出会いの季節 3
「はるかって、胸はパッドとか入れてるの?」
「え。う、うん。ちょっとだけ入れてるよ」
幸い、翌朝は寝坊せずに起きられた。昨晩ぐっすりと眠れたため、疲れも大分取れている。洗顔とうがいを済ませてすっきりすれば、頑張って初日を乗り切ろうという気力も沸いてきた。
しかしその直後、はるかはさっそく新しい問題に直面した。そう。着替えである。
「そうなんだ。ね、ちょっと触らせて?」
「だ、駄目だよ。恥ずかしいから」
飛鳥と秘密を共有したことで心配事は減ったが、だからといって性別の差が無くなったわけではない。男女が同じ部屋で着替えるのは問題があるだろうと思い、洗面所で着替えようとしたところ、当の飛鳥にそれを止められた。
「気にしなくていいよ、そんなの。むしろ他の人に見られたら不自然じゃない」
彼女の発言にも一理、なくはなかった。
何より強硬に反対しても許してくれそうになかったので、恥ずかしいのを我慢しつつ部屋で着替えることにした。
けれど、すると今度はお互い下着姿のまま密着され、質問責めに遭った。
「そういえば体育の着替えとかどうするの? 興奮しちゃったりしない?」
「たぶん、平気だと思う。割と気の持ちようでなんとかなるみたいだから」
彼女はとても良い子だったが、やっぱり少し感性がズレているのかもしれない。
パッド入りのブラを着けた胸を揉まれながら、はるかはそう思った。
そんなやり取りがあったせいか、初日にして「気にし過ぎは身体に毒」だと悟る。
ちなみにはるかは姉が身近にいたこともあって、比較的異性の裸や下着姿には耐性がある。入学前に女装しての生活もそれなりに体験していたので、強いて意識しなければ生理的な反応は割合抑えられる。もちろん、恥ずかしいのは恥ずかしいので極力遠慮したいが。
(というか、心配してくれるなら下着姿で密着するのを止めてほしい……)
胸が小さいとはいっても飛鳥は女の子。触れ合った肌の感触は柔らかくて心地良かった。
そんなやりとりがあった後、ようやく制服へ着替えを済ませる。
清華学園高等部の制服はシンプルなブレザータイプだ。制服は本校と共通で、デザインははるかの姉が通っていた頃と変わっていない。はるかにとっては憧れの制服との再会ということになる。まさかこの制服を自分で着ることになるなんて、当時は夢にも思わなかったが。
実際に真新しい制服を身に纏うと、なんだか不思議な感慨があった。
「うん。はるか、すごく可愛いよ」
「ありがとう、飛鳥ちゃんもとっても似合ってる」
昨日の飛鳥には男だとバレたが、はるかは飛鳥と二人きりの時も女の子としての振る舞いを崩さないと決めていた。どんな切っ掛けで正体がバレるかわからないと思ったのと、単にそうしていないとすぐボロが出る危険があるからだ。
着替えを終えたら、寮の食堂で朝食を摂った。食堂はまだ新しさが残っており、最近の建物ということで内装もどこかお洒落だった。外壁等の色調は淡いグリーンで統一され、爽やかさと可愛らしさを感じる。当然、食堂で食事を取っているのは女子生徒ばかりで、はるかは少しばかり居心地が悪かった。
食事の後は、時間を気にしつつ二人で体育館に向かった。入学式に出席するためだ。
体育館に入ると、既に多くの人がそこに集まっていた。多くは在校生を含めた分校の生徒達で、保護者の姿は少ない。おそらくこれは交通の便の問題だろう。はるかの両親は仕事の都合で式には不参加だったし、飛鳥も実家が遠方のため両親は来られないらしい。
式が始まる。入学式の内容に特別変わったところはなく、良く言えば伝統的な、悪く言えば退屈なものだった。飛鳥などは式の間、はるかの隣で何度も欠伸を噛み殺していた。そんな中、はるかは一応真面目に参加していたが、興味を惹かれたのは唯一、式の最後に行われた新入生代表の挨拶くらいだった。
「――この三年間が実りあるものとなるよう、励んで参ります。新入生代表、間宮昴」
新入生代表の挨拶を務めたのは、長い黒髪の女生徒だった。すっと背筋を伸ばして壇上に立ち、手にしたメモに殆ど見ず前を向いて話す姿はとても様になっていた。容姿自体も整っていたが、それ以上に美しい仕草に目を奪われた。
「以上をもちまして、私立清華学園分校の第五回入学式を終了いたします。ご来賓、保護者の皆様はどうぞお近くの方からご退出ください」
挨拶を終えた昴が一礼し、壇上から降りていく中アナウンスが流れた。入学式が閉幕となり、保護者達が少しずつ体育館から退出していく。続いて在校生が退場し、新入生は最後だった。
「新入生の皆さんは教師の誘導に従い、二列で教室に移動してください」
移動の指示に従い、教師達の誘導のもと列になって教室まで移動した。一年生の教室は三階で、教室に着いたあとは簡単なホームルームが行われるらしい。
「そういえば、はるかって何組?」
道中、隣に並んだ飛鳥がふと尋ねてきた。所属クラスは事前資料や学生証に記載する形で生徒達に伝達されているので、既に把握している。
「えっと、A組」
「あ、じゃあ同じだ。良かったー」
「うん。私も嬉しい」
笑顔になった飛鳥に、はるかも微笑みを返した。他に新入生に知り合いもいないので、飛鳥と一緒のクラスなのは心強い。一学年は三クラスなので、確率上はそれなりに幸運かもしれない。それとも、同室の生徒は同じクラスになる仕組みだったりするのだろうか。
「自分のクラスに入ったら、出席番号順に座って待機してください。すぐに担任の先生が来ますので、そうしたらホームルームになります」
