出会いの季節 13.5(幕間)
くしゅん。
夜風にそっと身体を撫でられ、飛鳥の口から小さなくしゃみが漏れた。
あのあとシャワーから上がって夕食を食べた後。飛鳥は、
「ちょっと野暮用で」
などと適当なことを言って部屋を出ると、女子寮の屋上へとやってきた。
初めて三階から先の階へ上がり、物音に配慮しつつ一番上まで移動。開くかな? と思いつつ屋上のドアを押すと、拍子抜けするほどあっさり外に出られた。
屋上は寮の建物全体の三分の一ほどのスペースだった。割合狭く、また校舎の屋上のような転落防止柵も設置されていない。これで夜間も施錠なしとは不用心もあったものだが、それだけこの学校が平和だということか。
更にぐるりと周囲を見渡すと、近くに男子寮の屋上が見えた。建物間に林があるため完全に隣接しているわけではないが、林の木々は背丈が低めなので屋上同士なら視界は遮られない。
「っても、カップルが密会するのとかは無理か」
「飛び移れる距離でもないですしね。同性のカップルなら別でしょうけど」
ふと呟いた飛鳥に、背後から誰かが答えた。
開け放したままだったドアから屋上へやってきたのは由貴だった。制服でもメイド服でも無く、フリルの付いた品のいいパジャマを着ている。寝間着代わりにスウェットを着た飛鳥は少し負けた気分になった。
ともあれ、それはそれとして由貴に声をかける。
「すみません、わざわざ来てもらっちゃって」
由貴が屋上へとやってきた理由は単純で、飛鳥がメールで呼び出したからだ。気づかれなくてもともと、無視されたり窘められる可能性も覚悟していたが、案外あっさりと呼び出しに応じてくれた。
「いいんですよ。可愛い後輩の頼みですし」
するとそんな風に笑って、由貴は飛鳥の横に並んだ。ついでに、屋上のドアも閉めてくれる。
「それで、何ありましたか?」
それから、彼女はそう飛鳥に尋ねてくる。メールには「屋上に来てほしい」と書いただけだったのだが、お見通しだったか。
「ちょっと、由貴先輩に聞いてみたいことがあって」
「何でしょう?」
可愛らしく首を傾げる由貴に、単刀直入に尋ねる。
「由貴先輩と香坂先輩は付き合ってるんですか?」
すると由貴は一瞬目を丸くし、それからぷっと吹き出した。
くすくすと笑いながら問い返される。
「突然すぎてびっくりしました。どうしてそんなことを?」
否定も肯定もしない返答だった。だがとりあえず、飛鳥は問われた通り、質問の意図を由貴に告げた。
「もしそうなら、その。身分の差、みたいなのってどうしてるのかな、って」
飛鳥が二人の関係を疑った理由は単に直感だ。ずっと一緒にいて、仲が良さそうに見えたからというだけ。推理というより下世話な推測で、証拠も何もない。
それにこの場合、二人が付き合っているかどうかはぶっちゃけどっちでも良かった。
むしろ重要なのは、飛鳥の質問について由貴から回答をもらうことだ。
「ふむ。はるかちゃんと何かあったんですね」
「ど、どうしてはるかの名前がそこで出るんですか」
するといきなりそう言われ、飛鳥は思わず声を上ずらせた。
「あ、その反応は正解みたいですね」
そんな飛鳥の態度を見て、由貴が再びくすりと笑う。どうやらかまをかけられたらしい。
「あ。……もう、からかわないでくださいよ、先輩」
前から薄々わかっていたが、由貴と飛鳥は若干似通ったタイプのようだ。
SとMでS側というか。しかもたぶん、由貴の方が数段上手。二人きりだと飛鳥が手玉に取られる。
「ごめんなさい。……ええと、身分差のある恋について、ですよね」
幸い、由貴はそれ以上飛鳥をからかうつもりはなかったようだった。
話を戻してこちらを窺ってくる彼女に、黙って頷いた。
「そうですね。一般論というか、個人の意見になりますけど」
由貴は夜空を見上げながら、そんな前置きと共に話を始める。
「身分差は恋愛において障害になります。けれど、だからといって好きになった気持ちをなくすことはできません。そして障害があるという、それだけで気持ちを諦めるのは違うと思います」
少しずつ、考えるようにして答えるその様子から、彼女が真剣に答えてくれていることが感じられて、飛鳥は嬉しくなった。
