1. 思い出しました!
溺愛ぽんこつイケメンを書きたいだけで書き始めた異世界恋愛モノです。
イケメンたくさん出せるかなぁ? イケメン書きたい。可愛い女の子も書きたい。
またよろしくお願いします!
ピッ、と、書類にインクが飛んだ。
今サインした結婚証明書に、小さなインクの染みが点々と散る。
ぼんやりとしながら、
(何かこれ、覚えがあるような?)
……と思った瞬間、フィアリアはハッと我に返る。
わたくし、今さっき死んだのでは?
呆然と固まった彼女の手元から書類を取った神官は、署名の最後に数滴散ったインクを見てコクリと頷き、
「この初々しいご夫婦の未来を祝福するように、可愛らしい花が咲きましたね」
と笑顔で言う。
前回も思ったけど、さすが大神官様、フォロー上手いです。
……とか感心している場合じゃない。とフィアリアは唇を引き結ぶ。
フィアリアの記憶にある、不安に満ちた結婚生活。突如迎える悲劇的な死。その恐怖。
私は『死に戻った』んだ、とフィアリアは衝撃を受ける。
そんな物語のような事が本当にあるのだろうか。
でも、現に見覚えのあるシーンが目の前で次々と繰り広げられている。
フィアリアは混乱しつつも、記憶を辿ってなんとか未来の悲劇を回避しなければ、と思う。
……で!? その記憶が蘇るのが、なんで結婚が成立したあとですの!? ここからどうしろって!?
「では、誓いのキスを」
夫となった公爵が、優しく微笑みつつ黒曜石のような瞳でこちらを見下ろす。
この瞳がいつも怖かった。
黒くて、深くて、吸い込まれそうなこの瞳が。
そこになにか、得体のしれないものが潜んでいるようで。
今ならわかる、それは……。
フィアリアの頬にそっと手を添え、優しいフリでその男はゆっくりと近づく。
暗青色の髪に縁取られたその整った顔が目の前に迫る。
どうしよう。怖い!
唇が接触する前に、フィアリアはその手から逃れるようにぺたんと床に座り込んだ。
豪華なウエディングドレスが床にふっくらと広がり、その上にプラチナブロンドの髪がさらりと流れる。エメラルドの瞳の小柄な彼女は、大きな白薔薇の真ん中に潜り込んだ妖精のように見えた。
その夢のような光景に、公爵も、神官も参列者も全員、一瞬ぽかんとし。
ハッと気を取り直した公爵が、
「どうかしたのか……」
と言いつつ伸ばした手を振り払うようにして、少女は泣き声を大きく響き渡らせる。
「いやあぁぁ! 旦那様! 溺愛なんて要らないから、今すぐ離婚してくださいーっ!」
「「「えっ」」」
式場全体が、驚愕とともに凍りつく。
「……溺愛?」
数拍の静寂の後、公爵の、ふうー、と言う深いため息が皆の耳に届く。
「……安心しろ、私はお前を愛するつもりはない」
一陣の冷たい風が、式の参加者全員を嬲るように吹き抜けていった。
* * *
「ヨークトフェルト殿、お許しください、フィアはまだ幼いところがあるので、家族から離れることを思って、急に寂しくなってしまっただけかと思います」
花嫁の部屋で、ウエディングドレスのままベッドに伏せているフィアリアの耳に、父の声が聞こえてくる。
夫のヨークフェルト・リケイオン公爵に、娘……、フィアリア・フロイプエンド公爵令嬢改めフィアリア・リケイオン公爵夫人を、とりなしてくれているようだ。
「お気になさらないでください、フロイプエンド公爵。やはり他家に嫁ぐというのは心の負担が大きいものでしょう。私も彼女を……」
そこで少し間があいて、小さく咳払いの音がする。
「……妻を、ご家族に負けないほど大切にしますので、ご安心ください」
「ヨークフェルト殿……!」
父公爵が感激しているようだ。涙声になっている。
先程、愛する気はないと言ったのは何だったのだ。
フィアリアは呆れたように思う。
泣き疲れて寝たふりをしているので、夫のヨークフェルトがどんな顔をしているかわからない。でも、声は硬い。
どうせまた冷たく暗い目でこちらを見下ろしながらため息を吐き、呆れたように目を逸らしたりしているのだろう。
挙げ句に、殺しに来るのだ。
フィアリアはゾッと身を震わせた。
『大切にする』のなら、放っておいてほしい。
私は、何も考えず静かに暮らしたいだけなのに!
