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はるかの選択 8

 本校を出たはるかはすぐに駅から電車に乗った。

 向かったのは自宅だ。今日帰ることは事前に伝えてあったため、家では両親と深空が勢揃いしていた。姉に関してはスケジュールが心配だったのだが、はるかの相談を聞くために急いで帰ってきてくれたらしい。

「その様子だと悩みは晴れた感じ?」

「うん。私なりに結論は出したよ」


 驚いたのは自宅宛てに学園から書類が届いていたことだ。柳田が手を回していたらしく、中には彼から聞かされた話がまるまる書かれていた。

 あの心理学者の抜け目なさに舌を巻きつつ、口頭で説明する手間が省けてほっとした。

 事務所とも話をしたらしい深空はもちろん、両親も書類のおかげで予備知識ができていたため、話し合いはスムーズに進んだ。

 結果、はるかの希望が全面的に通った。深空が味方をしてくれたのと、姉の芸能界入りの騒ぎで両親に耐性ができていたのが大きい。息子が女装を続けるのにはさすがに抵抗があったようだが、それでも「好きなようにやっていい」とお墨付きをもらえた。

 これで後は次の火曜日に柳田へ返事をするだけだ。といっても正式な契約は両親も交えて行うので、まだちょっと先になるが。


「おめでとう、はるか。お祝いにビールでも飲む?」

「お姉ちゃん、私まだ未成年だからね」

 夕食の席での話し合いが終わり、お風呂にも入った後。はるかは自室で姉に抱きしめられながら、のんびりした時間を過ごしていた。

「そうなんだよねー。早く一緒にお酒飲みたいのに」

「ちょっとまだまだ先の話だね」

 確かに雰囲気的にお酒を飲みたい感じではあるが。せめて冷蔵庫に炭酸飲料でもないか探してこようか。

 などと思っていると、不意に姉がぎゅっと力を込めてきた。

「本当に。まだ高校一年生なのにね。頑張りすぎだよ、はるか」

「……お姉ちゃんだって、同じくらいの歳で本物のアイドルやってたじゃない」

「まあ、そうだけどさ」

「でしょ?」

 なら、はるかにだって頑張れば、ネットアイドルの活動くらいできるはずだ。『ノワール』にも顔を出しつつ、となると大変だろうが、幸い通学時間のない寮生活だし。


「でも、私はアイドルと高校生を両立するだけだったけど、はるかは違うでしょ? 部活やりつつ女の子の修行もして、何足わらじ履く気?」

「あはは……。それは気合いで」

 女の子の修行はほぼ、他のタスクが補ってくれるはずだし。

「ふーん。ちなみにネットアイドルだって、先々のデビュー見越したらキツイよ。ランニングとボイストレーニングは毎日、できればダンス練習も定期的に。サイトは最低週一で更新しないと飽きられるし、あ、衣装も自作するか安く調達できる手段が必要かな」