「障害を乗り越える手段は色々でしょうし、ただ闇雲に気持ちを押し通そうとしてもうまくいかないこともあるでしょう。機を窺ったり、準備をする必要もあるかもしれません。……でも、結局一番大切なのは、相手を想う強い気持ちだと思います」
そこで由貴が言葉を切ったので、自分から質問をしてみた。
「……例えば、メイドとしてご主人様に恋をしてしまっても?」
流石に怒られるかと思ったが、由貴はさして気にした様子もなく答えてくれた。
「そうですねー。もちろん諦めたりはしませんよ。そういう場合はまず、既成事実を作って外堀を埋めるとかでしましょうか」
と思ったらさらっとそんなことを言うので、思わず赤面してしまった。自分のことを乙女だなんて思ってはいないが、直球すぎて付いていけなかった。
そんな飛鳥の様子を見て、由貴は満足げに微笑んだ。
「あとは……同性の友人を振り向かせるなら、少しずつ行きますね。スキンシップを増やしたり、遊びに誘ったり。ちょっとずつアピールを繰り返して、相手を自分色に染めていきます」
「ごめんなさい私が悪かったです。なのでそれくらいで」
聞いてもいないアドバイスまでされてしまった。それも絶対楽しんでやっている。
(やっぱこの人、あたしより何枚も上手だ)
これが一歳の年の差か。あるいは小さい頃から(だよね?)メイドさんなんてやっている経験値か。
「少しは参考になりましたか?」
「はい、ありがとうございます」
微笑んで答えると、そっと手が伸びてきて頭を撫でられた。
なんだか気持ち良かったので肩と頭を委ねると、黙って抱きしめてくれた。
なんとなく、背中を押されたような気がした。
(って言っても、あたしはまだまだなんだけどさ)
飛鳥の気持ちはまだ、はっきりと定まってはいない。
どころか、はるかをシャワーに誘った時も正直、ほぼ完全にノープランだった。
切っ掛けは、はるかの顔を見てふと思ったこと。
――そもそも、これってどういう嫉妬なんだろう、と。
飛鳥とはるかはルームメイトで、同級生だ。実際、はるかとの接し方も女友達へのそれに近い。けれど一方で、飛鳥ははるかのことを男の子だと知っている。だから内心では、はるかのことを狙ってもいた(といっても関係を急ぐつもりもなかったので、普段は女の子同士に近いノリで付き合いっていたが)。
つまり飛鳥にとってはるかは「友達」で「恋人候補」。「同性」で「異性」だ。ややこしいことこの上ないが。
そこで疑問。
――じゃあ、昴に嫉妬したのは「どのはるか」を取られるのが嫌だったから?
はるかを誘ったのは、その疑問を解消するためだった。
「異性」としてはるかを誘惑してみれば確かめられると思ったのだ。自分の気持ちと、はるかの気持ちを。実際やってみたら想像以上に恥ずかしくて、顔から火が出そうになったけれど。
(そういやあたし、まだ男の子とキスしたこともないんだよね)
付き合った男に碌な奴がいなかったからだ。
なのにいきなりあんなことをしたのだから、前後不覚になって当然だ。はるかが慌ててくれたおかげで、その辺りの内心は多分バレてないと思うけれど。
おかげで少しだけわかった。自分の気持ちが。
(あたしは、はるかが好きだ)
同性としても、異性としても。友達としても、恋人候補としても。
ぐちゃぐちゃで混ぜこぜに「好き」なのだとわかった。
裸ではるかと向き合って、ドキドキと違和感が両方あった。
あんな状況でも口調も態度も変えないはるかに、安心と物足りなさを感じた。
もっとはるかの「男の子」を意識するかと思ったが、案外そんなことはなくて。
それからはるかも似たような気持ちでいてくれるんだとわかった。
わかったら、すとんと胸が軽くなった。
わからないことがわかった、というだけのことだったけれど。
割り切ってしまうだけで全然、気持ちが違った。
そして飛鳥は「保留」を選択した。現状維持と言ってもいい。
(とりあえず、まだこのままでいいや)
複雑な気持ちをはっきりさせようと無理しても疲れるだけだ。
少しずつ、ゆっくりと形にしていければそれでいい。
それでもし、由貴の言うような「強い気持ち」が生まれる時が来たら。
その時はその時、考えればいい。
そう思いながら夜空を見上げると、星々が美しく輝いていた。




