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はるかの選択 4

 土曜日。はるかは半日の授業を終えた後、飛鳥と昼食を摂って寮へ戻った。

 勉強机に鞄をかけ、ため息をついて、はるかはちらりと横目で飛鳥を窺う。

 いつも明るく優しいパートナーの少女は今、床に鞄を放り出し制服も着替えないまま机に突っ伏していた。部屋に戻って一分も経っていないので、まだ意識はあるだろうが、その姿からは「話しかけるな」というオーラが全力で発散されている。

 それを見て、思わずもう一度ため息をついてしまった。

 とりあえず飛鳥のことは置き、制服を脱いで部屋着に着替える。それから机に向かい、今日の課題を片づけようと教科書とノートを開いて――。


(ああ、もう!)

 やはりもやもやした気持ちが収まらず、勉強どころではなかった。

 心中で叫ぶと開いたばかりの教科書類を閉じて立ち上がる。

「飛鳥ちゃん」

 ベッドを挟んだ向こう側にいる相方は、声をかけても返事をしてくれなかった。

 ならばと、今度は背後まで歩いていってもう一度声をかける。

「飛鳥ちゃん」

 やはり返事はない。いつもなら、きっとここで諦めるだろうが。今日ばかりはそれで済ませるつもりはない。

 はるかは椅子越しに、飛鳥の身体をぎゅっと抱きしめた。

「……はるか」

 すると、ようやく返事があった。ゆっくり身を起こした飛鳥が振り返ってくるので、腕を離し床に座って彼女を見上げる。


 飛鳥の瞼には隈ができていた。最近眠れていない様子なのは察していたが、間近で見ると思った以上に酷い状態だ。

「お願い、話をさせてくれないかな」

 飛鳥の手を取り、そっと握りしめる。

 ――水曜に柳田と話して以来、はるか達は碌に話もしていなかった。

 生活に必要な最低限の会話はするが、それ以外で飛鳥から話しかけてくることは皆無。はるかから話そうとしても無視されたり、あるいは話かけること自体を態度で拒否されてしまいうまくいかない。

 あの後『ノワール』は休業している。今後どうするのか聞こうにも、由貴や圭一からもやはり無視されている。なるべく顔に出さないようにしているが、クラスメートにも何度も心配されてしまっている。

