第一章 隔たり
2011年秋。
中学三年生が部活を引退し二学期が始まった頃。
放課後のグラウンドで二年、一年だけの声が響き始めている。
「……ふぅ」
幸平はアンニュイなため息をつきながら、この後の予定について悩んでいた。
すると、帰り支度をする教室の中でも聞こえる大きな声で、幸平に話しかけてくる者がいた。
「真島~、この後ゲーセン行かね~? 駅の方に出来た新しいゲーセン」
杉内鉄平。幸平の小学校からの友人であり、部活を引退した最近はいつも鉄平と過ごしていた。
財布を取り出して予算を数えている鉄平に対して、幸平はつまらなさそうに言葉を返した。
「ゲーセンねぇ……」
「何だよ。いいじゃんゲーセン。他にやる事ねえし」
「ははは……受験生のセリフじゃないな」
「受験生っていったって、学年一位様は受験勉強なんてやる必要ないじゃん?」
「…じゃあ鉄平は?」
「おいおい、一位様は自分よりも下の奴は眼中に無いのか? 俺、休み前の試験で九位だったもんね~」
――そういえば、張り出された順位表の中に見知った名前があった気がする。一瞬見ただけだったから忘れていたが。
二人とも勉強については問題なし。たまの息抜きも必要だ。幸平は財布の中身を確認して言った。
「じゃあ行くか」
その時、
「失礼します」
騒がしい教室内でもよく通る声と共に数人の男女が入って来た。
その人物達の顔ぶれを確認して、鉄平が呆れた顔をする。
「生徒会じゃん。今月で何回目だよ」
幸いにもその呟きは生徒会の面々の耳に入ることはなく、幸平も小さく頷くだけだった。
「私は生徒会副会長の清水沙織です。授業を終えて疲れているかと思うけど、少し時間を下さい」
そう言って副会長は教室中を見渡す。いつの間にか教室内は静かになっていた。
ふと、沙織と目が合った気がして、幸平は慌てて視線を逸らす。
誰も文句を言う人がいない事を確認してから、沙織は話し始めた。
「我々生徒会は魔闘会に入って、新しく『魔闘士』になりたい人を募集しています」
魔闘士――魔闘をやる人、魔闘会――同じ地域の魔闘士の集まりの事である。
世界は今も魔闘のブームは過ぎ去っていない。過ぎ去るかどうかも怪しいが、最近は昔ほど若者達は熱狂していないように幸平は感じていた。
魔闘士人工は約1億人と言われ、数十人に一人は地域の魔闘会、企業の魔闘士やプロの魔闘士として生活している。
その中で未成年者は十パーセント、つまり約一千万の未成年魔闘士がいる。
そして彼らは就職できないため、地域の魔闘会に入る事しか出来ない。だが、地域の魔闘会は同好会に似た側面ももっており、仲良しこよしの雰囲気な所が多い。
その結果、魔闘会からプロになれる程の実力をもった者は少なくなっている。
だからプロの魔闘士を目指す者程、魔闘会には入らないという現状になりつつある。
勿論、魔闘会にいながらもプロを目指す者はいるが、やはり少ないのだ。
だけど、魔闘会で結果を出せば受験で推薦をもらえる事もある。
そんな事を話しながら勧誘活動を続ける沙織たちを見ながら、鉄平は点で的外れな事を言い出した。
「それにしても清水さんは綺麗だよな~」
幸平にしても勧誘について話すつもりはなかったので、適当に話に乗る。
「だったらコクれば?」
「無理だって~。清水さんに告白して何人が玉砕したか……それに見ろよ。あいつらの顔」
そう言って、沙織の後ろに付き従う男共を指した。
彼らは一様にして沙織を見ており、勧誘活動なんてする気がないように見えた。どうやらあの連中は沙織にお近づきになりたい様子だった。
しかし鉄平はそんな彼らに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「でも、残念。清水さんは魔闘にしか興味ないんだよ」
