純情少年と恋の手紙 9
敷島――というか、昼休みの学食で大声を出した一年男子の噂はすぐに生徒達の噂として広がったようだった。幸い、噂されているのは主に彼の奇行がメインだったが、一部では彼と同席していた女子生徒、すなわちはるか達三人の事も話題になっていた。
はるかがそれを知ったのは、放課後、クラスの女子から話しかけられたためだった。
「ね、小鳥遊さん。間宮さんって彼氏できたの?」
それは帰りのホームルームが終わり、荷支度がてら飛鳥と話していた時のことだった。
その時、昴は既に教室に居なかった。敷島と島内に遊びに行くことになったらしい。つまりデートだ。
「ど、どこでそれを?」
「あ、ってことは本当なんだ」
返答の仕方がまずかったか、聞き返した事で暗に肯定することになってしまった。
何でも、彼女の知り合いが先日と今日、学食で二人を目撃していたらしい。学食で奇声を上げた一年男子、彼と一緒にいた女子のうち一人は、この前も彼と一緒にいた。その上で、彼の発した奇声の内容を考えると……というわけだ。
「やるねえ、その子。なんか割と目立たない感じの男子らしいじゃん」
「あはは。うん、まあ」
その後も彼女は幾つも質問を投げかけてきた。一応、飛鳥と視線を交わしつつ、聞かれた事には答えられる範囲で答えると、やがて満足してくれたようだった。
そこで、はるかも気になったことを彼女に聞いてみた。
「どうして、そんなに気にするの?」
「え? だって気になるじゃん」
すると、返ってきたのはそんな答え。昴だから、というよりは単に興味のある話題だったから食いついた、という感じらしい。
なら、逆に、
「皆は、昴のことどう思ってるのかな」
そう尋ねてみた。
すると、クラスメートの女生徒が少し考えたあと、こう答えた。
「うーん……普通?」
つまり、良くも悪くもない。乱暴な言い方をしてしまえば、そんなに深い興味があるわけではない、ということか。はるかや飛鳥以外の生徒と深い関わりを持たない、という昴のスタンスは一定の効果を上げているらしい。
そんな風に思ったはるかは、
「あ、でも」
「でも?」
「彼氏作ったのが広まったら、良く思わない子もいるかもね」
続けられた言葉に複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
―――
「まあ、そういうのはどうしてもあるよね」
今日も今日とて『ノワール』の店内は雑談モード。一応、メイド服には着替えてみたものの、料理の練習をする暇があるかどうかは微妙だ。何しろ、今日もまた新しい話題がたくさんあるのだ。
淹れたての紅茶(一応、今日ははるかが淹れてみた)の香りが漂う中、話題に上ったのは、あまり気分の良くない話題、つまりは先程クラスメートから聞いた話だった。
「そうだね。目立てば周囲の反感を買うのは、仕方ない」
「でも、別に昴が悪いことをしたわけじゃないのに……」
昴に彼氏が出来たのが伝われば、良く思わない人間もいる。それについて、飛鳥や圭一はさもありなん、という態度だった。けれど、はるかには理解しづらい話だった。
すると由貴が優しく例え話を口にする。
「そうですね……例えば、はるかちゃんが仲良くしたいと思っている子がいたとします。けれど、その子は何度話しかけてもあまりいい態度をとってくれません。そんな時、その子が異性の恋人と楽しそうにしていたら、どう思いますか?」
「……それは、嫌な気持ちになります」
言われた通りの想像をしてみたら、胸が締め付けられるような気持ちになった。
自分とは仲良くしてくれないのに他の子と、という嫉妬。
友達は作らないのに恋人は作るのか、という憤懣。
それらが入り混じった複雑な痛みがあった。たかが想像とはいえ、辛い。
(昴と出会った頃の私がそうなっていたら、って考えたのがいけなかったかな……)
「つまりはそういう話ですよ。まあ、単に自分に恋人ができないやっかみをぶつけようという人もいるでしょうが」
「それ言ったら割と台無しな気もするけど」
歯に衣着せぬ従者の発言に、圭一が苦笑しつつやんわりと言った。
「そういうわけだから、小鳥遊さんが言った通り、昴が悪いわけではないよ。個人の感情の問題だから、対処方法も特にないかな」
「特にないっていうと……つまり」
「放っておくってこと」
と、あっさり飛鳥がそう答えた。それはそうか。どうにもできないのなら、それは放置しておくしかない。少し、気がかりではあるけれど。
「それにしても、私としては驚きです。まさか昴がこんなにすぐ交際を始めるなんて」
「あの昴だからね」
あの? と首を傾げると、「見たまんまですよ」と返された。なんとなく分からなくはない。
「まあ、告白の返事をするのに、はるかさん達を連れて行くのは関心しませんけど」
「ああ。あれはあたしもびっくりしましたよー」
「あ、やっぱりああいうのって珍しいんですね」
「それはそうですよ。場合によってはそれだけでドン引きです。幸い、昴のお相手は大丈夫だったみたいですけど」
ふう、と由貴がため息をつく。見ると、眉も少し下がり気味だった。彼女のそんな姿は比較的珍しい。それを見とがめた圭一が彼女に声をかけた。
「由貴、座ったらどうだい? 椅子も一つ空いていることだし」
「そう、ですか? ……そうですね、では、お言葉に甘えて」
