出会いの季節 1
分校の敷地までは歩いて三十分もかからなかった。
慣れない土地で心配だったが、幸い道に迷うこともなかった。何十人かいた船の乗客殆どが分校の新入生で、皆目的地は同じだったからだ。一日二便しかない定期船の利用者は普段数名だそうで、立地的に不便極まりない場所なのを実感する。
校門の前まで着くとまず、学校の敷地の広さに驚いた。
校舎へ続くメインストリートは数人並べるだけの広さがあり、校門からは終着点が見えないため長さも相当あるようだ。道の両サイドは桜の樹が植えられ、時折はらはらと花びらが舞い落ちている。細い脇道などは舗装されず生の地面が残っていたが、おかげで自然の匂いが感じることができた。
分校の敷地内には校舎や体育館、グラウンドなどの他、部室棟や学生寮など様々な施設が点在しているという。生徒数は三学年で二百数十名。人数から見ると随分贅沢な広さだ。都会の学校と違い、土地の使い方に「遊び」が感じられる。僻地ゆえの穏やかで伸び伸びした生活は、この学校の売りの一つでもあるらしい。
周囲の景色を楽しみつつ、はるかはゆっくりと道を歩いた。
目的地は校舎、ではなくその先にある学生寮だ。寮では数日に渡り新入生の受け入れを行っており、今日はその最終日だった。
「……あった」
まだ真新しい校舎や体育館、グラウンドを横目にしばらく歩くと、ようやく目的の建物が見えてきた。煉瓦造り風の四階建て。木立を隔てて二棟が並ぶそれらの建物が、分校の学生寮だ。男子寮と女子寮に分かれており一階部分が食堂などの共用スペース、二階以降が生徒用の部屋になっている。全室二人部屋で、生徒は基本的に全員がこの寮に入る。
寮の入り口では新入生達が列になって受付の順番待ちをしていた。これを見越してのんびり歩いてきたのだが、まだ混雑が収まりきっていなかったらしい。
行列に並び、しばらく待ってようやく順番がやってきた。受付の女性スタッフに必要書類を提出し、確認してもらう。
「はい。確かに。ええと、小鳥遊はるか……さん、ですね」
書類に目を落としたスタッフはやや間をおき、再度はるかの顔を見つめて微笑んだ。それから書類と引き換えに小さなカードが差し出される。
「こちら学生証になります。紛失しないようにご注意ください。裏面に部屋番号が記載されていますので、確認の上、ご自分の部屋をお探しください」
更にいくつかの注意事項が続き、最後に何か質問はないかと聞かれた。
「いえ、大丈夫です」
そう答えると、彼女はもう一度にっこりと微笑んだ。
「かしこまりました。……それでは、貴方の学園生活が良いものとなりますように」
はるかはスタッフにお礼を言って、寮の入り口をくぐった。入り口奥の階段を上りつつ学生証の裏面を確認すると、そこには二から始まる部屋番号と共に同室生の名前が書かれていた。
『Roommate:一ノ瀬飛鳥』
二階へ上がると、そこは左右に廊下の続くスペースだった。廊下の壁にはナンバープレートのかかったドアが整然と並んでおり、どこかホテルめいた清潔な雰囲気があった。
番号から部屋は二階と判断しドアを一つ一つ確認していくと、しばらくして一致する番号の部屋が見つかった。
まずはドアを軽くノックしてみる。
すると、室内からは明るい声が返ってきた。
「はーい」
パートナーの子は既に部屋にいるらしい。
はるかはドアの前で深呼吸した後、そっとノブに手をかけて押し開いた。
部屋は八畳ほどの広さだった。中央には二段ベッドが置かれ、その両サイドに勉強机とクローゼットが一つずつ設置されている。右側の壁にもう一つドアがあるが、これは洗面所・シャワールームに繋がっているはずだ。
左右の壁の物掛けには一着ずつ、ビニール包装された新品の制服が掛かっている。また、フローリングの床の上にはいくつかの段ボール箱と旅行鞄が雑然と置かれていた。これは事前に送った荷物や教科書等の注文品だろう。見たところ、はるかの荷物は右側の床にまとめられているようだ。
そして左側の床では、一人の少女が腰を下ろして荷ほどきをしていた。
ドアの開く音に少女が振り返る。彼女ははるかの姿を見てにっこりと笑った。
「こんにちはー。あなたが同室の人?」
「あ、はい。小鳥遊はるかです。よろしくお願いします」
立ったままぺこりと頭を下げると、彼女は立ち上がってはるかの元へ駆け寄ってくる。
「私、一ノ瀬飛鳥。よろしくね、小鳥遊さん」