「それ、全部やるの?」

 そうだよー、と耳元で囁かれた。

「自主トレでこれだけやり続けられたら結構凄いよ。まあ、それ位努力しててもオーディションに受からないで心折れちゃう子がいっぱいいるんだけど」

「……あらためて聞くとすごい業界だね」

 早まっただろうか、と少しだけ思ってしまうが。


「どう? さっそく後悔してきた?」

「――ううん、決めたからには頑張ってみる。後悔するのはそれから」

「よし、それでこそ私の妹」

 嬉しそうな声と共に、更に力を込められた。いい加減苦しい。

「お姉ちゃん、私妹じゃなくて」

「これから公式的には妹になるんだから、これでいいの」

「そういえばそうだっけ」

 はるかのネットアイドル活動について、深空の事務所が公認してくれること姉の口からも証言が取れた。それに伴って深空の公式的なデータも改竄されるらしい。

 家族構成については殆ど公表した覚えないから、と深空は言うが、それでも結構な大事である。

「それだけ、はるかが大胆なことしてるってことだよ」

 今度は頭を撫でられる。恥ずかしいが、こういうのもいい加減慣れないと駄目だろうか。

「そういえばさ。彼女さん達は何て言ってるの?」

「飛鳥ちゃんは応援するって言ってくれてる。でも、昴はわからない、かな。もしかしたら愛想つかされちゃったかも」


―――


「使い回された台詞だけど、人は誰でも演技してるって言うでしょ?」

「? ええ、多かれ少なかれ、相手や状況によって態度を変えるのは当然だ、ということですよね?」

「うん。そう考えると、特待生制度ってなんなのかなって」

 誰もが演技をしているというのなら、特待生達がしていることは特別なことではないのではないか。だとしたら心理学の新理論、なんて嘘なのではないか。

 あるときそんな疑問が頭をよぎったのだ。

「それで、もし特待生に意味があるとすれば、『自覚的』に『継続して』演じ続けることなんだろうな、って」

「確かに、理論の概要にもその二点は明記されていましたね」

 記憶を探るように視線を宙へ彷徨わせながら昴が頷いた。


「そう。だから、どっちも自分だ・・・・・・・って理解しながら、演技をずっと続けていくことが大事なんじゃないかなって」

 日常生活での何気ない演技とはそれが違う。

 自分の中に意図してもう一つの人格を作ることで、一人で二人分の経験をする。少し大げさな言い方だが、きっとそれがあの理論の意味なのだ。

 元の自分と新しい自分、どっちを忘れても駄目。

 はるかが分校で成果を上げられたのも、きっとそのせい。自分の本当の性別を忘れてしまうことなんて絶対にできないから。

「なら、私はこれからもそれを続けたい。女の子に『なる』んじゃなくて『演じ続けて』いきたい」

「……きっと、物凄く辛いですよ」

「それでも諦められないから」

 これはある種の挑戦だ。

 無理なんかじゃない。性別の差だって絶対に乗り越えられない壁じゃない。そう思いたい子供の我儘だ。

 けれど、はるかはたぶん、昔からずっとそうしたかったのだ。


「……わかりました。なら、もう何も言いません」

「……ありがとう、昴」

 この決断で一番辛い思いをするのはきっと昴だ。その彼女が理解し、許してくれるのなら何よりありがたい。

 しかし。

「でも、勘違いしないでくださいね。私は反対です。はるかの意見には賛成できません」

 昴の手がはるかの手から離れていく。

 目もとの涙をそっと拭った昴は、はるかをじっと見つめて言った。

「はるかが、私の知らない姿に変わっていくのは辛いです」

「変わるつもりは……ないんだけどな」

 はるかの呟きに昴は首を振る。

「変わりますよ、はるかは。せめてそれを傍で見ていられるのなら……」

 分校に居続けるなら、本校に通う昴とは一緒にいられない。

 本校に転校するなら『ノワール』や分校で出来た友人達とは別れなければならない。

 本当に全部を抱えることはできない。

 そして、今のはるかに分校を捨てる気持ちはない。将来的に転校せざるを得なくなる可能性はあるとしても。

「待っててもらうことはできないかな?」

「……わかりません。だって、離れ離れはとても寂しいんですよ」

 不安や苦しさで、想いは変わっていってしまうかもしれない。そう言って昴は悲しげに微笑んだ。

「でも、はるかとはお友達でいたいと思っています。それは信じてください」


―――


「なるほどねー。まあ、それは八割方振られたんじゃない?」

「……そうだよね」

 お互いに再会を待つという約束がこんに早く崩れるなんて思わなかった。

 柳田の提案があと一か月早ければ、あるいは何もかもが変わっていたのではないか。そんな風にも思ってしまう。

「でも仕方ないよ。はるかだって、あの子より自分の居場所を取ったんだから」

「わかってる」

 昴のために全部捨てる覚悟ができなかったのだ。この結果ははるかに責任がある。

 もう昴と恋人同士には戻れないかもしれない。そう思うと胸が苦しくなる。

 それでも、これがはるかの選んだ道だ。

「本当に、手のかかる子だよね。はるかは。まあ、そこが可愛いんだけど」

 なおも頭を撫でられ、はるかは何とも言えず目を細めた。

 深空はいつも暖かい。

 小さい頃からずっと、こうしてはるかのことを思ってくれている。

「家族だからね。私ははるかの味方だよ。だから、納得いくまで頑張ってみればいいよ」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 その夜、はるかはかなり久しぶりに深空と同じベッドで眠った。


