
なるほど。はるかと彼女では考え方の前提が違ったのか。
でも、それって。
「私のせいなの?」
「……どうなんだろうね?」
飛鳥に尋ねると、彼女もわからない、という風に曖昧な表情を浮かべた。
司も、状況を整理していたら冷静になったのか、
「えっと。私もちょっと混乱してたかも。さっきは大きな声出してごめんね」
そう言って謝ってくれた。
「あ、ううん。それはもういいよ。私も、混乱させちゃったみたいで」
双方に誤解(?)があったみたいだし、おあいこだ。
話に一段落ついたので、由貴の淹れてくれた紅茶を一口。しばらく放置していたせいで温くなっていたが、逆にちょうど飲みやすい温度だった。
司も、はるかに倣ってカップに口を付ける。すると、
「あ、美味しい」
小さく漏れた声が、はるかの耳に届いた。どうやら気に入ってくれたらしい。
自分まで嬉しくなって、そっと微笑みながら、はるかは言った。
「でも、知らなかったな」
「何が?」
紅茶の味と香りに表情を和ませた司が聞いてくる。
「妹尾さんが、敷島君のことを好きだったなんて」
「っ!? っふ! げふげふ!」
穏やかに答えたら、突然司が吹き出し、咳き込んだ。
驚きつつも立ち上がろうとすると、その前に、近くにいた飛鳥が彼女の背中をさすってくれた。
「だ、大丈夫。妹尾さん?」
「う、うん。ごめん、もう大丈夫」
しばらくすると無事に収まったらしく、ほっと胸を撫で下ろした。テーブルクロスが汚れていないところを見ると、咳き込んだとき口に紅茶は残っていなかったらしい。不幸中の幸いといったところか。
「何で、いきなりそんなこと」
呼吸を整えた司は、はるかにそう尋ねてきた。
はるかは、きょとん、として彼女を見返す。
「だって、敷島君のことを凄く気にしてるみたいだったから。……違った?」
「え、あ、いや。えっと」
すると、慌てて飛鳥の方を振り向いて、
「うん。あたしもそう思ってるんだけど、違う?」
何やらがっくりと肩を落とした。はあ、と観念したようにため息をついて。
「ごめん。合ってるよ、それで」
そう言って、彼女はゆっくりとはるか達に向けて話し始めた。
―――
司と敷島は幼馴染だ。
幼稚園が同じで、小中学校も同じ学校だった。そのため、昔はよく一緒に遊んだ。男女の差も子供の頃はあまり気にしていなかったし、何より彼とは気が合った。
最初から好きだったかといえば、そうではない。
仲の良い遊び仲間。腐れ縁の幼馴染。そんな関係を続けるうちに少しずつ、彼への想いが変化していったのだろうと思う。そして、気づいたら好きになっていた。
けれど、成長するにつれて彼とは疎遠になっていった。
お互いに別々の友達もできて、顔を合わせる機会が減った。すると次第に二人の生活リズムもずれていった。司はそれがとても寂しかったが、敷島の方はさして気にしていない様子だった。
そんな中。二人が中学一年生になった時、敷島が陸上部に入部した。
これをチャンスだと思った司は、自分も女子陸上部に入部した。もともと身体を動かすのは好きだったし、同じ競技をやっていれば敷島とも話せると思った。実際、これは効果があった。陸上関連で敷島と話す機会ができたのだ。
しかし二年の中頃、敷島は突然陸上を辞めた。理由を尋ねても、彼は何も教えはてくれなかった。
それからは、以前と同じ状態に逆戻りだった。偶然、同じ高校に進学しても、それは変わらず。
顔を合わせれば軽く言葉を交わすし、連絡先も知っている。けれど、ただそれだけ。
敷島にとっての司は、いつまで経っても「ただの幼馴染」のままだった。
そしてある日。司は、敷島が間宮昴に好意を抱いていることを知った。
すると居ても立ってもいられず、はるかに変な事を尋ねてしまった。また、はるかの言葉で気を良くして、彼に直接「あの子は止めた方がいい」とか言ったりもした。
そんなこんなで、割と安心していたのだけれど。
蓋を開けてみれば何ともあっさり、昴は敷島と交際を始めてしまったのだった。
―――
「……そっか」
話を聞き終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。寮で夕食を摂るなら急いで帰る必要があるが、司が帰宅を焦る様子はなかった。もちろんはるか達も自分達から話を切り上げるつもりはない。
成り行きにせよ、話を聞いてしまった以上は責任だってあるのだ。
「でも、どうしてそんな大事なことを私達に話してくれたの?」
「……部活の子とか、仲の良い子には話せないよ、こんなこと」
親しい相手だからこそ話しづらい。逆に、普段は交流を持っていないはるか達だから後腐れなく話が出来る。
わかる、ような気がした。はるかにもし、中学以前から引きずっている恋心があったとしたら、きっと飛鳥達には話しづらい。ましてや、それが失恋なら。
「あたし達が他の子に話すかもよ?」
「しないよ、小鳥遊さん達は。仲良くなくてそれくらいはわかる」
少しだけ冗談めかした飛鳥の言葉は、しっかりした口調で否定された。
(信用、してくれてるんだ)
そう思うと、なんだか胸が暖かくなった。
飛鳥もまた、はるかの隣でかすかに微笑みを浮かべていた。けれど、彼女は再び表情を曇らせて「でもさ」と続ける。
「何かしてあげたくても、あたし達には多分、何もできないよ」
はるかは二人のやり取りを見つめながら、飛鳥の言う通りだ、と思った。
司の話を聞いて、彼女に何かをしてあげたいという気持ちはある。けれど、はるか達は昴と敷島の仲を応援している立場だ。相反する司の想いは応援できない。それに昴達は既に交際を始めてしまっている。付き合う前ならともかく、一度始まった関係を他の人間が引き裂いていいものか。
「……うん、それは、わかってる」
そういった事は司も承知していたらしい。彼女は表情を硬くして頷いた。
その上で、はるか達を見て言ってくる。
「だから、せめて一つだけ確認したいんだ」
「何を?」
「間宮さんが本当に修也の事が好きなのかを」
しん、と場に静寂が満ちた。司の発言を理解するのに、それだけの時間を要したのだ。
「最初の方に言ってたのと同じようなことだね」
しばらくして飛鳥が言った。
何で昴と敷島が付き合っているのか、という発言のことだ。あれは司が「昴はそう簡単に他人と仲良くしない」と考えていたからだった。つまりこれも似たようなこと。
昴が敷島と付き合うのを嫌とか以前に、不自然だと。
「何か理由はあるの?」
尋ねると、司は真剣な顔で答えた。
「具体的には言えないけど。あたしだって同じクラスだし、体育祭では一緒に練習したから、少しは間宮さんの事を見てたんだ。でも」
前置きのようにそう言った後、続けて、
「あの子、いつも小鳥遊さん達の事ばっかり気にしてた」
そう言ったのだった。
* * *
「良かったんですか?」
「何の話?」
「とぼけないでください。彼女達の話に口を挟まなくて良かったのか、って事です。このままだと、話がこじれるかもしれませんよ」
「……まあ、ね。でも、それもいいんじゃない?」
「本気ですか?」
「ええ。あの子の態度も、ちょっとだけ苛立たしかったし。ここからひっくり返るなら、それはそれで面白いかな、って」
「……本当に、変な人ですね、貴女は」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」




