出会いの季節 14
翌日。飛鳥がいつもの時間に起きてこなかった。
しばらく待っても起きてくる様子がなかったので心配になって揺り起こすと、目を覚ました飛鳥は開口一番「頭痛い」と呟いた。
そっと彼女の額に手を当てると、大分熱があるのがわかった。
「風邪かな」
多分、夕べ長時間シャワーを浴びたせいだろう。
「うー。じゃあなんであたしだけ。はるかだって同じじゃん」
「それは……あのあと夜にどっか行ってたからじゃない? 結局、どこ行ってたの?」
「ん、屋上」
それは湯冷めして当然だった。
とりあえず、体温計を渡して熱を測って貰う。すると体温は平熱を一度以上、上回っていた。
「辛いでしょ。横になってた方がいいよ」
「う……ん、わかった」
飛鳥にそう言い聞かせ、再度ベッドに横になったのを確認した後、はるかは一人で食堂に向かった。朝ごはんを調達するためだ。
厨房のスタッフに事情を話すと、朝食を部屋に運ぶのを許してくれた。大きめのお盆を借りて二人分を部屋まで運び、飛鳥と一緒に部屋で朝食を摂った。
「ご馳走様」
そう言って飛鳥が箸を置いたとき、彼女の分の食事はまだ半分くらい残っていた。普段の彼女なら好き嫌いなく全部平らげるのだが、やはり食欲も落ちているらしい。となると今日は無理をさせるわけにはいかない。
「学校、休んだ方がいいよ」
そう言い聞かせると、飛鳥は不満そうな顔を浮かべたものの素直に頷いてくれた。
「わかった。でも、はるかは気にしないで学校行ってきて」
「いいの?」
「うん。このくらい、寝てれば大丈夫だからさ」
確かに、喋る元気はあるようだし、安静にしてさえいれば大事はなさそうに見える。
多少は強がっている部分もあるかもしれないが、はるかは飛鳥の言葉を信用することにした。
飛鳥には風邪薬を飲ませ、自分は急いで着替えを済ませる。ばたばたしていたため普段より時間がなかった。
「それじゃ、飛鳥ちゃん。ちゃんと寝ててね」
「わかってるってば。行ってらっしゃい」
部屋を出る際にもう一度念を押すと、苦笑混じりに手を振って追い出された。
朝食の皿やお盆は出がけに食堂へ返却し、校舎へ向かう。
しばらく小走りで進むと登校ラッシュの波に追いついた。
「ふう……」
軽く呼吸を整え、歩調を普通に戻した。それからふと思う。
(そういえば、一人で登校するのは入学して初めてだ)
入学式の日からずっと飛鳥と一緒だったので、一人で登校するのは新鮮だった。
そして、同時に寂しさも感じる。隣に誰もいないのが、なんだか心もとなく感じた。
「おはよう、小鳥遊さん」
そんな時、登校中のクラスメートから声をかけられた。
「うん、おはよう」
「あれ、今日は一ノ瀬さん一緒じゃないの?」
はるかが笑顔で挨拶を返すと、彼女はすぐに飛鳥の不在について尋ねてきた。風邪で休みだと伝えると、彼女も心配してくれていた。嬉しく思うと同時に、周囲にとってもはるかと飛鳥はセット感覚なのだな、と感じた。
教室に着くと、程なくして朝のホームルームの時間になった。
ホームルーム終了後、担任に飛鳥の病欠を伝え教壇の傍を離れると、昴の所へ。
「一ノ瀬さんは風邪ですか?」
彼女も飛鳥のことが気になっていたのか、傍に寄るとすぐにそう尋ねてきた。
「うん。でも、大事はなさそうだから、心配しないで」
「そうですか……」
心配かけないよう敢えて簡潔に伝えたが、それでも昴は表情を曇らせる。優しい子なんだな、とあらためて感じた。
とはいえ、ひとまずこれで飛鳥のためにできることは無い。
はるかだってもちろん飛鳥のこと心配だが、ひとまずは授業に専念する。せめて後で飛鳥に見せられるよう、いつもよりより丁寧に板書の写しを心がけた。
幸い授業は特に何事もなく過ぎていき、あっと言う間に午前中の授業が終了した。
四限目の担当教師が教室を出ていくと、はるかはすぐに席を立った。今日の昼休みはやることがあるのだ。
「はるかさん、寮へ戻られるのですか?」
「うん。飛鳥ちゃんにお昼を届けてあげたいから」
