◆29.錯覚の始まり
「ここは先代の魔王が『毎日おやつに果物が食べたい』と言って、家庭菜園のノリで作ったとされている果樹園なんだ」
「さっきから私の中の魔王像の崩壊が激しい」
「当時はまだ人間と魔族がバチバチにやり合ってたからさ、柿を盗み食いに来た勇者と水遣りに来た魔王が鉢合わせて、それはもう激しい戦いになったらしい」
「戦いの理由はそれでいいのか」
「で、勇者がお詫びに植えたのがあっちの桃だ。品名は『柿恵んでくれてありが桃』」
「しかもちゃんと仲直りしてる」
滋味深い歴史の解説を受けながら果樹園を進み、目当ての林檎の樹に辿り着いた。
「あれがリシェルの今日のおやつだ。何個食べる?」
「えと……立派な林檎なので、一個の半分で充分です」
「分かった。半分こしよう」
ベルドラドはふわりと飛ぶと、一際赤くて美味しそうな林檎をもいで降りてきた。手にした林檎を軽く上に投げ、刃に変えた尻尾の先ですぱりと綺麗に両断、分かれた林檎を右手と左手でそれぞれ受け止める。
「はい、リシェルの分」
その一連の動作を、ずっと前にも見た記憶があった。
「……」
私が林檎を受け取るのも忘れて、ベルドラドの顔をまじまじと見つめるものだから、彼は「どうした?」と首を傾げた。
「いえ、その……」
私は小さい頃にも一度、魔族と会ったことがある。子ども姿の魔族だ。会ったのはその一度きりで、もう顔は朧げだけれど、思い出せる部分もある。
ぼさぼさと乱れた長い髪は、夜空のような黒色。顔を隠すように伸ばされた前髪から覗く瞳は、満月のような金色。「黒猫みたいで可愛いなあ」と思ったその色の取り合わせが、ベルドラドと同じものだと、今になって気が付いた。
「……ベルドラドは、小さい頃に人間と遊んだことはありますか?」
私の唐突な質問を訝しく思ったのか、ベルドラドは少し間を置き、「いや、ないな」と答えた。
「なぜそんなことを聞く?」
「その……あなたは、ひょっとしてベルなのかなと思って」
一緒に遊んだ時、ベルは森で林檎を取ってくれた。
高い木に生る林檎を翼で飛んで簡単に取り、ナイフもなしに尻尾で切り分けてくれた姿に、子ども心に感動したことを覚えている。
さきほどのベルドラドの行動は、その時のベルを思い起こさせるものだったのだ。
「……ベル」
「あ、ベルと言うのは、私が小さい頃に一度だけ出会った、魔族の子なんですけど。森の中でぽつんと一人、涙と鼻水を垂らしてひんひん泣き喚く姿を私が発見して、あまりにも哀れでつい声を掛けたのが出会いで」
「いやそれは全然俺ではないな。涙と鼻水を垂らしてひんひん泣き喚くような情けない幼少期を送った覚えは全くないから断じて俺ではないな」
キリッと音がしそうなくらいに凛々しい顔で、食い気味に否定されてしまった。
まあ、それもそうか。
初夜のベッドに花を撒いていたあの夜、たまたま遭遇した私を妻役にしたベルドラドが、たまたま小さい頃に一緒に遊んだ魔族の子どもと同一人物だったなんて、そんな偶然、そうないだろう。そんな奇跡があるとしたら、ベルドラドの参考文献である甘い恋愛小説の中の話である。
そうだ。そんな偶然があるわけないのだ。
とは理解しつつ、それでも内心ではベルとの再会説をけっこう期待していたようで、案の定の結果にそこそこ落ち込んだ。
「……そう、ですよね。そもそも、思い返せばベルは女の子だったと思いますし」
「そうだ。初対面のふりなど断じて……えっ、女の子?」
「ベルって女の子に多い名前ですし。それに、はっきりと顔は思い出せないながら、子ども心にすごく可愛い子だなあと思った印象が残っていて。私が花の冠を被せて『お姫様みたい』って拍手したら、もじもじと恥じらいながらも、それはそれは喜んでくれて……」
「……」
リシェルリシェルとすごく懐いてくれたんだよなあ……と、つい幼少期の美しい思い出に浸っていたら、ベルドラドから微妙な視線を感じて我に返った。
彼は本当に微妙な表情をしていた。何がそんなに微妙なのかは分からないが、彼はコホンと咳払いをすると、再びキリッとした顔になった。
「全くリシェルは。迷子になった先で孤独死の恐怖にギャン泣きするような無様な魔族と俺を一緒にするなんて。俺はリシェルの前で情けなく泣いたりはしない。強くて立派な、すごい魔族だからな」
「いや、ごく最近ベッドに突っ伏してしくしくと泣くあなたを見た気がするんですが」
「気のせいじゃないのか」
それから半分こした林檎を一緒に食べ、ベルドラドに抱き上げられて、再び空に舞い上がった。
背中にしがみつくより(ミア様比)安定感があっていいなあ、と思っていたお姫様抱っこ飛行だけれど、前科一犯の今ではもう、この密着状態は非常に心臓に負荷を強いるものだった。運搬気分で平然と身を任せていた、平和なあの頃に戻りたい。
今度は絶対に至近距離で何らかの被弾をしないよう、顔の向きを完全に前方に固定した。微動だにせず前を見続ける私を、飽きずに空の景色に夢中だと思ったらしいベルドラドが、「リシェルは飛ぶのが気に入ったんだな」と、優しく笑う。
その柔らかい声に、顔を見なくても、どんな表情をしているのかが想像できて、また心臓が慌ただしくなってきた。
「興奮し過ぎたらすぐに言ってくれ。すぐに降ろす」
「はい。大丈夫です。とっても楽しいです。生きてます」
もちろん、景色を見る余裕などなかった。
以上、「錯覚の始まり」編でした。
ブクマやポイントが増える度に元気をもらい、
毎話に付くリアクションを眺めるのも楽しく、
いただいた感想はホタテの貝柱の如く噛み締めて読んでます。
応援ありがとうございます……!
少し休憩を入れまして、来週の金曜日(3/7)から連載再開です。
おまけ回(登場人物オールスター紹介)を挟んでから、次章に入ります!
■追伸:
昨日「翻訳破棄」という短編を投稿しました。
9000字ちょっとの本文中に「血染め」という単語が5回くらい出てきますが、血は一滴も流れない明るく健全な魔王×人間のラブコメです。
べ、別に婚約破棄を打ち間違えて思いついた話とか、そんなんじゃないんだからねっ!
本作と同じ「人と魔族の戦い、あるいは恋」シリーズにあるので、連載再開までの息抜きにどうぞ!