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出会いの季節 13

 思えば、買い物から帰ってきてからの飛鳥は様子が明らかにおかしかった。

 帰るなりぼんやりと床に座り込んで、どこともつかない虚空を見上げていた。何度か声をかけても反応が無かったので傍に寄って顔を覗いた。

 そうしたら、突然シャワーに誘われた。


 何かあったのだろうか。まずそれを心配したが、そもそも飛鳥とは買い物中からほぼずっと一緒だった。例えば何か問題があったなら、その時はるかも傍にいたはずだ。

 けれど、はるかが把握している限りそんなことはなかった。

(じゃあ、どうして?)

 考えても答えが出ることはなく、悩むはるかの意識を。

「はるか?」

 飛鳥の声が遮り、掻き乱した。


 はるか達はシャワールーム脇の脱衣所に寄り添いあって立っていた。

 もともとシャワールームが一人用のため、スペースに余裕はない。自然とほぼ密着したまま飛鳥から見上げられる形になっていた。洗面所側の入り口を塞がれたので、もう逃げ場もない。

 もちろん、力づくで飛鳥をどかすことは可能だろうけれど。

「服、脱ご?」

「う、うん」

 今の飛鳥にはどこか、有無を言わせない迫力があった。口調自体は穏やかなのに逆らえない。それに、今更「やっぱり止めよう」などと言ったところで絶対に聞いてくれないだろう。

 と、はるかが再び思考を巡らせている間に、飛鳥は自らの服に手をかけていた。

 ぱさり。

 小さな音を立て、脱衣所の床へと服が落ちる。続けて同じような音がして、飛鳥が下着姿になった。


「脱がせてほしい?」

 まだ服を着たままのはるかを見て、飛鳥が尋ねてくる。

「う、ううん」

 首を振って否定し、ジャケットを脱ぐ。ただし飛鳥のように脱ぎ落とすのではなく、畳んでサイドボードの上に置いた。いつもなら皺にならないよう丁寧に畳むところだが、スペースと理性の問題で雑な畳み方になった。

「……あんまり見ないでね」

「はるか、それ女の子が言う台詞だよ」

 飛鳥の視線が気になり釘を刺そうとしたら、逆にそう言われてしまった。赤くなったままの顔へ更に熱が加わるのを感じながら、ブラウスも脱ぐ。それからスカートも。


「はるかって良い匂いするよね」

 すんすんと小さく鼻を鳴らして、飛鳥が囁く。

「……飛鳥ちゃんの方がずっといい匂いだよ」

「そうかな? 自分ではわからないんだよね」

 はるかも自分の匂いはわからない。けれど、性別の差はどうしたって埋まらない。

(性別の差、か)

 下着姿で向かい合った状態。ここから下着を脱ぎ捨てれば、性差は歴然と表に現れる。

 普段は意識していないそれを、否応なく意識せざるを得なくなる。

 しかしもう、それから逃れることはできなかった。


「………」

「………」

 示し合わせたわけではないのに、お互い下着に手をかけたのは同時だった。

 飛鳥の下着が床に落ちる音を聞きながら、サイドボードに置いた衣服へ無造作に下着を重ねた。靴下も脱ぎ、二人とも裸になる。

 向かい合ったままだと嫌でも飛鳥の肢体が目に入るので、はるかは目を逸らしながら先にカーテンの向こうへと移動した。

「あ……もう」

 飛鳥もそれを追いかけてくる。

 シャワーをひねる。敢えて少しだけ高めの温度に設定した。

おかげで、しばらくすると湯気でお互いの身体が見えにくくなる。


「気持ちいいね」

「……うん」

 外出して汗をかいたせいもあって、温水の感触はとても心地が良かった。

 それきり、飛鳥は何も言わなくなる。

 奇妙な沈黙に、はるかが飛鳥の方へ視線を向けると、彼女もまたはるかを見ていた。

 視線が絡み合い、動けなくなる。


「はるかは、間宮さんのことが好きなの?」

 かすかな声が耳へと届いた。

 彼女の質問に、はるかはすぐには答えられなかった。質問の意味を掴みかねたからだ。

「どういう、意味?」

 逆に飛鳥へと問い返す。

 すると飛鳥の瞳が戸惑うように揺らいだ。

「間宮さんに恋、してるの?」

「……恋?」

「うん、恋」

 言い換えられた質問は、はるかにとって意外なものだった。


(私が、昴に恋?)

