◇4.初夜の続きをしたい魔族VS断りたい花嫁
目が覚めたら、やけに広くて豪華でふかふかしたベッドの上だった。
ここがどこだが分からないけれど、いつも寝起きする部屋ではないことは、寝ぼけた頭でも分かった。ベッドの寝心地の良さが、住み込みメイド部屋のそれとは段違いである。
ちなみに枕の中身はソバ殻のようだ。思わず二度寝をしたくなる、絶妙なシャリシャリ触感……。
「いやシャリシャリしている場合じゃない」
自分への突っ込みで一気に意識が覚醒し、飛び起きると。
「おはよう、リシェル」
朗らかな声が掛かり、びくっと肩が跳ね上がった。
横を見ると、黒い髪に金の瞳の青年(もれなく二本の角、大きな翼、長い尻尾付き)が、ベッド横の椅子に腰掛けていた。良く晴れた空が見える大きな窓を背景に、きらきらと輝く笑顔。まことに爽やかな絵面である。
「目が覚めてよかった。人間は本当に脆弱なんだな。ちょっと夜間飛行したくらいで気絶するなんて」
彼の言葉で、徐々に昨夜の出来事を思い出してきた。
魔族の青年に抱えられて王城を飛び出した(文字通り)私は、途中で花畑めがけて急降下した彼に、そっと地面に降ろされた瞬間、眩暈に襲われてそのまま気絶したのだ。
初飛行で急上昇と急降下を体験したのが駄目だったらしい。
「では、ここは……」
「魔王城だ。魔界の一等地へようこそ」
気絶している間に魔族の領地に到着していたとは。王都から魔界はものすごく遠いらしいから、きっと魔法を使ったのだろう。離れた場所へ移動するような難しい魔法をほいほいと使えるなんて、さすが魔族である。
「もう気分は大丈夫か? 水を飲むか?」
「えっと、はい」
頷くと、彼はすぐに「はい水」と、グラスを差し出してくれた。こちらを見る彼の眼差しは優しい。尻尾が犬のようにぱたぱたと揺れていて、私の目覚めを無邪気に喜んでいるような様子に、なんだか和んでしまう。
ちょっと広過ぎるベッドの端までにじり寄り、「いただきます」とグラスを受け取り、ありがたく水を飲んだ。
「それじゃあ初夜の続きをしようか」
「ごぶっ」
勢いよく水を吹き出した。
それじゃあ朝食にしようか、みたいなノリで提案するんじゃない。
ごほごほと噎せていると、彼は慌てて私の背をさすり、「水を飲むだけで咳き込むのか。人間の脆弱さが怖い……」と、見当違いな呟きをした。咳き込ませたのはお前である。
「ごほ……あの、つ、続きって」
「昨夜は新婚らしいことを一つもできなかったから。寝ているリシェルに何もしなかった紳士的な俺を褒めて欲しい。せいぜいメイド服を脱がせて寝間着に替えて髪を梳かして寝顔を眺めて寝息に耳をそばだてたくらいだ」
「何もしなかったの定義」
「まずは一晩かけて推敲した、完全版の口説き文句を聞かせるところから始めたい」
「一晩かけるなら他に有意義なことがきっとあった」
「ああ、ミルクを入れ過ぎた紅茶を彷彿とさせる亜麻色の髪に、邪竜の吐く魔炎の色そっくりな緑の瞳をした、飛行時に必死の形相で落ちる落ちると叫ぶ姿も大変味わい深き、我が愛しの花嫁よ……。どうだ? 俺に惚れたか?」
「修正すべき点はそのままに不要な要素が増えただけとしか」
「リシェルの採点は厳しいなあ」
楽しそうに笑う青年。目覚めた私への最初の気遣いや、こうした気さくな態度を見ていると、まさに「天真爛漫な魔族」という感じで、どうにも憎めない。
だけど、騙されてはいけない。私は彼に、たった一年と見せかけて百年期間の契約を結ばせる、という騙し討ちをすでに受けているのである。
気を引き締めてベッドのふちに座り直し、椅子に腰掛ける彼と向かい合った。契約内容への抗議をしなければならない。
「あのですね。えっと……」
呼び掛けようとして、そう言えば何と呼べばいいのだろうかと言い淀んでいると、察した彼が「ベルドラド」と名乗ってくれた。確かにあの鈍器のような契約書の全く頭に入って来ない冒頭に、そんな感じの名前が書いてあった気がする。
「ベルドラドさん」
「敬称は不要だ。気兼ねなくベルドラドと呼んでくれ。どうしても名前呼びは気が引けるのなら、旦那様・ダーリン・愛しいあなたの三択から選んで欲しい」
「ベルドラド一択で……」
「可愛い妻に名前で呼んでもらえて光栄だ。さて渾身の口説き文句も言えたことだし、ようやく初夜の続」
「しませんよ」
突っぱねると、魔族の青年――ベルドラドは、「えー」と拗ねたように言って、眉と尻尾を下げた。無駄に可愛い。
「二人の夜はこれからなのに?」
「いや窓の外見てください。ものすごく朝です。小鳥もチュンチュン鳴いてます」
「まあ初夜と言うにはだいぶ朝なことは認めるが、誤差の範囲かなって。だがリシェルが夜にこだわるのなら、ちゃんと夜まで待とう。俺は妻の意見を尊重する夫なんだ」
得意げなベルドラドに「夜になったって何もしませんからね!」と強めに言うと、また無駄に可愛い「えー」が返ってきた。
「なあリシェル、何か怒っているのか? 睨む顔も可愛いんだけどさ」
「それは怒りますよ。あんな詐欺紛いの契約を持ちかけてきて」
「詐欺紛い?」
「そうですよ。期間は一年だって言ったくせに、実は百年だったなんて。百年で日給換算したら報酬の金額もそこまで高くはないですし、全く、これが詐欺ではなくてなんだと……」
ベルドラドの表情の変化に気付き、思わず途中で口を噤んだ。




