◇61.猫の宅配便
「ごめんにゃさい。ごめんにゃさい」
「違う。客の家に上がるときは『ごめんください』だ。にゃん度も言わせるにゃ愚図」
「あっそうでした。ごめんください、師匠……」
「謝るときは『ごめんにゃさい』でいいんだ、この馬鹿弟子」
「うっ、ごめんにゃさい、師匠……。あっ、お客様が気づいてくれた。ごめんにゃさい、ごめんにゃさい、ニャンでも宅配便です」
たしたし音の正体は、ローブを着た猫が肉球で窓を叩く音だった。窓辺の癒し指数が俄かに上昇である。
「猫が服着て、しかも喋ってる……! えっ、可愛っ……」
日々たくさんの魔族を見ておいて今さら喋る猫に動揺するのも変な話だが、感動してしまうものは仕方がない。ローブを着た猫が肉球で窓をたしたしする光景は、端的に可愛いのだ。
窓を叩いているのは、世にも珍しい桃色の毛の猫。「ごめんにゃさい」と呼び掛けている声からして女の子だ。もう一匹は銀色の毛の猫。「この馬鹿弟子」と言い放つ青年らしき声はツンと冷たく、なんだか傲岸不遜な雰囲気で座っていて、そのふてぶてしさがまた可愛い。
「ん? 今朝荷物を届けに来たニャン宅の奴らだな」
ベルドラドが窓を開けると、桃色の猫が丁寧に頭を下げた。銀色の猫の方は何も言わず、つんと顎を上げている。初めて見る『ニャン宅』への興奮を隠しつつ、私もいそいそと窓辺に寄った。
「毎度ご贔屓にありがとうございます、ベルドラド・アウグスタ様」
「どうした、配達中に道にでも迷ったか? こっちは本館じゃないぞ」
「いえ、さきほどベルドラド様に配達をしましたが、お届け忘れがございまして……」
そこで桃猫はさっと顔を伏せ、手足を揃えて縮こまった。
「必殺・ごめん寝ポーズ!」
「こら馬鹿弟子、技名を言うにゃ。ごめん寝は粛々とやるのが効果的なんだ」
ちんまりと土下座中の桃猫の背を、銀猫がばしっと叩いた。桃猫は「ごめんにゃさい、師匠」と顔を上げ、今度はおでこに銀猫の肉球を食らって「あう」と呻いた。窓辺に漂う、微笑ましさと抜け毛。
「えっ、もう、どうしましょう、めちゃくちゃ可愛いですよ、この子たち……!」
じゃれ合う二匹の様子につい興奮したら、ベルドラドは「俺だってごめん寝ポーズくらいできる」と凛々しく言った。猫に張り合うんじゃない。
「全く、リシェルは小さくて毛深い生き物に弱いんだから困る。おい猫ども、俺の妻を誘惑するな。じゃれ合いはよそでやれ」
「えっ、ベルドラド様の妻!?」
ばしばしと叩かれていた桃猫がハッと私の方を見て、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります、奥様。私はラニャと申します。こちら名刺です。ベルドラド様には毎度ご贔屓にしていただいております」
「あっ、これはこれはご丁寧に……初めまして、ラニャさ……」
名刺には「ニャンでも宅配便見習い・ラナ」と書かれていた。ラニャさんではなく、ラナさんか。もう。可愛い。
「初めまして、ラナさん。私はリシェルです」
「リシェル様。どうぞお見知りおきくださいませ」
真面目可愛いラナさんに見惚れていたら、隣で黙っている銀猫から視線を感じた。この子も名乗ってくれるのかなーとわくわくしながら顔を向けると、「ふん」と視線を逸らされた。
「貴様ににゃのるにゃにゃどにゃい」
尊大な態度で「貴様に名乗る名などない」と言われてしまった。にゃんとも猫々しい発音なので微笑ましさしかない。
「もう師匠! お客様ににゃんて態度ですか! リシェル様、こちらはししょ……エドニャーです」
「エドニャー……エドナーさん?」
「うるさい黙れ。気安く呼ぶにゃ」
エドナーさんで合っていたらしい。ツンと小さい顎を上げて私を窘める様子もまた可愛い。惚れ惚れしているうちに、「ラニャ、お前も勝手に俺の個人情報を教えてるんじゃにゃい」「あう」と、再び窓辺でもつれあう猫二匹。さきほどから癒しの供給が止まらない。
にこにこしていたら、ベルドラドが不満そうな目で私を睨んできた。
「浮気だ」
「猫を見ていただけで浮気判定」
「俺のことはそんな目で見ないくせに」
「猫を見る目で夫を見ていたらそれはそれで事案」
「俺の尻尾を世界一可愛いって言ったくせにもう他の尻尾に目移りして」
「尻尾単体の争いに移行」
これ以上ベルドラドが拗ねても困るので、「もちろんベルドラドの尻尾が世界一ですよ。不動の一位です」と教えてあげたら、彼は一瞬で機嫌を立て直した。
「ほら猫ども、好きなだけじゃれ合うといい。俺は不動の一位だから鷹揚に待ってやろう。俺は不動の一位だから」
ごめん寝ポーズに張り合おうとしていた男とはとても思えない、余裕に溢れた大人の顔で猫に語りかけるベルドラド。不動の一位が刺さり過ぎである。
ベルドラドの声掛けで我に返ったニャン宅の二匹は、毛で毛を洗う柔らかい争いをやめ、ラナさんは申し訳なさそうに、エドナーさんは泰然と姿勢を正した。
「失礼いたしました。こちらがお届け忘れのしにゃです」
ラナさんが差し出したお届け忘れの品は、「首輪」と書かれた箱だった。ベルドラドは首を傾げたが、すぐに思い当たったようで「ああ」と尻尾を上げる。
「それも注文したんだった。忘れてた」
「首輪……? ケルベロス用ですか?」
「いや、リシェル用だけど」
にゃんてことだ……




