純情少年と恋の手紙 2
放課後になると、はるか達はいつもの通り部活へと向かった。
昨年、部室棟の一角に設置された私設のカフェ『ノワール』。学校側からは部活動として承認されているそこは現状、諸々の事情から殆ど来客の無い開店休業状態だ。
この日も平常通り、はるか達を迎えたのは部員である先輩達だけだった。
「やあ、三人とも」
「いらっしゃい、皆さん」
カフェ最奥、窓際の席に座る制服姿の少年と、その傍に控えるメイド服の少女。
二年生で部長の香坂圭一と、同じく二年生で、圭一に仕えるメイドでもある姫宮由貴だ。彼ら二人にはるか、飛鳥を加えた四人が『ノワール』のメンバーである。
昴も用の無い日は大概ここに来ているが、部員ではない。何度か入部を誘ってもいるのだが、彼女はそれを拒否し、客としてここに通い続けている。現状ではたった一人の常連客だった。
「やっぱり、ここは涼しいですね」
二人に挨拶をした後、はるかはカフェ内の涼しさに声をこぼした。『ノワール』の店内、および隣の控え室は空調が完備されている。六月に入ってだいぶ暑さも増してきたので、最近になってそれが活躍するようになってきた。
まだ夏本番には遠いので、室内の温度を一定に保つ程度の軽い冷房ではあるが、それでも外気との差はやはりある。ほっとする涼しさだった。
この空調設備は部長である圭一が私費で設えたのだそうだ。カフェに来た客に暑い思いをさせるわけにはいかないから、というのが主な理由らしいが、はるか達部員にとってはもう一つ、大きな意味があった。
「それじゃあ、私達は着替えて来ちゃいますね」
それが、これ。暑くなってきてもカフェの制服(?)をこれまで通り着られることだ。
はるかは、由貴とお揃いのロングメイド服。飛鳥は女性用にアレンジされたタキシードを着るのがここでの慣例になっている。どちらの衣装もしっかりしているだけあって暖かいのだが、空調のおかげで着ていても汗をかかずに済む。これならもっと暑くなっても同じ衣装を着ていられるだろう。割と気に入っている衣装なので、なるべく汚したり匂いを移したりしたくない、というのははるかと飛鳥、二人の共通の意見だった。
隣の部屋で衣装に着替えて戻った後は、しばらく雑談などでのんびりと過ごした。
雑談の話題は学校での出来事などが中心だが、さすがにそう毎日話題も続かない。そのため最近は思い思いのことをして過ごす時間も増えた。多いのは宿題を広げるパターンで、今日も一年生の三人は数学の課題をカフェ内で片づけた。合間に雑談を挟むので結構時間はかかるが、試験勉強でもないのでそこは気にしない。
そうして約二時間が経過した頃、おもむろに由貴が告げる。
「さて。それじゃあ、今日もそろそろ始めましょうか」
「はい、お願いします」
それに答えて、はるかは飛鳥と一緒に立ち上がる。
始めるというのは、料理の練習のことだ。以前から散発的に行っていたが、ここ数日はそれを毎日行っている。
こうなったきっかけは、今週の月曜日、『ノワール』新たな来客があったことだ。
訪れたのは、はるか達の担任である乃木坂真穂。彼女はカフェの雰囲気と由貴の淹れるコーヒーの味が気に入ったのか、「気が向いたらまた寄る」と言い残して帰っていった。
そして、それを聞いた昴が、翌日の火曜日に部員一同へ提案した。
「もう少し、本格的にレッスンを行ってみては?」
真穂が本当にまた来てくれるかはわからないが、こういう風に客が訪れることは今後もあると思う。そうした場合、現状では接客を由貴が担当することになり、自然とその日ははるか達へのレッスンも行えなくなる。
もともと将来的に客を呼び込む予定なのだし、人が増えて練習の暇が減る前に、はるか達へ各種のレッスンを行ってはどうか、というのが提案の趣旨だった。
「なるほど。一理あるね」
「そうですね」
そんな昴の提案に、圭一や由貴も理解を示した。
「はるかちゃん達さえ良ければ、しばらくそうしてみましょうか」
と、最終的な判断は当のはるか達に任されたが、はるか達はその提案を受け入れた。
「はい、よろしくお願いします」
「あたしも賛成」
こうしてそれ以降、毎日頃合いを見計らっては料理の練習を始めるのが恒例になった。出来上がった料理は夕食代わりに皆で食べ、その時ついでにお茶を淹れる練習もする、という流れだ。
「それで、今日は何をしましょうか?」
飛鳥と由貴、三人で隣室に移動した後、はるかは由貴に尋ねた。なお、調理を始めるにあたり、飛鳥はタキシードの上からエプロンを身に着けていた。はるかと由貴はもともとエプロンを着けているのでそのままだ。
「そうですね……では、チャーハンでも作ってみましょうか」
はるかの質問に、由貴は少し考えたあとそう答えた。
「わかりました」
チャーハン。割とシンプルだが、奥深い料理だ。これまで作ってきた料理はオムレツ、ベーコンエッグ、卵焼きなど卵料理中心だったので、ちょっとステップアップした感じがする。
作り方は大雑把に言うと、油を引いたフライパンで卵やご飯、具材を炒めて混ぜ合わせる。後は皿に盛りつけるだけ。
「……あれ、それだけですか?」
「ええ、まあ。シンプルな料理で、結構人によって作り方が違う料理なんですよ。一概にこうすれば良いと言いづらいので、好きなようにやってみてください」
「なるほど……」
細かいところは個人の裁量次第、ということらしい。そういえば、卵とご飯を混ぜてから作るとか、そういうチャーハンの調理テクをテレビでも見た気がする。
ああいうのがアレンジの例かと納得しつつ、実際に料理を始める。
好きなようにと言われたものの、あまり変なことをするのも怖いので、はるかは普通に作る。卵に葱、ハムを具材に、塩と胡椒で仕上げる。チャーハンはシンプルな方が個人的にも好みだ。分量は飛鳥が作る分も考えて、一人前と半分くらい。
火加減などに注意しつつ、無難な感じに仕上げた。
「お待たせ、飛鳥ちゃん」
「お疲れ様、はるか」
出来上がったチャーハンを皿に盛り付け、キッチンを簡単に整えたら飛鳥にバトンタッチ。一度に二人がコンロを使うスペースはないので、調理は一人ずつだ。
(飛鳥ちゃんも、私とそんなに変わらない感じかな)
はるかと同じ具材に、レタスが加わったくらい。後は特に変わったところはなさそう、と思っていたら、味付けのところで驚くことになった。
(焼肉のタレ!?)
