◇57.浮気現場を夫に目撃される
それから私たちは足湯を堪能し、備え付けのタオルで足をぬぐった。
「ふう。旅の疲れも取れたし、ベルちゃんが相思相愛のもとに結婚したと確認もできたし、一安心……はっ!」
私が履いたら二歩で転びそうな高く細い瀟洒なヒールの靴を履こうとしていたビオレチアさんは、何か重大なことを思い出したらしく、靴を取り落して私を見た。
「ど、どうされましたか?」
「わたくしってば、相思相愛と決めつけちゃったけれど、そもそもリシェルちゃんの方はどうなのかを確認してなかったわ!」
「へっ?」
「もしもリシェルちゃんがベルちゃんに押し切られて流されるままに結婚したけれどベルちゃんのことは可もなく不可もなくという状態だとしたら姉から見たベルちゃんの各種魅力について総力を挙げて訴えたいし、リシェルちゃんが手練手管の末にとっくにベルちゃんにベタ惚れなんだとしたら根掘り葉掘り手取り足取り総力を挙げて恋バナを聞きたいのが姉心だというのに!」
「どちらにせよ総力を挙げる姉心の圧」
その圧の片鱗がすでに漏れているのか、ビオレチアさんは当初のおっとりした雰囲気はどこへやら、鬼気迫る顔で私に迫ってきた。
「さあリシェルちゃん、教えて頂戴。あなたはベルちゃんのこと、可もなく不可もなくなの? それとも大好きなの?」
「え、あう、えっと」
私の肩をがしりと掴むビオレチアさん。いつぞやミア様にも似たような内容で詰め寄られたことを思い出す。なんなら当のベルドラドからも惚れたら宣言しろと言われた過去がある。魔族の皆さんは私に恋心を吐露させて羞恥させなければ気が済まないのだろうか。
「いや、それは、もちろん……すっ、好きで」
「はっ! まさかまさかの、可もなく不可でもなくどころか、嫌いだったり……!?」
私が恥ずかしがってもごもごしている間に、ビオレチアさんの思考が軽やかに突っ走り始めた。出会った直後の妖艶おっとり美女の面影は彼方に消え去り、暴走うっかり美女への華麗なる転身を遂げつつある。
「いや待って、さすがに嫌いはないわよね、嫌われているとしたらベルちゃんがこんな風にリシェルちゃんを自由に出歩かせているわけがないものね、逃走されるのが怖くて手足を拘束して監禁一択よね、ベルちゃんだもの、うん、そこは安心」
「こんなに安心できない『ベルちゃんだもの』があっただろうか」
「ならやっぱり可もなく不可もなく……? えっ、もはや無……? これはあれかしら、偽装結婚というやつかしら? ベルちゃんってば、好意で押し切ったんじゃなくて好意を隠し切って、高い給金と好待遇と『いるだけで大丈夫』とかいう緩い条件でリシェルちゃんを釣って、お飾りの妻でいいからとか何とか偽った上でがっつり婚姻を結んだんじゃ……?」
「もはやあらすじ」
「でも愛のない偽装結婚からの溺愛生活は基本だものね、それならベルちゃんは愛がありまくりの偽装結婚を経て、なんだかんだで本音を打ち明けて、リシェルちゃんとの相思相愛を勝ち取ったのでは……?」
「前回までのあらすじ」
お姉さんによる弟の行動予測の精度が高すぎて怖いのだけれど、そんな戦慄を抱く間もなく、軽やかにも程がある思考の飛躍を遂げたビオレチアさんに、滑らかに押し倒された。
「え、ちょ、ビオレチアさん?」
彼女のふんわりとした大いなる胸が、私の慎ましい胸にのしかかる。なんかいい香りがする。らっきーすけべ状態である。
「ああ、分からない。分からないわ。どうして人間の心ってこんなにも複雑なの……!」
「で、ですから、ちゃんと好きで」
「ああ、私は何に総力を挙げればいいの……!」
「まずは目の前の人間の話を聞くことに総力を挙げていただきたい」
「さあさあさあ、はっきり答えて頂戴、リシェルちゃん!」
魔王城最上階から見渡せる絶景、心地よい微風、ほこほこと立つ湯気、とぽとぽと耳に優しいお湯の音、私を押し倒し真剣な表情で迫る美女。混沌である。
「ベルちゃんのことが好きなら好きと! 微妙なら微妙と! 無なら無と! さあさあさあ!」
照れに負けた控えめな声量による回答では、姉心を高ぶらせたビオレチアさんには届かないようである。こうなったら仕方がない。幸い魔王城の最上階には他に誰もいないし、恥を捨てて愛を叫んでみせよう。だって私は妻だもの!
覚悟を決め、目を閉じ、思い切り息を吸った。
「あー、全速力で飛んだら疲れた。こういう時は足湯に限……ん、リシェル?」
「もちろん大好きですからあああ!」
ビオレチアさんともつれ合ったまま、顔を真っ赤にして叫んだら。
「……リシェルが、浮気、してる」
とんでもない現場に、夫が降り立った。
次話はハイライトの消えた瞳のベルドラドさんでお届けします。