* * *
フィアリアは、歴史ある公爵家の末娘として生まれ、蝶よ花よと可愛がられて育った。
プラチナブロンドの髪、澄んだエメラルドのような緑の瞳。色白で儚げな風情は、そのままふわりと空に溶けて消えてしまいそうだ。
一際小柄に生まれたこともあり、兄も姉もフィアリアを壊れ物のように大切に扱った。両親が特別扱いすることも当然と受け止め、妬みや僻みも感じない。ただひたすら、可愛いがった。
使用人たちも彼女を溺愛し、何か欲しいと思う前には必要なものが目の前に並べられ、不快に思う原因は丁寧に遠ざけられて、フィアリアは何不自由なく育った。
少し大きくなってからは、生来の頭が良かったこともあり、淑女教育もすんなりと覚えてしまって、特に挫折も感じなかった。
……どうなったかと言うと。
いつもニコニコしている、感情の起伏に乏しい少女が出来上がった。
「フィア、何か欲しいものはあるかい?」
「いいえお父様、なにも?」
「フィアは慎み深いなぁー」
「フィア、今日は何が食べたいですか?」
「どうぞお母様のお好きなものを。お母様のお選びになったものをいただきたいです」
「フィア……、私のために?」
「フィア、たまにはお兄様と出かけよう、どこに行きたい?」
「お兄様と一緒ならどこでも楽しいですわ」
「んんっ……!」
「新しいアクセサリーを誂えましょう、フィアはどんな物がいい?」
「ん……、その、お姉様の、それと同じ物で……」
「これ? まあ……お揃いがいいって……こと……?」
こんな調子で、その都度家族や使用人は
「なんと謙虚でけなげな子だ」
と感動していたが、その実、フィアリアにとっては全てが『特に興味がないのでどうでもいい』だけだった。
そうして成長したある日、父親が深刻そうな顔でフィアリアに告げた。
「……お前とリケイオン公爵との結婚が決まった」
「……結婚?」
フィアリアは小首を傾げる。
「リケイオン家のご当主が亡くなってな、まだ16才になったばかりのご子息が新公爵となったのだ。剣も魔法も強く、真面目で優秀な男だが、何にしろまだ若い。傀儡にしてその権力を利用しようという輩から、結婚話が多数上がってきていてな……」
はあーっ、と、父公爵は深い溜息を吐く。
「権力の分散乱用を警戒した王家から、うちが後見となってリケイオン家を支えろと、お前を嫁に出すよう言ってきた。年齢も丁度いいではないかと」
「フィアリアはまだ13才だぞ!」
父の言葉を受け、同席していた兄が怒りの声を上げる。
当のフィアリアは、ニコニコとした笑顔のまま、ただそのやり取りを見ているだけだ。
「……いやだよなぁ! わかる、わかるぞ、だがすまん……。これは国王陛下からの直命で……」
笑顔だが無反応なフィアリアに勝手に共感したうえで、父親は悔しそうに唇を噛む。
「……いや、やはり断ろう。まだ幼いフィアリアを嫁に出すなど……!」
「父上、しかし国王陛下の命に逆らっては……」
兄が父を諌める。
「いや、たとえお怒りを買ったとしても!」
「お怒りどころか、爵位降格もありえますよ」
「しゃっ……」
「流石に死罪はないと思いますけど」
「しっ……」
「良くて収益権一部剥奪、悪くて領地返上でしょうか」
「しゅっ……」
「まあ……、フィアの幸せのためなら全てを捨てても仕方ないですが……」
諌めているのかと思ったら兄も縁談を断る方に乗り気のようである。
「じぇっ……、ジェラルド! よく言った!」
「……シェラルドなら綺麗に決まったんですが」
「何の話だ?」
「いえ別に……」
「よくわからんが……、しょっ、しょうがない、家族に荷物をまとめるように伝え……」
そこへ。
「わたくし、嫁ぎます」
フィアリアが言った。
その言葉に、父も兄も目を丸くする。
なぜ驚くのだろう。
フィアリアは不思議に思う。
淑女教育で、家のために嫁ぐのは貴族女性の義務と習った。
また、国王陛下は大変に尊いお方だから、そのご意志に反してはならないとも。
つまり、これで合ってるはず。
「国王陛下のご命令でしたら、その通りに致します」
「フィア……!! お前という子は……!」
ブワッと兄の目から涙が溢れた。
「この公爵家のためにその身を犠牲にしてくれるというのか……!」
父は鼻水まで垂らしてエグエグと泣きじゃくっている。
