はるかの選択 6
フライパンにニンニクや唐辛子を入れ、オリーブオイルと一緒に炒める。その後パスタと絡めれば、あっという間にペペロンチーノが出来上がる。
「飛鳥ちゃん、コンロ空いたよ」
「ありがと。じゃあぱぱっと焼いちゃいますか」
はるかの声に答えた飛鳥がフライパンを軽くすすぎ、そこへ油と下ごしらえ済みの鶏肉を投入する。調理器具を幾つも汚さないため、唐揚げから急遽変更されたチキンステーキだ。こちらもソースにニンニクがしっかり入っている。
食卓へパスタの皿を運んだはるかは、肉の焼ける香ばしい匂いを嗅ぎながらサラダを用意した。千切ったレタスにトマトやセロリを合わせただけの手抜きサラダだが、家庭料理なのだから美味しければいいだろう。
程なく飛鳥のステーキも出来上がり、全ての料理がテーブルに並んだ。一応、栄養を考えてサラダは多めに作り、バゲット(『ノワール』の買い置きを分けて貰った)と、デザートとしてみかん(皮ごと)も用意してあった。
(デザートが手抜き感満載だけど)
スーパーで食材を買い込み、飛鳥と二人で協力したディナーの出来上がりだ。
「さすが、普段から料理してる子は違うなあ」
「ありがとうございます」
並んだ料理を見て感嘆の声を上げたのは真穂だ。そう、ここは寮でも『ノワール』でもなく真穂の自宅だったりする。
由貴達との話を終えて『ノワール』を出た後「多分先生にも心配かけたから」と電話してみたら、これから話せないかと言われたのだ。しかし学校内の施設を使うには時間も微妙なので、飛鳥とここまでやってきたのだ。
夕食の準備はそのついで。お家を貸してもらうならと用意したものだ。
「それじゃ、とりあえず温かいうちにいただきましょうか」
ともあれ時刻も夕食時。真穂の声でまずは食事が始まった。
真穂はまずパスタを一口食べ、それからチキンステーキに手を伸ばす。
「美味しい……。ビールが欲しくなる味」
「あ、私達は気にせず飲んでください」
冷蔵庫に買い置きがあるのは料理中に確認した。はるか達は未成年なので飲めないが。
「でも、教え子の前で飲むわけにもね……」
そう言っていた真穂だが、更に何度か料理を口に運ぶと、我慢しきれなくなったのか冷蔵庫に向かっていった。
「……さて。あれからどうなったのか教えてくれるんでしょ?」
封を開けた缶ビールに口を付けて至福の息を吐いた後、真穂は二人にそう尋ねた。
「はい。あのあと、私と柳田さんは二人で『ノワール』に行って……」
はるかは一通りの事情をかいつまんで話した。すると真穂は深い息を吐いてビールを煽る。あまり一気に飲むのは身体に良くないと思うが……。
「全く、勝手な話よね。他の人には秘密にしろって言ったり、かと思ったら勝手に秘密をバラしてみたり」
続いた言葉を聞いたら窘めることも躊躇われた。
特待生制度を嫌っている彼女だが、それは生徒達の身を案じてのことなのだ。ここ最近の彼女を見ていれば、それくらいは察しがつく。
「そうですね。私も、勝手だと思います」
今回の柳田の言動や昴の父との一件で、はるかは特待生制度の裏で動く大人達の思惑を知った。はるかや飛鳥、由貴に圭一――特待生達はそれぞれ自分の設定を守ろうとしているのに、それを良いように利用されるのは気分が悪い。
「でも、私は特待生の制度そのものは嫌いじゃないんです。そのおかげで良いことも沢山ありましたから」
制度が悪いわけじゃない。運用者のスタンスに一部問題があるだけ。
真穂の思いに共感する部分もあるが、その点については意見が違う。
「あたしは……あの先生は気に食わないけど、それくらいかな。どっちかっていうとはるかの意見に賛成」
比較的、設定の負担も少ない飛鳥は、更にあっけらかんとした態度だ。
たった三人の意見でもそれぞれに違っている。これも簡単に答えが出せる問題ではない。
「だから、正しいとかは無視して、私がどうしたいかで考えようと思ってます。……それでも、色々と難しくて困ってるんですけど」