三階に着くと誘導の教師からそんな風に指示があった。詳しい出席番号順は正面の黒板に掲示されていた。それに従うと、飛鳥とはやや席が離れている。
「はるか、また後でね」
「うん」
手を振り合って飛鳥と離れ、自分の席につく。担任が来るまでの間にとクラス内を軽く見回すと、間宮昴の姿を見つけた。周囲と談笑する生徒もいる中、静かに前を向いて座っている。
彼女も同じクラスなのだと思うと、少し嬉しくなった。
しばらくして担任がやってきて、ホームルームが始まった。
担任の挨拶や時間割の配布などが淡々と進んでいく。このまま何事もなく終われば良かったのだが、案の定そうはいかなかった。最後に大きなイベントが待っていたのだ。
「それでは、順番に自己紹介をお願いします」
ホームルームの最後に担任がそう宣言すると、途端に教室内がざわめきだした。
クラスメート達の悲鳴や歓声を上げる中、はるかもまた緊張で身を固くする。はるかは緊張に弱く、大勢の人に注目されるようなことは大の苦手だった。
入学時や進級時の恒例なので自己紹介があること自体は予想していたが、同時に心の中で自己紹介が無ければいいなと願ってもいた。生憎、その願いは叶わなかったが。
一方、出席番号一番の飛鳥は堂々としていた。
「奈良から来ました、一ノ瀬飛鳥です。仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」
彼女の態度に羨望を覚えていると、飛鳥は自分の自己紹介の終わり際にちらりとはるかに視線を向けた。気にしてくれている。そう分かって彼女に微笑みを返しつつも、既にはるかの思考はパニックになりかけていた。
そんな状態のままあっという間に順番がやってきて、深呼吸の後ゆっくり席を立つ。
「小鳥遊はるかです。東京の中学に通っていました」
(落ち着け、落ち着け)
自分に言い聞かせながらそこまで言うと、少し気持ちに余裕が出てきた。それが逆にいけなかったのか、クラス内の視線が自分に集まっているのを感じてしまった。
(あ、駄目だ)
思った刹那、用意した台詞が頭から全部吹き飛んだ。慌てて思考を巡らせ、咄嗟に浮かんだ言葉を口にする。
「……ふ、不束者ですが、よろしくお願いしますっ」
お辞儀をして着席しても、もはやクラスメートの拍手の音すら聞こえなかった。
しばらく放心状態が続き、何人かの自己紹介の後、昴の番が来る頃ようやく気分が戻ってくる。
「間宮昴と申します。何かとご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、ご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます」
昴の自己紹介は堂々としたもので、緊張した様子も見えなかった。新入生代表挨拶をこなすくらいだから、クラスでの自己紹介くらいはどうってことないのだろう。
(間宮さんはやっぱり凄いな……私とは大違いだ)
やがて全員の自己紹介が終わり、ホームルームも終了になる。すると飛鳥がすぐはるかの席までやってきた。
「お疲れ様―、はるか」
「うん。飛鳥ちゃんもお疲れ様」
「大丈夫だった? すごく緊張してたけど」
やはり飛鳥も気にしてくれていたようで、そんな風に声をかけてくる。
「うん。なんか頭真っ白になっちゃって。やっぱり変だったよね」
あはは、と小さく笑って言うと、飛鳥は微妙な表情を浮かべる。
「……あー、うん。変っちゃ変かもだけど。まあ、いいんじゃない?」
「え。なんか余計不安になる……」
その意味合いがわからず視線で説明を求めたが、飛鳥はそれ以上は答えてくれなかった。なのではるかももう、そのことは気にしないことにする。
「それはともかく、帰ろ?」
「うん、そうだね」
鞄を持ち、二人で連れ立って教室を出た。体育館から教室まで来る際、昇降口までの経路くらいは把握できているので迷うことはなかった。
廊下を歩く間、話題に上ったのは放課後の過ごし方についてだった。
「はるかは放課後、遊びに行ったりとかする方?」
「え? うーん……中学まではあんまりしなかったんだけど」
飛鳥に聞かれ、少し返答に迷う。この場合、中学までの経験を参考にしていいものか。
迷った挙句、かねてから考えていたことを口にした。
「せっかくだから高校では何か部活に入ろうかなって思ってるんだ。だから、あんまり遊んだりとかできないかも」
すると飛鳥も納得したように頷いた。
「そっか。高校デビュー的なあれ?」
「って、言っていいのかな。こういう場合」
はるかの場合、抱えた裏の事情のせいで何から何まで新しい事だらけだ。なので否応なく心機一転、一からやっていくしかない。そういう意味では当てはまるのかもしれない。
「ほら。折角なんだから何かやってみたいな、って思って」
「なるほどねー……何部にするかは決めてるの?」
「……実はそれが思いつかないんだよね」
事前に学校案内のパンフなどでも部活動の紹介は見たが、いまいちピンと来る部が思い当たらなかった。中学時代はるかは帰宅部で、趣味もこれといってない。
「とりあえず、実際に入学してみてから本格的に考えようかなって」
パンフから情報なんて文字中心の僅かな情報だけだったし、実際に学校生活を初めてみた印象はまた全然別だろう。だから、もし入学後、興味を引かれる部が見つかればそこに入部するつもりでいた。
「そっか。……じゃあ、まずはあそこに突っ込んでいくことになるね」
気づけば、ちょうど一階の下駄箱前。
飛鳥がそう言って視線を向けたのは昇降口の外側だった。
そこでは昇降口前の道を埋める人、人、人。
「部活勧誘。これも入学直後の定番でしょ?」