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ドリームランド線行き

突発的ネタ。

 大船は国内に11箇所建設されたモノレールが一気に二つ揃う日本唯一の場所だ。といってもそれは運転方式、建設目的の違いから乗り入れもされる事はないし、精々鎌倉市が「大船は鉄道、モノレールの町」と宣伝するくらいだ。

 実際大船は京浜東北線、横浜線の終着地点であるし、横須賀線と東海道線が分岐する交通上の要所だ。湘南新宿ラインで新宿までも一つ跳びで、成田空港からもこれまた近い。何せエアポート成田と成田エクスプレスで一本だ。さらにかつて大船工場と呼ばれ、今は車両基地として使われている場所だってある。

 最近ではエキナカなども進出し、大船は鎌倉市の言う鉄道の町だけではなく郊外のベッドタウンとしての役割も果たしている。


 ところでこの大船には大船から江ノ島方面に向かう湘南モノレール、大船から旧ドリームランドを通過し、そこから曲がり湘南台駅で小田急電鉄と並走を始め、長後駅まで向かう「小田急電鉄」大船モノレール線の二つが存在する。

 前者は新型の運転方式の実験線としての目的も含んだ路線であるが、もう一つは純粋な観光、通勤通学のための路線として建設された。


  近辺の人々が皮肉の対象として大船モノレール線、つまり昔のドリーム開発ドリームランド線を呼び始めたのは、少し最近の事であった。正確には昔日本屈指のレジャーランドとして開園したドリームランドがレジャーの多極化に結局力尽きた数年前のことだ。要は補助として建設されたものが本体がなくなっても動いている様を揶揄したのだろう。

 だがその交通手段として建設、その後延伸されたモノレールが結局身売りされ今でも残っているという事実はなんら変わりない。


 そもそもその数奇な歴史は、昭和39年に横浜ドリームランドが開業した所まで遡る。昭和の興行師とも言われた松尾國三は株式会社ドリームランドを設立し、奈良に某有名ネズミ園を参考にした奈良ドリームランドを1961年に開園(もっとも、これはネズミ園の創始者の怒りを買い、後の千葉にあるのに東京と名乗るネズミ園の招致時に影響したという)させ、さらに横浜郊外の丘陵を1個丸ごとメディアの支援のもと開発。1964年に横浜ドリームランドが開業する。

 しかし横浜ドリームランドには大きな欠点があった。それはアクセスの悪さである。

 開園当初はのどかな田園地帯であった戸塚周辺は、急激な経済成長によってベッドタウン化が進み、道路交通量も著しい増加をみせていた。特にドリームランドへたどり着くために通過しなければならない国道1号の原宿交差点は、神奈川県内でもトップクラスの渋滞箇所に発展していた。つまりのところ、車に替わる交通手段が必要だったのである。

 当然ドリームランド側も建設前からこの問題の重要性は理解していた。故にアクセスの目玉として事前に計画され、そして建設されたのがドリーム開発ドリームランド線である。

 この路線は、ドリームランドの建設開始時から用地買収、建設が開始されていた為、時間に余裕を持って路線を敷設することができた。勾配を抑え、高架から一気に下降、大船観音の下をトンネルで通過し、国鉄に連絡するルートが取られた。地下に始発駅が存在するモノレールなど、この路線を除いて例が無いだろう。


 1966年4月29日、当時の天皇誕生日に華々しく開業したモノレールは高い運賃にも関わらず地下に存在するモノレールという物珍しさもあって3両編成の車内は大混雑であったという。


 そしてモノレールの大盛況と共にドリームランドへのアクセスの悪さは次第に解消された。東京方面からなら当時の特急「あまぎ」や急行「伊豆」で大船まで行き、そこからモノレールへ乗り換えることでドリームランドまで行く事ができた。

 そして順調な経営だったモノレールの延伸が検討され始めたのは1970年初頭の事だ。最初は六会駅、その後は長後駅を目標とした計画を立てていた。これに影響を与えたのは、横浜市営地下鉄が湘南台まで延伸するという計画である。将来連絡し乗換駅として利用する事も考えられたが、まだ湘南台は未開発であり、湘南台からは小田急と並走し、急行が停車する長後まで延伸する事が決定した。

 この建設は1973年に認可され、ドリームランド駅から延伸工事が始まる事となった。この工事は1974年7月に完了し、10月にドリームランド駅から長後駅までの路線が開業している。


