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はるかの選択 7

 夢を見た。

 それは、はるかが小さい頃の夢だった。


 はるかは昔から大人しい子供だった。小学校の友達と外で遊ぶこともあったが、どちらかというと家で本を読んだり昼寝をするのを好んだ。単純に体力がなかったのもあるが、あとは高校から姉が帰ってくるのを待つためだ。

 帰宅した深空が居間や食卓で話してくれる土産話がはるかは大好きだった。

 話の内容は友達との会話や教師の珍行動、行き帰りに見かけたお店等、どれも他愛ないものだった。しかし深空がとても楽しそうに話すのもあって、はるかには素晴らしい話に聞こえた。

 だから、はるかはいつしかこう望むようになった。


『僕も、高校生になったらお姉ちゃんの学校に行きたい』


 当時は女子校という概念も知らなかったので、高校生になれば行けると単純に考えていだ。しかし、そんなはるかに姉や母は首を振った。


『どうして? 勉強を頑張ればいいなら、頑張るよ』


 そう主張したこともあったが、やはり答えは変わらなかった。

 ――お姉ちゃんの学校には、男の子は通えないの。

 性差という覆せない理由を伝えられた時、はるかが感じたのは紛れもない絶望だった。


 どうにもならない。

 生まれて初めて本気で望んだ夢が、絶対に叶わない。

 理解した途端に涙が溢れてきて、はるかはかつてないほど大泣きした。母や姉は優しく慰めてくれたが、それでも事実を呑みこみきるのは難しかったのを覚えている。


 その少し後、深空がアイドルにスカウトされた。

 当初、両親は姉の芸能界入りを反対していた。姉と両親が何度も口論していたのをなんとなく覚えている。


 ――はるかはどう思う? 私がアイドルになるの。


 ある日、深空に尋ねられたはるかは、アイドルとは何かと尋ね返した。


 ――可愛い服を着て、歌や踊りで皆を笑顔にする人、かな。


『なら、お姉ちゃんにぴったりだね』

 姉の返事を聞いたはるかは、にっこり笑ってそう答えた。

 制服姿で毎日元気よく登校していく姉はとても可愛かったし、はるかは姉の歌が大好きだった。それに歌でなくとも、彼女の話ではるかはいつも笑顔にしてもらっている。

 だから、そう答えた。

 深空が芸能事務所と契約を交わし、アイドルになったのはそのすぐ後だった。


―――


 目を開くと、視界内にがらんとした客席スペースが広がった。

(そっか。船に乗った後、寝ちゃったんだっけ)

 思ったはるかは、慌てて身を起こし服の乱れや寝癖を確認した。幸い身なりに問題はなく、抱きかかえていた荷物にも異常はなかった。ほっと息を吐いて座席に座り直す。

(いけない。お客さん自体が殆どいないっていっても、気を付けないと)

 むしろ人気がないからこそ危ない部分もある。男の子ならともかく、女の子の一人旅では用心するに越したことはない。

 ――女の子、か。

 ふと先程見ていた夢を思い出し、自嘲めいた笑みが浮かんだ。


(あの時、私、本当は寂しかった)

 姉がどんどん遠くへ行ってしまう気がするのが。

 姉がまた、はるかには真似できないことを始めるのが。

 しかし、はるかはそれを口に出さなかった。単なる我儘だからと遠慮したのと、単純に姉のことが大好きだったから。

 深空の格好いい姿をもっと見たいと、そう思ったのだ。

 そして実際、深空はその後はるかが思った通りアイドルとしてブレイクした。


(でもきっと、私はそれでもう一度思い知ったんだ)

 ――僕とお姉ちゃんとは違う。

 自分と深空の間に、絶対に覆せない性別という壁があることを。

 今になってあらためて理解した。

 はるかにとっては『女の子』という存在自体が、プラスの意味でもマイナスの意味でも最大のコンプレックスなのだ。

 学園側、柳田がそこまで見抜いて設定を用意したなどとは思いたくないが。

 特待生の条件として女装を要求されたのは、少々皮肉が利きすぎている。


(……そういえば、正確にはただの女装じゃないんだっけ)

 学園側から与えられた設定。その正しい文言なんて、自分でも忘れかけていたが。

『周囲から愛され、親しまれるような女生徒』。それがはるかの設定だ。

 思い出したのは、数日前、閉店後の『ノワール』で由貴から指摘されたからだ。

『そういえば、はるかちゃんの設定って、正確にはただの女子生徒じゃないんですよね』

『ふふ。でも、考えてみればぴったりだと思います』

『どうしてって。ほら、要するにそれって、学園のアイドル・・・・・・・って意味ですよね?』

 由貴の言葉は冗談めかしていて本気ではなさそうだったし、反応した飛鳥も「漫画みたい」とどうでもいいコメントを残していたが。

 言われてみてすとん、と腑に落ちたのも事実だ。


(意識してなかったけど……私、設定をなぞってたんだ)

