◇33.普通に魔王城に馴染むメイド
そんなこんなで、普段より格段に上機嫌なベルドラドと、普段通りに美味しい朝食を囲み、今日は「枕を投げる様が勇ましくも愛らしき毛布の妖精」にされ、一緒に部屋を出て、いってらっしゃいのキスを却下したり却下できなかったりしてから、お互い仕事場へ向かった。
事務室に着くと、本日の掃除業務は無しとのことだった。業務発生の主な要因であるアイザック博士が、風邪で寝込んでいるらしい。ここ数日は平和だろうというのがテイジーさんの見解である。
他に何かお手伝いすることはあるかを尋ねたら、テイジーさんは曇りなき眼鏡の向こうで一瞬ときめいた顔になり、「備品の整備にご協力いただけると……」と言った。
喜んで引き受け、インク壺の補充やら、書類の整理やら、金棒磨きやらを手伝う。そういった細々した作業が苦手なケルベロスたちは、場の賑やかし要員として、事務室の隅でラインダンスを踊ってくれた。癒しは大事である。
事務室を訪れる魔族たちは、もこもこ魔犬をバックダンサーに作業をする私を不審がることもなく、
「おはようございます、ベルドラド様の奥様」
「おはようです、ドジっ子メイドさん」
「やっぴー、リシェるん、昨日はマントの染み抜きありがと!」
「あー、おはよ、人妻……メイドが朝から魔犬を従えて金棒を磨いている件……」
「ひっ、魔王城に来て二日目にして紅竜の背に乗って快哉を叫びながら上空を旋回してたヤベエ女だ、お、お、お疲れっしたあっ!」
などなど、親し気に挨拶をしてくれる。
そう、最初は人間として部外者感が満載で、魔族たちに遠巻きにされていた私も、この一ヶ月間で「ベルドラドの妻・兼・お掃除メイド」として、けっこう馴染んできたのだ。同じ魔王城の従業員として認知されて嬉しい。
これも、ベルドラドが案内だと言って城中を連れ回してくれたおかげであり、また、メイドとして城中を掃除して回った成果でもあるだろう。
妻役がいつまでも城内で浮いていたら、ベルドラドも居心地が悪かっただろうから、こうして無事に馴染めて安堵している。あと、きっと彼のメイド好き疑惑も払拭できたはずなので、その点も喜ばしい限りだ。
「ありがとうございました、リシェル様。おかげで事務が捗ります」
「いえいえ。お手伝いが必要な時はいつでも仰ってください、テイジーさん」
事務室を後にし、今日は競歩の練習をするのだというケルベロスたちと解散。
さて、お次は偽装の妻としての本業――部屋でゴロゴロする仕事だ。
ベルドラドは、昼過ぎに仕事から戻ってくると言っていた。それまで読書をして待とうか。私に偽装結婚を提案した際に、「望む限りの娯楽を提供する」と言った彼は、その約束を違えず、私が読書を望んだら、図鑑に哲学書に料理本、もちろん恋愛小説も、あらゆる分野の本を大量に持ってきてくれたのだ。
今日は何を読もう。ベルドラドが参考書にした恋愛小説を読んで、感想の言い合いっこをしたら楽しいかも。うん、そうしよう。
読書をしながらベルドラドを待って、ベルドラドが帰ってきたらおかえりなさいを言って、ベルドラドにハンカチを渡して、それからベルドラドと……。
「……」
さっきから、ベルドラドのことしか考えていないような。
よろめいた。
ちょうど頭をぶつけた壁がひんやりしていたので、ひとりで恥ずかしくなってひとりで熱くなっている頬を押し付け、なんとか冷却を試みる。
いや、ベルドラドのことを考えたからって何なのだ。何の問題があるのだ。妻なのだから、夫のことを考えたって変ではないのだ。妻だから。偽装結婚だけれど。愛がありまくりの、偽装結婚だけれど。
「愛……いやいやいや、あれは演技だから。私を惚れさせるための演技だから」
右頬と左頬を交互に壁に押し付け、必死に涼を取る。
そうやって壁と仲良くしていたら、「うわ……」と、聞き覚えのあるドン引き反応が聞こえた。
振り向く。今日もリボンたっぷりの装いが良く似合う、ミア様である。
「え、何……? 壁にマーキングでもしてるの……?」
「人間はマーキングしないですミア様。ちょっと廊下の壁の材質が気になって知的好奇心から調査していただけですミア様」
慌てて壁から離れ、それらしい言い訳をしてみたら、素直なミア様は「なんだ、そうだったの。ここの壁は石よ」と、納得と解説をしてくれた。優しい。
「ねえリシェル、あなたどうせ暇なんでしょうから、ちょっと私とお喋りしなさいよ。別に一緒にお話したくて廊下で待ってたわけじゃないのよ調子に乗らないで! ただあなたの仕事が終わって事務室から出てくるまで待機してただけよ!」
待ってくれていたミア様のいじらしさに胸を打たれ、おかげで終わりなき恥じらい大会から解放された私は、力強く頷いた。
「はい、猛烈に暇なので、ぜひミア様とお話したいです」
「そ、そう。仕方がないわね、相手をしてやるわよ。あっちにベンチがあるから」
いそいそと移動を始めたミア様の後に続き、仲良く並んで腰掛ける。
ミア様はリボンの陰から、すっ……と手帳と羽ペンと取り出し、もじもじと恥じらいながら私を見た。
「ねえリシェル、質問をしてもいい?」
「はい、何なりと。モップ掛けの基本から、窓枠の埃の効率的な取り方まで、何でもお答えいたしましょう」
「じゃあ聞くけど、あなたはベルドラド様のどこが好きなの?」
「すっ」
ミア様から放たれた予想外の質問に仰け反った。
目を凝らさないと分からない程度の変化ですが、タイトルを変えました。
「初夜のベッドに花を撒く係、魔族の花嫁になる」
↓
「初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる」
お分かりいただけただろうか……。