神様のポスト
これは子供の頃の体験で、ホラーっていうほどの怖さはあんまり感じないかもしれない。子供の時分ってのは、大人がシーツを被っただけで怖がってたもんだし、田舎の柱のなんでもない木の節の模様なんかが人の目に見えたりするんだ。
そのうえ、鬱葱とした森の中にひっそりとある今にも何かが出そうな寺や、朽ちかけた鳥居と苔の生えた神社なんかが、肝試しの舞台になるんだ。
俺の小さな町もそんな田舎と同じだった。
俺が住んでる所は町っていっても100人くらいしか住んでなくって、1キロくらい先にまた別の100人くらいの小さな町がある。
そんな小さな町がたくさんと、町と町の間にある広々とした田んぼとか山とか、川なんかで、ひとつの市になってる。
それで、俺の町は山沿いにあった。横並びに家が並んで、目の前には田んぼがあった。隣町まではそれなりに離れていて、なんとなく孤立した場所にあったんだ。
そんな中でもさらに町の裏山の奥に、さびれた神社があった。入り口は町外れにあるもんだから、冒険好きの子供の間でもワースト人気の場所だった。
でも、遊び場に向いてないっていう理由だけで、その神社に行かなかったわけじゃなかった。
なんとなく感じてたんだ。その神社に近づいちゃいけないって。
大人たちは意図してその神社を避けているように見えたんだ。
近づくな、なんて直接言わなかったけれど、なんとなく雰囲気がそうだった。だから子供心に、近付き難かったのかもしれない。
毎年6月になれば、伝統だかなんだかで、特別な神輿を担いでお祭りをする。
その神輿は少し変わっていて、彫刻が施された古い木の箱なんだ。大きさは縦1メートル50センチ、横は50センチ、深さは70センチほど。それを包むようにごてごてした装飾があった。
作り物の白い花飾りや黒い綱とか。
担ぐのは成人の男だけで、無言で神社から出て来て町内を一周したあと、また神社に戻っていくんだ。
それを玄関先で見ている大人たちも無言で、子供の頃はなんてつまらない祭りだ、って思ってた。
昔はそうでもなかったけど、今にして思えばあの神輿は奇妙だった。
小さな長方形の箱。何かに似てると思わないか?
そうだ、棺桶だ。しかも、子供用の小さな棺桶。
成人した男たちが担いだ姿は、葬式の棺桶を運び出すにも似ていた。無言で見ていた大人たちは、棺桶を見送る姿みたいだった。
それに飾りも変だ。
白い花に、黒い綱。
そのことに気づいたのはつい最近で、俺は身震いしたんだ。
※※
俺が小学校5年生のときの夏休みだ。
町も少子化の波に押されて子供の数は減っていた。俺を入れて、町の子供は6人しかいなかった。
俺と同学年のマー、トシ、4年生のユーイチ、2年生の俺の弟とトシの妹のチカ。
その日は俺ら6人に加えて、同じクラスのサカとサカの妹で3年生のジュリと一緒に遊んでたんだ。
それで、どういった経緯だったか、神社に行ってみようってことになった。
まだDSやらPSPがない時代で、夏の遊びといったら学校のプールと、虫取り網と籠を持ってトンボやら蝉やらを追っかけてたから、きっと神社へ行ったのも、そういった理由だったと思う。
俺とマーは渋った。ジュリも嫌がっていて、チカと俺の弟は泣きそうな顔をしてた。
それも当然で、神社は前にもいったように近寄りがたい場所だったし、なにより朱色が禿げた鳥居や、薄暗い山が不気味で仕方なかったんだ。
そんな気持ちがありながら、結局のところ子供ってのは探検が大好きな、しょうがない生き物なんだ。
乗り気だったトシとサカに押されて、怖いもの見たさもあって俺たちは神社へと遊びに行った。大人から禁止されていなかった、っていうのも理由のひとつだ。
神社は入り口にぼろぼろの鳥居があって、山の中へ続く参道がある。
50メートルほど進むと、小さな神社があった。
参道も神社も思っていた以上に手入れがされていた。長い年月のせいで石畳が割れていたり、お社は風雨で黒ずんだりしていたけれど、落ち葉はほとんどなく、雑草も刈られていた。
砂利が敷かれた境内は不気味どころか、神秘的で厳かな雰囲気に包まれていた。
木陰からもれる光は白い砂利を輝かせ、きらきらと光っていた。涼しい風が通り過ぎるたびに背が高い木がゆっくりと揺れて、ざざ、ざざ、と音をたて、蝉時雨って言葉がぴったりなくらい蝉の声がうるさかった。
俺たちは後悔したんだ。
どうして今までここに来なかったんだろう、って。
秘密基地にはぴったりの場所だったんだから。
この日から、神社は俺たちのかっこうの遊び場になった。
※※
大人たちがなんとなく避ける神社だったから、俺たちは神社で遊んだことを内緒にしようってことになった。
ヒグラシが鳴き始めて夕暮れの涼しげな風を感じ始めた頃、神社の境内は薄暗くなっていたから、俺たちは帰ることにした。
本当はまだまだ遊べた時間だったが、木々に囲まれた場所は陰るのも早いんだ。
それで帰り道、境内を出ようとしたときだ。
今までどうして気づかなかったのか、入り口にポストがあったんだ。
赤くて四角いポストが、ぽつんと。
それは古い神社には不釣り合いな真っ赤な色で、浮いた存在だった。それなのに、どうして誰も気づかなかったのか、全員が首を傾げた。
その日はそれで終わったけれど、何日めかして、マーが面白いことを言ったんだ。
そのポストは、神様のポストだ、ってな。
じいちゃんか、ばあちゃんにそれとなく聞いたとマーは言ってた(神社で遊んでいる秘密がばれないように。そこは重要な問題だった)。
そのポストに願い事を書いて入れると、神様に届いて願い事が叶うっていうんだ。
そんなこと、あんまりにもバカバカしい話だ。
神様に届くなんて、おとぎ話にもほどがある!