 それすらも柳田の思惑通りなのか、あるいははるかが結果を出したから柳田が声をかけてきたのか。どちらが先かはわからない。

 ただ、はるかは結局何も諦めきれていなかったらしい。

 制服も、学校も、アイドルという言葉も。全部を追いかけてきた。

 今更ながら、欲張りにも程がある。

 そんな事をぼんやり考えている間に船が港へ着いた。船を下りたはるかはバスや電車を乗り継いで都市部へ向かう。

 電車を降りたのは、ひと月ちょっと前に毎日通っていた駅だった。土曜日のお昼過ぎとあって、駅前には生徒の姿がいくつか見える。


『今、駅に着いたから、これから向かうね』


 約束の相手にメールを送ってから歩き出す。彼女とは本校の校門で待ち合わせて、お昼ご飯を食べつつ話をする予定だった。


『すみません。二人分、お昼ご飯を買ってきていただけますか? 外部の方は食堂を利用できないでしょうから』


 途中でスマートフォンに返信メールが入った。

(適当にファミレスにでも入るつもりだったけど……)

 考えてみると公共の場所では話しづらいので、寮の部屋にお邪魔する方が好都合だ。そうなると確かにお昼ご飯が必要になる。

 了解の返事を送った後、手近にあったファーストフード店で持ち帰りを注文した。ちょうどいいことに島にある店舗とは別のチェーンだ。

 程なく校門に着くと、そこで昴が待っていた。


「お久しぶりです、はるか」

 彼女は見慣れた制服姿だった。髪型などにも特に変化はなく、はるかに向けて穏やかに微笑んでくれる。

「うん。久しぶり、昴。元気そうで良かった」

「ええ、はるかも。といっても、転校してまだ一か月足っていないんですよね」

 言いつつ寮へ案内してくれる。一時期本校に通っていたとはいえ、はるかは既に部外者なので生徒の案内がなければ寮へは入れない。

 ついでに言うと本校に通っていた時も本校の寮に入る機会はなかった。

「あ、ちょっと格好いい感じ」


 寮は校舎や体育館よりも先、敷地の奥まったところにあった。木立に囲まれた割合小さめの建物で、やや古めかしい外観からは分校の寮にはない歴史の重みが伝わってくる。


「本校は結構歴史が長い学校ですからね」

 寮に入っている生徒は三十人もいないらしい。そのせいかこじんまりとしているが、代わりに殆どの部屋が個室なのだという。

「分校の寮を個室にしたら大変だもんね」

「男女それぞれで百名を軽く超えますからね……」

 入り口で寮母さんに頭を下げ、スリッパを借りて寮内に入った。階段を上がり、二階にある昴の部屋へ。一階が共用スペースで二階以降が部屋なのは一緒だが学年で階が分かれてはいないらしく、途中で上級生らしき生徒にすれ違ったりもした。


