純情少年と恋の手紙 4
まただ。
翌週、月曜日の登校中。はるかは「それ」を感じると、すぐに背後を振り返った。
とこどころ緩やかな曲線を描きつつも、基本的には真っ直ぐな通学路が見える。そこには当然、校舎に向かう生徒達の姿が数多く見受けられる。
けれど、はるか達の方を見つめる視線の主を発見することはできなかった。
(うーん……)
気づけば、視線の気配自体も消えている。
何の収穫もないまま、はるかは仕方なく視線を正面に戻した。
「はるか、何かあった?」
そんなはるかの様子に気づいた飛鳥が尋ねてくる。ここ最近、何度か繰り返しているやり取りだ。
これまでは、何でもないと笑顔で答えていたのだが。
「最近、よく誰かに見られてる気がするんだよね……」
はるかはため息混じりにそう答えた。
「どの人?」
「それが良くわからなくて」
「気のせい、ではないんですよね?」
「たぶん。私も最初はそう思ってたんだけど」
似たようなことが最近、連続して起こっているのだ。
例えば登校時の通学路や、昼休みの廊下、下校時の昇降口など。場所は様々だが、頻繁に誰かからの視線を感じる。振り返って確認しているが、人が多いせいでいつも特定できていない。多分、相手もはるかに見つかるのを警戒しているのだ。
そう答えると、飛鳥と昴もきょろきょろと辺りを見回す。しかし、やはり何も見つからない。
「ふむ……」
顔を進行方向に戻した飛鳥が、何やら顔に手を当てて唸り始めた。
昴と顔を見合わせながら様子を見守ると、やがて彼女が呟く。
「男の子かな」
「男の子?」
発言の意図がわからず、はるかはおうむ返しに聞き返した。
「はるかのことが気になってる男子が、こっそり見てるんだよ」
「いや、ないない」
「……即答でしたね」
間髪入れず否定すると、横で昴が目を丸くしていた。
「だって、そんな物好きな人いないよ」
気にするなら他にいくらでも可愛い女の子がいるだろう。それなのに、何故はるかをターゲットに選ぶのか。
「そんなことはないと思いますが」
苦笑を浮かべた昴が、そこでふと思いついたようにはるかに尋ねる。
「もし、仮にそうだとして、その方から告白されたら、はるかさんはどうしますか?」
(男の子から、告白されたら?)
「断るよ」
相手がどんな人か、とか考えるまでもない。
同性と付き合う趣味はないし、あったとしても正体を隠したまま付き合うのは相手が可哀そうだ。なので、交際するとかは百パーセントありえない。
「これも即答だったねー」
事情を知っている飛鳥は、そんなはるかを見てくすくすと笑う。
「そうですか」
昴もまた、何やら笑顔を浮かべて頷いていた。
そのうちに三人は昇降口まで辿り着いた。下駄箱で上履きを履き替えようと扉を開くと、
「……あれ?」
ひらりと、何か薄い紙が床に落ちた。はるかの下駄箱の中に入っていた何かが、扉を開いた際に飛び出したらしい。
拾い上げると、それはメモ用紙のような白い紙片だった。
『放課後、三階奥の空き教室まで来てください』
メモにはそう、手書きの文字で書かれていた。
筆跡からして多分、書いたのはおそらく男子生徒だ。
男子からの、呼び出し。
話の流れ的に、一つ思い浮かぶシチュエーションがあるのだけれど。いや、まさか。
と、微妙に悩むはるかの背後から、
「あれ、本当に告白される流れ?」
そのメモを覗き込んだ飛鳥が、どこか楽しそうに声を上げた。
―――
「行って来たら?」
その日の昼休み。あの呼び出しについて相談すると、飛鳥はあっさりそう言った。
食事の場所は例によって学食。今日のメニューはオムライスを選んでみた。出て来たのはチキンライスを包んだ卵の上にケチャップのかかった、オーソドックスなそれ。一口食べれば、想像した通りの旨味が口に広がった。なんだか安心できる味だ。
「大丈夫かな。ちょっと、不安なんだけど」
飛鳥の返事があまりにあっさりしていたので、不安になって再度尋ねる。
しかし、やはり飛鳥の反応は軽かった。
「大丈夫だってば。別に襲われるわけじゃないし」
豚の生姜焼き定食を口に運びつつ、こちらを碌に見もせずに言う。
すると、ハヤシライスをすくう手を止めて、昴が眉を顰める。
「襲われるって……縁起でもないことを言わないでください」
光景まで想像してしまったのか、彼女はぎゅっと目を瞑っていた。
つられて想像してみると、確かに少し怖い。万が一そうなったとしても、はるかが抵抗すればいい話だけれど。
「まあ、さすがに襲われたりしないだろうけど」
飛鳥としても冗談のつもりだったらしい。くすっと笑って。
「断り方くらいは考えておいた方がいいかもね」
「……ああ、それで飛鳥さんは平然としていたんですね」
飛鳥の発言を聞いて、昴がほっと息を吐く。そんな彼女の言葉で、はるかも状況を理解した。はるかが告白を断る前提で考えていたので、飛鳥は返事があっさりしていたようだ。
