五月病と初夏の日々 2
はるかの秘密。それは、はるかが実は女の子ではないということ。私立清華学園に存在する独自の特待生制度を受け、学校側が進める「実験」に協力しているはるかは、「特待生」として独自の「設定」を演じることを義務付けられた。そこではるかに与えられた設定というのが女子生徒だったのだ。
この設定は本来、なるべく他人に明かしてはならない。飛鳥が秘密を知っているのは、前にちょっとしたハプニングで裸を見られてしまったためだ。それ以来、飛鳥とは秘密を共有する間柄となっている。
(で、たぶん今回のことも私の女装が原因なんだよね……)
高校に入学以降、はるかは女生徒を演じるため常に女装している。また、正体が露見しないよう女の子らしい仕草や口調を心がけていた。男子と女子には様々な違いがあるので、それをカバーするためには努力が必要なのだ。
例えば、骨格や肉付きの違い。これは歩き方などにも影響が及ぶうえ、直接的な矯正もできない。外見は衣装で誤魔化し、また仕草は練習して女性のそれに近づけているものの、突発的な動きや反射的な対応では地が出てしまいやすい。
体育の授業は、まさにその「地が出やすい場面」にあたるのだった。
普段の生活ならともかく、スポーツの場面では無意識に慣れた動き方をしてしまいがちになる。周りの子達を観察しつつ、女の子っぽくなるように振る舞う努力をしているが、そのせいで思考と動作に齟齬が出て「体がうまく動かなくなっている」のだ。
ただ、飛鳥とも話したものの、これについては対策が特に思いつかなかった。要は結局慣れだと思うので、時間が解決してくれるのを待つのがいいとは思うのだけれど。
問題は、そうも言っていられないイベントが迫っていることだった。
「このままだと来月の体育祭が不安で……」
「……ああ。そういえば、もうすぐでしたね」
私立清華学園分校では体育祭を毎年、六月の頭に実施している。体育祭まではもう二、三週間しか残っていない。いまから体育祭までに不調から回復できるかは微妙なところ。
体育祭は全員参加で、かつ一人最低一種目はエントリーしなければならない。そのためはるかも何かしらの種目に参加することになるのだが、もし当日に今日のような醜態を晒したらと思うと、中々に気が重かった。
とはいえ、そこまで心配することでもない、というのもまた事実で。
「まあ、気持ちはわかるけれど。なるようになるんじゃないかな」
「そう、ですか?」
「うん。ほら、個人が目立ちにくい種目とか、得点に絡みにくい種目を選ぶ手もあるしさ」
圭一の言うとおり、例えば体育祭を無難にやり過ごす手段もあった。
体育祭ではA組ならA組、B組ならB組で学年を越えた縦割りチーム制で行われる。チームの勝敗は各種目の結果を元にしたポイントを加算し最終的な合計点で判定するのだが、種目によって得点の比重は違う。責任の軽い種目を選んだり、団体種目に参加すればあまり負担はかからない。
「確かにそうですね」
頷いたはるかに、今度は由貴が言う。少しばかり冗談めかしながら。
「もしくは体育祭までに特訓する、とか」
「また、妙なことを言い出しますね」
これには昴が半目で突っ込みを入れた。つられてはるかも笑ってしまう。
「あはは……特訓は、ちょっと大変そうですね」
スポ根ものの漫画でもあるまいし、できれば遠慮したいところだ。
「ありがとうございます。とりあえず、もう少し様子を見てみます」
皆に話を聞いて貰ったおかげか、話をしているうちに少し気が楽になっていた。はるかは微笑んで圭一達にお礼を言った。
「いえいえ。また何かあったら話してくださいね」
「うん。僕らで力になれることなら協力するよ」
すると、圭一達もそう言ってくれる。はるかの個人的な悩みだというのに、とても有難いかった。心の中であらためて感謝する。
「ああ、それと小鳥遊さん。もう一つ、体育祭の前にイベントを忘れてないかい?」
「え? イベント、ですか?」
体育祭の前に、イベント? 何かあっただろうか。
首を傾げて、前に見たこの学校の年間スケジュールを思い返す。体育祭の前ということは五月の末か。その頃にあるイベントというと、
「あ」
しばらく考えて、ようやく思い至った。思い出してみればむしろ何故忘れていたのかというくらい大きなイベントだった。
「中間テストですね」
まさに今、はるかの頭に浮かんだ言葉を昴が口にした。真面目な彼女らしく、きちんと覚えていたらしかった。いや、はるかだって本当は覚えていてしかるべきなのだ。ただ、体育祭の方に意識が向いてしまっていたから忘れていただけで。
しかし思い出してみれば、そっちもまたかなりの重要イベントだ。
この学校の中間テストは五月末。こちらもあと二週間程にまで迫っている。
「中間テストのすぐ後に体育祭かあ。結構ヘビーですよね」
「テストで貯まったストレスを運動で発散する、っていう意味もあるのでしょうけど。ちょっと大変ですよね」
飛鳥があっけらかんと呟き、由貴が和やかに同意する。そんな彼女達の様子を見ながら、はるかは眩暈がしてくるのを感じていた。
(ちょっとどころじゃない、かも……)
一度は改善しかけた五月病が、また悪化し始めた気がした。