人懐っこい笑顔を浮かべたまま、飛鳥ははるかの腕を取り部屋の中へと誘導した。はるかの手が離れたことで部屋のドアが閉まり、背後でぱたんと音を立てた。
飛鳥は小柄な、可愛らしい感じの少女だった。髪はセミロングで、見た感じ胸は小さめ。服装はニットのワンピースにショートスカート、それからタイツで、柔らかい笑顔も相まって、どことなくふわっとした印象がある。
はるかの方がやや背が高いため、至近距離で視線を合わせると見上げられる形になる。彼女にそっと微笑み返すと、小さな呟きが返ってきた。
「えへへ、私、ラッキーかも」
「? ラッキー、ですか?」
「うん。小鳥遊さん、とっても綺麗だから。得しちゃったかなって」
「あ……。えっと、その。ありがとうございます」
いきなり満面の笑顔でそう言われ、はるかは戸惑う。同年代の女の子から面と向かって綺麗なんて言わたのは多分、初めてだ。得という言い方は独特だが褒められたのだと思い、ややつっかえながらお礼を言った。
「でも、私より一ノ瀬さんの方が綺麗ですよ」
返した言葉は本心だった。それに、はるかは自分の容姿にはあまり自信がない。飛鳥の言葉はお世辞のようなものだと解釈した。
「えへへ、ありがとう。あ、敬語とか使わなくていいからね? 良かったら名前も飛鳥って呼んで!」
「あ、はい。……じゃあ、私もはるかで」
「うんっ。あらためてよろしくね、はるか」
なんだか、絵に描いたようにスムーズな出だしだった。
それから、とりあえず荷解きを、ということで自己紹介の後は腕を解放してもらって、はるか達はそれぞれ自分の荷物と格闘した。その間、会話はほとんなかったが、おかげで作業は小一時間ほどで終了した。家具などは寮に据え付けのため荷物は衣類が大半で、手間取る作業は教材の仕分けくらいだったので大分楽だった。
大体同じ頃、飛鳥も荷解きを終えたので、いらなくなった段ボールは二人分まとめて端の壁に寄せておいた。ゴミ捨て場に持っていくのか回収されるのかわからないが、後で処分することになるだろう。
「そういえば、はるか。晩ごはんってどうするつもり?」
「……あ。全然考えてなかった」
作業が一段落したところで、不意に飛鳥にそう言われた。そういえば、まだ夕食を食べていなかった。島へ着いた時間が遅かったし、寄り道せず寮まで来たので当然買い物もしていない。これなら軽食でも買って船内で食べておいた方が良かったかもしれない。
「じゃあさ。下の食堂で簡単なものなら貰えるっぽいから、一緒に行かない?」
「うーん……どうしようかな」
飛鳥の提案は渡りに船だったが、少し迷った。
というのも、船旅の疲れもあってあまり食欲がなかったのだ。ポケットに入れたスマートフォンを取り出し時刻を表示すれば、もう午後九時を回っているのもわかった。食事をするにはちょっと遅い時間でもあったので、飛鳥の誘いは断ることにする。
「ごめんなさい。もう遅いし、今日は食べずに寝るよ。でも、ありがとう」
「そっか。気にしないで。じゃあ、私一人で行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
幸い、飛鳥は気にした様子もなく頷いてくれた。さっそく立ち上がってドアの方へ向かう彼女を見てふと思いつき、その背中に尋ねる。
「……あ。シャワー、先に使わせてもらってもいいかな?」
「もちろんいいよー。ゆっくり使ってて」
「うん。ありがとう」
小さく手を振って部屋を出ていく飛鳥を手を振り返して見送った。
ドアが閉じ、ほどなくして部屋が静かになる。それから飛鳥が戻ってくる気配が無いのを確認し、はるかはそっと息を吐いた。
「緊張した……」
誰もいない空間で一人呟く。話した感じ飛鳥はとても良い子だったが、それでも初対面の子と話すのはやっぱり緊張する。小中学校は自宅通学だったので、こんな風に同世代の他人と生活にするのが初めてということもある。
とはいえ、これでファーストコンタクトは無事に終了した。
(気が抜けたら余計に疲れてきた……)
ならばと、さっそくシャワーを浴びてしまうことにする。手早くタオルや着替えを用意して、部屋側面のドアを開くと、そこは予想通り水回りだった。
まずトイレと洗面所があり、その隣に半透明の薄い壁に仕切られたシャワールームがある。シャワールーム内も防水のカーテンで二つに区切ることができ、簡易的な脱衣所を作れる仕組みのようだ。
