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はるかの選択 5

 電気を点けず、カーテンも閉め切ったままの店内は、まだ夕方前だとは思えないほど薄暗い。

 しかし、今の由貴にそんなことはどうでもよかった。

 『ノワール』へやってきたのは授業を終えてすぐ。有り物で昼食を済ませた後、由貴はテーブルに頭と腕を投げ出したまま、ただぼんやりと時間を浪費していた。宿題に予習復習その他諸々、やるべきことはある。けれどその気力が起きないのだ。いっそ眠ってしまえればいいが、それもうまくいかない。

 かなりの重症だと自分でも思うが、冷静な思考とは裏腹に口からはため息が漏れるばかりだった。


「これからどうするおつもりですか」

 頼んでもいないのに付き添ってくれている圭一――さすがに椅子には腰かけている――がある時不意に言った。由貴はそれを、どこか他人事のように聞く。

(ああそっか、私に言っているのよね……)

 一拍遅れて気づき、言葉を返す。

「そうね。どうしようか」

 あれ以来『ノワール』の営業は休止している。早くも三日が経つ今、友人達からも再開を望む声が上がっているが、由貴はその全てに生返事でしていた。

『ちょっと事情があって。これからどうなるかはまだわからないかな』

 なんて、今のところ再開するつもりなんてさらさらないのだが。


(それなりにこだわって作った店なんだけどね……)

 『ノワール』は、もともと由貴が在学中の暇つぶしのために始めた部だ。喫茶店を選んだのは親族がオーナーを務める、とあるメイド喫茶の衣装が気に入ったから。

 場所の確保するための学校側との折衝を行って工事の手配し、また同じメイド服を卸して貰うための交渉し、茶葉や豆も安く質のいいものを厳選した。

 そうやって一つ一つ作り上げた店は最初の一年、全くと言っていいほど繁盛しなかったが、それは構わなかった。自分の手で好きなように店を作り、そこでメイドの真似事ができれば十分だったのだ。だから由貴は日々、圭一を相手に調理や給仕の練習に励み、一定の能力を身に着けた。


 そんな日常が変化を見せたのは今年の四月。昴が入学し、はるかと飛鳥を連れてきた時からだった。

 はるかにメイド服の一着を与え、調理その他のレクチャーに充実を感じ。

 飛鳥とのお喋りに素直な楽しさを覚え。

 昴が文句を言いつつ二人に付き合っている姿に安堵し。

 気付けば『ノワール』は立派な部活動になっていた。


 後輩ができ、来客が増え、料理やお茶を提供できることがとても楽しいのだと、由貴は経験してみて初めて気づいた。

 単なる興味本位、一年を過ごして飽き始めていた環境を変えるため。

 そんな軽い気持ちで受け入れた後輩達は、今では由貴にとって大切な仲間だ。

 でなければ正体が露見する危険を冒してまで夏休みに別荘を手配することも、昴と彼女の父親の件で胸を痛めることもなかっただろう。


 楽しんでいたのだ。由貴自身も、この半年あまりの『ノワール』での活動を。

(でも、それももう終わり)

 水曜日の放課後。突然やってきた柳田佑真によって由貴達の秘密は暴かれた。また同時に、昴の父の一件に由貴が関わっていたことも知られてしまった。

 こうなった以上、待っているのは破局しかない。


(昴は、私のやったことを許してくれたけど)

