静寂を切り裂く「山脈」の鼓動
ブルペンへ向かう道すがら、蓮の胸の高鳴りは、春の陽気のせいだけではなかった。
一眼レフのストラップを握りしめ、彼女は一般観覧席の最前列に陣取る。そこは、プロの魂が激突する音がもっとも鮮明に聞こえる場所だ。
やがて、先ほどまで柔らかく笑っていた男たちが、戦士の顔をして現れた。
捕手のミットが乾いた音を立てるたび、見学席に微かな振動が伝わる。
「吹田の主婦」の茶目っ気など微塵も感じさせない、圧倒的な威圧感。そこには、日本最高峰の「山脈」が連なっていた。
山岡泰輔: 芸術的な曲線を描く縦のスライダー。精密機械のような制球力。
山下舜平大: 地鳴りのような唸りを上げてミットを突き上げる、規格外の剛球。
山田修義: 熟練の技が光る、流れるようなピッチング。
その中心に、山崎颯一郎がいた。
焦点の中の背番号21
蓮はファインダーを覗き込み、ピントを合わせる。
マウンドに立った颯一郎は、まるで別人のようだった。190センチを超える長身が大きくしなり、長い右腕がムチのように振られる。
「――ッ、パァァン!!」
空気を切り裂くような破裂音。
スピードガンには「158km/h」の数字が躍る。
八年前、細かった彼の肩は、今や幾千のボールを投じ、幾多のピンチを背負ってきた自信に満ちあふれていた。
「……かっこいい」
思わず独り言が漏れた。
ファインダー越しに見る彼は、あまりに遠く、あまりに高い。
けれど、一球ごとに滴る汗や、マウンドの土を蹴るスパイクの音までが、レンズを通して蓮の心に直接流れ込んでくる。
変わらない熱量
投球練習を終え、タオルで汗を拭いながら颯一郎がこちらを見た。
大勢のファンがいる中で、彼は一瞬だけ、蓮に向けて悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
その瞬間、プロ野球選手としての威厳ある「山」の向こう側に、八年前、ペンを落として照れ笑いしていた「颯ちゃん」が透けて見えた。
「蓮ちゃん、撮れた? 今の、結構いいボールだったでしょ」
練習終わりの通路。少しだけ距離を置いて並んで歩く。
父から譲り受けたカメラには、八年前には想像もできなかった、凛々しく、逞しい「背番号21」の姿が刻まれていた。
「はい。……最高の山脈、見せてもらいました」
蓮が液晶画面を見せると、彼は「うわ、俺こんな顔して投げてんの? 怖っ!」と大声を上げて笑った。その屈託のない声は、清武の青い空へと溶けていった。
八年の月日は、少女を大人に変え、少年をエースへと変えた。
けれど、二人の間に流れる空気だけは、あの日あの場所で交わした約束を覚えているかのように、温かく凪いでいた。