 しかし、このままでいいわけがない。

「ごめんなさい。私のせいで辛い思いさせちゃって」

 はるかが柳田を呼ばなければ、あんなことにはならなかった。

 飛鳥だけでなく、由貴や圭一にも迷惑をかけた。特に飛鳥には暴力まで振るわせてしまった。

 生徒が他人、それも大人に危害を加えるなんて、問題行動とみなされ処罰されても仕方がない。

『この事は私だけの胸にしまっておきますから、ご心配なく』

 幸い、柳田に事を荒立てる気はないようだったが。だからといって事実が、罪が消えるわけではない。


「ううん、はるかのせいじゃないよ」

 しかし、飛鳥ははるかを責めようとはしなかった。

「はるかがあの人を連れてこなくても同じだよ。はるかの話を聞いたら、あたしはきっとその人に会いたがったと思うし。それに、悪いのはあの人でしょ?」

「それは、そうかもしれないけど」

 だからといって柳田に全責任を転嫁するなんて、はるかにはできない。

「いいってば。だってあたし、はるかに怒ってたわけじゃないし」

「……え?」

 てっきり怒っているのだろうと思っていたのに。

「あたしは、はるかに合わせる顔がなかっただけ。……あとは、はるかに怒られるのが怖かったからかな」

 飛鳥の目が優しくはるかを見つめた。

「そんなこと……」

「だって。あたしははるかを騙してたんだよ」

 あの時、柳田は一同に向けて由貴と飛鳥が特待生だと告げた。

「あれは本当、なんだね」

「うん、本当だよ」

 はるかの秘密を知っていたのだ。彼は当然、他の特待生の事情も知っているはず。そう思いつつも嘘の可能性を疑っていたのだが。

「……そっか」

 それは確かに、全く気にならないといえば嘘になる。

 しかし、胸がちくりと痛むのを感じながらも、はるかは首を振って答えた。


「でも怒らない。怒れないよ、だって私も同じなんだから」

 同じ特待生だ。秘密を抱える辛さも、言えない理由もわかっている。

 何より、はるかは自分の秘密を飛鳥や昴に受け入れてもらっているのだ。自分だけ飛鳥を責めるなんて薄情な真似はできない。

「飛鳥ちゃん、教えてくれる? 飛鳥ちゃんの秘密」

 見上げて尋ねると、飛鳥は頷いた。

「……あたしのもらった設定は、女の子が好き、っていうの」

 女の子なのに、女の子が好き。

「そう、だったんだ」

 そう言われてみれば、腑に落ちる部分はあった。

『大丈夫だよ、女の子同士なんだし。ね、ちょっと触らせて?』

 思えば初めて会った日、はるかに対する飛鳥の行動は過激だった。単なる同性相手のスキンシップとしては過剰なほどに。きっと、あれは飛鳥の演技だったのだ。寮、学食、部活とほぼいつもはるかと一緒で、積極的に男子と関わるところを見たことがないのもそのため。

 ……圭一や敷島など、話す必要がある相手とは普通に接していたし、はるかの秘密を知った後もスキンシップが続いていたから、今まで気にしていなかったが。

 以前、奈々子が口にした狂言が奇しくも的を射ていたわけだ。

 奇妙な納得感を抱きながら、はるかは深く息を吐いた。


「……あたしの秘密を知っても、はるかは怒らない?」

「怒らないよ。そう言ったでしょ?」

 同性を好きになる気持ちは、はるかにもわかる。

 昴は同性だと思っていたはるかに告白してくれたし、そうでなくとも色々と複雑な恋愛をしている立場だ。今更そんなことは気にしない。

「ううん、そうじゃなくて。……いや、それもそうなんだけど」

 飛鳥が首を振って、悲しそうにはるかを見た。

「あたしがこんな設定をもらった理由、何だと思う?」

「え……と」

 そう言われ、はるかはもう一度考えてみる。

 与えられる設定は、本来の自分とはかけ離れたもの。

 同性愛者の反対は異性愛者。しかし、ただ単に異性を恋愛対象にするというだけなら圧倒的多数の人間に当て嵌まる。一般的すぎて設定の基準としてはやや違和感を覚える。

 にもかかわらず、こんな設定が与えられた理由があるとしたら何だろう?

「――ぁ」

 思い至った答えに背筋が震えた。

 同性愛が慣れていないこと、苦手なことだとすれば、飛鳥にとっての異性との恋愛は、その逆。


「……飛鳥ちゃんは、前に誰かと付き合った経験、あるの?」

 思えばこんなこと、尋ねたことはなかった。

 飛鳥が男慣れしている、なんて。

 人当たりのいい彼女のことだ。可能性としては十分あるのに、考えたこともなかった。しかし一度考えてしまえば疑問は頭から離れなくなった。

「中学の頃にね、何人かの男の子と付き合ったよ。だから恋愛は初めてじゃないんだ」

 自嘲めいた笑みを浮かべて飛鳥が呟いた。

 そんな顔、飛鳥にはして欲しくないのに。

 どろどろした汚い感情が胸の奥から湧いてくる。

「どう? これでも怒らない?」

 怒りはしない。ただ悔しくて、はるかはその場で俯いた。

 飛鳥の初めての相手になれなかったことが、ではない。その程度のこと、と笑って言えない自分がだ。

(飛鳥ちゃんが悪いわけじゃない)