「あ、広い……」

 中に入ると、はるか達の部屋の七、八割ほどの広さがあった。シャワーとトイレも付いており、更には簡単なキッチンまで備わっている。ちょっと負けた気分だ。

 小さなテーブルも用意されていたので向かい合って座った。買ってきた食事を袋から出して並べると、昴は目を輝かせた。

「なんだか、ファーストフードも少し懐かしいです」

「こっちに来てからは行ってないの?」

「はい。少しばたばたしていましたし、一人で行くのも気恥ずかしくて」

 そういうことならと、お互い久しぶりの食事を味わうことにした。

 バーガーにポテト、ドリンクというオーソドックスなメニューを口に運びつつ、はるかは早速話を切り出した。


「それで、今日会いに来た理由なんだけど……」

「はい。……飛鳥さんがこの間話してくださった件ですね」

 はるかは頷き、まずは由貴達とは仲直りできたことを話す。すると昴はほっと安堵のため息を吐いた。

「良かった。……でも、これで解決したわけではないんですよね」

「うん」

 むしろ、肝心なことは何も解決していない。

「だから、昴にも話を聞きたいなって」

 そのために授業を休み、午前の便でここに来た。午後の便だと着くのが夜になってしまうので時間が足りないのだ。


「昴は、私にどうなって欲しい?」

「……そんな大切なことに、私が意見してもいいのでしょうか」

 小さな呟きが昴の唇から漏れる。

 俯いてテーブルを見つめる彼女にはるかは苦笑した

「飛鳥ちゃんも似たようなこと言ってた」

「当たり前じゃないですか。……だって、あまりにも責任が重すぎます」

「ごめんね、無理言っちゃって」

 昴の気持ちもわかる。相手の人生を左右しかねない選択について意見するなんて、きっと物凄く恐ろしい。逆の立場ならはるかだって尻込みするかもしれない。


「それでも、私にとって飛鳥ちゃんと昴は大切な人だから。二人にもきちんと相談したかったんだ」

 今のはるかに二人のいない未来は想像できない。

だから飛鳥達二人の気持ちが知りたい。知ったうえで選びたい。

「もちろん最後に選ぶのは私だから。昴には素直な気持ちを教えて欲しい」

「はるか……」

 昴がかすかに息を飲み、それから短い沈黙が生まれた。

「少しだけ考えを纏めさせて頂けますか?」

「うん。ありがとう」

 はるか達は互いに間を持たせるように食事を再開した。

 バーガーを小さく齧っては良く噛んで飲みこむ。ポテトも一本ずつ摘まんでゆっくり味わい、時折ドリンクで喉を潤す。

 時間をかけた食事が終わった頃、昴があらためて口を開いた。


「本当に自分勝手な意見を言えば、はるかには柳田という人の提案を受けて欲しいです」

「……ちょっと意外かも」

 思わず目を瞬いた。昴はきっと断れと言うだろうと思っていたからだ。

「そうですね。彼の提案も結局、はるかに負担をかけることになりますから。以前はるかの決意を否定した私が賛成するのはおかしいと思います」

 昴の父に二人の交際を否定された時のことだ。

 はるかだけが重荷を背負うのは嫌だ、とはるかがアイドルになるのを拒んだ昴が、あの時と異なる意見を出すのは確かに不自然にも思える。

「でも、そうすれば皆で一緒にいられます。はるかと飛鳥さんが本校に転校すれば、今度こそ別れ別れにならず、また三人で過ごせるんです」


 皆で同じ学校に通えること。昴にとってはそれが大切なのだ。

 はるか達が思っていた程、彼女は分校には拘っていない。場所よりも、三人で過ごす時間を優先して考えてくれている。


「それに、父にはるかを認めてもらうきっかけになるかもしれません」

 前にアイドルになると言った時は、単に深空のアドバイスを受けただけだった。本当にアイドルになれるのか、なれたとして収入はどの程度か、それで昴の父を納得させられるのか、何も確かなことはなかった。

 しかし今回は学園側からの提案だ。柳田の実験に協力すれば最低限の収入が保証されるし、ある程度のバックアップも受けられる。それは、はるか自身の有用性を証明する手段にもなりうる。

「……でも、これはあくまで私個人の勝手な意見です。それから、もっと我儘を言うのなら」

 昴の手がテーブルの上を伸びてきて、はるかの手を掴んだ。


「はるかには特待生も分校も捨てて生きて欲しい。そのうえで父に認めてもらって、ずっと私だけを見て欲しい、と思います」

「それって……」

 つまり、圭一や由貴、飛鳥との絆も捨てろと。何もかもを放り出して一番大切なものだけを掴めと、そういうことか。

 だとしたらそれは、きっと正真正銘、剥き出しにした昴の想いだ。

 恥も外聞も、実際に可能かどうかすら抜きにした、ただの願望。あるいは欲望と呼ぶべき、ドロドロに濁った感情。

「……すみません。困らせてしまいましたよね」

「ううん、大丈夫」

 息を吐いた昴には首を振って答えた。どんな内容だとしても、昴が本音を言ってくれるのは嬉しい。


(私は、昴の気持ちに答えられるのかな)

 由貴、真穂、飛鳥、敷島と司、そして昴。

 皆からの言葉をもう一度思い返しながら思いをまとめていく。自然と周りに注意がいかなって沈黙してしまうが、昴は黙って見守ってくれた。

「……うん」

 答えを出すのにどれくらいかかっただろうか。

 思考から抜け出したはるかは、いつの間にか閉じていた目をゆっくり開いた。

 答えは決まった。

 思えば中学三年生の時に特待生の話を受けてから、何度もこうやって悩んできた。

 きっと、これからもたくさん悩むことになるだろう。

 ただ、今この時のはるかの答えは。


「ごめん、昴。私は本校には行かない。分校で特待生を続けたまま、柳田さんの話を受けてアイドルを目指すよ」

 捨てない。全部まとめて、できるかぎり諦めない。

 後でどれだけ悩もうと後悔しようと、今、後悔したくないから。

 どこまでも欲張ってやる。

 船内で思い出した通り、きっとはるかにはそれしかできないのだ。

 ただし、この答えは昴の気持ちを完全に無視することになるのだが。


「昴に話を聞いて、やっぱり私にはこれしかないって思った。だから、ごめんなさい」

 ――求められたからこそ、別の選択肢を「選べない」ことがわかった。

 深く頭を下げて、はるかはそう告げた。

 昴から返事はなかった。

 一分ほど待って顔を上げると、昴は幾つもの感情を顔に浮かべながら、涙を浮かべてはるかを見ていた。

「卒業しても女装を続ける、ということですか?」

「続けるよ、できるところまで。そのために出来る限り努力もする」

 いずれ限界が来るとしても、その時期を伸ばすことはできる。もしどうしても必要になるのなら、女装の先に進むのだって検討する。

 昴の顔がいっそう強張った。


「本来の性別を捨てて、そこまでする意味があるんですか」

「ううん、違うよ昴。私はそれも捨てるつもりなんかない」

 そんな彼女ににっこりと微笑み、はるかは告げた。


「考えたんだ。特待生制度って、ううん。柳田さんのあの理論って本当は何なんだろうって」

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