◇41.失恋している場合じゃない
翌朝。
目が覚めて最初にしたことは、枕で自分の頭を殴打することだった。
「私のばか! ぽんこつ! 今世紀最大の駄目イド!」
昨日、私はベルドラドにひどいことを言った。失恋して動揺したからって、楽になれるんじゃないかと思って、とんでもなくベルドラドを傷つけた。「愛さなくていい」なんて、言われた方はどうすればいいのだ。
無理に愛さなくていいという私の提案に対し、「そうかそうか。じゃあ溺愛夫婦ごっこはもうやめるから、引き続き部屋でゴロゴロしていてくれ!」と、明るく健やかな返事が来るとでも考えていたのか。いました。あほである。
ベルドラドを傷つけて、やっと自分の間違いに気が付いた。責任がどうとか、動機の種類は関係なかった。ベルドラドが私を大事にしてくれたことは本当で、愛してくれた時間は本物で、だから私は彼を好きになったのだ。
「ああ! もう! 昨日の自分に飛び膝蹴りしたい!」
もちろん昨日の自分に飛び膝蹴りはできないので、代わりに罪なき枕を滅多打ちにした。やや怒りが収まって、深呼吸をして気持ちを整える。
昨日はあの後、ベルドラドに抱き締められたまま耳元で「眠れ」と言われて、途端にすごく眠たくなって、うとうとしている間にベッドに運ばれた。
どうしても抗えない眠気と戦っているうちに、頭を枕に載せられ、寝間着の裾を整えられ、首までしっかり毛布を掛けられ、優しく額を撫でられ、寝室を出ていく後ろ姿を引き留められないまま、深い眠りに落ちてしまった。
たぶん魔法で眠らされたのだろう。そうでもされなかったら、たぶん一睡もできなかっただろうに、おかげで人生一番の快眠である。
伸びをして、ようやくベッドを出た。いつもの起床時間よりもだいぶ遅い。メイドのお仕事が休みでよかった。
顔も洗わずに居間に飛び込むと、いつも「おはよう、リシェル」と笑顔で待っている彼の姿はなく、いつも通りなのは、テーブルに用意された温かい朝食だけだった。
それは、そうだろう。あんな風に話が終わってしまったのだ。私と顔を合わせたくないだろう。
でも私は顔を合わせたい。謝りたい。話がしたい。
というか、昨日、ベルドラドの話を聞いて気が付いたのだけれど、そもそも私は、何か前提から間違えている気がしてならない。
ベルドラドは父に勧められたお見合い結婚が嫌だから、適当な人間と「たった」百年の偽装結婚をするのだと思っていた。
でも、昨日の話では、契約期間が終わっても引き続き、彼は私と一緒にいることになっていた。
何なら知らないうちに命を半分渡されていた。
ついでに私は不老不死らしい。
「私もう身長伸びないんだ……いや成長期終わってるけど……いやそこはどうでもいい」
ともかく、一時しのぎの妻役相手に、そんな契約をするわけがないのだ。きっと私は、まだ何か大事なことを隠されている。
ベルドラドに会って確かめたいけれど、ここまで私に隠しごとをしてきた彼が、今さら聞かれたからと言って、素直に白状するとは思えない。
「どうしよう……。うん。ひとまず食べよう」
昨日は昼からずっと食べていないので、さっきからお腹が鳴っていた。空腹ではいい考えも浮かばない。
私の愛さなくていい発言を受けた後でも、ベルドラドの作った朝食はいつも通り手の込んだ献立で、相変わらず美味しかった。快適な生活という契約内容に即しているだけかもしれないけれど、それでも嬉しくて、完食したら元気が出た。
整理しよう。
ベルドラドは期間限定の妻役が欲しいと言った。
でも契約が終わっても私がいなくなるのは駄目みたいだった。
彼はこの契約に命を懸けた。
でも、彼と私は契約した日に初めて知り合った仲である。
なぜ初対面の人間相手に、そんな契約を結んだのか。
ベルドラドの初恋の相手がとても気になる。
その人と結婚すれば万事解決だったのでは。
振られたのかな。
とても気になる。
うん。整理できなかった。
私はベルドラドについて知らないことが多いのだと、改めて思い知る。
「駄目だ、自力じゃ限界がある……でも本人に聞く前に証拠的なものを……そうだ!」
ベルドラドに詳しい人に彼の話を聞いて、手掛かりを掴むのはどうだろう。
ぱっと出てきたのはアイザック博士だ。ベルドラドの幼少期から仲良しだったという博士なら、「お姫様」について語ったように、私の知らない背景を教えてくれるかも……いや、いけない。
アイザック博士は、ベルドラドの初恋成就を喜んでいる。そんな博士に根掘り葉掘り聞いて、私が実は偽装結婚相手なのだとバレてしまったら、絶対に悲しませてしまう。
他に誰かいないかなと頭を捻り、ベルドラドを小さい頃から知っているという点で、もうひとり有力人物がいることを思い出した。
「管理人さん」