確かに、沙織はあの約束の通り、三年生に上がると共に必死に魔法と魔闘をやり始めた。他の事には見向きもせずに。
黒髪清楚美人。男子共は沙織を時々そう呼ぶ。
佇まいは深窓の令嬢、小さな顔立ちや長い黒髪は非の打ち所がない程に綺麗だ。
だが、誰かと付き合っているという話は聞かない。故に告白が絶えないのだが。
「次来るぜ」
何のことかと、幸平が鉄平の視線を辿ると、一人一人を丁寧に勧誘している沙織の姿が目に入った。順番的には次は幸平達だ。
目を爛々と輝かせて沙織を待つ鉄平だったが、沙織は幸平達の下に来ることはなく、代わりに別の生徒会メンバーがやって来た。
「君達は――」
「やらない」
幸平はわざわざ返事を被せ、それ以上相手に喋らせようとはしなかった。
相手は頬を引き攣らせながら、鉄平にターゲットを移すが、
「何で清水さんじゃないんだ何で清水さんじゃないんだ何で清水さんじゃないんだ何で清水さんじゃないんだ」
などと呪文のように繰り返す鉄平に後ずさりして、そのままその場を立ち去った。
そして沙織の勧誘活動は一応の成功を収めたらしく、生徒会メンバーの後を五人程着いて行った。彼らはそのまま次の教室へ向かう。
どうやら随分と多かった取り巻き連中は、前のクラスで勧誘された輩らしい。
不埒な動機で始めたものは長続きしないと言うが、いつまで続くのやら。
生徒会が去り、帰りの支度を再開した幸平に、鉄平が再度話しかけてくる。
「清水さんって…魔闘会でも結構強いらしいぜ」
「ふーん」
「…その上、あの容姿だ」
「その話はさっきもした」
「将来は魔闘のアイドルになっちまうかもな!」
「……本気かよ?」
「いや、冗談だけどさ……なんつーか」
珍しく歯切れの悪い話し方の鉄平に、幸平は怪訝な眼差しを向ける。
「……どうしたんだ、お前?」
「なあ、幸平。お前はもう………魔闘はやらないのか?」
「…やらない」
「でもお前さ、小学校の頃は清水さんと一緒にすげえ頑張ってたじゃん?」
「…小学校の頃な」
「中学に入ってからだって少しやってたじゃん?」
「…最初の一ヶ月だけだ。その後はサッカー部に入っただろうが」
「でもよ。去年までは清水さんは毎日のようにお前を勧誘しに来てたじゃん?」
「…去年までな」
「……なあ、本当に止めちまうのか?」
「…止めるも何も、俺はとっくの昔に止めてんだよ」
幸平がそう言うと、鉄平はそうか、と言った。
「じゃあ、この後はゲーセンな?」
その問いに対しては頷いた。
「真島、お前少し残れ」
そう担任に言われ、帰る前に担任と少し話していた幸平は、鉄平に先に行ってもらっていたのだが、
「やばい。全然少しじゃないし!」
時計を見ると、帰りのホームルームが終わってから三十分以上経っていた。
携帯には『先行くぜ?』の鉄平からのメールが入っており、幸平は走っていた。
鉄平ならば三十分あれば有り金使い切るだろう。そうしたら幸平に借りるのがいつもの流れだ。
幸平は貸し借りが好きじゃない。鉄平は親友だし、次の日にはしっかり返してくれるから貸すだけだ。
下駄箱で靴に履き替え、正門まで全力疾走。引退したとはいえ、サッカー部の脚力は健在だった。
しかし、そこには予想外の人物が立っていた。
「……沙織」
「久しぶりだね、幸平」
長い黒髪を秋風になびかせ、不安げな表情で清水沙織は立っていた。
校舎にはまだたくさん部活の人間がいる。
だが幸平は、沙織が自分を待っていた事を確信した。
「……何の用だよ?」
答えが分かり切った問い。それでもそれ以外に発する言葉は無かった。
沙織はクスッと少し笑った。
その光景はとても美しく、儚げだった。
「幸平、一緒に行かない?」
どこへ、という疑問は飲みこんだ。
それこそ火を見るよりも明らかだ。
幸平は短く言う。
「…行かない」