 彼女はある種、由貴と似通った境遇にいるからこそ納得してくれた。しかしはるかや飛鳥に同じ対応を望むのは傲慢が過ぎるだろう。

 むしろ、彼女達に恨まれても仕方のないことを由貴はしたのだ。

 嫌われる覚悟はできている。もし嫌われていなかったとしても、憎まれ役を演じる覚悟も。

 でなければ昴にも、はるか達にも申し訳が立たない。だから由貴はここ数日、はるか達を無視し続けていた。

 由貴の身体を包む倦怠感は、その決意と覚悟の反動のようなものだ。


 圭一が溜め息をつくのが聞こえた。

「そんなに気になるのなら仲直りすればいいでしょう」

「……そういうわけにはいかないの」

 答えた由貴もまた、今日何度目かのため息を吐く。


 仲直りするって、どんな顔をして話をすればいいというのか。

 自分の都合で昴を売りました、ごめんなさい。なんて言えるわけがない。

「もう、ここ潰しましょうか」

 なまじ残っているから未練が残るのだ。

 なくしてしまえば思い悩むこともなくなるかもしれない。

 そんな自暴自棄な由貴の呟きに圭一が口を開き――彼の口から言葉が発せられる前に、店の入り口でかちりと小さな音がした。

 ドアの施錠が解除される音。

 反射的に顔を上げた。これが泥棒の類でないのなら、入ってこれるのは――。

 開かれたドアから光が射し込み、僅かに店内が明るくなる。


「……由貴先輩、香坂先輩」

 入ってきたのは、やはりはるかと飛鳥だった。

 彼女達がやって来たのは偶然か。居場所は誰にも伝えていないし、外から見て気づかれないよう照明等も利用しなかった。

 店の様子を見て引き返してくれれば良かったのに。


「何の用?」

 愚痴を言いたくなる気持ちを抑えて、由貴は努めて冷たい声を作った。

 テーブルに置いていた肘を離し、代わりに椅子へ背を預けて足を組む。

「由貴先輩達と話がしたいんです」

 はるか達の表情は真剣だ。真っ直ぐに、しかし悪意はなく由貴や圭一のことを見つめている。

「私は別に話したいことはないけど?」

「あたしたちにはあるんです」

 わざと邪険に扱っているのに気にした様子もない。

 どうしたらいいのだろう。

 はるか達の顔を見ていると、謝って許してもらいたくなる。

 もう一度、今まで通りの関係に戻れるのではないかと期待してしまう。

 そんな虫のいい話、あるわけがないのに。


「………」

 言葉で駄目なら態度で示す。由貴は黙ったままはるか達を睨みつけた。言えるものなら言ってみろ、そんな思いを込めて。

(そして、私の前からいなくなって)

「すみませんでした、由貴先輩。私があの人を連れてきたばっかりに、余計な騒ぎを起こしてしまって」

 しかし由貴の思いとは裏腹に、はるかは深く頭を下げる。

 由貴を詰り、罵るのではなく、あらためて問い詰めるのでもなく。自らの非を詫びようと。

 そんな必要、ありはしないのに。


(私は知っていた)

