◆53.騒動の予感
魔王城の最上階にも来なれたもので、昇降機で楽々と到着。
勇者と魔王の最終決戦の場に相応しい荘厳な雰囲気の広間、その一角でほこほこと湯気を立てている足湯コーナーに向かう。
足湯仲間である管理人さんとは、だいたい三回に一回は会えるのだけれど、今日はいないようだ。そうなると私の貸し切り状態となるのが常なのだけれど。
今日は珍しく、というか初めて、管理人さん以外の先客がいた。
足湯コーナーは他の魔族には人気がないのかなーなんて思っていたのだけれど、そんなことはなかったことに感動しつつ、先客に近づいてみる。
私より少し年上くらいに見える女性。肩の上でパツンと切り揃えた黒髪に、一目で魔族だと分かる二本の角を生やした、ものすごい美人さんである。足湯に深く集中しているのか、その目は閉じられ、微動だにしない。
謎の美女は東方大陸(たまにベルドラドが作る「ギョウザ」の本場だという大陸)風のドレスを着ていた。袖のないドレスから剥き出しの白い肩、深いスリットから覗く滑らかな太腿、ちらりと覗く豊かな胸の谷間。
そんな妖艶な姿も相まって、「足湯に降臨した美の女神」だと言われても頷けてしまう風格が漂っている。
「こ……こんにちはー……」
無言で加わって驚かせるのも何なので、控えめに声をかけてみたら、足湯を全力で堪能していた謎の美女は、パチリと目を開けた。紅玉のような赤い瞳と目が合い、ドキリとする。
「あら、こんにちは。さあ、どうぞ入って入って」
謎の美女はにこやかに言うと、すっ……と隣を指した。同性の私でもドキドキしてしまうほどの蠱惑的な雰囲気に緊張半分、管理人さん同様の歓迎的な雰囲気に安心半分の気持ちで、足湯に加わる。
「まあまあまあ、いつの間にこんな可愛いメイドさんを雇ったのかしら」
謎の美女はおっとりとした口調で言い、すっ……と音もなく距離を詰め、たおやかに密着、細い指で私の顎をクイッと持ち上げ、嫣然と微笑みかけた。
「あんまり可愛いから食べちゃいたい」
「ひぇ」
色香の暴力とでも言おうか、半分残っていた安心が彼方へ飛んでいき、ボッと顔に熱が上った。
なぜ私は穏やかな昼下がりの足湯コーナーで麗しい女性に迫られているのだろうか。これが在りし日にミア様が熱く語っていた「らっきーすけべ」なのだろうか。
ぐるぐると思考が巡り、かちこちに固まる私の様子に、美女は「まあ」とさらに笑みを深める。
「なんて初々しい反応なのかしら。メイドさん、顎クイは初めて?」
「い、いえっ、十五度目くらいれす。つい最近、分度器で角度を測りながら夫に何度も試されたので」
私がときめく角度を研究するのだと張り切るベルドラドとの精密作業を計上していいのなら経験豊富な私だが、今回のように真っ当な顎クイは初めてなので動揺が激しい。若干噛みつつ答えたら、彼女は楽しそうに笑った。
「まあまあまあ、勉強熱心で素敵な相手と経験済みなのね。私ったら、なんとなくの角度で顎クイをしていたわ。その素晴らしい旦那様を見習わなくちゃ」
美女は胸の谷間から、すっ……と手帳を出し、「分度器を買う、っと」と呟きながら書き留めた。眩暈がするほどの色気、それを秒で霧散させる見当違いな言動。この何とも言えない落差に、どこかの誰かさんを思い出すような。
美女は手帳をもとの場所に仕舞うと、「ううーん」と伸びをした。
「ふう、全速力で飛んで帰ってきたから疲れちゃった。こういう時には足湯に限るわ。わたくしね、さっき旅行から帰ってきたところなの。あ、この服は旅行先で買ったのよ。素敵でしょう? たくさん買ったから、メイドさんにもお近づきのしるしに一着……」
人懐っこい性質なのだろう、初対面の私にも気さくに話し始めた彼女は、いそいそと足湯コーナーの脇に置いてある巨大な旅行鞄を取りに行こうとして、「あら大変」と言った。
「わたくしったら、顎クイをしたというのに自己紹介がまだだったわ。ん、違うわ、名乗る前に『面白れぇ女』と言うのが顎クイの正しい作法だったかしら。いやそれは壁ドンの作法? うーん」
真剣な表情で大変どうでもいい作法(作法?)を悩みだした彼女に、「あの、僭越ながら私から自己紹介をさせていただいてもいいでしょうか……?」と、切り出してみたら、「まあまあ、どうぞ!」と明るく返ってきた。
「初めまして。リシェルと申します。魔王城でメイドとして働いています」
「まあ」
彼女は私の自己紹介に、とても驚いた顔をして、みるみるうちに笑顔になった。人間が魔王城でメイドをしているのが珍しかったのかもしれない。
「リシェルちゃん! そう。そうなの。あなたが。ふふ。……よろしくね?」
彼女は喜色満面に頷き、それから自分の胸に手を当てた。
「わたくしはビオレチア・アウグスタ――魔王の娘」
「!」
今朝ちょうど目にしたばかりの名前に、目を見張った。
謎の美女もとい、ビオレチアさんは、紅玉の瞳を妖艶に細めて続けた。
「可愛い弟を誑かした面白れぇ女がいると聞いて、飛んで帰ってきたの」
以上、第二部序章「騒動の予感」編でした。
面白れぇ女リシェル。
そしてすみません、次章の投稿まで数か月ほど間が空きます……!
11月頃に連載再開の予定です。
べちょべちょのケルベロスたちがポテチを咀嚼しながら夏の日差しで自然乾燥されるさまなどを思い描きつつ、のんびりとお待ちいただけますと幸いです!
■追伸:書籍版をお迎えしてくださった読者さまへ。
手に取ってくださっただけで盆踊りたいくらいに嬉しいのですが、もし書籍の感想を教えていただけたりしたら、作者が泣いて阿波踊って喜びます……。
感想欄でもXの呟きでも書店サイトのレビューでも、喜びのサンバ踊りながら読みに行きますので、よければぜひ……!
(刊行から間もないのにすでに感想を書いてくださった方へ。情熱のタンゴ踊りながら読みました。ありがとうございます! )