◇51.謎に包まれた魔王一家
「ベルドラド。まだ何か残っていますよ。えーと、パンツ……?」
箱の底に残っているパンツ袋を指すと、ベルドラドは「ああ、忘れてた」と箱を覗き込んだ。
「そうだった。ケルベロスのパンツも発注したんだった。そろそろ給料を払う時期だからな」
「ケルベロスが給料制だった事実に動揺したいのに給料がパンツだった事実の方に目が行ってしまう」
「今年は枚数を弾んだからあいつら喜ぶだろうな」
「しかも年俸制」
ベルドラドはパンツ袋も手に取ろうとしたが、「あ」と声を上げて箱から顔を上げた。
「どうしました? パンツは見ないんですか?」
「いや、そろそろ出ないと商会の仕事に遅刻する。今日は午前中に大事な会議があるから急がないと。ケルベロスのパンツをのんびりと確認している場合じゃない」
こう見えてちゃんと人間の世界では商会長として働いているのが彼のしっかり者な点で、仕事の予定が入っているのに朝から数々の新作寝間着をのんびりと解説してしまうのが彼のうっかり者な点である。
「王都の空を全速力で飛べば余裕で間に合うんだけど」
「頼みますから気軽に王都で魔族の侵入騒ぎを起こさないでくださいね……」
「そうだな。魔界を出たら大人しく馬車に乗るか。よし、先方には『朝から妻の全身甲冑を組み立てていたら遅刻しました』と正直に話そう」
「嘘にしか聞こえない正直な遅刻理由」
それからベルドラドはバタバタと慌ただしく用意をして、会議の予定は忘れていても「いってきます」のキスは忘れずに実行、私にもしっかり「いってらっしゃい」を要求してから、軽やかに部屋を出て行った。
「ふう……」
ベルドラドを送り出してしまうと、寝起きからここまでの騒がしさが嘘のように、部屋が静かになった。広い部屋でひとり伸びをして、よし寝間着たちは衣装棚に収納しようかなと動き出す。
ふたりで協力して組み立ててみた鎧一式に関しては、まあ今後も着る機会はなさそうなので居間に飾るとして、衣装棚に入るものは入れてしまおう。
「あ、ケルベロスのお給料……これも一応、箱から出しておこうかな」
箱を覗き込み、パンツ袋を手に取る。
と、その下にもまだ何かあることに気が付いた。
「ん? 手紙?」
パンツ袋の下に隠れていたのは、お洒落な封筒。
差出人は――ビオレチア・アウグスタ。
「……。えっ、アウグスタ?」
アウグスタはベルドラドの家名だ。そして封筒には『愛する弟へ』とも書かれている。これは、ベルドラドの家族からの手紙らしい。
とても気になるが、本人を差し置いて内容を読むわけにはいかない。ひとまずケルベロスのパンツ袋と一緒に、テーブルの上に安置しておいた。
「女性の名前っぽいから、お姉さんかな……?」
ベルドラドの家族については、父、兄、姉、ベルドラドの四人家族だと聞いている。
父は魔王らしいが、未だに姿を見たことはない。ベルドラド曰く「リシェルとの対面を恥ずかしがっている」とのことで、どうにも照れ屋さんらしい。私の抱く魔王像(大きくて強くて怖い)から掛け離れた人物である気がしてならない。
なお、ベルドラドからは「来月くらいに旅行中の兄と姉が帰ってくると思う。そしたら家族全員でリシェルの歓迎会をするつもりだ」と聞いているから、彼の兄姉とも、照れ屋さんの魔王とも、その機会に対面できるのだろう。
ベル父、ベル兄、ベル姉。
謎に包まれた魔王一家。会える日が楽しみだ。
しかし、「魔王一家」という単語の威力。魔王一家に歓迎会を開かれるという事象だけを抜き出すと、なんというか味わいが深過ぎて、むしろ驚けない。ほんの半年ほど前までごく普通の王城勤めメイドとして生きていたのに、人生は何が起こるか分からないものだ。
あと付け加えると、私は魔王を「お義父さん」と呼ぶ立場なのである。うん。人生は何が起こるのか分からな過ぎて、何が何だか。
「はっ。人生の奥行きに思いを馳せている場合じゃなかった」
私はベルドラドの妻だが、魔王城のメイドでもある。いつまでも寝間着姿で呆けていないで、今日もしっかりメイド業に励まねば。
衣装棚を開き、いつも通りに普通のメイド服を手に取りかけ、ふと思い留まった。さっきまで、わくわくと新作の服をお披露目していたベルドラドを思い出す。
「……せっかく作ってもらったし、一度も着ないのは悪いかな」
曰く、「防御性能に優れるお針子蜘蛛の糸で作った戦闘用メイド服」と「魔界七竈の葉で染めた耐火性メイド服」に目を遣る。
「うん、今日はこっちを着てみよう」
ということで、耐火性メイド服を手に取った。魔界七竈の色なのか、深い緑色の生地で仕立てられており、メイド服には珍しくフード付きのケープが付いている。
ハンガーには説明書きの札がぶら下げてあって、『火の海の中で歌って踊りたい? そんな貴女にこの一着。フードを被ることで加護が発動し、被服者に完全な耐火をお約束します!』と記されていた。私をどんなレベルの活火山に誘う予定だったんだ、ベルドラド。
ともあれ袖を通した。メイド業務で火の海に飛び込むような状況は来ないとは思うけれど、フード自体は埃っぽい部屋の掃除の時に便利そうである。
いつもと違う装いで鏡の前に立つと、新鮮な気分になった。うん。普段はお洒落とは無縁だけれど、これはなかなか楽しいものだ。今度は戦闘用メイド服なる品も着てもいいかもしれない。戦闘の予定はないけれど。
身支度も整ったので、メイド業に邁進すべく事務室へ向かった。
すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ただいま、お便りコーナーに私のお便りが載っております。第214回です。出したらほんとに載るんだ、お便り……!
とても暑苦しいお便りなので、猛暑続きでいっそさらに暑苦しくなりたいぜ……というサウナ気質の読者さまは、ぜひ読んでみてくださいね。