だいたい、本当に願い事が叶ったやつがいるのか?
そんなことがあったら、みんなお願いしにくるはずだ。
俺たちがそんなふうに言うから、マーは泣きそうな目をしてたっけ。
ただ、ちょっとだけ信じそうになったのも本当だ。
だってあんな寂れた場所にあるポストに、誰が手紙を出すっていうんだ?
郵便配達員も知らないような場所なのに!
じゃあ、何のためのポストなのか、って話になったとき、やっぱり神様のポストだ!
なんて結論を出した俺たちは、面白半分で手紙を出すことにした。
ちゃんと50円ハガキに書いた。
宛名は「●●神社の神様」。住所はわからなかったから、とりあえず「天国」にした(思えば神様の意味が違うんだが、子供だったからそんな知識しかなかったんだ)。
※※
遊びに行くときは、みんなで公民館の前に待ち合わせた。
まず俺と弟が到着して、すぐにマーが来た。それから数分後にサカとジュリが来て、トシとチカが喧嘩しながらやってきた(兄妹にはよくあることだ)。最後にユーイチが来て、全員で歩いて神社へ向かった。
自転車を公民館に置いていたのは、神社で遊んでいることをバレないようにするためだ。
当日の天気は、今にも雲が落ちてきそうなほどの低い灰色の曇り空、風が強くて神社の森がざわめいていた。
俺の弟と、チカとジュリは怖くて泣き出しそうだった。俺も少し泣きたい気分だったんだ。その日の神社は、尋常じゃないくらい暗く感じたんだ。
そのうえ、心臓がどきどきしてた。
とうとうチカが泣き出したんだけれど、トシが怒って参道へ入っていくものだから、俺たちは否応なくトシに続いていくしかなかった。
チカはジュリに手を引っ張られて、渋々と歩いて来ていた。
ポストの前に辿り着くと、神社の不気味さはいっそう増していた。
薄暗さだけじゃなく、ねっとりとした奇妙な感覚が体にまとわりついていた。神社の奥から響く風の音は、人の声みたいだった。
時間が経つにつれ、なんだか現実が風の渦に乗って吹き飛ばされてしまったみたいに感じた。
自分が今いる場所が、すうっと遠のいて、瞬きをしている間にまったく知らない世界に置き換わってしまったみたいだった。
その世界には、自分が知らない【何か】がいたんだ。
覆い繁る葉っぱの影や、幹のくぼみ、脇道の背の高い雑草のすき間、あちこちから【何か】の気配がして、こっちをじろじろと見て神聖な場所に足を踏み入れた不審者を観察しているようでもあった。
でも、【何か】を感じていたのは俺だけだったのかもしれない。
はっと気づいたら、いつもの神社と友達がいた。【何か】がいる世界は消えていた。
トシやサカは何も感じていない様子だったし、女の子2人と俺の弟は、ただ不気味な神社に怯えていたんだ。
俺はかいま見た世界と感じた【何か】の気配に怖じ気づいてしまって、気味が悪いからやめよう、って言った。トシとサカは笑ってた。
マーはどっちつかずの曖昧な返事をしただけだった。
確かに、ポストにはがきを出すだけの簡単なものなんだから、怖いことなんてひとつもなかったんだ。
だから俺も、すぐに終わると思ってがまんした。
風が強くなっていた。
※※
みんなそれぞれハガキを出して、順番に投函することになった。
ところが、そのとき一陣の風が吹いて、神社は嵐の中に入ったみたいだった。音もすごかった。
みしみし、ぎしぎしと太い木がしなる音と、葉っぱがこすれる音、耳をかすめる風の音で、みんなの声が聞こえないくらいだった。
おうおう、と唸り声(それとも気のせいだったのか?)がしたかと思うと、突然、ポストが揺れた。
中から激しく叩く音がした。
それは確実に、中からしたんだ。
俺たちは体を強ばらせて、ハガキを握ってた。
瞬きもできなかったんだ。恐ろしくて。
このポストの中に何が入っているというのだろう!
今にもポストを壊して出て来てしまいそうだ!
そうなったら?
