◇62.妻用の首輪、夫の残念な画力、猫との商談
「……。え、リシェル用?」
断じてリシェル用であって欲しくない品なので聞き間違いかなと思って訊き直したのに、ごく自然に「うん」と返されてしまった。
いやしかし犬用の首輪と決まったわけではない。広義の意味の首輪であり実際には単なる綺麗な首飾りかもしれない。
という希望を胸に灯してみたが、ベルドラドが「ほら」と開けた箱の中に納まっていたのは、普通に犬用の首輪(お散歩に便利な鎖付き)だった。
「あの、なん、なんで首輪……?」
「リシェルに顎クイは響かなかったみたいだから、他に何かないかなって魔王城の図書館司書に相談したら、『顎を掴まれてクイッではなく、首輪を付けてクイッとされるのを好むパターンかもしれない』と教えてもらったんだ」
「そんな特殊なパターンを想定しないでいただきたい」
「その際は『面白れぇ女』ではなく『犬が言葉を話すな』と言うのが正解だとも教えてもらった」
「とんだ特殊なパターンに染まらないでいただきたい」
「残念ながら参考文献になる『私は宰相閣下の可愛い犬~閨の調教編~』は貸し出し中とのことで、今は返却待ちの状態なんだ。だから申し訳ないが実演はもう少し先になる」
「誰が借りたか気になるがよくぞ借りてくれた」
ベルドラドの各種奇行(その結婚式ちょっと待ったetc.)は、もちろん彼自身の恋愛小説を鵜呑みにする性質によるものだと思うが、その源泉というか元凶というか犯人は、魔王城の司書さんの選書にある気がしてきた。今度偵察に行かねば。
「あのねベルドラド。基本的に人間の妻には首輪を贈ってはいけません。贈るなら首飾りにしてください。分かりましたか?」
相変わらず妙なところが人間の感性からずれているなあ……と、遠い目になりつつ注意したら、なぜかベルドラドはパッと目を輝かせた。
「そうだったのか。リシェルは首輪じゃなくて首飾りが欲しかったのか。そうかそうか。初めてリシェルに宝飾品をねだられた……ああ、これが妻におねだりをされる夫の気持ち……」
「え、いや、ねだったわけでは……」
ないのだけれど、すっかりその気になったらしいベルドラドは、「じゃあ、これはケルベロスにでもやるか」と、上機嫌な様子で首輪の箱を閉じた。四匹に一個の首輪をあげて取り合いにならないか心配だが、まあ、せっかく買ったからと私に使われるよりはマシだなと思い直す。
「どんな首飾りを贈ろうかな。初めて贈る首飾りだから、ことさらに愛を込めたいよな。多少愛が重い贈り物をしても許されるという夫婦の特権を存分に行使したいよな。うん、頸椎を痛めるほどに重い宝石を贈ろう」
「物理的に重い愛はちょっと」
そんな私たちのやりとりを静観していたニャン宅の二匹は、「ラニャ、商機だ。営業かけるぞ」「はい師匠!」と、何やら手短に話し合い、しゃんと背筋を伸ばしてこちらを向いた。
「ベルドラド様! 奥様への贈り物でお悩みでしたら、ぜひ私たちに手配をお任せください! お金に糸目をつけにゃいお客様は大事にゃカモとして、誠心誠意お手伝いさせていただきます!」
「誠心誠意とはかけ離れた文章が混入」
「ああ、そうか。ニャン宅は物品の配送だけじゃなくて、入手も請け負うんだっけ?」
「はい! 毒海蛇の鱗から流行りのスイーツ情報まで、にゃんでも手に入れて見せましょう! 金さえ積んでいただければ!」
「商魂を隠さないスタイル」
思いのほかたくましかったラナさんに圧倒される私の隣で、ベルドラドが手を顎に当てて「うーん」と思案を始める。
「リシェルに初めて贈る首飾りは、宝石の原石の発掘から加工まで全部俺がやるつもりだから、ニャン宅には頼まないとして」
「重いのは重量の話だけではなかった」
「情報も扱ってるってのはいいな。首飾りとは別件になるが、さっそく依頼しよう」
ベルドラドは懐から紙と羽根ペンを出すと、さらさらと何かを描き始めた。ところどころ触手らしき物体が生えた、奇怪な生物の絵である。新手の魔獣だろうか。絵の下には前衛的な画風とは対照的に端正な字で、「バルシオン・アウグスタ」と記されている。
前衛絵画へのサインなのかなと一瞬思ったが、いや確か、この「バルシオン」というのは……。
「あの、ベルドラド。まさかこの絵って……」
「バル兄。俺の兄だ。双子のビオ姉によく似てるだろ?」
ドヤ顔なところ申し訳ないが、この自然界への理由なき反抗みたいな生物とビオレチアさんに共通点は何一つないので、ベルドラドの画力が壊滅的であるという悲しい事実が浮き彫りになっただけだった。
「ラナ、エドナー。俺の兄を探してくれないか。魔界のどこかで迷子になっているみたいなんだ。どの辺をうろうろしていたとか、目撃情報だけでもいい。はいこれ手掛かりの肖像画」
「はい! 承りま……えっ、にゃんだろう、この生存への大義にゃき反逆を思わせる生物……新種の魔獣……?」
おそらく捜索の妨害にしかなり得ないだろう手掛かりを渡されて困惑するラナさんに、エドナーさんが「馬鹿弟子が」と鼻を鳴らした。
「ラニャ、お前の目はふしあにゃか? この角と翼と尻尾、どう見ても天魔だろうが」
「あっ、にゃるほどです!」
「この絵でちゃんと手掛かりとして機能してる」
エドナーさんがベルドラドの謎絵を普通に理解したという事実に驚愕する私の前で、ラナさんがきらきらと尊敬の眼差しで師を仰いだ。
「さすがです師匠! 私には触手を完備した生ける混沌にしか見えませんでした! 私も一般的にゃ絵の解釈ができるように、もっと芸術の勉強をします!」
ラナさんの素直な賛辞に、エドナーさんは「ふん。そうしろ」と、まんざらでもなさそうである。なお個人的には、あの絵を新手の魔獣と捉えた私とラナさんの感性の方が一般的なのだと強く主張したい。
「お得意様、お前の依頼は分かった。迷子の天魔の居場所の情報が欲しい、ということだにゃ。いいだろう、数日で持ってきてやる。報酬はこれくらいもらおうか」
エドナーさんは右前肢を上げ、ベルドラドにぷりぷりの肉球をかざした。突然の肉球アピールが可愛い。違った。きっと人間的には指を五本立てている感じなのだろう。だが如何せん可愛い。
「へえ。エドナーお前、お得意様相手になかなか吹っ掛けるじゃないか」
「にゃにを言う。お得意様だから勉強させてもらってこの価格だ。払えにゃいと言うのにゃら、それまでだが」
「いいや、即金で払うさ。マタタビも一袋付けてやるよ」
「……全力を尽くさせていただこう」
エドナーさんとベルドラドはキリッとした雰囲気で頷き合い、固い握手を交わした。商談が成立したようである。