「そういえば、お姉ちゃんも失恋した経験とかあるの?」

「秘密。はるかの想像にお任せします」


 *  *  *


 ぱん、と、想像より大きな音が室内に響いた。近くの部屋にまで聞こえなかったか心配になるレベルだ。

目いっぱい腕を振るったせいか、飛鳥の手のひらまでじんじんと痛む。

ということは、頬を張られたはるかの痛みはそれ以上だろう。

「……っ」

 瞳を潤ませ、頬を手で押さえたはるかがその場で俯く。

 罪悪感から胸が痛むが、飛鳥はそれを堪えて冷たく告げた。

「昴の代わりだよ。これくらいやっても罰は当たらないと思うし」

「……うん」

「それから、今度はあたしの分」

 言って再度腕を振り上げると、はるかがびくりと身を竦ませる。

 しかし飛鳥は構わず、そのまま腕を振り下ろした。



 昨日の土曜日、はるかは学校を休んだ。柳田の話をどうするか結論を出すため、いったん帰郷したのだ。

昴と、そして家族と話し合ってくる。

 そう宣言したはるかを、飛鳥は笑顔で送り出した。

「ん。全部はるかに任せるよ」

 たとえはるかがどういう選択をしても見捨てたりしない。そう決めてのことだ。

 そして、はるかは予定通り日曜日の夜に戻ってきた。

 きちんと話をしてきたという彼から話を聞いた飛鳥は、予想外の結論に驚いた。

その結果が先程の平手だ。



「……あれ?」

 数秒後。

 いつまで経っても平手が来ないのを不思議に思ったか、はるかが瞑っていた目を開く。

 そこで飛鳥は寸止めしていた手を使い、はるかの身体を自分の方へ引き寄せた。

 はるかの身体は細い。男の子なので、さすがに僅かな硬さも感じるが。それでも、思い切り抱きしめたら儚く壊れてしまいそうな気がする。

(立ったまま抱き合うのは結構珍しかった、かな)

 お互いに寝た姿勢の方が安心できるけれど、これはこれでアリだと思う。

 漫画とかドラマみたいで、ドキドキする。


「飛鳥ちゃん?」

「言ったでしょ? 全部任せるって。だからあたしは怒らないよ」

 ――頑張ったね、はるか。

 一発目の平手は言った通り昴の分だ。ある意味、裏切られた形である彼女にはそうする権利があった。裏返せば、はるかには受ける義務があった。

 だから平手を打った。誰かが代わりにやっていいことではないかもしれないが、昴がしなかったのだから仕方ない。


(でも)

 本音を言えば、飛鳥としては昴にも不満がある。

 はるかを認めてあげなかったこと。二人が別れたのは昴の選択でもあったはずなのに、今更またはるかに負担を押し付けようとしたこと。

 あの日の誓いを、簡単に壊そうとしたこと。

 もっと話し合えばいいのに。もっと悩めばいいのに。そうすれば、もっといい結末を迎えられたかもしれないのに。

「飛鳥ちゃん」

 抱き合ったまま飛鳥が思いを馳せていると、やがてはるかがぽつりと言った。

「なに?」

「ごめんね、飛鳥ちゃんにも大変な思いさせちゃうと思うけど」

「いいよ、そんなの」

 くすりと笑って答えた。

 心配とか、迷惑とかじゃなく「大変な思い」と言ってくれたのが嬉しかった。一緒に歩くことを許してもらえた気がするから。


「ネット配信ってことは撮影とかもするんでしょ? あたしにも協力させて。っていうか、はるかのことを他の子に任せっきりとか嫌だし」

「……ふふっ。うん、私も飛鳥ちゃんなら安心かな」

 そっと身を離しながらはるかが浮かべた笑顔はとても優しかった。

(ああ、もう)

 たったそれだけなのにきゅんとしてしまう。

「頑張ろうね、はるか」

「うん。頑張ろうね、飛鳥ちゃん」

 二人で笑いあったあと、飛鳥ははるかの唇にキスをした。

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