「何不自由ない結婚生活を送れるよう、目一杯手を尽くしてやるからな……!」
兄と父に抱きしめられながらもフィアリアは、為すべきことを為しただけなのに? と思うだけで、特に何も感じなかった。
愛と優しさだけが満ちた環境しか知らないフィアリアは、どこに行ってもこのままの世界が続くものだと、ただぼんやりと信じていた。
* * *
「離婚……、離婚してくださいぃ……」
寝たふりをしていたらいつの間にか本当に眠ってしまったフィアリアは、寝言でまで離婚を願っている。
今、屋敷では結婚披露宴が開かれている。
花嫁が疲れてしまったため、と言うことで、主役を欠いた披露宴となったが、式に参列していた皆は特に余計な不満を漏らすでもなく、素直にパーティーを楽しんでいる。
……と言うか、そうかー、疲れちゃったなら仕方ないねー、と無理やり納得し、式での騒ぎをなかったことにして、皆パーティーを楽しむことに全力を傾けている。
なんだか皆の笑顔に必死さが滲んでいるようだが、そんなはずはない、ただの楽しいパーティーだ。
ああめでたいめでたい。
そうですね、ああ楽しい楽しい。
あははは。
おほほほ。
そんな楽しげなざわめきや、明るい音楽が、花嫁の寝ているこの部屋まで聞こえてくる。
今は、花嫁の親族のフロイプエンド公爵たちにもそのパーティーに行ってもらい、この部屋には花婿のリケイオン公爵とその使用人だけが残っている。
「……なんであんなことを言ったんです?」
とヨークフェルト・リケイオン公爵に話しかけたのは、乳兄弟であり従者であるエイル・フィヤトルだ。
「あんなこととは何だ」
「お前を愛することはないってやつですよ」
ひどく冷たい目で従者を見やった若い公爵は、ぶわりとマントを膨れさせ、炎の混じった風を自身と従者の周りに渦巻かせた。
「あちちちっ、ヨーク様、気を静めて! また魔法が暴走してますよ!」
「あっ……」
慌てて背筋を伸ばして表情を消し、深呼吸をひとつ。
ため息をつくように息を吐き出して、やっと魔法の風が収まる。
「全くもう、魔力が強すぎて制御できないんだから、感情は抑えてください」
「うう……、うむ」
「……で、なぜあんなことを言ったんです」
「お前が言ったんだろう。女性と上手くやっていくためには、要望は否定せず、できる限り叶えてやれって」
「えっ?」
「……溺愛はいらないと言うから……、そのとおりにしなければと思って……」
「ポンコツですか!」
エイルは思わず叫ぶ。
「ポッ……、ポンコツとは何だ!」
「ほらほら! また炎を吹いてる!」
「あっ」
「はい、深呼吸!」
「すーっ、はー……」
「はい収まりましたね。あのですね、要望を聞いてやれとは言いましたが、どこの世界に新妻に『お前を愛さない』なんて言うクズ男が居るんですか」
「クズ男……」
「ほらほら! 今度は周りが凍ってる!!」
「あっ!」
すー、はー、すー、はー、と深い呼吸を数度行なって、ヨークは気を静める。
「……国王から押し付けられた結婚だ、俺になど愛されたくないのかもと思って……」
「そうだとしても、そこから努力して愛を育んで仲睦まじい夫婦にもなれるかもしれないでしょう。最初っから諦めて突き放してどうすんですよ」
「……そうか」
「まったくもう……」
呆れた様子で肩をすくめたエイルは、うなされているフィアリアをちらりと見る。
「ひとまず、メイドに命じてドレスを脱がせてもらいましょう」
「ぬっ……、脱がすだと!? 不埒な事を言うな! こんな儚げな少女に何をさせる気だ!」
「部屋の中に竜巻が!! 深呼吸深呼吸! ……で、何の話をしているんですか、このむっつりスケベ。苦しそうだから楽な服に着替えさせて差し上げましょうって言ってるんですよ」
「ぐぬう……!」
「形式的に結婚しただけで、花嫁の年齢的にまだ新枕には早いですからね」
「わっ、わかっている!!」
「あと、これ以上余計なことを言わないで差し上げてくださいよ、お可哀想なので」
「うう……、わかった……」
この従者の一言が、このあとの悲劇の引き金になるとは、誰も想像すらしていなかったのだった。
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