 それどころか、はるかだって昴と思いを交わらせているのだ。

 飛鳥がはるかと会う前に誰かと恋愛をしていても、咎める権利なんてないのに。


「私、ずるいよ。今ものすごく嫉妬してる。会ったことのない誰かに」

 涙をこぼしながら嗚咽すると、かすかに飛鳥が息を飲む気配があった。

 握ったままだった飛鳥の手がそっと開かれ、はるかの手から逃れると、今度ははるかの頭を包み込んだ。

「……一応ね、キスはこの前が初めてだったんだよ。裸を見たのも、見せたのだって、はるかが初めて。信じてくれなくてもいいし、それで許してもらおうなんて思わないけど」

 嬉しい、と飛鳥は囁いた。

「はるかが、今、あたしのことを考えてくれてるのが。あたしのことだけを、考えてくれてるのが」

 はっとして顔を上げると、飛鳥もまた瞳に涙を浮かべていた。

 それを見たはるかは衝動的に飛鳥の手を取ると、それを引いた。

 椅子から崩れ落ちた飛鳥がはるかの上に倒れ込み、二人は至近距離で顔を合わせた。

「飛鳥ちゃん、キスして」

「……いいの?」

「いいよ、もちろん。飛鳥ちゃんだもん」

 ぱっと破顔した飛鳥が目を閉じ、唇を近づけてくる。それに合わせてはるかも目を閉じると、やがて唇同士が触れ合った。

 いつかと同じように、二人は気が済むまで抱き合い、やがて離れた。


 恥ずかしそうに頬を染めた飛鳥がおずおずと言う。

「え、と。これで仲直り、ってことでいい?」

「うん。仲直りしたい。飛鳥ちゃんが許してくれるなら」

「っ、うん。許す。許すに決まってるよ!」

 そこでもう一回飛鳥が抱き着いてきて、更に間があり。ようやく落ち着いた二人はいつもの作戦会議を始めた。

「で、はるか。これからどうしよっか」

「そうだね……まずは由貴先輩達とも仲直りしたいな」

 柳田の提案に関してはまだ何の結論も出していない。あのあと、彼はすぐに『ノワール』を去ってしまったからだ。

 去り際に彼が言い残したのは、飛鳥の平手を口外しないことと、二週間後に答えを聞きたいという宣言だった。

 あの一件からはまだ三日。タイムリミットまでは大分あるので、いったん後回しだ。


「飛鳥ちゃんもそれでいい? 由貴先輩と仲直り、できる?」

「はるかこそ」

 お互いに思うのは同じことだろう。由貴が、昴の父へ情報を流したという話だ。

「もちろん私も気になるけど、それも含めて柳田……さんの話はもう一回整理した方がいいと思うんだ。何で私達にあんなことを言ったのか良くわからないから」

 由貴の行為についてはそれから判断してもきっと遅くない。

「……そうだね。あの人、なんかちょっと変な感じだったし」

 変な感じ、という飛鳥の抽象的な表現にはるかも頷く。

 なんというか、あの時は色々な情報がいっぺんに入ってきたせいで、どこから何をどう解釈したらいいのかわからないのだ。にもかかわらず違和感だけは感じるから、結果、抽象的な表現に逃げることになる。

 とはいえいつまでも「何か変」と言っていても仕方ないので、「柳田が何故、由貴達の秘密をバラしたのか」に絞って考えてみることにする。


 しばらく飛鳥と二人で頭を悩ませ、浮かんだのは。

「話の流れ的には、由貴先輩達を信用するな、って言い方だったんだよね」

「でも、言い過ぎじゃなかった? あたし達にわざと嫌われようとしているみたいな」

 状況と印象からそれぞれ導き出した推測だった。

 二人が出した推測はある意味反対だ。由貴達の信用を下げようとしたのなら、それは自分を信用してもらうためだったはず。それなのに嫌われたら元も子もない。しかし何かの理由で悪役になろうとしたのなら、はるか達に仲間割れをさせる必要があったのか疑問を感じる。

 以前に奈々子がしたように「状況を引っ掻き回す」こと自体が目的という可能性もあるが、柳田の立場を考えると、これもしっくりこない。

 いきなり暗礁に乗り上げた感じだった。

「……えっとさ。話は変わるけど、由貴先輩達は何で怒ってるのかな?」

 室内に沈黙が下りたところで飛鳥が言った。

「それは、やっぱり私のせいで秘密がバレちゃったから」

「んー。でもさ、あたしだってそこは気にしてなかったんだよ? 由貴先輩達がそこまで気にするかな」

 そう言われると心もとない。

 由貴の秘密が余程隠しておきたいものだったすれば、その可能性もあると思うが。


「じゃあ、はるかは由貴先輩達の設定って何だと思う?」

 聞かれて、はるかはあの時感じた印象をそのまま答えた。

「由貴先輩と香坂先輩が入れ替わってるのかな、って思った」

「……えーと、香坂先輩が女の子で由貴先輩が男の子ってこと?」

「じゃなくて、ご主人様とメイド、がお嬢様と執事、になった感じ」

 敬語の入れ替わりや由貴の不遜な態度から、はるかはそう思った。

 あー、と飛鳥も微妙な呻き声と共に頷いた。

「あの時の由貴先輩、なんか偉そうだったもんね」

「偉そうって」

 もっと他に言い方はなかったものか。

「あたしはよくわかんないから、はるかの言う通りだとするとさ。……そこまでして隠しておく必要、ある?」

「……ない、ような気もするけど」

 由貴がお金持ちのお嬢様で、圭一がその執事だったとして。

 騙された、裏切りだとはるか達が感じるかというと、それはない。

 身も蓋もない言い方をすれば「そうだったんだ」で終わる。なぜならそういう設定だとすれば、由貴達の人格に大きな嘘偽りはないはずだから。

 ただ、仮定が多すぎて推測のしようがないのも事実だった。

 彼女達の設定がなんなのかはっきり知ることができれば、もう少し違ってくるかもしれないが。

(本当の由貴先輩達……って、なんだ)