 こうしてドリームランド線は順調に観光路線だけでなく通学、通勤路線としても発展を続けていく事となる。だが、ドリームランドのほうは、順調とも言いがたかった。

 最初こそ順調だった滑り出しも、1980年代になると本家本元のネズミ園の開業や、創業者である松尾の死による後継者争い、そこからの某スーパーマーケット企業への買収とゴタゴタ劇が続いた。さらにバブル期の大規模な競合施設の出現は、ゆっくりとではあるがドリームランドを追い詰めつつあった。

 例えるなら施設の陳腐化、レジャーの多様化等様々な要素が絡み合い、まるで真綿で首を絞められるように。

 ピーク時は160万人を数えた入場者数も、2006年には半分にまで減少していた。

 企業自体の業績不振による不採算事業からの撤退として、奈良ドリームランドと横浜ドリームランドの閉園が発表されたのは、その年の事だった。

 それはかつて松雄國三が思い浮かべた夢が終わる時であった。


 しかしそこで問題になったのは、ドリームランドの取り壊しでもなく、リストラでもなかった。中途半端に黒字を出し、ドリームランドが無くとも黒字が継続できると見込まれたドリームランド線であった。

 このまま廃止にするにももったいない。何故なら原宿交差点などに代表される道路の混雑も全く変わらないため、代替の交通手段が確保できない。下手な廃止は道路事情の更なる悪化を招きかねない事となり、結果ドリームランド線は企業の借金返済のために売却される事となる。


 しかし売却先に困ったのは言うまでも無い。湘南モノレールはそもそも方式の違うモノレールに難色を示した。江ノ島電鉄は遠隔した土地に鉄道を持つ意味が理解できないとした。またモノレール整備のノウハウも無かった。

 そして手を挙げたのは小田急電鉄であった。江ノ島方面だけでなく、大船方面への足場として彼らはモノレールを欲したのだ。彼らは以前方式は違うがモノレールを運転しており、取り扱いにもある程度慣れていたからだ。

 2006年8月31日に二つのドリームランドが営業を終了。そして9月1日にドリーム開発ドリームランド線は姿を消し、車両、路線はそのままに小田急電鉄大船モノレール線として営業を開始している。昨日と違うところは、精々駅名標の表示の違い程度だった。


 現在でも大船モノレール線は郊外の通勤、通学路線として運行されている。ドリームランドの跡地は大学や霊園の他に一部車両基地としても活用されている。

 運賃も小田急統一の運賃に改定された。ダイヤも変更され、ラッシュ時10分、日中15~20分間隔で運行されている。また数年前に新車の導入が始まり、新生モノレール線をアピールしている。


 余談ではあるが、開業時の運行されていた10形のうち一両は現在も保存されており、ドリームランド在りし日の姿を現在に伝えている。

 言うまでもありませんが、ドリームランドは実在しました。ドリーム開発ドリームランド線も当然実在しました。ただルート変更による車両の重量の増加に対しレール部の設計が対応しておらず、安全性に問題が噴出し1年くらいで休止、そのまま一度も運転再開しないまま消えました。

 横浜ドリームランドはその結果本文に記したようにアクセスが著しく悪化、致命的なほどの弱点を抱える結果になりました。そして経営悪化により2002年に閉園しました。


 現在ドリームランドで使われていたホテルがとある大学の図書館として活用されていますが、モノレールの遺構はドリームランド駅の階段を残すだけだとか。


 参考までに変更点を。

 ・モノレールの用地買収を早めた結果、予定通りのルートで建設する事ができ、上記で記した問題は起きませんでした。

 ・後は延伸計画が実現しています。湘南台くだりは完全に捏造です。

 ・小田急辺りもご都合主義に満ちた捏造です。


 ただ、これが実現しても中途半端な路線だったかもしれません。でも地下にあるモノレールって何か替わった響きですよね。え、地下じゃあ上り傾斜が酷くなる?大丈夫ダヨ、多分。ゆっくり上れば。


 尚大船-小雀-ドリームランド-湘南台-長後が想定区間です。


 尚この駄文にご指摘があれば、どうぞ何なりとご指摘ください。

 次は姫路モノレールならいいなぁ。

 尚会社名は極力出していませんが、どうしても必要なところだけ出しました。

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