五月病と初夏の日々 3
数日後の四時限目。週に一度のLHR(ロングホームルーム)では、体育祭の出場種目の割り振りが行われた。まずは体育祭実行委員の生徒が壇上に上がり、黒板に種目名と定員を記していく。その後、一つずつ各種目の希望者を募って定員を埋めていく。希望が定員以上になった場合はじゃんけん等で決定する。
委員の生徒の手際もあってか、種目決めはさくさくと進行した。そしてLHRの開始から数十分が過ぎた頃。
『障害物競走(女子):小鳥遊、一ノ瀬』
はるかは黒板に書かれたその一文を何度も何度も見返していた。
しかし当然、何度見たところで文字が変化することはなかった。
「では、体育祭の出場種目についてはこれで決定します」
そんな中、司会を務めた生徒の声が聞こえた。クラス内で拍手が起こったので、それに倣って拍手をしつつ、はるかはそっとため息をついた。
(個人競技、割り当てられちゃった……)
しかも障害物競走という割合特殊な競技だ。配点までは知らないが、やっぱりそれなりに高いのではないだろうか。
この競技にはるかが割り当てられたのは、主に運の問題だった。
最初に希望者が募られた時、はるかは当然、定員の多い団体種目を希望した。しかし希望した玉入れは他にも希望者が多く、じゃんけんの結果負けてしまった。
その時点で似たような団体種目も既に埋まっていたので、ならせめて激しい運動のない競技を選ぼうとしたとき、実行委員の生徒から提案を受けた。
「小鳥遊さん、障害物競走やらない?」
その時点で女子の障害物競争は希望者がゼロだった。男子側は既に二名の定員が埋まっていたが、女子からは地味で面倒臭い競技ということで敬遠されたのだろう。実際、網くぐりなどで地面を這うパートもあるし、汚れるのが嫌だという気持ちははるかにもわからなくはない。
ただ、はるかにも了承したくない理由があったので、一度は断った。運動は得意でないし、負けてみんなの足を引っ張るのも嫌だから、と。
けれど、それでも相手は引き下がってくれなかった。
「でも、他に良さそうな人がいないんだ。ね、お願い」
聞けば彼女も別に空いた枠を埋めたいだけでなく、はるかが適任だと判断して話を持ちかけたらしい。障害物競走ではもちろん足の速さも関係するが、他にも各種障害を乗り越えやすさが鍵になる。その点、はるかはそこそこ身長があるので平均台を上りやすく、また胸の大きさ的に網くぐり等で不都合が生じにくい。
加えて言えば、運動能力のある生徒は徒競走や中距離走、リレー等に割り当てられている。そのため障害物競走まで担当させるのは酷なものがある。となると確かにあまり残った選択肢は多くなかった。
「駄目かな?」
そうまで言われれば断るわけにもいかず、結局はるかは提案を了承した。
「だったらあたしもやるよ。定員、二名だよね?」
そこですかさず、まだ種目の決まっていなかった飛鳥が障害物競走に立候補した。飛鳥は運動神経も悪くないし、小柄なので適性は高い。もともと希望者がいなかったため空いていた競技なので、反対する生徒もおらず満場一致で決定した。
こうして、障害物競走の担当ははるかと飛鳥の二人に決まったのだった。
なのでまあ、主な原因は成り行きだが、形としては、はるかが自分で決めた種目ということになる。生真面目な性格なせいか、そう思うと頑張らないわけにはいかないな、と思ってしまったり。
「でもごめんね。飛鳥ちゃんまで巻き込んじゃって」
「はるかのせいじゃなよ。あたしが自分で決めたんだし」
ホームルーム終了後、飛鳥や昴と学食で昼食をとりつつ、さっそく先程の種目決めにの件が話題に上った。
ちなみに、今日のチョイスは白身魚のフライ定食。サクサクとまではいかないものの衣の食感も残っていたし、自家製らしいタルタルソースも付いていて中々美味しい。
「飛鳥さんはやりたい競技は無かったのですか?」
「うん。あたし、体育祭とかそんなに興味ないし」