とりあえず、考えられる選択肢を数え上げてみる。
一つめ、柳田の提案を蹴ってこのままの生活を続ける。
二つめ、柳田の提案を受けて分校に在学する。
三つめ、柳田の提案を受けて本校に転校する。
四つめ、その他。
この上、アイドル活動をするかどうか、転校するなら飛鳥と一緒に行くかなどで更に分岐する。それも含めると選択肢は多い。
「そう……。まあ、私は立場上、無責任なことは言えないのよね」
真穂が目を細めて呟いた。それから料理を口に運んで、
「強いて言うなら、月並みだけど後悔しないように、かな。後は、そうだなあ……」
真穂の手が止まった。宙を彷徨っていた視線がふとはるかの方を向く。
「小鳥遊さんの周りには、あまりこういうこと言う人はいなさそうだから、敢えて言っておこうかな」
そこまで聞けば何か大事な話だというのはわかる。はるかは頷き、しっかりと聞くために居住まいを正した。
酔いのせいかほんのり頬を染めた真穂は、しかし真剣な表情ではるかに告げる。
「やっぱり私は、男の子が女の子の振りをするのは不自然だと思う。小鳥遊さんは、別に女の子になりたいわけじゃないんでしょう?」
「……はい」
はるかが女装しているのは分校に通うための手段だ。女装そのものが目的ではない。
「だったら、他の道を探すことだってできると思う。だって、やっぱり男と女は違うよ。今はよくても将来、女装のままじゃ不都合なことだって出てくる」
敢えてと宣言されていた通り耳の痛い言葉だった。
女装をしていくうえでの不都合については、はるかも考えたことはある。例えば自分なりに女装について調べた時や、父や中学時代の友人といった他の男性を見た時、やはり思うところはあった。
肌質も体毛も骨格も、男女では違いがある。はるかの身体はだいぶ少女のそれに近いし、今は可愛いなどと言われているが、この先歳を重ねていけば限界は出てくる。
「現代の医学なら性転換の技術も進んでいるらしいけど、そこまでする覚悟はある? 男性機能を失えば、好きな人と子供を残せなくなるかもしれない。性転換すれば戸籍の問題だって出てくるよ。それはどうするの?」
隣に座った飛鳥と顔を見合わせた。
子供とか結婚とか、そういうのはまだ遠い話に思える。
しかし、だからといって無視してはいられない。
いつか、このままではいられない時が来る。
真穂が言っているのはそういうことだ。
「本当はもっと後に考えてもいい問題だと思うけど。小鳥遊さんの場合は、今の決定で先の未来まで決まってしまいかねないから。よく考えて欲しいな」
「……はい」
後悔をしないように。
真穂との食事を終えたはるかは、飛鳥と二人で後片付けをして真穂のアパートを出た。
(なんだか、今日一日で色々あったなあ……)
空はすっかり暗くなり、雲間から星が瞬いている。
島内の道路は都会と比べると街灯も少なく、また人や車の通りもあまりない。そのため二人の歩みは他に煩わされることなく続いた。
「飛鳥ちゃんは、私にどうなって欲しい?」
分校の校門に向かいながら尋ねると、飛鳥はふっと笑って返事をした。
「それは、あたしのこと将来のパートナーだって思ってくれてるから?」
「え、えっと」
思わぬ返し方をされてはるかは戸惑った。そうだとも違うとも言いづらいのだが、何と答えたらいいものか。
「……私の今の恋人は飛鳥ちゃんだから」
「そっか。あたし達、付き合ってるってことでいいんだ」
「う、うん」
やや誤魔化し気味に言ったら、にこにこと笑顔で言われて更に戸惑ってしまった。一応、はるかとしては飛鳥とキスした時からそのつもりだったのだけれど。
「えへへー。はるかから言って貰えて嬉しいな」
「もう、からかわないでよ」
質問の答えをはぐらかされてしまった感じだ、とふてくされていると、風に乗って飛鳥の言葉が飛んできた。
「あたしは、きっとはるかならどうなっても好きだよ」
「――え」
不意打ちすぎて、まともに返事もできずに固まった。
