はるかの選択 1
文化祭から半月ほどが過ぎた。
季節は秋から冬へ移り変わり、温暖な離島も少しずつ涼しくなっている。
昴は無事本校に転校したらしい。島を離れてから一週間ほど経った頃に連絡があって、寮に入ったことや転校初日の生活を終えたことを話してくれた。新しい環境に慣れるのは時間がかかりそうだが、本校の寮は一人部屋なので前より気楽だとか。
ちなみに所属クラスは1-Aだったらしい。これも何かの縁か。
分校から突然転入生が来たので皆からは驚かれたそうだ。奈々子など「間宮さんが転校してくるなんて聞いてません」とわざわざメールを送りつけきたほどだ。
(だって、正式に決まるまでは話しづらかったから)
事前に伝えられないまま昴が転校してしまったのだ。
「皆さんいい方達ですね。はるかや乃木坂先生がこだわる理由が少しわかりました」
今度は昴も、もう少しクラスメートと打ち解けられるように頑張ってみるという。
(私も、昴に負けないように頑張らなくちゃ)
当面、学校としてのイベントはない。強いて言うなら十二月の期末テストくらいだが、はるか個人としてはあれからも結構忙しかったりする。
例えば。
「俺と付き合ってください!」
「ごめんなさい。私、好きな人がいるんです」
――今度こそ正真正銘、はるかは男子から自分宛ての告白を受けた。
放課後、校舎と寮の中間あたりの木立へ連れ出されてのことだ。
初めてのシチュエーションだったが、前に敷島の件があったおかげか大きく動揺することはなかった。また、はるかがきっぱり断ったため、相手の男子もすぐに理解を示してくれる。
「そっか……わかった。ちなみにさ、小鳥遊さんの好きな人ってこの学校の奴?」
「えっと……ごめんなさい、それは秘密なんです」
代わりにと投げかけられた質問にはもう一度、頭を下げて言葉を濁した。できれば答えてあげたかったが、肯定しても否定してもある意味嘘になってしまう。
かといって、詳しく説明する訳にもいかないし。
幸い、相手の男子も怒り出したりはしなかった。肩を落として寮に帰っていく彼と別れ、はるかはそのまま『ノワール』へ向かう。
「遅くなりました」
中に入って店内を見渡すと、既に二グループもお客さんが来ているのがわかった。圭一が座る奥のテーブルも含めれば四分の三が埋まっていることになる。
接客中の由貴や飛鳥とアイコンタクトを交わして着替えを済ませ、店内に戻るとすぐ声がかけられた。
「小鳥遊さん。紅茶のお代わりお願いしていい?」
「はい。少々お持ちください」
名指しの注文に笑顔で答えて、すぐさま隣に取って返す。
キッチンでケトルに水を入れ、火にかけながら思った。
(今日も忙しくなりそう)
文化祭以降、『ノワール』は連日、多くの生徒で賑わっている。出し物を纏めたパンフレットに掲載されたことや、当日の盛況ぶりのおかげで一気に知名度が上がったらしい。後はまあ、ミスコンを受賞した生徒が接客しているというのも追い風になって、今までの常連さん以外の顔ぶれが増えた。
結局、その日も閉店まで、店からお客さんがいなくなる時間は殆どなかった。
「ちょっと嬉しい悲鳴ですね」
片づけを終えた後のちょっとしたティータイム。
由貴が全員分の紅茶を淹れながらそうこぼした。彼女の発言に圭一も頷いてみせる。
「こうなると、僕がテーブルを占領しているのが申し訳ないな」
昴が『ノワール』を訪れなくなったので、最奥のテーブルは基本的に圭一が一人で使っている。一応、司や敷島、あるいは2-Aの生徒が来店した際は相席してもらうようにしているが、それでもやや手狭な感はある。
かといって、圭一を隣の部屋に追いやるのも隔離しているようで格好がつかない。
「圭一様、こうなったらいっそ店の規模を広げてしまいませんか?」
「ふむ。まあ、それも悪くはないかな」
「え、そんな事できるんですか?」
