◆45.エピローグ:初夜のベッドに花を撒く
窓から部屋に戻るなり、ベルドラドは私を長椅子に座らせ、夜風で冷えて風邪を引いたら大変だと言って、とりあえず膝掛けを、それから花の香りがする温かいお茶を持ってきた。相変わらず過保護で甲斐甲斐しい。
私がお茶を飲み終わるまでの間、ベルドラドは黙ったまま、肩が触れるほどの近さに座り、ずっと私のお腹に尻尾を巻き付けていた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「うん。……リシェル」
ベルドラドは名残惜しそうに尻尾を解くと、少し距離を取り、頭を下げた。
「ごめん、リシェル。俺は……最初からリシェルを騙すために策略を練った上で、初対面だと偽った上で、他人の結婚式をぶち壊す計画だと分かれば体を張って止めに入るだろうと計算した上で、恋愛小説で人間の生態を予習する勤勉さを見せつけて油断させた上で、偽装結婚に偽装した普通の結婚であることを隠した上で、その場で通読不可な無駄に分厚く虫眼鏡必須かつ計算問題ありの契約書を用意した上で、たった一年と見せかけて百年どころか永遠に束縛できるよう事後報告で人間の寿命を捨てさせ、契約を終えても他に行く当てがない状況を作りました。許してください。死ねと言うのなら死にます」
「は、はい、えっと、怒ってないので大丈夫ですよ」
なかなか身の詰まった謝罪内容に圧倒されつつも、正直な感想を返したら、ベルドラドは恐る恐るといった感じで頭を上げた。
「本当に? 怒ってない? かなりの悪徳商法だと思うんだが……」
「はい。むしろ感心しているというか……」
私は今まで、ベルドラドは少し世間知らずというか、無邪気な生き物だと思っていたのだ。けれど話を聞く限り、計算高く抜け目ない性格というのが真実に思える。
「結婚式当日に花嫁を攫って惚れてもらうという、珍妙な婚活を得意げに語っていたのも、演技の一環だったんですね……?」
恋愛小説を鵜呑みにしているお茶目な魔族なのだとすっかり騙されたなあ……と思いつつ確認を取れば、ベルドラドはキリッとした顔で「当然だ」と頷いた。
「あんな杜撰な作戦で婚活に挑むわけがないだろう。人間の好みは十人十色、何が刺さるかは未知数なことは重々承知だ。あれが本気の婚活なら、結婚式乱入の一点に絞らず、あらゆる恋愛作戦を総当たりで実行する。とりあえず壁ドンは入れただろう」
「壁ドンへの信頼が厚い」
前言撤回、恋愛小説を鵜呑みにしているお茶目な魔族で相違なかった。本性は狡猾なのかと思いきや、なんで妙なところは抜けているんだ。
「えっと……そもそも、ベルドラドはなぜ、こんなに回りくどいことを? 最初から普通に好意を伝えて、普通に結婚を申し込めばよかったのでは?」
私の問いに、ベルドラドは苦い顔をして、「やだ」と言った。無駄に可愛い。
「正面から好きだって言って、リシェルに拒絶されたら、耐えられない。昔会ったことがあるんだって、あの日からずっと好きだって、迎えに行くために立派な魔族になったんだって、リシェルがいないと生きていけないんだって、本心を全部伝えて拒絶されたら、たぶんリシェルを殺したと思う。あ、もちろん俺もすぐに後を追うんだけど」
「……」
やだ、の可愛さで得た和みが一瞬で吹き飛んだ。ベルドラドの愛情が少しばかり過激な部類であることは薄々察しつつあったけれど(比喩でなく私に命を捧げ済み)、予想の数十段くらい上だった。昨日の私、けっこう綱渡りだったのでは……。
「だから偽装結婚の体裁にしたんだ。好意を伝えなければ拒絶もされないし、『そういう方針だから』って建前があるから、安心して愛せる。本心として伝えていないなら、拒まれてもまだ耐えられる」
「……」
どこまでも決定的な拒絶を避けようとする姿は、いじらしくさえあった。そんな彼が、こんな風に全てを話してしまうのは、どれだけ勇気がいることだろう。
「百年の間に俺を好きになってくれたら最高だし、そうならなくても、俺がいないと生きていけないと思い知れば、どのみちずっと一緒にいてくれる。そう考えて、こうした」
ベルドラドは不安そうに私を見つめた。
拒絶されないか、恐れながら。
「最初から、百年経とうがリシェルを解放する気はなかったんだ。全部俺の都合で、リシェルの人生を台無しにした。……リシェルに嫌われても、当然なことをした」
単なる無邪気ではなく計算もするし演技も上手い、けれど妙なところで抜けていて、ちょっと過激なくらいに愛情深い、それがベルドラド。
彼のいろんな面を知った今でも、最初に抱いた「憎めない魔族」という印象は、最終的に変わらなかった。出会い、否、再会の時点で騙されていたと知っても、特に腹が立たないのだから。
「嫌いになんてなりませんよ。台無しにされたとも思っていません」
きっとこれからも、ベルドラドが何をしたって、最後には許してしまうだろう。
だって私は、重症で、末期で、手遅れなくらいに、彼のことが好きなのだから。
「だってベルドラドは、私を幸せにしてくれるんでしょう? あなたに惚れさせた責任を、取ってくれるんでしょう?」
あの時は拒絶のために使った「責任」の言葉を、今度は丸きり違う意味で口にすれば、不安で強張っていたベルドラドの顔が綻んだ。
「……ああ。幸せにする。大事にする。世界で一番幸せな花嫁にする。百年経っても、契約が終わっても、ずっと」
金色の瞳が煌めいて、その手が私の前髪に触れて、翼が寄せられて、尻尾が身体に巻き付いて、そして宣誓のある額に、優しい口づけが落とされた。
「リシェル。これからもずっと、愛していいか?」
求愛の言葉への答えとして、髪に飾っていた白い薔薇を手に取り、差し出した。
「これは?」
きょとんとするベルドラド。全く、私はちゃんと高らかに宣言をしたというのに、もう、あの約束を忘れてしまったのだろうか。
「見ての通り、花です」
顔が真っ赤になっている自信がある。
ベルドラドの手に、やけくそ気味に薔薇を押し付け、言った。
「初夜のベッドには花がいりますので」
『初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる 』 終
初夜で始まり初夜に終わる恋物語、これにて終幕。
最後まで見守ってくださり、ありがとうございました!
おかげさまで、なんと本作、書籍化します……!
角川ビーンズ文庫さまより、7/1に刊行です。
書き下ろしでリシェルたちの初夜初夜しい番外編(糖度高め)や加筆シーンもあるので、なろう版を読破された方にも、新鮮に楽しんでいただけるのではないかと……!
こうして書籍になったのも、ひとえに読者さまの応援のおかげです。心から感謝申し上げます!
■追伸:
皆さまに熱い感謝を込めて、6月に番外編を投稿します。ベルドラドのお姉さんが出る予定です。お楽しみに!