少し前を歩いていた飛鳥が振り返り、赤くなった顔を見せてくれる。
「今のはるかも好きだし、きっと男の子に戻ったはるかも好きになれると思う。はるかが女の子になりたいなら、それでもいい」
――できれば、好きな人の子供は欲しいけどね。
「前にはるか言ってたよね。昴のためにも、卒業したら元に戻るって。でも、無理にそうしなくてもいいんだよ。昴だってわかってくれるかもしれないし。……駄目だったら、あたしが貰ってあげるから」
「ありがとう、飛鳥ちゃん」
はるかが微笑んで頷くと、飛鳥は「あ、でも」と続けた。
「あたしはどっちかというと女の子のはるかの方が好きかなあ。はるかのせいで女の子もいいかなあ、って思うようになっちゃったし」
「また冗談ばっかり」
軽く流したところに「冗談じゃないんだけどな……」と小さく聞こえた気がしたが、怖いので聞かなかったことにした。
―――
翌週の月曜日、『ノワール』は久々の開店となった。
「はー、ここ来るのも久々な気がするな」
「っても、あんたは結構よく来てるんでしょ?」
特にこちらから宣伝はしなかったのだが、飛鳥といつも通り話していると「喧嘩は終わったの?」と声をかけてくる生徒が何人もいて、その流れで店の再開も周囲に知れ渡った。
二年生の教室でも似たようなことがあったのか、その日は満席になる自体が何度かあるほどの盛況ぶりだった。はるかとしても久しぶりのメイド服に心が躍って必要以上の笑顔を振り撒いた。
そんな中、部活帰りの司と敷島が示し合わせたようにやってきたのは、時間が遅くなって客足がやや落ち着いた頃だった。敷島はアイスで、司はホットでそれぞれコーヒーを注文し、相変わらずな会話を繰り広げる。
(たぶんこれ、デートなんだよね。一応)
寮で暮らす分校の生徒たちは皆、それぞれに想い人との過ごし方を工夫しているのだ。
「そうだ、敷島くん。一つ聞いてもいいかな?」
「へ? ああ、うん。いいけど」
接客の合間、はるかはふと思い立って敷島に話しかけてみる。目下の悩みの参考として彼なりの意見も聞ければと思ったのだ。
敷島も怪訝な顔をしつつ了承してくれたので、彼に尋ねる。
「私がアイドルになるとしたら、どう思う?」
「「アイドル?」」
おうむ返しに二人から声があり、つい笑ってしまった。
司は罰が悪そうにカップへ手を伸ばし、敷島は頬を掻きながらあらためて答えてきた。
「それって、歌ったり踊ったりするあのアイドル?」
「うん、そうだよ」
「なるほど。うーん、俺はオタクってもアイドル関係は専門外だしなあ」
どうやら彼らにも色々専門分野があるらしい。
敷島が何やら唸っている間、代わりに司が口を開いた。
「あたしはもっと知らないけど、ああいうのって結構派手っぽい子がやってるイメージじゃない? 小鳥遊さんは苦手そうだけど」
「いや、そうでもないぞ。髪や化粧はキャラ付けって場合もあるし、古き良きアイドルはむしろ清純派が多かったんだからな」
「十分詳しいじゃない。何が専門外よ」
「あはは……」
この二人も大概仲がいいなあ、とはるかは思う。
ただ、話があっという間に雑談へ向かいそうなので方向修正する。
「敷島君は、私がアイドルやったらおかしいと思わない?」
元々、この話を言い出したのは深空だった。
自身がアイドルだった姉が薦めてきたのだ。勝算がないわけではないのだろうが、家族の言葉だけではいまいちピンと来ない部分もある。
だから、他の人の意見も聞いてみたかった。
「ああ、いいと思うけど。小鳥遊さん可愛いし」
「あたしも。テレビで見るああいう子達と比べても差はないんじゃないかな」
「ありがとう、二人とも。参考にするね」
二人にはにっこり笑ってお礼を言った。他のテーブルの客から「今のは何の話だ」と聞かれたりもしたが、そちらはただの雑談だとはぐらかす。
実際、現段階ではただの雑談でしかない。
あと一週間ちょっと、目いっぱい使って考えるつもりで、それまで結論なんて全く出せないのだから。