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初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる  作者: 棚本いこま
第一部 メイドと魔族の偽装結婚

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◇5.愛のない偽装結婚からの溺愛は基本の流れ



 ベルドラドは、雨に打たれた子犬のような瞳をこちらに向けていたのである。


「リシェルは……俺が騙したと、そう言いたいのか……?」


 朝が似合う爽やかさ一転、怒涛の悲しみを醸し出すベルドラド。動揺する私の前で、彼の子犬風の眼差しがどんどん哀愁を増していく。


「あ、あの……?」


「俺はちゃんと『魔王城で』一年だって言ったのに。ちゃんと契約書には偽りなく契約内容を書いたのに。リシェルは契約書を受け取った上で、自分から同意したのに。それなのに『詐欺紛い』だなんて……」


「うっ」


 彼の眼差しは哀切を極め、もはや長時間の豪雨に打たれた子犬のそれである。尻尾もしゅんと項垂れている。あまりに悲壮な姿に罪悪感の突沸が激しい。


「す、すみません。確かに、ちゃんと中身を読まなかったのは私の方でした」


「俺の都合で結婚してもらうわけだから、せめて人間が喜ぶよう、偽装結婚の形を選んだだけなのに。頑張って期間や内容を練って契約書を作ったのに……」


「ご、ごめんなさい。人間が偽装結婚で喜ぶという知識の偏りはともかく、ものすごく頑張ってくれたことは伝わりました」


「確かに契約期間が合計で百年だと口では言わなかったけど、一年も百年も大差ないから、わざわざ言及しなかっただけなのに……」


「そ、そうですよね。魔族にとって百年は『たった』なんですよね。言い忘れただけなんですよね」


「ああ、それなのにリシェルは俺のことを、『最初から騙すつもりで策略を練った上で、事前に相手を調べ尽くした上で、花嫁が標的だと言えば止めに入ってくるだろうと計算した上で、結婚式乱入計画を立てておきながら寝坊をかます人畜無害な魔族を装った上で、結婚は結婚でも偽装であれば抵抗も少ないだろうと考えた上で、読みたくなくなるような分厚い契約書を用意した上で、たった一年だと思わせるような言動をした上で、しれっと合計期間百年の契約を締結させた、邪知奸計の悪逆非道な魔族』だと、そう言いたいんだな……?」


「さ、さすがにそこまでは言ってませんよ?」


 まさか、そんな謎に迂遠で無駄に緻密な計画を実行するような奴が、この世にいるわけがない。

 万が一いたとしても、その才能と演技力と執念を一介のメイドを騙すためだけに行使するなんてことは、さらにないだろう。


 しかし、そのような「邪知奸計の悪逆非道な魔族」だと私に思われたと受け取ったらしいベルドラドは、ついに私が腰掛けるベッドに突っ伏して、しくしくと嘆き始めた。その悲哀に満ちた姿にこちらの胸もしくしくと痛む。


「詐欺師のように疑われた俺はとても悲しい……」


「う……っ」


「俺はただ、俺の都合で結婚してもらう人間に……せめて幸せな結婚生活を送ってもらおうと……そう思って、頑張っただけなのに……」


「う……っ!」


 全く、私は何という言いがかりをしてしまったのだろうか。

 ろくに内容も確認せずに契約書に同意をしたのはこちらなのに、騙されただの、詐欺紛いだのと……。


 昨夜、花を撒いたベッドの前でベルドラドとやりとりをして感じた、天真爛漫で憎めない魔族という印象に、間違いはなかったのだ。


「あの、ベルドラド。詐欺だなんて言って申し訳ありませんでした」


 嘆くベルドラドにそっと声を掛けると、彼は突っ伏したまま、少しだけ顔を上げた。


「……もう、騙されたって言わない?」


「はい、言いません」


「もう、詐欺だとか言わない?」


「はい、絶対に言いません」


「ちゃんと契約を守ってくれる?」


「守りますとも」


「それはよかった!」


 ベルドラドは勢いよく起き上がると、雨に濡れた子犬はどこに行ったと聞きたくなるような、光り輝く笑顔を私に向けた。


「それじゃあ初夜の続きをしようか」


「いやこの流れでなぜ振り出しに戻るんですか」


 立ち直りの速さに愕然としている間に、ベルドラドは尻尾で私の身体を引き寄せた。そして懐から例の分厚い契約書を取り出し、私に見えるようにページをめくる。


「ほらリシェル、契約書の二百十三ページを読んでみろ。あ、この一見するとただのインク汚れにしか見えない部分なんだけど。『甲は乙との夫婦の契りを拒まないこと』って、ちゃんと記載してあるだろ? はい虫眼鏡」


「虫眼鏡の使用が前提な時点ですでに詐欺!」


 にこやかに差し出された虫眼鏡を叩き落とす私、「詐欺なんて言わないって言ったのにひどいなあ」と楽しそうに尻尾を揺らすベルドラド。


「というか、私たちは偽装結婚ですよね! 愛のない偽装の夫婦ですよね! 私に求められているのはあくまで妻の『役』ですよね! なぜそう初夜初夜と」


「言っただろ。俺の都合で結婚してもらうのだから、ぜひ相手には俺に惚れて、幸せな結婚生活を送って欲しいと。偽装結婚する、リシェルを愛しまくる、そして俺に惚れてもらうという完璧な計画なんだ。愛がありまくりの偽装結婚生活をしよう」


「もはや偽装結婚である意味!」


「なんだ、知らないのか? 愛のない偽装結婚からの溺愛生活は基本の流れなんだぞ。この恋愛小説を読むといい」


「教材の選択ミスが尾を引いてる!」


 叫ぶ私に、ベルドラドが「リシェルは朝から元気だなあ」と呑気に笑う。


 この騒がしい朝が、私とベルドラドの偽装結婚という名の――たぶん普通の結婚生活の、幕開けだった。



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『初夜のベッドに花を撒く係~』
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短編版の読み切り コミカライズもぜひ!
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― 新着の感想 ―
なんてピュアッピュアな悪質詐欺師だ…。 魔族的悪辣さと純真爛漫無垢少年が奇跡のマリアージュを果たしている…。 リシェルさんは、こんな(精神的)化け物を生み出した責任(無自覚)を取ろうね~…。 まさし…
ベルドラドくん、ちゃんと『最初から騙す~~悪逆非道な魔族』って自己紹介しててえらいね(白目)
やり口が詐欺師のそれなんだよなぁ(;・∀・) ベル君…恐ろしい子!(定期
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