「良い感じ」
寮には共同の浴場もあるが、部屋ごとにシャワーがあるのはとても嬉しい。シャワールーム内は薄壁のおかげでシルエット程度しかわからないので、裸を見られる心配もしなくていいだろう。
とりあえず洗面所は無視してシャワールームへ。まずは脱衣スペースで一枚ずつ服を脱いだ。ジャケットにブラウス、スカート、ソックス、それから上下柄を揃えた白の下着。シンプル感と動きやすさを意識したコーデを全て脱ぎ終わると、肉付きの薄い細身の身体が露わになった。衣服の拘束から解放されると気持ちも楽になる。
「さて……」
一応ミニタオルを腰に巻きつけ、脱衣スペースとシャワー側をカーテンで区切った。それからシャワーのノブをひねり、しばらく試してちょうどいい温度を見つける。
「……ふう」
暖かなシャワーの感触にほっと息をつく。ひとしきり温水を堪能してからシャンプーとリンスで髪を洗い、ボディーソープで身体も洗った。石鹸類は用意されていたものを使ってみたが、泡立ちがよく良い香りがした。
(やっぱりホテルみたいな感じ)
本校が女子校ということで、こういう部分には気を遣っているのだろうか。普段あまり長風呂はしないのだが、快適なせいか思いがけずのんびりしてしまう。それがいけなかったのだろうか。まだシャワーを浴びている間に部屋の方からかすかに物音がした。どうやら、飛鳥が食堂から帰って来たらしい。
(長居しすぎちゃった)
慌ててシャワーを止めて脱衣所に戻るも、もちろんすぐには着替えられない。なるべく急いで身体を拭くが、身体が乾き終わるかどうかというタイミングで洗面所のドアが開いてしまった。
案の定、そこから顔を出したのは飛鳥だった。
「やほー。はるか、シャワーはどんな感じ?」
「う、うん。快適だったよ。ごめん、もう少し待ってね」
湯気で壁が曇ったせいもあり向こうからは殆ど見えないはずだが、それでも他人に裸を見られるのは心もとない。恥ずかしさから、身体に巻くタオルを大きいものに入れ替えた。
「いいよ、気にしなくて。それよりちょっとお邪魔していい?」
「へ……え? ちょ、ちょっと」
念には念を入れたのが良かったのか悪かったのか。
まさかシャワールームのドアを開けてくることはないだろうから、部屋に戻ってくれたらその間に着替えてしまおう。そう思っていたのだが、想像以上に飛鳥はフレンドリーだったらしい。制止する間もなく、二人を隔てる最後の境界が破られた。
「~~~っ」
何か言おうと思ったが、パニックでまともな言葉が出てこない。そんなはるかの様子に気づいていないのか、飛鳥は平然とした顔で視線を向けてくる。
「わ、はるかの身体、やっぱり綺麗だね。あ、胸はあんまりないんだ。スレンダーな感じ?」
(あれ。この子、ひょっとしてそういう趣味の子……?)
歓声を上げる彼女を見て、そんな想像が頭をよぎる。背筋にぞくりと冷たいものが走った。
「あ、ありがとう。でも飛鳥ちゃん。その、恥ずかしいからそのくらいで……」
もはや一歩も動けなかった。
濡れてへたったセミロングの髪や、胸元に起伏が無いこと、腕や足先までも全部見られている。大部分はタオルで隠れているとはいえ、いい心地はしない。
「大丈夫だよ、女の子同士なんだし。ね、ちょっと触らせて?」
(女の子同士の対応に見えないから困ってるんです!)
心の中で叫んだ。ただ、単にスキンシップのつもりかもしれないので実際には言えない。
シャワールームの角まで後ずさってみたが、あっさり距離を詰められてしまった。ここまで来ると羞恥というよりもはや恐怖に近かった。
(どうしよう。これ、どうしよう)
ぐるぐると思考が巡るも一向に何も思い浮かばず、ついに飛鳥の手が伸ばされる。
そして。
ぱらっと、身体に巻いていたタオルが自然にはだけた。
「――あれ?」
おかげで飛鳥の手ははるかの肌に触れる寸前で止まった。止まったが、突然のことにはるかはタオルが床に落ちていくのを呆然と見送ってしまい。
はるかの全裸を見た飛鳥が驚きで目を見開いた。
より正確な視線の先は追うまでもなく、はるかの下半身。
そこには飛鳥からすれば『あるはずのないもの』があって。
一瞬の空白の後、目の前で飛鳥が全力の悲鳴を上げた。
はるかは目の前が真っ白になっていくのを感じながら、それをぼんやりと聞いていた。
2015/7/14 一ノ瀬飛鳥のルビが不自然にズレていたのを修正しました。