ああいうのもアリなんだ、と妙な感心をしてしまった。
二人のチャーハンが出来上がったら、調理中に由貴が用意していてくれたサラダと一緒にカフェのテーブルに運び、皆で食卓を囲んだ。いただきます、の声が唱和する。
チャーハンに紅茶やコーヒーは合わないので、飲み物はペットボトルのウーロン茶をグラスに注いだ。チャーハンの皿は中央に置いて、小皿に取り分けて食べる。
「そういえば、由貴先輩。香坂先輩の分は良かったんですか?」
「ええ、今日は皆で取り分ける料理なので。ちょっと手間もかかりますし、手抜きしちゃいました」
「僕も小鳥遊さん達の料理を試食したいしね。気にすることはないよ」
「お口に合いますか?」
「うん。美味しいよ」
そう言って圭一は微笑む。普段、紅茶を飲んで優雅に座っている彼がチャーハンを食べている姿は少々シュールだが、案外、こういう食事も嫌いではないようだ。
そんな風に彼を見つめていると、今度は苦笑された。
「僕もチャーハンくらい食べるよ。寮での食事は食堂だしね」
「あ、そういえばそうですよね……」
既に一年間、この学校で生活しているのだ。ある程度、庶民的な生活にも慣れていて当たり前だ。
すると、静かに料理を口に運んでいた由貴が嘆息する。
「本当は、私がお世話できればいいんですけど」
「年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりするのは問題があるでしょう」
昴の言葉に、飛鳥がちらりとはるかを見た。
(見られても何も言えないからね)
「香坂先輩なら、島内に家を用意したりとか簡単そうですけど」
「まあ、できるけど」
と、圭一はあっさり肯定し、続けて言う。
「それはつまらないかな、と思ってさ」
「ふふ」
そう答えた彼に、由貴が嬉しそうに笑顔を向ける。それを見て、はるかは感じた。
(由貴先輩も、きっとここでの生活が気に入っているんだろうな)
お金持ちの圭一にとって、寮生活はきっと新鮮に映っているのだろう。傍に由貴のような少女がいてくれるのだから猶更だ。
なら、昴はどうなのだろう。
ふと顔を向けると、ちょうど彼女と目が合った。
「……?」
にこりと微笑まれ、はるかは何だかどきどきしながら笑顔を返した。
* * *
今日は危なかった。あと少しで気づかれるところだった。
けれど間一髪。気づかれずにやり過ごせたと思う。
(あの子、小鳥遊さん、って言ったっけ)
登校時の出来事を思い出して、彼は心中で呟く。
顔を背けるのがもう少し遅かったら、たぶん目が合っていた。
もしそうなっていたら、と考えると怖くなる。
少なくとも、落ち着いた対応はできなかっただろう。
(でも、可愛かったな)
冬服の清楚な感じも素敵だが、夏服の活動的な印象も良く似合っていた。
陽光を浴びた彼女の姿を思い出し、一人でにやにやと笑う。
すると、同室の少年に白い目で見られた。
そいつには適当に愛想笑をして誤魔化し、彼は思考を再開する。
明日も、彼女を見られるだろうか。
彼女の登校時間は大体いつも同じだが、必ずではない。
それに今日のようなことが無いとも限らない。
念には念を。朝食は早めに食べて、寮の前あたりでさりげなく待機しておくべきか。
よし、そうしよう。
明日の予定を心に決めた彼は、再びにやにや笑いを始め。
同室の少年にキモいと罵られた。
(仕方ないだろ。自分でも気持ちが止められないんだから)
そう。彼は今、恋をしていた。
しかし、想い人と正面から向かい合う勇気は、彼にはまだないのだった。