そう。はるかの目的は飛鳥に昼食を届けることだった。平日、寮の食堂では昼食が出ないので、こういう場合何も食べるものがないのだ。何かしら買い置きでもあれば別だが、入学してまだ日が浅いのもあってそこまでは気が回っておらず用意もなかった。
なので、はるかは三限目終わりの休み時間に購買へ駆け込み、軽食を調達していた。これを寮の部屋まで届けて飛鳥と一緒に食べるつもりだ。
「だから、今日は一緒にご飯できないんだけど……」
「お気になさらず。足元に気を付けてくださいね」
「うん。ありがとう」
昴にお礼を言って、教室を出た。食事と飲み物の入ったビニール袋を下げ、速足気味に寮へと向かう。当然ながら校舎外に人気は無かったので、誰かにぶつかる心配も、見とがめられる心配もなかった。おかげで部屋まで十分もかからずに到着する。
部屋のドアを開けると、飛鳥は二段ベッドの上段で大人しく横になっていた。
「あれ? はるか?」
眠ってはいなかったらしく、彼女ははるかの入室に気づくとすぐに身を起こした。
「どうしたの? まだ授業残ってるよね?」
「ご飯持って来たんだよ。部屋に買い置きとか無かったでしょ?」
「あ……そっか、ありがと。うん、食べるもの無くて困ってた」
幸いというか何と言うか、はるかの懸念は的中したようだ。
食欲もあるようなので、飛鳥にベッドから降りてもらって一緒に食事にした。
「体調はどう?」
「うん、朝よりは楽になったかな」
食べながら尋ねると、答える声も朝より張りがあった。この分なら心配はなさそうだ。
あっという間に食事が終わり、少し多めに買ってきたつもりだった食事は綺麗に片付いてしまった。
「ご馳走様。本当に助かったよ、はるか」
飛鳥は菓子パン三つとデザートのプリンを平らげた飛鳥は、満足そうに息を漏らしながらそう言った。そんな彼女にはるかは微笑みを返した。
「困ったときはお互い様だよ」
昼休みの残りもだいぶ少なくなっていたので、慌ただしいが、今度は教室に戻らなくてはいけない。パンの包装等ゴミは回収し、併せて身支度を整える。
「一応、風邪薬も飲んでね。治りかけが肝心なんだから、ちゃんと寝ること」
「はーい。……なんかはるか、お母さんみたいだよ」
「お母さんって」
それを言うならまだお父さんじゃ、と言いかけて微妙な気分になり、途中で言葉を止める。かといってお姉さんやお兄さんと呼ばれるのもなんか変な感じなので、ちょっと悩ましい。
なので代わりに別の返事を返した。
「昔、お母さんにやってもらったのを真似したからかな」
はるか自身、あまり体が丈夫な方ではないので、小さい頃はよく熱を出した。そんな時、母親に看病してもらった経験を思い出してみたのだが、少しでも役に立ったのなら嬉しい。
「それじゃあ、私は教室に戻るね」
「ん、行ってらっしゃい」
飛鳥と手を振りあって、はるかは部屋を出た。
部屋を出た段階で昼休み終了までは十分と少しだった。途中でゴミを捨てつつ小走りで戻ると、授業開始ぎりぎりに教室へ到着する。階段が上りになる分、行きより時間がかかったのが辛かった。
昴が自分の席から視線を送ってきたので、息を整えつつ手でマルを作る。すると昴もほっとしたような表情を浮かべていた。
「というわけで、飛鳥ちゃんは大丈夫そう。明日には来られるんじゃないかな」
「そうですか、良かったです」
午後の授業も平穏に過ぎ、放課後。一応、昴にはあらためて飛鳥の病状を伝えた。
「ところで、はるかさん。今日は部活動はどうされますか?」
「うん、出るつもりだよ」
『ノワール』に顔を出すかどうかは迷ったが、昼休みの様子なら飛鳥も大丈夫そうだった。それに、「心配だから」なんて理由で部活を欠席すると逆に怒られそうな気がした。
どころか「じゃああたしも一緒に行く!」などと言われる可能性も容易に想像できるので、なら最初から部活に出た方がいいと思ったのだ。
「そうですね。その方がいいと思います」
昴も同意見のようで、そう言って頷いてくれた。
それから彼女はそこで思いがけない言葉を続けた。
「はるかさんが『ノワール』に行かれたことは、私からお伝えしておきますね」
「昴が?」
驚いて聞き返す。飛鳥にはメールでも送るつもりだったのだが、伝えてくれるというのは?