二人の反応を見て、飛鳥は逆に首を傾げる。
「え? 断るんでしょ?」
「うん、そうだね。断るよ」
はるかは微笑んで答えた。もちろん、最初から断るつもりだ。飛鳥の反応が淡泊だったのでびっくりしていただけで、他意はない。
「確かに。どうするか決まっているなら、悩む必要もないよね」
「でしょ?」
「じゃあ、放課後、ちょっと行ってくるよ」
「ん」
二人で頷き合う。その様子を、昴が微笑んで見守ってくれていた。
―――
そして、放課後。はるかは一人、指定された空き教室にやってきた。
飛鳥達からは「先に部活に行っている」と言って送り出された。少し薄情なような気もするが、それだけ信頼されているということか。
(呼び出した人は、まだ来てないか)
空き教室には誰もいなかった。具体的な時刻指定が無かったので、ホームルームが終わってすぐに来たのだが、どうやら早すぎたようだ。たぶん、待っていればそのうち来るだろう。
暇つぶしがてら窓際から外を眺めていると、少しずつ廊下が静かになっていく。
やがて吹奏楽部が練習を始め、どこかから楽器の音色も響き始めた、そんな頃。
ようやく、空き教室の入り口で音がした。
振り返ると、一人の少年が教室に入ってくるところだった。
「え、と。遅くなってごめん」
顔を上げ、はるかの姿を見ると、彼はぎこちない表情でそう言った。それから入り口の戸を閉めて教室内に入ってくる。
「待った?」
「いえ、大丈夫です」
今来たところです、と言いそうになったが、止めた。彼とは恋人同士でも何でもない。
とりあえず、そっと少年を観察してみる。
クラスメートではなかった。顔にはあまり見覚えはないが、何度か見かけた覚えはある。胸元に着けたピンの色からして一年生のようだった。
(格好いい、といえば格好いい、のかな?)
痩せても太ってもいない、普通の体型。身長は百七十センチ弱くらいで、顔立ちはそこそこ整っている。ただ目立って美形という程でもなく、格好良さよりは愛嬌の感じられる顔立ちだった。
そこまで把握する間、彼はただ無言だった。話の切り出し方に迷っているように見えたので、仕方なくこちらから切り出す。
「あの、何かご用、なんですよね?」
「あ、うん」
尋ねると彼は頷いたが、その後、まあ黙り込んでしまった。
やや下を向き、もじもじと僅かに身体を揺らめかせている。いかにも、という感じの反応だった。
(あー……)
思わず、心の中で微妙な呻き声を上げてしまう。
正直、ここまで来てもまだ、はるかは半信半疑だったのだ。けれど、この反応は本当に告白なのかもしれないと思えてしまう。
となれば、彼の話を聞いたうえで断らなくてはならない。
(それはちょっと気が重い、かな)
そんなことを考えながら、はるかは彼が口を開くのを待つ。あまり急かすのも可哀そうだし、きっと彼も精一杯、言葉を絞り出そうとしているはずだ。
(何て言われるんだろう)
告白を待つ間、頭の中でシミュレートしてみる。
――好きです。
――付き合ってください。
――前から君のことを見てた。
――俺の彼女になってください。
男子からの告白なんて当然初めてだが、ありきたりな想像ならいくらでもできた。
それから、はるかはふと、想像したフレーズを、目の前の少年に当てはめてみる。あまり押しの強い方ではないらしい彼が、顔を真っ赤にして「好きだ」と言う場面を想像して、
(……いやいや)
すぐに恥ずかしくなってイメージを打ち消した。
けれど、一度頭に浮かんだ光景は完全には消えてくれない。かすかに残ったイメージが、はるかの鼓動を意味もなく高めていく。まるで彼にときめいているかのように。
こういう時は、状況に流されやすい性格が恨めしい。
物凄い居心地の悪さに、やはりもう一度、彼を急かそうかと考える。
それでもなんとか我慢して、更に彼の言葉を待ち続けて。
「あのっ、これっ……」
ついに口を開いた少年は、可哀そうになるくらい切羽詰まった表情で。
ズボンのポケットから取り出した四角い何かを、はるかに向けて差し出した。
「受け取ってください!」
どくん、と、ひときわ大きな心音が聞こえた。
鼓動を必死に堪えながら、はるかはそっと手を伸ばす。
差し出された、手紙の入っていると思しき封筒――白地に二本のラインで縁取られたそれを受け取り、表面に書かれた文字を視線でなぞって。
(ああ)
深々とした感慨を、ため息に変えて吐き出した。
――封筒に書かれていたのは、こんな文字だった。
『間宮昴様』
たった四文字の記載、手紙の宛名を見て、全てを理解した。
すっと肩の荷が下りるのを感じながら、はるかは彼ににっこりと笑いかける。
これ、どうしたらいいんだろう。と考えながら、
「もう少し、詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
とりあえず、彼にそう言った。