「いや。工事に時間もかかるから、すぐには無理だけどね」
工事をすること自体は可能らしい。今更ながら圭一の財力には驚かされる。
とはいえ、店を拡張するとなると店員の確保など問題もあるので、やはり現状では難しいとのことだった。もちろん、はるかにも文句はない。
責任者は圭一達だし、そんなに急いで考えなくていい話だろう。例えば来年、新入生が入ってきてからだとか。
「でもさ。なんかあたしはちょっと寂しいな」
寮での夕食後、飛鳥に肩を揉んでもらっていると、背中からそんな声がする。
柔らかな手で筋肉が解され、仕事の疲れが癒えるのを感じながら、はるかは振り返らずに問い返した。
「何のこと?」
すると、んー、と唸り声が返ってきた。肩に指がやや強く食い込む。
「ほら。はるかが人気者になっちゃった感じで、さ」
「……ああ」
今日の告白のことを思い出して苦笑する。
まあ、確かに。あれは少し極端な例にしても、最近になってはるかの交友関係はだいぶ広がった。今まで面識のなかった生徒から声をかけられたり、クラスメートと広く交流する機会が増えたのだ。
単純に今まで三人だったのが二人になり、他の子達が声をかけやすくなったのもあるだろうが。
これもやっぱり主な理由は文化祭の影響だろう。
「でも、皆と仲良くなるのは飛鳥ちゃんの方が上手いじゃない」
最初ははるかが話しかけられたのに、気後れしてる間に飛鳥がその子と仲良くなっていた、なんてことがもう何回もある。むしろ、はるかとしてはそれが羨ましい。
「別に特別なことしてるわけじゃないんだけどな」
「だから凄いんじゃない」
肩もみはお終い、と飛鳥が手を離した。
それならお返しにと今度ははるかが背後へ回ろうとするが、飛鳥はそれを笑って遮った。
「や、あたしはいいよ」
「どうして?」
「だって、恥ずかしいじゃん」
見ると飛鳥の顔は僅かに赤らんでいた。なんだかいつもと役割が逆だ。
「今更そんなこと気にしなくていいよ」
「……気にするよ。あたしがするのはいいけど、はるかにやってもらうのは」
初対面の頃から抱き着いてきたり、はるかが男だと知っていながらマッサージを買って出たり。積極的な言動ではるかを困らせてきた飛鳥だが、受け身に回るのは嫌らしい。
「飛鳥ちゃんって、変なところ気にするんだね」
「別に変じゃないよ」
「そう?」
「そうなの」
振り返った飛鳥に押し倒され、はるかは部屋の床で仰向けになった。
顔の傍に両手を置かれてしまったので首を横に向けることもできない。
視線を正面に向けるとそこに飛鳥の顔があった。
「ね、はるか。キスしてもいい?」
ここのところ、二人の関係は不安定だった。
はっきり恋人同士になったわけでもなく、かといってただの友達でもない。微妙で曖昧な感じのまま、日々の生活を続けている。
お互いを意識した結果、むしろ気持ちを伝えあう前よりぎこちなくなったような。
「……いいよ」
「いいの?」
しかし不安定だからこそ、一度傾いてしまえば早い。
そして行き着いた先に、きっと新しい形が作られるのだろう。
「いいよ、もちろん。飛鳥ちゃんなら」
飛鳥の瞳が大きく見開かれる。それから彼女は照れくさそうに微笑んだ。
「……じゃあ、するよ」
「うん」
飛鳥の唇がゆっくりと近づいてきて、はるかの唇に触れた。
(飛鳥ちゃんとは、これが初めてだ)
そう考えると少し突然すぎた気もするけれど、彼女とだと不思議と違和感がない
「キス、しちゃった」
数秒間の接触の後、飛鳥は唇を離すと微笑んだ。
「しちゃったね」
えへへ、と口元を蕩けさせた飛鳥がぎゅっと抱き着いてくる。彼女の体温や身体の柔らかさ、何もかもが密着した部分から伝わってくる。
肩を揉まれるのを嫌がった後にこれだ。
(もう。しょうがないなあ)
過度な接触は精神衛生上よくないのだが、今は何故かそういう気分にはならなかった。