「実は、一ノ瀬さんにお見舞いに行こうかと思いまして。ご迷惑でしょうか?」
「あ……ううん、そんなことないよ」
直接部屋に顔を出して、飛鳥に伝えてくれるということらしい。お見舞いに来てもらう程でもないが、来てくれる分には嬉しいだろう。
「じゃあ、お願いしてもいいかな?」
「ええ、任せてください」
はるかは昴の気持ちに甘えることにして、彼女に自分達の部屋番号を伝えた。
先に購買に寄るという昴と昇降口前で別れ、一人で『ノワール』へ。
朝と同じく一人での道中はやはり寂しく、どこか違和感があった。
(明日は、いつも通りだといいな)
いつもより道のりを長く感じつつ『ノワール』へ到着する。
今日は時間を置いて来るのを忘れたせいか、珍しく由貴がまだ制服姿だった。
「いらっしゃい、小鳥遊さん」
「こんにちは、はるかちゃん。……あら、飛鳥さんは一緒じゃないんですね」
二人は普段通り笑顔ではるかを迎えてくれたが、やはり飛鳥が一緒でないことが気になったようだった。風邪で学校を休んだこと、今は部屋で寝ていること、もう大分回復していることをかいつまんで伝えた。
「そうですか……。飛鳥さんにもお大事にとお伝えくださいね」
「ありがとうございます」
「寮には戻らなくていいのかな? もし心配ならそうして貰っても構わないけれど」
「いえ、大丈夫です。昴が今、飛鳥ちゃんのお見舞いに行ってくれてますし」
圭一に聞かれてそう答えると、二人は何やら意外そうな顔をした。
「あら。『昴が』」
「自分から見舞いか。珍しいね」
「珍しい、ですか?」
二人の言葉に首を傾げる。友達のお見舞いに行くのが、言う程珍しいことだろうか。
すると、はるかの疑問を察した由貴が説明してくれた。
「ええ。あの子はちょっと気難しいというか、自己表現が苦手なところがありますから。だから珍しいなって」
言葉通り、お見舞い自体ではなく「昴が」お見舞いというシチュエーションが珍しい、ということらしい。
「心あたり、ありませんか?」
「そう言われれば……そうですね」
初めて会った時の昴はぶっきらぼうな態度が多かった。そのせいでこの前は険悪な雰囲気になりかけたこし、クラスメートと積極的に関わらないようにしている感じは相変わらずだ。
「じゃあ、由貴先輩達に冷たい感じなのも?」
昴が由貴達へ向ける言葉は、場合によっては辛辣に聞こえることもあった。当の由貴達が気にしていないようだったので、友達同士の慣れあいの類だと思っていたが。
「そうだね。だから、あれは別に本心から辛く当たっているわけじゃないんだよ」
「はい。それは、なんとなくわかります」
仲良くなった後の昴は表情がぐっと柔らかくなった。言いたいことややりたいことを素直に言い表してくれるようになったと思う。
「本当は素直なんですよね。きっと」
「そうですね。……私達とあの子とは家同士の付き合いもありますので、どうしてもしがらみを気にしてしまう部分もありますが。お友達相手になら素直になってくれると思います」
そう語る由貴の目は、どこか優しい感じがした。
「まあ、素直になりすぎて、これから苦労するかもしれないけどね」
穏やかに笑んで圭一が呟き、くすっと由貴が笑う。
「ですね。あの子、結構我儘ですから」
「え、と。そうなんですか?」
「はい。特にはるかちゃんは注意した方がいいかと」
「昴は小鳥遊さんが気に入ったみたいだからね」
口々に言われ、はるかはその真意がわからないまま、少しだけ先行きに不安を覚えた。
「注意……って例えば?」
「さあ、そこまではわからないけど」
尋ねてもはぐらかされて、冗談と受け取っていいのかもよくわからない。
とはいえ、昴が友達として我儘を言ってくれるなら、それはそれで嬉しいことなのだけれど。
「じゃあ、楽しみにしておきます」
なので、はるかも微笑んでそう答えることにした。
「その意気です」
そんなはるかを見て、由貴も満足げに頷いていた。
「さて、今日はどうしましょうか」
「三人だけだし、適当に雑談でもしていればいいんじゃないかな。たまには由貴も制服のまま座ったらどうだい?」
「いいですね。そうしましょう、由貴先輩」
「……お二人がそう言うのでしたら、お言葉に甘えて」
そうして、いつも通りと言えばいつも通りに『ノワール』での時間が過ぎていった。お客さんが来ることもなく、また昴や飛鳥がやってくることもなかった。
二人はどんな話をしているんだろう?
昨日の今日で飛鳥は普通にやれているだろうか?
由貴達と談笑しつつ、ふとそんな思いが頭をよぎったがすぐに打ち消した。きっと大丈夫だろう。もし聞けるようなら今度、飛鳥に聞いてみればいい。そう思った。
そうして、ふと気が付くと夕食の時間が迫っていて、はるかは慌てて『ノワール』を後にしたのだった。
* * *
その後、はるかは夕食の時間になんとか間に合った。
ちょうど昴と飛鳥が夕食に行くところで合流すると、思ったとおり二人の間に険悪なムードはなかった。むしろ和気藹々といった感じだったが、どちらに尋ねても、二人だけでどんな話をしたのかは教えてくれなかった。