疲れが貯まっていたりするのか、由貴は遠慮がちにしつつも、素直に椅子に腰かけた。圭一の後ろという定位置を離れ、椅子を引いて、はるかと隣合うような位置に座った。
「え……?」
戸惑っていると、手を伸ばして頭を撫でられた。
由貴の表情はというと、楽しそうに笑っていた。ぬいぐるみを撫でるみたいな癒し効果でも感じてくれているのだろうか。
「あの、由貴先輩?」
「ふふ。はるかちゃん達が昴に付き合ってくれたので、そのお礼ですよ」
「あ、先輩、ならあたしもしてほしいです」
「ええ、いいですよー」
すると飛鳥まで椅子を寄せてきて、三人が寄り添うような形になった。由貴が端にいると撫でにくそうなので、はるかと位置を入れ替わる。で、また撫でられた。
軽く抱き寄せられたままそうしていると、何だかふわふわした心地になってくる。
「何だろうね、これ」
一人、取り残された圭一がぽつりと呟いた。
たぶん、それは誰にもわからないんじゃないかと思われた。
そんなこんなで時間が流れていき、いつもなら料理の練習を始めるくらいの時間になった。しかし、先程の余韻もあって、雰囲気的に何かを始める感じでもない。今日はこのまま解散かな、と思っていると。
不意に、カフェ入口のドアが開かれた。
「あら?」
由貴が首を傾げつつ、椅子から立ち上がった。はるか達も振り返って入り口を見る。
昴だろうか。そう思ったが、入ってきたのは別の人物だった。
そっと店内に足を踏み入れ、きょろきょろと室内を見回しているのは。
「妹尾さん?」
意外にも、制服姿の司だった。手に鞄と体操着袋を提げているので、部活帰りのようだ。
「知り合い?」
「はい。クラスメートです」
圭一の問いに答えると、由貴が微笑んで司を出迎えた。
「いらっしゃいませ。『ノワール』へようこそ」
「……あ、えっと」
司は由貴の笑顔と、それからメイド服を見て口ごもる。
それから、はるかの方を見て。
「小鳥遊さん達に用があって来た……んですけど、いいですか?」
(私に?)
いったい何の用だろう。そもそも、司がここに来ること自体がびっくりなので、用件については全く想像がつかない。
「ええ、もちろんです。こちらへどうぞ」
とりあえず様子を見ていると、由貴はそう言って司を案内した。先程まで自身の座っていた椅子ではなく一番手前のテーブルに座らせる。それから、はるか達へ視線を向けた。はるかは頷き、飛鳥と目配せしあって席を立つ。
二人が司と同じテーブルに着くのを満足そうに見て、由貴は再び司を見る。
「何かお飲みになられますか?」
「あ、いえ。お構いなく」
やや固い声で司が答えると、由貴は一礼してテーブルを離れた。そのまま隣の部屋へ移動していったので、たぶん、司の分も紅茶を用意してくれるつもりなのだろう。
ともあれ、はるかは正面へと視線を戻す。位置的には司とはるかが向かいあい、飛鳥はその間に座る形になっている。
「えっと、話って?」
一呼吸おいて話を促すと、向こうもそれで思考を切り替えたようだった。頷いて、はるかの方を見つめてくる。何故かその目はまず、はるかと飛鳥の衣装に向いた。
「あ、うん。……っていうか、すごい格好だね」
「あはは。似合ってないかな?」
「いや、似合ってはいると思うけど……」
眉を顰めているところを見ると、あまり感心はしていないのだろう。彼女のイメージ的にも、あまりこういうのが好きそうには見えないし。
「まあいいや。そんなことを話しに来たんじゃないし」
そう言うと、司は小さくため息をつく。
きっ、と彼女の眼光が鋭くなり、
「小鳥遊さん。どういうこと? 話が違う」
はるかを睨むようにして、司はそう言ってきた。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。怒気の孕んだ女の子の視線は、男子のそれとは別の怖さがある。また、そうでなくとも、多分はるかは腕力で司に勝てないだろうし。
ただ、今の状況では恐怖よりも先に、疑問の方が先に立った。
「えっと、ごめんなさい。なんの話?」
司から「話が違う」なんて言われる理由が思いつかなかったのだ。
そもそも、司とは普段、殆ど会話すらしていない。それで話が違うと言われても……。
(あ)
いや。そういえば最近、司と二人で話をした事があったか。体育の授業中に、プールサイドで。確か、あの時に話をしたのは、
「昴の、こと?」
尋ねたというよりは思わず口をついて出ただけだったが、司はそれに頷いてみせた。
「そう。何で間宮さんがあいつと付き合ってるの?」
「え、何で、って……」
「ちゃんと答えてよ!」
口を開くたびに語気が荒くなり、最後には殆ど怒鳴るような状態だった。
「ちょ、ちょっと待った! よくわかんないけど、落ち着いてよ、妹尾さん!」
慌てて飛鳥が割って入ってくれて、とりあえず司も収まってくれた。
そこに、いつの間に戻ってきたのか、由貴が三人分のティーカップをテーブルへ置いた。司の分だけでなく、はるか達の分まで淹れなおしてくれたらしい。
「ありがとうございます、由貴先輩」
お礼を言うと、由貴はにっこり笑ってその場を離れていく。聞き耳を立てるつもりはない、という意思表示か。見れば、圭一も我関せず、といった様子でカップを傾けている。二人とも人間が出来ている。
(それなら、二人の信頼に応えないと)
はるかは嫌味にならない程度の笑顔を作って、司に言った。
「ごめんね。順を追って話させてくれると嬉しいな」