はるかはそっと飛鳥の身体に手を回すと彼女に囁く。
「こういうのは二人の時だけだからね」
「大丈夫、わかってる」
それから二人は床に寝たはるかの身体が悲鳴を上げ始めるまで、抱き合ったまま長い時間を過ごした。
* * *
小鳥遊はるか。
彼女――否、彼に関するレポートにこれ程時間をかける日が来るとは、分校に赴任した当初は想像もしなかった。
『小鳥遊はるか 授業態度:良好、生活態度:良好、健康状態:良好』
放課後。すっかり見慣れてきたレポートを机の上に広げると、真穂はまず、基本項目に手早く丸を付けた。
(時々、この項目は本当に要るのかって思う)
まあ、一ノ瀬飛鳥が本校の子と喧嘩した時はさすがに「生活態度」の評価を引き下げたし、全く機能していないわけではない。また、手間もかからないからいいとする。
問題はフリーで設けられた特記事項欄だ。
やけに広く取られたこの項目へ、以前は『特になし』ばかり記入していた。しかし最近はそうもいかない。
本校行きの件に、佐伯奈々子の一件、文化祭でのヒロイン役や部活動での活躍、小鳥遊深空との関係性の発覚にミスコン受賞等、はるかに関して『特筆すべき事柄』がここのところ目白押しだったのだ。おかげで最近はまともに書くと余白にはみ出す事さえある。
(生徒が活躍してるのは喜ばなくちゃいけないんだけどね)
もう少し大人しくしてくれてもいい。ただでさえ特待生として重い秘密を抱えているのだから、目立つのは控えたって罰は当たらないだろう。
『私はあなたのことが嫌いよ。――小鳥遊はるかさん』
かつて彼へ言葉のナイフを突き立てた真穂が言えた義理ではないかもしれないが。
今の真穂は、個人としてのはるかの事は応援したいと思っている。これまで彼と接してきて、その想いと努力には心打たれるものがあったから。
特記事項の記入にも、つい力がこもってしまうのだ。
「精が出ますね」
文章に頭を悩ませながらペンを走らせていると、不意に背後から声をかけられた。反射的にびくりと身を震わせた後、前にも似たようなことがあったのを思い出す。
案の定、声をかけてきたのは前回と同じ人物だった。
「お疲れ様です。そういえば今日が相談室でしたっけ」
週一で分校へやってきている相談室の担当者。三十代半ばの男性で、やや散らかった長髪と冴えない眼鏡がトレードマークである。
彼は真穂の台詞に頷くと軽く机の上のレポートを覗き込んだ。
「ええ。……ああ、小鳥遊はるかさんのレポートですか」
「ご存じなんですか?」
書きかけの文章を見られる恥ずかしさと、彼がはるかの名を知っている驚き。勝ったのは後者で、真穂は目を丸くして彼に問いかける。
「割と有名な生徒ですからね」
答えつつも彼はじっとレポートを覗き込んでいた。
「彼女に興味があるんですか?」
今の所、はるかにカウンセリングが必要とは思えない。むしろ現在は好調だと思える。
しかし、相談員の答えは質問を肯定するものだった。
「ええ。実は、今回は彼に話があってきたんですよ」
呑気な彼の声を聞いた真穂は、背筋に寒気が走るのを感じた。
――今、『彼』と言ったか。
つまり、はるかの秘密を知っているということ。相談員という立場を考えれば生徒の情報を閲覧できてもおかしくないが。
彼はどこまで知っているのだろう。旧知である相手に今更ながらの警戒心が湧いてくる。
「そのための場をセッティングして頂けると助かるのですが」
「今からだともう小鳥遊さんも部活中だと思いますが」
「もちろん明日で構いません。よろしくお願いします」
明日の放課後まで待つつもりらしい。普段は午前の便でやってきて、翌日のやはり午前便で帰っているはずだが。そこまでする話があるということなのか。
「わかりました」
僅かな疑問を抱きつつも真穂は頷いた。
順調なはるかの日常に、逆風が吹かないことを祈りながら。