◇37.ただの妻役
「やっほー、リシェルくん! 久しぶりだね!」
中庭の吸血薔薇を前に作業をしていたら、陽気に声を掛けられた。
相変わらずのぼさぼさした青い髪・もふめく尻尾・白衣の裾を各種なびかせてやってくるのは、アイザック博士である。
「アイザック博士、こんにちは。お元気そうですね」
あれから一週間。アイザック博士の風邪は、すっかり治ったようだ。
「テイジーくんが毎日お粥を作って届けてくれたおかげだね! リシェルくん、今日は中庭のお掃除かい?」
「いえ、お掃除ではなく、今回は害虫駆除です。薔薇に魔虫が発生したとのことで、駆除の依頼を受けまして」
なお本日の業務、ケルベロスたちはお休みだ。あの子たちくらいの大きさだと、吸血薔薇が捕食対象と思って、うっかり襲ってしまうらしい。
「私の額の光なら、魔虫くらいは簡単に退治できるそうで」
さっと前髪を上げて『宣誓』を見せたら、アイザック博士は「わはー!」と拍手した。
「これ大抵の魔族はドン引くやつだね!」
「いいんです。もうドン引かれたっていいんです。暗い場所を照らすときに便利ですし、こうして薔薇のお世話にも役立ちますから……」
ちなみに宣誓は、刻んだ側から供給される魔力で光るらしく、私がおでこ光線を乱発すると、少なからずベルドラドが消耗するとのことだった。
でも、「大した魔力の消費じゃないから、百発くらいなら気にせず撃て」と本人に許可をもらっているので、こうして薔薇を相手に燦然と輝きまくっている次第である。
「しかしこんなに激しい光り方および長文の宣誓は始めて見たよ、うん」
「別の魔族の方にも言われましたよ……でも、もういいんです……」
一度刻むと消せないと言われたし、もはやこの件については諦念を抱いている。
遠い目をする私の隣で、アイザック博士が「感動だなあ」と、眼鏡の下を袖で拭った。
「大抵の魔族にドン引かれる額のどの辺りに感動要素が」
「だって、ベルドラドくんの愛の重さを感じるもの。ふふ、長い片思いだったからなあ」
「……えっ?」
長い片思い?
思いがけない言葉に、思わず前髪を下げる私に気付いていない様子で、アイザック博士はしみじみと続ける。
「長年ベルドラドくんの恋を見守ってきた身としては、こうして彼が無事にお姫様と結ばれて、感慨深いわけだよ」
「……。あの、アイザック博士。前にも言いましたが、私はお姫様ではありませんよ。今はメイドで、前職もメイドで、生まれたときから庶民です」
「ううん、君はお姫様だよ。ベルドラドくんのお姫様。彼が小さな頃からずっと想い続けていた、初恋の相手だからね!」
小さな頃から。ずっと。
ベルドラドには、そんなに昔から――私と出会う前から、好きな人が。
「……あの、アイザック博士は、ベルドラドを小さい頃から、ご存じなんですね?」
寒くはないのに身体が震えて、エプロンをぎゅっと握った。
「まあね! ベルドラドくんの幼少期は、よく遊び相手になったものだよ。ああ、『はかせー、迎撃用ゴーレム出してー』なんて可愛くおねだりしてた子が、今や立派な大人で、僕、泣いちゃう……って、えっ、リシェルくん、大丈夫?」
話すことに集中していたアイザック博士は、私が俯いていることに気が付くや、慌てた様子で顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 少し顔色が悪いね? 貧血? ここ酸素薄い?」
「い、いえ、大丈夫です。それより、ベルドラドは昔から、好きな人の話を……?」
平気そうな顔を作って話を促したら、アイザック博士は安心したようで、「そうだよ!」と、また元気に話し始めた。
「十年くらい前かな? すごい魔族になって好きな子を迎えに行く計画なんだって、僕に教えてくれたのだよ。ベルドラドくんのお姫様はどんな子かなって、ずっと楽しみにしていたら、こんなに素敵なメイドさんだったとはね!」
アイザック博士は誤解している。
私がベルドラドと出会ったのは、つい最近だ。
私は、ベルドラドがずっと想い続けていた人なんかじゃない。
本物じゃない。たまたま選ばれただけの、ただの代役だ。
「人間の女の子と結婚すると聞いたときには、ちょっと心配もしたんだけどね。こっちはよくても、あっちは魔族を受け入れられるのかなって。でも、こうしてリシェルくんが魔王城に馴染んでいて安心したよ」
アイザック博士は嬉しそうに笑った。幼い頃から見守ってきたベルドラドが、長かった恋を実らせたのだと思って、喜んでいるのだろう。私たちの結婚が偽装だと知らないのだから当然だ。
「何か困ったことがあれば、いつでもこの頼れる博士に言うんだよ。じゃあね、リシェルくん! 僕は実験に行くよ、寝込んでいた分を取り返さなくてはね!」
アイザック博士は元気に手を振って去っていった。中庭自体に用はなく、私を見かけたから、わざわざ来てくれたみたいだ。
その後ろ姿を見送ってから、誰もいなくなった中庭で、しゃがみこんだ。
ベルドラドには好きな人がいる。それがどうしたと言うのだろう。
どうして、こんなに悲しむ必要があるだろう。
息ができないような痛みを感じる理由が、どこにあるだろう。
ぽたぽたと涙が落ちるのが不思議だ。
偽装結婚なのに。本物の夫婦じゃないのに。私に特別な好意があるわけじゃないと、ちゃんと知っていたのに。ベルドラドが誰に恋をしていようが、構わないはずなのに。
――私を好きだから、私を選んでくれたのなら。
そう思ってしまうことが、どういうことなのか、今、分かった。
なるほど、悲しいわけだ。
毎日、笑顔でおはようと言われて。毎日、飽きもせずに口説かれて。毎日、手料理を振舞われて。ハンカチを渡せば家宝にされて。時には尻尾を巻き付けられて。出迎えれば喜ばれて。優しい目で見つめられて。その行動の、全てで。
私はベルドラドに、とっくに惚れていたのだ。
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