昴の問いに、飛鳥は親子丼をぱくつきつつそう返した。彼女らしいといえばらしい回答だ。まあぶっちゃけた話、運動部の生徒を除いた殆どの生徒にとって、体育祭はどうでもいいか、面倒くさいだけのイベントだろうし。
「昴は大変だよね。リレーのメンバーだもん」
「ええ。そうでなければ、私が障害物競走を引き受けても良かったんですが……」
「気にしないで。私も、最終的には自分で決めたんだし」
令嬢めいた物腰とは裏腹に、昴は文武両道だ。今回の体育祭でも推薦により女子400メートルリレーのメンバーに選ばれており、体育祭の主役の一人と言っても差し支えない。
「私としてはあまり気が進まないんですが、選ばれた以上は頑張ります」
たらこスパを丁寧にフォークで巻き取りつつ、昴はそう言った。
「うん。何もできないけど、応援するね」
「ありがとうございます」
はるかがそう言うと、彼女は笑顔を見せてくれた。
「まあ、決まっちゃったものはしょうがないよ。徒競走とかよりマシだしさ」
「そうだね」
あっけらかんとした飛鳥の言葉に頷きを返す。彼女の言う通り、後悔したところで過去が変わるわけではない。
それよりは、これからどうするのかを考えた方が建設的だろう。
「せっかくだし、少し運動でもしようかな」
「え、本当に特訓するの?」
ふと思いつきで口にすると、そう聞き返された。
「特訓は大げさだけどね。放課後、ちょっと身体を動かしてみるのもいいかなって」
慣れの問題なら慣れればいい。この間、由貴が言った特訓の話からの単純な発想だが、一理あると思うのだ。
体育祭が行われるのは六月第一週の土曜日。週二回の体育だけで勘が掴めるかは微妙な気がするので、それなら授業以外で運動すればいい。
「はるかって時々、妙にアグレッシブだよね」
「駄目かな?」
「や、いいんじゃない?」
そう言って飛鳥は微笑んだ。
「でも、無理しちゃ駄目だよ。そういうとこ、はるかは危なっかしいんだから」
「うん、気をつける」
危なっかしいとか言われるのは若干不本意だが、飛鳥と初めて会ったときのこととかを考えると何も言えない。なので素直に頷いておいた。
昴もまた、そんなはるか達を見て穏やかに微笑んでいたが、ふと首を傾げた。
「ところで、運動と言うと具体的に何をされるのですか? それによっては場所の問題も出てくるかと思うのですが」
「そうだよね。例えば放課後だとグラウンドとか体育館は他の人が使ってるだろうし……」
「朝、寮の周りをジョギングするとか」
「うーん……それくらいなら問題なさそうだけど、できれば放課後の方がいいな」
朝の方が周囲の邪魔にはなりにくいだろうが、授業前に運動してしまうと疲労で授業に集中できなくなりそうだ。そうなってしまっては本末転倒、学生の本分がおろそかになってしまう。
「そうですよね。とすると、校舎の屋上とかでしょうか?」
「勝手に使って大丈夫なのかな?」
そこも場合によっては部活動などで使われていそうな気がする。具体的には吹奏楽部や、演劇部とか。
「その辺は先生にでも聞いてみた方がいいかもね」
「かな」
確かにそれが無難だろう。ついでに、何か良いアドバイスを貰えるかもしれない。
「じゃあ、放課後にでも乃木坂先生に聞いてみようかな」
はるか達が所属する1-Aの担任、乃木坂真穂は体育教師だ。各運動部がどこを使っているかとか、運動できそうな場所の心当たりを相談するのにも丁度いい。それまで具体的なプランは保留にしておくことにする。
「あとはテスト勉強も始めないと、だね」
むしろイベントの順番としてはそちらが先だ。今後のことを考え始めるとまた憂鬱になってくるが、あまりブルーになってばかりもいられない。
「となると、しばらくは部活も不規則になるかなぁ」
「そうですね。……あの二人がどうするつもりかによりますが、由貴達も試験勉強は必要でしょうし。もしお休みになるのでしたら、お二人と試験勉強、とかしてみたいです」
「あ、それいいかも! 昴に教えて貰えば捗りそうだし」
「飛鳥ちゃん、ストレートすぎ……」
そんなこんなで会話は弾み、三人はその後もとりとめのない会話を続けたのだった。