そう、これは神様のポスト……
ところが突然、弟が悲鳴をあげたものだから、俺たちも大声で叫びながら参道を戻って公民館へと走って逃げた。
ポストから、神社から一刻も早く離れるために。
何度も後ろを振り返りながら。
弟とチカ、ジュリは大声で泣いてた。
俺は息があがっていて、何も考えられなかった。
あまりの恐ろしさで全員がハガキを落として来たことに気づいたのは、そのすぐあとだったけれど、誰も取りに行こうとは思わなかった。
※※
神社へ行ったことは、その日のうちに親に知られた。ポストの前に落としたはがきと、あの日公民館の前で泣いていた子供たちの様子を見た近所の人の話で、すぐにばれてしまった。
俺たちはこっぴどく叱られた。
神様の神聖な場所で遊んではいけない、っていうのが主な内容だったけれど、俺は違う理由があるんだと思っている。
ところで、弟は件のその日から情緒が不安定になった。俺や両親にやたらと甘えるようになって、外に出たがらなくなった。さらに、いろんなものが顔に見えて、怖いと怯えるようになったんだ。
夜中に突然泣き出すこともあって、俺は悩んだ。
やっぱり、兄として責任があったんだと思う。
両親は病院に連れて行ったりと、原因を探ろうとしていたが、どうも怖い体験をしたからだ、ということしかわからなかったらしい。
でもそれがポストの件とちょうど重なっていたから、俺はあれが原因だと思ってた。それで、親がいないときにこっそり弟に尋ねたんだ。
あのとき、何を見たんだ?
弟は、目を見た、と答えた。
ポストを投函する、ぱたぱた動く口の部分が開いて、目が見えたんだ、って。
ぎょろりとした、目は、俺たちを睨んでいた、って。
それは弟の身長だから見えたもので、俺たちからは見えなかったものだ。
さらに、ポストの口の部分は内側に開くようになっているから、中から誰かが開けたことになる。
俺はその話を信じた。でも、信じたくなかった。
あのときの体験を、なかったことにしたかった。
記憶から消し去りたいとも思っていた。
だから弟には、それは気のせいだと言い聞かせた。
そのときの弟の、何かが宿ったように豹変した目を、俺は今でも忘れないでいる。
※※
弟の話とは別に、もうひとつ不可解なことが起きた。
だから俺は、このときのことを、なかったことにしたかったんだ。
あの日から数日後、トシの妹のチカが、原因不明の高熱を出して、苦しみながらこの世を去った。
チカの葬儀のとき、トシはもちろん元気のない顔をしていたけれど、それ以上にマーの顔が真っ青になっていた。
マーこそ死んでるんじゃないか、っていうくらいだ。
その理由を、夏休みが終わる頃にマーから聞いた。
マーは何かに怯えて、なかなか言おうとしなかったけれど、俺は強引に聞き出した。マーは挙動不審になりながら、小さな声で答えてくれた。
あのとき、ポストの前に落としたはがきは、書いた本人のところへ戻って来た。
しかし、それは全員じゃなかった。
トシのはがきだけ、戻らなかったんだ。
俺は風で飛ばされたんじゃないかって思ったんだが、今ではそうじゃないって思っている。
マーは震える声で言ってくれた。
あのとき、マーは見てしまったそうだ。
トシのはがきの内容を。
「チカがいなくなりますように」
兄妹で喧嘩するなんてよくあることだし、俺も弟を疎ましく思うことはしょっちゅうある。
だからって、そんなことを神様にお願いするだろうか?
確かに、トシとチカは喧嘩をしていたし、トシがチカを泣かせもしていた。
鬱陶しいと、いつも言っていたけれど、一緒に遊びに来るんだから、それなりに仲はよかったはずだ。
神様にお願いするくらい、本当はトシは妹のことが大嫌いだったんだろうか?
いや、そうじゃないんだ。
あのときは、みんなただの遊びだと思ってた。
そう、例えば七夕の日に短冊に願い事を書いておく、そんな軽い気持ちだったんだよ。
みんな、こんなことになるなんて、微塵も思ってやしなかったんだ。
俺はそれを聞いても、何て言ったらいいのかわからなかった。
後悔と、恐怖と、疑問と、不安……
※※
半年ほど過ぎて、トシが行方不明になった。
町中は大騒ぎになった。学校も。
警察も動いたけれど、トシは見つからなかった。
トシの家族は、それからひと月ほどして町から出て行った。
それからぱったりと、町の連中はトシの話題を出さなくなった。
最初からいなかったみたいに。
※ ※
俺はある日、ふと気づいたんだ。
四角いポストは1970年代からのものだ。それ以前は、よくある懐かしの円筒形の古めかしいポストなんだ。
誰かが、あのポストを置いたんだ。
誰が?
何のために?
俺は高校を卒業すると同時に県外へ出て、一人暮らしを始めた。
町には年に1度か2度、帰るだけだ。
あのときの友達とは疎遠になって、今ではマーとたまに連絡するくらいだ。
2人の間でも、あのときのことは禁忌になっている。俺たちはお互いに、意識して神社での出来事を話さない。トシのことも。
相変わらず、町では6月に祭りをやっている。
俺は今でも聞けないでいる。
あの棺桶みたいな神輿と、真新しいポストのことを。
そして今でも、きっとポストはまだあの場所にあるんだ。