「じゃあ、昴に聞いてみようよ」

「うわ、何その簡単な解決方法」

 ぽかん、と飛鳥が口を開け、呆然と呟いた。


 *  *  *


 その時、間宮昴は勉強の最中だった。

 本校も分校と同じく土曜日は午前授業なので、それを利用して昼食後は予習や復習に励んでいたのだ。クラスメートの宇佐美真琴から遊びに誘われたりもしたが、今日のところは断らせてもらった。

(皆さんとも仲良くしたいですが、転校して間もない今の時期は、極力穏便な生活をしておきたいので)

 涙を呑んで断念した、というわけだ。

 お陰で勉強は捗り、時刻も午後三時を回ったので一息つこうかという頃、時計代わりに机に置いていたスマートフォンが着信音を響かせたのだった。

「飛鳥さんから……」

 ディスプレイに表示された名前を見て、昴は口元を綻ばせた。

 電話の相手が父ではなく親しい友人だったのが嬉しかったのだ。欲を言うのなら、はるかからかかってくるのが一番嬉しいが。


「もしもし。飛鳥さんですか?」

『やほー、昴。久しぶり。元気にしてる?』

「ええ、私は元気です。飛鳥さんもお変わりありませんか?」

 教科書類を閉じ、席を立ってベッドへ移動した。長話になってもいいようにリラックスできるところへ行きたかったのだ。

『うん。元気だよ。……でも、ちょっと困ったことがあってさ。昴に相談したくて』

「ええ、私で良ければ何でも言ってください」

 そう請け負いつつ、昴は心持を整える。わざわざ遠方にいる自分に相談してくるということは、結構な厄介事か、はるかに相談できないような事柄だろう。

(はるかと喧嘩したとか……では、ないですよね)

『ありがとう。えっとね、はるかのところに変なおじさんが来て、変な話をしてきて……』

「待ってください。もう少し詳しく教えてください」

 省略しすぎて何が何やらな説明をいったん止めて、詳しく話を聞くと、それは紛れもなく厄介事だった。

 『実験』の大元である研究者、柳田が直接はるかに接触し、彼を取り込もうとしている。しかも柳田はその過程で、飛鳥や由貴、圭一が特待生であることまで明かしてしまった。


「はるかは大丈夫なんですか?」

『うん、はるかは落ち着いてる。でも、あたし達今、由貴先輩達とぎくしゃくしちゃってて……』

 やや気落ちした飛鳥の声に、昴はため息をついた。

 由貴と圭一がそんな状態では、確かにはるか達も調子は出ないだろう。

「私の方から連絡してみましょうか?」

『ううん、いいよ。それより、ひとつ教えて』

「なんですか?」

『昴は先輩達が特待生だって知ってたの?』

 なるほど、と昴は心中で呟いた。

 由貴達と昴が旧知の仲であることは飛鳥達も知っている。ならば、彼女達の秘密を昴が知っていると考えるのはごく自然なことだ。


「はい。知っていました」

『やっぱりそっか。じゃあさ、先輩達の設定、教えてもらうことはできないかな』

「それは……」

 言っていいものだろうか。

 彼女達が特待生であること自体が露見したとはいえ、無暗に口外するようなことではない。特待生の原則に従うのなら答えるべきではないだろうが。

(そんなことを言っている場合ではありませんよね)

 昴は迷いを振り切り、飛鳥へ真実を話して聞かせた。

 主従逆転。本来、由貴が資産家の令嬢で圭一はそれに付き従う立場だが、特待生制度によってそれが入れ替わっていること。

 つまり『ノワール』における真の権力者は由貴であるということを。


『じゃあ、はるかの予想は当たってたんだ』

「はるかは自分でそこまで考えていたんですね」

 思わず感嘆の吐息が漏れた。

「飛鳥さん。ここまで来たらもう少し、お話しておきたいことがあります」

 それから昴は、話を聞いて気づいた「話すべきこと」を飛鳥に語った。

 一つの事実と、自らの見解。

 それを聞いた飛鳥は「後は頑張ってみる」と言い、昴にお礼を言って通話を切った。

「頑張ってくださいね」

 昴はスマートフォンを握ったまま腕をベッドに投げ出すと深く息を吐いた。

 今すぐ彼女達の元へ駆けつけられない自分が歯がゆく、しかし一方で、はるか達ならきっと大丈夫だとも思う。そんな複雑な気持ちが胸の中で揺らめいていた。

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