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光る画面の共通項

第3章:光る画面の共通項


網膜に焼き付いたあの残像が、今も消えない。 目を閉じれば、暗闇の中に鮮やかな幾何学模様が浮かび上がり、心臓の鼓動に合わせて脈動を繰り返す。久我沙耶香は、警視庁の仮眠室のベッドで、荒い呼吸を整えていた。


「久我さん、起きていますか?」


ドアを叩く微かな音。藤城の声だ。沙耶香は上体を起こし、乱れた髪を指先で整えた。鏡に映る自分の顔は、青白く、目の下には隈が色濃く沈んでいる。プロファイラーとして、他人の心理を冷静に解剖してきた自分が、今は自分自身の精神の綻びを繕うのに必死だった。


「ええ、入って」


藤城が持ってきたのは、新しいタブレット端末と、栄養ドリンクだった。 「サイバー課から、昨夜の『自己増殖型アプリ』の挙動について続報が入りました。久我さんの端末を侵食したコードは、ネットワーク経由ではなく、近距離の『超指向性スピーカー』による高周波通信だった可能性が高いそうです」


「音……?」


「はい。昨日訪れたあのビル、あの部屋自体が巨大な送信機になっていたんです。人間の耳には聞こえない音階にデータを乗せて、端末のバイブレーション機能やマイクを介して強制的にプログラムを書き換える。物理的にネットを遮断していても防げなかったのは、そのためです」


沙耶香は冷たいドリンクを一気に飲み干した。喉を焼くような感覚が、わずかに思考をクリアにする。 「犯人は、デジタルの常識の外側を走っているわね。私たちは、スマホという便利な『受信機』を、常に無防備に晒している。……解析の準備は?」


「本庁地下の特別実験室に、外部ネットワークから完全に遮断された『サンドボックス(隔離環境)』を構築しました。そこに、AIを用いた解析システムを組み込んでいます。エンジニアの如月が待っています」


警視庁の最深部。物理的な厚壁と電磁波遮蔽シートで守られた実験室には、異様な熱気が立ち込めていた。 そこには、警察庁から出向してきた天才エンジニア、如月蓮きさらぎ れんがいた。彼は無数のモニターに囲まれ、キーボードを叩く指を止めずに沙耶香をちらりと見た。


「久我先生、お噂はかねがね。『氷の分析官』も、今回は少し熱に浮かされているようですね」


「冗談はいいわ、如月さん。状況は?」


如月はモニターの一枚を指し示した。そこには、これまで回収された何十台ものスマートフォンの利用ログが、巨大な曼荼羅まんだらのように可視化されている。


「共通点、見つかりましたよ。この『アプリ』……仮に『共鳴体』と呼びますが、これに感染した加害者たちは、事件を起こす直前、ある共通の『リズム』で画面を操作しています」


「リズム?」


「ええ。タップの強さ、スワイプの速度、そして画面を見つめる視線の滞留時間。それらが、プレイ開始から三十分を境に、全員『完全に同一』になるんです。まるで、何十人もの人間が、一人の指揮者に操られているオーケストラのように」


沙耶香はモニターに歩み寄った。 グラフ化されたデータは、最初はバラバラな曲線を描いている。しかし、ある一点を境に、それらは一本の鋭い直線へと収束していた。


「これは、人間がゲームを楽しんでいる数値じゃないわ。……ゲームによって、人間の指先が、そして脳が、『同期シンクロ』させられている」


「その通り。そして、これを見てください」 如月が別の画面を開く。そこには、加害者たちが最後に見ていた画面の「色彩設計」が表示されていた。


「特定の色温度。通常、ディスプレイが発することのない微細なフリッカー(ちらつき)。これは網膜を通じて脳の視覚野を直接ハッキングし、感情を司る扁桃体を過剰に刺激する。……久我先生、あなたが感じた『快感』や『殺意』は、化学的に合成された感情です」


沙耶香は、自分の指先を見つめた。あの時、藤城の首に手をかけようとした衝動。あれは自分自身の内側から湧いたものではなく、外部から「インストール」されたものだったのか。


「人間には、これの解析は不可能です。見れば見るほど、脳が汚染される。だから……」


「ええ。AIに、この『地獄のパズル』を解かせる」


沙耶香は如月に頷いた。 今回のために用意されたAI「アレイティア」は、感情を持たず、光信号に心を動かされることもない。ただ純粋な論理として、アプリの奥底に隠された「真の目的」を暴くための盾だ。


解析が始まって数時間。沙耶香は実験室の隅で、加害者たちの生活背景を改めて精査していた。 如月の見つけた「リズムの収束」というデータから、彼女は一つの仮説を立てていた。


