五月病と初夏の日々 エピローグ
結局、事の顛末がどうなったのか。その詳細をはるかは知らない。
真穂との一件を全て話し終えると、飛鳥は何やらスマートフォンを操作した後、おもむろに立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。はるかはここにいてね。絶対だよ」
一体何を思い付いたのか尋ねても答えてくれず、更には強い口調でそう言い聞かされた。
仕方なく、はるかは飛鳥の要求を了承した。その代わりに、何をするにせよ事を荒立てないよう約束してもらった。
そうして飛鳥は飛び出して行き、小一時間ほどで帰ってきた。
その時、彼女は何故か昴を連れていた。
「すみませんでした。変なことではるかさんを疑ってしまって」
昴からはそう言って謝られた。特待生の件は彼女の勘違いだったという結論に達したらしい。二人きりになってから飛鳥を問い詰めると「そういうことになったみたいだよ」と、曖昧な回答をもらった。
「ですから、その。これまで通りお付き合いしていただけると嬉しいです」
「う、うん。わかった。私こそ、心配かけてごめんね」
とりあえず分かったのは、どうやらこれからも生活を続けていけるらしいことくらいだった。
何をしていたのか飛鳥に聞けば、何と真穂に文句を言ってきたのだという。
まさか、はるかの正体にまで言及しあのかと思えば、単に「はるかに迷惑をかけた件」として抗議をしてきたらしい。
「乃木坂先生にプライベートな相談をされていたんですよね? そこで、酷い事を言われたとか」
同席したという昴がそう言っていたので、実際、上手く誤魔化したのは確かなようだった。
なんだか、上手く行きすぎて肩すかしという感じだった。
「ありがとね、飛鳥ちゃん。色々、頑張ってくれたんでしょ」
「んーん。気にしないで。あたしがやりたくてやった事だから」
飛鳥にお礼を言えば、そんな風に返された。
きっとそれは事実なのだろうが、彼女と、そして昴には感謝しなければならないだろう。
―――
月曜日からは順次、中間テストの結果が返ってきた。
真面目な授業態度とテスト勉強のお陰か、はるかは全教科とも赤点を免れた。総合の成績では飛鳥や昴に敵わなかったが、得意の現国はクラスでも上位にランクインしていた。初のテストでこれだけできれば、はるかとしては大満足だ。
それから、月曜日には驚きのイベントがもう一つあった。
放課後、『ノワール』に来客があったのだ。それも何と、やってきたのは真穂だった。
「一ノ瀬さんに一度来てみろ、って言われたから」
気まずそうな様子で顔を出した真穂は、当然会員資格を持っていなかったのだが、圭一によりあっさり入店が許可されていた(お客さん自体が来ないので忘れがちだが、『ノワール』は会員制である)。
「あ、紅茶だけじゃなくてコーヒーもあるのね」
最初はぎこちなかった彼女も、やがてカフェの内装や由貴の給仕にリラックスした様子を見せていた。特に、由貴の淹れたコーヒーは気に入ったらしく、お代わりまで頼んでいた。
ちなみに、はるかのメイド姿には真穂は大いに驚いていた。感想を尋ねれば「まあ、いいんじゃない?」とのこと。男子に厳しい傾向のある彼女にしては褒め言葉だと思うことにした。
「ありがとうございます。乃木坂先生」
そう言って微笑むと、やっぱり困ったような顔をされたが。
「気が向いたらまた寄らせてもらうわ」
帰り際、小さくそう言って微笑んでくれた。
また、部室棟の鍵は予定通り真穂に返却した。放課後の用事もなくなり、また穏やかな日常が還ってくる。
「乃木坂先生が飲むなら、コーヒーの淹れ方も憶えなくちゃね」
「やること、一杯あるね」
「ふふ。いいじゃないですか。私がいくらでも教えますよ」
「ふむ。じゃあ、僕も偶にはコーヒーにするかな」
「でしたら、私も。……けれど、これでお客さんが増えてくれれば言うことは無いですね」
まだ、夏は始まったばかりだった。