 顔も名前も、柳田に関する知識はあった。だから、はるかが彼を連れてきた時点で厄介事が始まるとわかっていた。

 下手に対応すれば取り返しがつかない事になりかねないことだって、予想できたのに。

 にもかかわらず対処しなかったのだから、それは由貴の責任だ。

「……そうね。いい迷惑だわ」

「昴から聞きました。先輩達は立場を入れ替えていたんですね。特待生の条件に従って」

 その言葉には思わず反応してしまった。

 昴が話したのか。まあ、今更同じことだが。


「そうよ。それがどうかしたの?」

「いいえ。でも、昴から聞いたのはそれだけじゃないんです。私達のことを昴のお父さんに伝えたのも、由貴先輩が自分で望んだわけじゃないと聞きました」

「……っ」

 由貴は唇を噛んだ。

 はるか達の言ったことは事実だ。誰が好き好んで、大切な幼馴染と後輩の恋路を邪魔するというのか。

「だったら何? 理由がどうだろうと、私がやったことは変わらない。貴方達の未来を、私は自分の都合で壊したの」

 すると今度は飛鳥が口を開いた。

「由貴先輩がやらなくても、結局バレてたんでしょ? それで、結局同じことになった。なら、それも由貴先輩のせいじゃない」

「昴も、由貴先輩達のことを恨んではいませんでした。だから、仲直りしてくれませんか……?」

 ああ、もう。

 何でこの子達はそうやって許そうとするのか。


「……どうしてよ。恨まれた方がいっそ楽なのに。なんでそうやって」

 何で自分は今、泣いているのか。

 自分が駄々を捏ねているだけだというのは途中で気づいた。でも止められなかった。

 わざと嫌味な言い方をして嫌われようとして、結局これか。

 俯いて、嗚咽混じりにしゃくりあげていると、肩にそっと手が置かれた。

「僕たちの負けですよ。潔く降伏しましょう」

「……でも」

 顔を上げて小さく呟いたところに、はるか達から再び声がかかる。

「私達のこと、許してはもらえませんか?」

 ――だから、もともと怒ってなんて。

 どうしてもその一言が言えなくて。


「……いいわ、許してあげる。それで水に流しましょう」

 一体何様なのか、という台詞を言い放った。

 なのにはるか達は満面の笑顔を浮かべて頷く。

「はい。じゃあ許します」

「これで仲直りですね」

 本当に、変な子達だ。

 由貴の瞳から再び涙が溢れだした涙は、しばらく止まりそうになった。


 *  *  *


 彼女を恨まないで欲しい。

 飛鳥との電話で、昴はそう言っていたらしい。そして、昴から事情を聞いたはるか達も同じ結論を出した。

 悪意を持って行われたことではなく、やむにやまれぬ行為なら、気にしない。

 はるか達は二人でそう決めた。


 『ノワール』へ行くと二人がいたのは嬉しい誤算だった。本当は店まで行ったあと、由貴達をそこへ呼び出すつもりだったのだ。

 おかげで話は早く済んだが、それでも由貴が落ち着く頃には、外はだんだん暗くなり始めていた。


 照明を点け、四人分の紅茶を淹れて。飛鳥や圭一と共に待っていると、顔を上げた由貴は目元を軽く拭った後でこう言った。

「作戦会議を始めましょう」

 声も笑顔も、本調子に戻ったようでほっとする。

 しかし、ただほっとしている場合ではない。

「あの、由貴先輩。実は私、もう一つお話しないといけないことがあって」

 割って入る形になるのを申し訳なく思いつつ、おずおずと話を切り出す。すると由貴は少し考えてから、ああ、と小さく声を上げた。

「はるかちゃんが特待生だという話、ですね?」

 はい、と答えて頷く。そう、柳田が暴露していったのは飛鳥と由貴だけでなく、はるかの秘密もだ。しかも、秘密の度合いとしてははるかが最も大きい。

 ここまで来て勢いで有耶無耶にしてしまうわけにもいかないだろう。


「実は、飛鳥ちゃんと昴には前に話してあるんですけど……」

「本当は、はるかちゃんは男の子なんですよね?」

「え」

 息を吸い、意を決して話そうとしたところで、あっさり向こうから核心を突かれた。

 飛鳥と二人でぽかんと口を開けると、由貴達も苦笑しながら顔を見合わせる。

「……ごめんなさい。本当はそれも知っていたんです。父は分校どころか学園全体に寄付を行っている人だから、そういう情報も入ってきて」

「い、いつから知ってたんですか?」

「ゴールデンウィークになる前、ですね」

 殆ど最初からだった。全然知らなかったが、由貴達はずっと、はるかが男だと知ったうえで接してくれていたらしい。


「じゃあ、海に行った時も……」

 一緒に水着で遊んだり、同じ部屋で眠ったりしていたと思うのだが。

「ええ、まあ。……正直知っていても、はるかちゃんのことは異性として意識していないので」

「うわ。由貴先輩、それはちょっと男の子にはキツイ台詞なんじゃ」

「あはは……」

 信用されていると見るべきか、男として欠陥ありと見るべきか。少々考えてしまうはるかだった。


「そういえば、喋り方は元に戻しちゃうんですか? あたし達は別にいいですけど」

「はるかちゃん達の前だと、あれは何だか落ち着かないんですよ。それにいつどこで誰に聞かれるかもわかりませんし」

 その声に圭一がふっと笑った。

「だから、僕もこれまで通りやらせてもらうよ。本当はそんなに偉いわけでもないんだけどね」

「わかりました」

 これで、はるか達の関係については収まった。全てが全て元通りとはいかないだろうが、また皆で一緒にいられるだろう。

 安心から顔を綻ばせながら、はるかは話を進めた。


「それで、柳田先生の話なんですけど」

 隠し事が無くなったので、まずは柳田の話を包み隠さず説明し直した。特待生に関する話を付け加えたことで、由貴達にも判断がしやすくなったはずだ。その上で、

「この話、由貴先輩は本当だと思いますか?」

 尋ねられた由貴は紅茶を口に含み、飲みこんでから答えた。

「ええ、話に嘘はないと思います。少なくとも彼の肩書は本当ですし、それだけの権限もおそらくあるでしょう。ただ問題なのは、彼が全てを話しているかどうかです」

 嘘は言わず意図的に誤解させるとか、そこまで行かずとも真意を隠したり、リスクを軽く伝えたりというのは常套手段なのだという。

 確かに。はるかにその手の機微は全く無いので、騙されても気づかないだろう。


「ただ、まあ。契約という形を取る以上、今の段階でしっかり要点を押さえておけば問題ないかと。親御さんやお姉さんにも相談することになるでしょうし」

「なるほど……」

 つまり契約に注意する必要はあるが、はるかはどういう選択をしてもいいということ。

「……個人的な意見を言えば、やっぱり私は反対ですが」

「由貴は小鳥遊さん達が忙しくなると寂しいから嫌だってさ」

「圭一様?」

 先輩達のやりとりにくすりと笑いつつ、はるかは考える。

(私がどうしたいか、か……)

 幸い、答えを出すまでにはまだ少し時間がある。それまでに考え、皆と話し合って選ぶしかないらしい。

 この先の、はるか自身の行く末を。

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