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ロールプレイング・ハイスクール  作者: 緑茶わいん
五月病と初夏の日々
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五月病と初夏の日々 4

 ある日の放課後。乃木坂真穂は、受け持ちの教室を出たところで一人の生徒に呼び止められた。

「乃木坂先生」

 立ち止まって振り返ると、そこにいたのは1-A所属の女子生徒、小鳥遊はるかだった。新学期が始まって一か月以上が経つが、この生徒と言葉を交わした経験は少ない。ましてや、このタイミングで声をかけられたのは初めてだ。


「どうしたの、小鳥遊さん?」

 だから、少し不思議に思いつつそう問い返した。

 すると、おずおずと用件を切り出してくる。

「体育祭のことで相談があるんですけど……大丈夫でしょうか?」

「体育祭のこと?」

 それもまた意外な台詞だった。真穂は1-A女子の体育も受け持っているが、小鳥遊はるかは決して運動神経が良い方ではない。この間の授業では徒競走で思い切り転倒していたし、所属する部活動も文化系だ。

 なので、積極的に体育祭のことを気に掛ける生徒ではないと思っていたのだが。


(それとも、体育祭の参加種目を変えてほしい、とか?)

 確か障害物競走にエントリーしていただろうか。まあ、種目が何であるにせよ、一度決まったものは基本的に覆せない。よほどの事情がない限り、駄目だと言って諭すことになるだろう。

「はい。実は……」

 そんなことを思いながら話を聞くと、はるかの話は想像とは違った。体育祭に向けて個人的に身体を動かしたい、というポジティブな相談だった。


「へえ」

 思わず、口から感心の声が漏れた。

 体育教師である真穂は当然、運動が好きだ。生徒が積極的に運動しようとしていると聞いて悪い気はしない。

 そういうことなら、突然真穂に相談を持ちかけてきたのも頷ける。

「それは、障害物競走自体の練習がしたいわけじゃないんだよね?」

 そう尋ねると、はるかはすぐに頷いた。

「はい。軽く身体を動かせれば十分です」

「うん、了解」

 そういうことなら、そう広いスペースは必要ないだろう。道具を用意する必要もないので、グラウンドや体育館にこだわる必要もない。

 となると選択は割と広くなる。ある程度広くて、かつ人の出入りの少ない場所ならどこでも良さそうな気がする。ただし、屋上などは床面が固いのであまり適切ではないか。校舎の傍なども同様の理由で却下。


「部室棟に空き部屋があるはずだから、そこの鍵を貸そうか?」

「部室棟、ですか?」

「うん。そこなら人も来ないし、ある程度の広さもあるから」

 そういう意味では空き教室を使ってもらってもいいのだろうが、運動するには机や椅子が邪魔だ。都度、移動していたらそれだけで結構時間もかかってしまう。その点、部室棟の部屋なら備品の類は殆ど置かれていなかったはずだ。

(視聴覚室は、確か演劇部がよく使ってるしね)

「どうかな? もし、走りたいなら敷地内をジョギングとかした方がいいとは思うけど」

 屋外だと他の生徒もよく通るので、そういう意味で好みは分かれるだろう。こういう子はあまり人目のないところの方が、気兼ねなく身体を動かせるのではないだろうか。

 はるかはしばらく考えるようにして、それから頷いた。

「そうですね……それで、お願いしてもいいですか?」

「わかった」

 同じように真穂も頷いてみせた。そうと決まれば、話は早い。


「なら、先生たちにも話を通しておくから。鍵は明日の帰りにでも渡せばいいかな?」

「はい、ありがとうございます」

 案外、簡単に話がまとまった。思えば廊下での立ち話になってしまったので、端的に済むに越したことはない。

「それじゃ、また明日」

「はい。また明日」

 笑顔で会釈するはるかに見送られ、真穂はその場を後にした。

 職員室に向かって廊下を歩きながら、ふと先程のはるかの笑顔を思い出す。

(可愛い顔してるよね、あの子)

 真穂は高校、大学と女子校に通い、大学を卒業後も教師として多くの女子生徒を見てきた。その経験から言って、小鳥遊はるかは可愛い部類に入るだろう。

 染めていない黒髪に、アレンジしていない一般的な制服姿。垢抜けていない真面目そうな雰囲気のせいで目立っていないが、教師としてはそういうところは逆に好感が持てる。

(普通に男の子してれば結構、女の子にも人気があるんだろうけどな……)

 だからこそ彼女――否、彼はもったいないことをしている、と真穂は思う。

 小鳥遊はるかが特待生であること、そして彼が受け持った「設定」について、真穂は担任として学校側から聞かされていた。そのため、はるかが本当は男の子であることも知っている。

 その上で見ても、はるかの女装は見事なものだ。普段の仕草などに時折違和感を感じることはあるが、一見してそうとわからないレベルに達している。容姿に恵まれているのもあるだろうが、きっと本人もそれなりの努力をしているのだろう。

 それが真穂には気に食わなかった。



 そもそも、真穂にしてみれば私立清華学園の特待生制度そのものが疑問だった。

 心理学の新説を検証するために大規模な実験を行う。そのために新しく学校を作る。それは理解できる。けれど、そこに生徒を巻き込むことが気に入らない。

 実験のため、子供たちに高校生活の三年間を「演技」して過ごさせる。

 それが真穂には、子供たちの大切な時間を大人の都合で踏みにじる行為に思えるのだ。

 別に人格者を気取るつもりはない。教師を聖職者だとか思っているわけでもない。

 体育教師なんてやってる都合、若干熱血が入っているのは否定しないけれど。

(高校生活の三年間って、すごく大切な時間でしょ?)

 思うのはただ単に、そういうことだった。

 真穂だってかつては高校生だった。真穂にとって高校生活はとても楽しいものだったし、三十歳手前を迎えた今、振り返って、あれがかけがえのない時間だったとしみじみ思う。


 だから、特待生制度が気に入らない。

 そして、特待生という道を選ぶ生徒たちにも。

 短絡的すぎやしないか、と憤りを覚える。

 特に、小鳥遊はるか。女装なんていう、大きすぎる秘密を抱えて生活している彼のことは特に、我慢がならなかった。

(だからって、本人に辛く当たれるわけじゃないけど)

 はるかのことが気に入らないのは、あくまで真穂個人の感情だ。教師としての対応に私情を挟むことは許されない。

 ただ、まあ。先程の話は少しだけ感心した。

(体育祭とか、最近はあんまり乗り気じゃない子も多いしね)

 子供の身体能力低下が叫ばれる昨今、高校でもやっぱりそうした傾向はある。文化部や帰宅部の生徒の中には、露骨に嫌がる子もいる。個人の興味はどうしようもないが、真穂としては寂しい。学校行事に熱心なのは学校としても嬉しいことだし。


 だから。

(ちゃんと鍵、借りてきてあげなくちゃね)

 そう思った。

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