「藤城君。これまで起きた事件、山手線、路上、オフィス……。これらが発生した場所の近くに、共通する『何か』がないか、もう一度調べて」


「何か、ですか? 公共施設やコンビニならどこにでもありますが……」


「もっと具体的なものよ。例えば……『光』が強い場所。あるいは、不特定多数の人間が同時に同じ方向を向く場所」


藤城は端末を操作し、地図データと照らし合わせる。 「……新宿駅の大型ビジョン、渋谷のスクランブル交差点の街頭広告、山手線の車内ディスプレイ。……久我さん、まさか」


「アプリは『着火剤』に過ぎない。犯人は、街中の至る所に『種火』を仕込んでいるのよ。スマホの画面で脳を過敏な状態にしておいて、公共の場所にある巨大なビジョンから、特定の光のパターンを送る。そうすれば、その場にいる感染者たちが一斉に……」


「爆発する、ということですか」


沙耶香は戦慄した。この手口が真実なら、犯人は東京という都市そのものを「巨大な殺戮機械」に作り替えていることになる。 その時、実験室にアラート音が鳴り響いた。


「アレイティアが、アプリの最深部にある『隠しコマンド』を復元しました!」 如月が叫ぶ。


メインモニターに映し出されたのは、無機質なテキストデータだった。 そこには、ある日付と、詳細なタイムスケジュール、そして……「標的」の名前が並んでいた。


「……G7」 藤城が息を呑む。


来月、東京で開催される主要七カ国首脳会議。 世界中のリーダーが集まり、厳戒態勢が敷かれるその日。


「犯人の狙いは、愉快犯でも、単なるテロでもない。……国家の権威そのものを、民衆の手によって、内側から破壊すること」


沙耶香は、モニターに映るスケジュールを見つめた。 会議の当日、警備にあたる数万人の警察官。彼らもまた、人間だ。もし、その中のわずか数%でも、このアプリに感染していたら? 守るべき盾が、矛へと変わる。 それは、近代民主主義国家がこれまで経験したことのない、最も醜悪で、最も回避困難な「内戦」の幕開けになる。


「予告状の『東京の喉元から締め上げる』っていうのは、これのことだったのか……」


藤城の声が震えている。 沙耶香は、デスクに置かれた自分のアナログなノートに、大きく「一ヶ月」と書き込んだ。


「如月さん、アプリの停止コードは作れる?」


「……正直に言いましょうか。無理です。このアプリは、既存の通信プロトコルを無視して、独自の網目メッシュネットワークを構築している。一つを消しても、隣のスマホがすぐにコピーを作成する。唯一の方法は、東京中の全てのスマートフォンを一斉に物理破壊するか、あるいは……」


「あるいは?」


「このシステムを統括している『親機マスター・サーバー』を叩くしかない。でも、それはどこにも存在しない。……いえ、もしかしたら『誰か』の脳内にしかないのかもしれない」


如月の言葉に、沙耶香は冷たい確信を得た。 これは技術の戦いであると同時に、極めて高度な心理戦だ。 犯人は、現代人の「スマホがなければ生きていけない」という最大の弱点を突いている。


「公開しましょう、久我さん。このアプリの危険性を世間に!」 藤城が詰め寄る。


「ダメよ、藤城君。今、パニックを起こせば犯人の思うツボだわ。スマホを捨てろと言っても、誰も捨てられない。それどころか、好奇心でダウンロードする人が増える。……私たちは、もっと静かに、もっと確実に、この『共鳴』の鎖を断ち切らなきゃならない」


沙耶香は立ち上がり、コートを手に取った。 「如月さん、アレイティアに『犯人の思考パターン』をシミュレートさせて。このアプリを設計した人間が、次に何を欲しがるか。……私は、登記上のビルじゃない、犯人が実際にいた『気配』を探しに行く」


「どこへ行くんですか?」


「加害者たちが、最後に『安らぎ』を感じていた場所よ」


沙耶香の瞳には、プロファイラーとしての冷徹な炎が宿っていた。 事件の共通点。それは画面の光だけではない。 加害者たちは皆、この殺伐としたデジタル社会の中で、ほんの一瞬の「繋がり」を求めて、あの深い沼に足を踏み入れたのだ。


その孤独の正体を突き止めない限り、本当の犯人には辿り着けない。


夜の東京。 沙耶香は一人、雨の降り始めた街を歩いていた。 行き交う人々が手に持つスマートフォンの光が、雨粒に反射して無数の星のように煌めく。 その一つ一つが、爆弾に見える。


(待ってなさい、マスター)


彼女は、胸の奥で疼く「共鳴」の残響を、プロとしての冷徹な思考で押さえつけた。 残り、一ヶ月。 世界が崩壊を始める前に、彼女はその「最後のピース」を、自らの手でもぎ取ることを誓った。


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