 そんなこと、考えたこともなかった。突然過ぎて理解が追いつかない。

「どうして?」

 再度そう尋ねると、むっとしたように返された。

「どうしても」

 それで余計に混乱する。

 理由も動機もわからないのでは、どう答えたらいいのかわからないと思った。

しかし、飛鳥はこれ以上何も教えてくれそうにない。

 仕方なく胸の内を探り、答えを探した。


「してない、と思う」

 そうして出た答えはそれだった。

 はるかは今まで、恋をしたことがない。恋という感情がどういうものかも良くわからない。ただ、映画やドラマから得た知識から考えた時、自分が恋をしているかと言われれば答えは否だった。

 彼女の表情にどきっとしたことはあったが、あれだって恋ではない。

「昴のことは友達だと思う。そう思って仲良くなったし、それで間違ってないと思う」

「……そっか」

 すると飛鳥はふっと吐息を漏らした。

 かすかに、彼女の浮かべた笑顔の色が変化する。

「じゃあ、あたしのことは?」

 再度、問われて息を飲んだ。

 また意味を、理由を聞きたくなる。

 けれど、きっとそうしたら飛鳥を怒らせてしまうだろうと思った。

 だから、はるかは再び考える。


「……わからない」

 出て来た答えはそれだった。

「どうして?」

 今度は飛鳥がそう口にした。

 はるかの胸にそっと、彼女の右掌が押し当てられる。

 半歩分、二人の距離が近づく。

 握り拳一つ分程の空間だけが二人の距離を隔てていた。


「……えっと」

 はるかはその間も答えを探していたが、何も答えられない。

 胸の中を探しても答えが見つからなかった。

 肯定も、否定もできない。ぐるぐると感情が渦巻いていて、表現する言葉が見つからない。

 しばらくして、業を煮やした飛鳥が再度尋ねてきた。

「あたしのこと嫌い?」

「ううん」

 即座に否定し、首を振った。

「じゃあ、好き?」

「……うん、好きだよ」

 続けての質問には少し口ごもった。面と向かって「好き」と伝えるのには抵抗があったからだ。けれど「好きか」と聞かれれば素直に「好き」だとそう思えた。


「それは、友達として?」

「……わからない」

 答えて、はるかは不意に理解した。何が「わからなかった」のかを。

 飛鳥のことは好きだ。

 けれどその「好き」が恋愛感情かと言われれば途端にわからなくなるのだ。

 昴とは友達として仲良くなった。あの時ハンバーガーショップで感じたように、初めて「女の子として」作った友人だ。だから、恋をしているかと言われれば、違うと思える。

 けれど、飛鳥ははるかの秘密を知っている。

 普段は友人のつもりで接しているが、飛鳥とはただの友人同士ではない。一緒の部屋で寝泊まりしていながら、今のように肌を晒し合い、ぎこちない会話を交わすこともできる。だから気持ちがわからない。

 それこそ考えたこともなかった。


「……そっか。あはは、そっか」

 一方で、飛鳥もはるかの答えから何かを感じたようだった。

 ふっと吹きだし、軽やかな笑顔を浮かべる。

「飛鳥ちゃん?」

 急に変化した彼女の様子に戸惑い問いかけると、飛鳥はぎゅっと右手を拳の形に変えた。

「ごめんね、いきなり変なこと言って」

「もう、いいの?」

「うん、もう大丈夫。ちょっとすっきりしたから」

 彼女の手が胸から離れていく。

「私も、ごめん。なんだか、うまく答えられなくて」

「違うよ。あたしが急に変なこといったのが悪いの」

 だからさ、と飛鳥は続ける。

「さっきのはなし、っていうか。気の迷いっていうか。ええと、なんだろ。いいや。とにかく気にしないでくれると嬉しいな」

「……わかった」

 飛鳥の表情を窺って。

 無理した様子も、嘘も感じられなかったので、はるかも微笑んで頷いた。


「まあ、これだけ迫って押し倒されなかったのはちょっとショックだけどさ」

「や、勘弁してよ……結構ぎりぎりだったんだから」

「あはは、ごめんごめん」

 それは唐突に始まり、唐突に収束した出来事だった。

 飛鳥の行動にどんな理由があったのか、はるかには分からなかった。だからただ、飛鳥の様子が戻ったことに安堵した。

(でも、いつか)

 また飛鳥に、あるいは別の誰かに同じことを問われた時。

 その時は答えを出さなければいけないのだろうと、漠然と思った。

 その思いを、はるかは大事に胸の奥へと刻み込んだ。

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